10月最初の水曜日、デイサービスに出掛けた母が熱があるのでお迎えを・・という電話がかかった。そのままデイサービスに迎えに行くと、朝食を食べていなかったらしく、昼食を食べてもらっているからと少し待っていた。
熱を測ると少し下がってきたというので、実家に連れて帰ったものの、再度熱を測ると38度を少し超える熱があるのでそのまま、かかりつけの日赤へ。
受診を終え薬を受け取り、母を実家に連れて帰って私が荷物を玄関に置いて振り返ったその瞬間、母は転倒。顔から倒れて行くのがまるでスローモーションのように見えた。
走って行き母を抱きかかえたけれど、母は一瞬意識を失ったのか様子がなんとなくおかしく、ぐったりしてその重さに何もできずに大きな声を出した私に、お隣のご夫婦や近くを通りかかったガス会社の方が心配して駆け寄ってくれた。
私といえば携帯を忘れてしまって、お隣のご主人が救急車を呼んでくれ、さっき受診した主治医への電話はガス会社の方が携帯を貸してくれ救急車で向かうことを連絡できた次第。
日赤に着いて、救急で診察を受けている母は言葉は出るものの不明瞭、しかも左半身に少し麻痺が出ていた。暫く待っているとMRIを撮ると言うことなので、その間に携帯を取りに帰ることにした。1時間ほどして病院に戻ると、MRIの終わった母は入院する事になり病室に向かうところだった
言葉の不明瞭さは相変わらずで、転倒した時に左側から倒れたせいか左目の周りが赤黒く腫れていた。主治医が来て、「体力もかなり落ちているし、左半身も少し麻痺が出ているので暫く様子を見ましょう。」ということだった。2年前に脳梗塞を患った母だけれど、転倒の原因になるような梗塞も見受けられないと言うことだった。
暫く病室にいたけれど、母も落ち着いた様子で寝ているのでその日はそのまま帰った。
翌日、病室に行くと前日よりはかなり落ち着いてはいたが相変わらず言葉は不明瞭だった。
3日目、病室に行くと母の鼻から管が入っている。その説明を聞くと、嚥下が全くできず、口に入れてもモグモグはするもののゴックンができないと言う。それが入院してからずっと続いているので、このままでは全く栄養が取れないので管を入れたと言う事だった。
その後、その管から入れたものが食道の方に流れずに気管に流れてしまったりとかなり大変な事があり、翌週消化器科で胃カメラを通し、その管を使って栄養チューブを挿入すると言うことになった。そして、やっと食道を通って胃まで届いた栄養チューブを外してしまわないように、母の両手にはまるい手袋がはめられた。
入院してから、看護師さんの手を借りてポータブルトイレに座る以外動くことのなかった母で、毎日のそのほとんどを寝て過ごす事が多くなった。
9月の半ばぐらいから体調があまり良くなかった母は、私が実家に行った時もあまり食欲もなく作って行ったご飯もあまり食べている様子はなかった。それでも、自分で何かを作ったりはしているようだった。そんな事もあり、ケアマネさんと相談して、以前母が断ったヘルパーさんと入れることや夕ご飯の給食を10月から再開する話を決めたばかりだった。
わが家に来ても良いのだが、母がお気に入りのデイサービスはわが家のある地域へは送り迎えができないということで、母は実家で一人で暮らしていたのだ。
そんな時の転倒からの入院である。
その後、何度か口からの食事を試したようだけれど、母も食べようと言う気持ちがあるらしモグモグはするもののゴックンができないでいつまでも口の中で動かしているだけなのだ。
鼻からのチューブを長期間入れている事はできず、でも栄養失調になっていた母にはチューブでしか栄養をとる事ができず、主治医から胃ろうを作るという話があった。母は認知症ではないので、自分の置かれている立場は良く理解をしている。食べることを拒否しているわけでもない。食べたくてもそれができない状態なのだ。そうなれば胃ろうを作らなければ生きて行く事ができないのだ。
鼻からのチューブは、かなり苦しく痰が絡んでいつも吸引をしてもらわなければならない。手にもずっとまるい手袋をつけていなければならない。その上、感染症を引き起こしかねないのだ。
母も、主治医の話を聞いて自分で胃ろうを作ることを承諾した。
何故、嚥下ができなくなったのかは良くわからないが、CTでは写らずMRIでしか見つからないような小さな梗塞があるが、ひょっとしたらそれが嚥下の神経をどうかしているのかもしれない。または、少しずつ嚥下が悪くなっていた所に転倒して、そのショックで嚥下ができなくなったのかもしれないと言うことだった。
さて、胃ろうを作る前の胃の状態を調べる胃カメラの検査で大変な事が分かった。
母は大きく背骨が曲っているのだが、それが原因なのか胃が大きく背中の方へ歪んでいて正常な位置にない上、胃そのものが捻じれているのが、写真に写っていた。
初めて見るなんとも異常な写真だった。その捻じれている胃に胃ろうを作る事は不可能だと言うことだった。
そこで、もうひとつの方法として食道ろうがあるという話があった。例えば胃を全摘した場合とか、母のような人に考えられた方法ということらしい。
首の食道に近い部分に穴を開けてそこから胃までチューブをいれて栄養を流すと言うことだった。
もし、状況が良くなって口から食べる事ができるようになれば、胃ろうと同じようにそこをふさぐ事もできると言うことだ。
先週そんな話があって、今週半ばにその手術をする予定だったが、先週末に胆のうが少し腫れて数値があまり良くないので食道ろうを作る手術が延期になってしまった。今週その数値も下がって、体調もかなり良くなってきているので、再度金曜日に検査をして来週その手術をする事に決まった。
入院して3週間、母はすでに立って歩くことはできなくなっている。でも、不明瞭ながら言葉も出てくるようになって来ている。先週の土曜日、優貴家族がみんなでお見舞いに来てくれた。
虎太郎と龍之介は、母のあまりの変わりようにびっくりしたようで言葉をあまりでなかった。
それでも、母は優貴たちを見て、
「今日は土曜日だから、優貴たちが来てくれると思っていた」と嬉しそうに話していた。
それを聞いて、こんなに誰かが来てくれるのを待っているのかと思うとなんだかかわいそうな気がして貯まらなかった。
私も、用がない時は毎日行くようにしている。だからと言って、なにができるわけでもない。靴下を替えて枕の位置を変えるぐらいだ。母が何をするにしても看護師さんがいなければ何もできない。長い時間いるよりも毎日少しの時間でも行って、何か話かける方がいいかな・・なんて思っている。
食道ろうを作り、それがうまく機能し始めたら、母は今の病院をでて次の段階へ行くことになる。
ソーシャルワーカーとケアマネとの話し合いで、最終的には特養への入所を考えることにした。
話し合いで食道ろうを作っての自宅介護にそれ相当の覚悟は否めない。
今の状況ではそれにかかわれるのは私以外に誰もいないのだ。私自身が身動きが取れなくなるのは必至た。
はたしてそれが良いのかと考えた時、施設への入所を選んだ。
もし、自宅介護を選べば、食道ろうがある以上、医師の往診、訪問看護、訪問介護なのは絶対的に必要になる。体位変換も清拭もある。
そういう母を一人置いての外出もそうそうできなくなってくるだろう。
それが良い事なのかそうでないのかは良くわからない。でも、もしそうなった時に私自身が壊れてしまうような気がした。6年前にウツの入口に立った時のように・・・。
そんな状態の私にもう二度と戻りたくないと思ったのだ。
私だけでなく、周りも不幸になってしまうかもしれない。
私は私のエゴで母が施設に入ることを選んでしまっているのではないかと思うときがある。
それを親不孝だと言う人もいるかもしれない。言われても仕方ないのかもしれない。
それでも、それを選んだことを迷ってはいけないとも思う。
母は、何をどう思っているんだろう・・・・