9年前の今日は絶対に忘れられない日。


なので、今更ですが震災の記録を残しておこうと思う!
ブログには詳しく記録しようと思ってなかったけど、何となく折り合いがついて来たような?やっぱり忘れたくないので残します。



東日本大震災のあの日は
私はまだ23歳で、仙台にいて。
職場の保育所でお昼寝の見守りしながら新年度の準備をしてた。

突然大きな揺れがして
子どもたち集めて布団かぶせて、とにかく守らないと!と必死。

皆で雪の中園庭に避難した。
続々と保護者が子どもをお迎えに来て、私も帰ることになり

仕事後は妹と待ち合わせて避難所の小学校へ。

余震が続くなか、ラジオでは荒浜で数百の遺体が見えると繰り返してて、悪い夢なんじゃないかとボーッと聞いてた。嘘なんじゃないか、嘘だと言ってくれって思った。 

私の地元はその時は車数台が流されたってラジオの情報のみ。
実際は壊滅的でしたが、、それしか情報がなかった。

余震も怖いし不安だし
避難所で寝られる訳もなく、そのまままた仕事へ。

携帯が繋がらない中、母からは無事を知らせるメールがやっと2通来てたけど
父とは全く連絡が取れなくて。
電話なんか全く繋がらない。

父は消防団に入っていて
『津波の時、俺は水門を締める係なんだ』
とずっと言っていたから、もしかしたら水門を締めに行って、お父は流されたの?と想像しては、かき消してを繰り返してた。

2〜3日してやっと連絡が取れて 

両親が生きてたってこと
叔父が亡くなったこと
家が流されたこと
家にいたワンコも一緒に流されたんだろうということ

それを一気に聞かされて、両親が生きていた安堵感と、なんとも言えない気持ちですっげえ泣いた。

妹はその時初めて泣いた。不安なのは同じなのにそれまですっげー気丈だった。
すごいな。

津波が来た時
叔父は、近所のお年寄りを助けてて、そのまま波に飲まれて、周りの人に引っ張り上げられたものの
泥とかを飲み込んでいたようで、瀕死の状態だったそうだ。
周りの人に連れてってもらって避難した寒い小屋の中で、苦しんで死んでいったらしかった。

シャイだけど、優しいしとても可愛がってもらったし
成人式の日に私の振袖姿を見て涙ぐんでたのも知ってる。

写真も流されたから、今でも遺影がない。

くやしい。

くやしい。


両親の無事が分かってから
私の職場の先輩の友達が
私と妹を岩手まで乗せてくれることになり、仕事を休み、岩手まで連れて行ってもらった。
初対面なのに、、なんて優しい人がいるんだろうなと思った。

途中で父と合流して
母の実家に行ってみんなに再会できた。
両親、祖父母、従兄弟達のみんなでカレーを食べた。
こんな日を迎えられたんだって嬉しかった、夢みたいだった。フワフワしてる感じがした。

けど、ピリピリしてきて親がそこから言い合いになった。
私も怒鳴りつけた。生きてるだけでいいじゃんて思った。みんな余裕なかった。

雪の外に飛び出して泣いた。
妹も来てくれて一緒にタバコ吸った。
そして一緒に泣いた。



父はやっぱり、消防団で水門締めててその後波に追いかけられながら必死で逃げたみたい。

母は学校で働いていて、生徒と避難したみたい。

よく生きててくれたって思う。

震災後、初めて地元に戻ったら、私の知ってる地元じゃなかった。

瓦礫の上を歩くとグニョグニョした。
もし、自分の歩いている下に誰かいたらと思うと申し訳ない気持ちになった。けどそこを歩くしかなかった。
自宅の残骸を見つけて、犬の名前を呼んで探したけど遺体も見つけられなかった。

見つけてあげられなくてごめんね。

知ってる人が、たくさんいなくなって、

〇〇さんが流れてた。とか
〇〇は家に戻って流された。とか

体験した人の言葉は生々しかった。
遺体だらけだって電話で友達も泣いてた。
行方不明になった身内を探している人にも会った。
親が、もう遺体はみたくないって言ってた。

つい数日前は生きてたんじゃないの。

生きたかっただろうな。
怖かっただろうな。



亡くなった方の最期を考えるのが辛いよね。


生きているって当たり前じゃないんだ。


もう会えないんじゃないかと思っていた人達と再会した時は、本当に嬉しかった。

流されても生き延びてくれた身内もいた。
生きててくれてありがとう!

とにかく、色んな人に支えられた。
ありがとうと言っても足りない。
家族、友達、仕事の人たち、周りの人、元彼。
自衛隊や消防や警察の人達。
復興に向けて頑張っている人達。



死んだ人に会いたくて会いたくて堪らなくなる時もあるんだけど。

でも私はまだそっちに行けないからさ。


震災がなければ旦那と会ってないから
息子にも会えなかったんだと思うと変な感じだけど、考えても無駄なことだね☺️
この世で1番大切!
息子にはこんな経験せず元気に楽しく生きていってねと願う。


津波で亡くなった叔父が残してくれたお金があって
叔父は子どもがいなかったから、姪っ子甥っ子である私たちに配られた。

それで青いピアスを買った。
大好きな海の色。
きっと亡くなったおんちゃんも、海が好きだったと思う。





あの日を絶対に忘れない‼️
たくさんの人達が経験した、あんな辛いこともうない。


絶対に一生懸命生きる‼️



この電車で毎日高校通った。震災関連の本で唯一買った本☺️


今日地元で花火上がったんだって☺️