いまから40年ほど前、26歳の正月だった。宿直の仕事をしていた。他に誰もいなかった。布団に入って自分の人生を考えた。J.S.ミルの「自由論」の影響もあった。なにかがひらめいた。

 

自分が本意とする人生を歩んでいるかと。ちがうと。自分は頭でこの世界を歩いていきたいはずだと。生き方を変える決意をした。

 

その年の4月から、経済学の大学院に行くための勉強を始めた。すでに妻と子供が二人いた。もともと工学部なので、経済学は専門ではない。マルクス経済学(資本論、剰余価値学説史、資本論草稿集など)は突き詰めて勉強していたが、大学院の入試には役に立たない。

 

神戸大学の置塩信雄先生の著作を理解可能な限り必死で勉強した。経済学のための数学ものめり込んでやった。先生は私の憧れのアイドルのようなものだった。

 

いつも、旧愛知県立図書館(今の場所とは違う、栄の公園の近くにあった)に通った。定期まで買った。南区から、名鉄名古屋駅で降りた。たまに、駅のそばを食べた。それが数少ない贅沢だった。

 

図書館には平日から公認会計士や税理士を目指す受験生がたくさん来ていて、地下で、一緒に黙々と弁当を食べた。顔はよく覚えているが話は一切しない。それぞれの人生を抱えていた。図書館はお茶を用意してくれていた。あのお茶の味は一生忘れない。

 

退屈すると、図書館開架室の書棚から抜いて本を読んだ。いろいろな本を読んだ。

 

栄の街を歩くとき、自分はこの街から疎外されていると感じた。この社会に入れていない。排除されているわけではない。この社会の一員となるための何かを欠いていると感じた。街の建物すら自分を無視しているように思えた。

 

この疎外感は、脳髄にまで染み込んでいった。それは心の傷、ある種の精神の病かもしれない。

 

自分は何者でもなかった。定職もない。あなたは何者ですかと言われても、応えようがなかった。何者でもない自分。自分は、ゼロなのだと思った。ゼロであることは許されていた。

 

この社会に受け入れられていない自分という意識が、消えたのは、その後大学の仕事について、さらにしばらくしてからだと思う。

 

もしかすると、30代半ばすぎに、博士号をもらったときかもしれない。初めて、自分が世の中に認められた(評価されたわけではなく)と感じたのは。「お前はお前らしく生きていけばいいのだ」という自己肯定感を得た。

 

この社会から疎外されたまま生きていくのは難しい。あの当時の疎外感は、その後の長い人生から見れば、いっときのものだった。

 

ただ、その疎外感が癒されたのちも、あの時の状況がゼロであり、原点であることは少しも変わらず、その原点からいつも自分の立ち位置を測った。自分の位置ベクトルを確認していた。

 

40年度のいままた、自分はその原点に立っている。ただ、次元が一つ増えて、その次元をゼロにした時は、自分はあの時と同じ場所にいるという意味だ。

 

新しいゼロだ。これを手に入れたかった。ただ、のこされた時間軸は、昔の原点と比べると、かなり短い。