そんなに頻繁には更新しないだろアメブロだけど流石に1ヶ月に1回は更新すべきよなぁと、今更ながら思った。
でも思う所がないと書かないんだよなぁ。しかも書いたら長い。
ま、独り言です。頭ん中に溜めとくと\(^O^)/するんでつらつらと書いてるだけです。
精神的繋がりを見つけるのはかなり難しいだろうと昨日職場で話ていた訳で、肉体的、金銭的な繋がりはいとも容易く簡単に繋がり解けていき空しさしか残らないと。
精神的な居場所があれば、宿を探す旅人のような真似をせずとも、雨をしのぐ軒先を探す不安も要らないのにと。濡れたって帰る暖かい場所があればそれでいいのだから。
基本的に僕も彼と同じくホームレスだ。一時期は我武者羅に居場所や拠り所を探して一夜の宿を渡り歩いては違う違うと路頭に迷っていたが仮宿であっても宿があればいい、そう思っていた。そんな自分の居場所なんてそう簡単に見付かる筈はないのだから。諦めて仮宿の渡り歩きでいいじゃないかと。
感情のある人間同士精神的に繋がり合うのは普遍を求める位難しいんじゃないかと、否、普遍がないからこそ難しいんじゃないかと思う。変わる、全ては変わっていくからこそ同じがない人間だから難しいんじゃないかと思う訳で。
詰まりは繋がれば生涯変わらず繋がって居たいと言うのが僕の信条だからだろう。求め続けるものが変わらない現在、将来の顛末の展望も変わらない現在、ある種の普遍に居る訳だ。
僕は変わらない君が居るなら変わらない明日を過ごしたい。彼も言葉こそ違えど内的意味ではそう言っていた。
昔からのブログを見返していても最終的に僕が僕自身本当に欲しい所や精神的な欲求は高校生位から変わってない。これはこれでいい事でもあり我が強すぎる短所でもあるんだけども(基本的に社会性はないからね/orz)
一般的な社会に生きて居ない僕は彼らが真実の姿で居られる僕らの職場で、たまにこういうフィーリングが合う話が出来る彼みたいな相手に出会える。しかし彼らは一般社会にも生きていて、僕だって普段は一般的社会にも生きている。って、あぁ話逸れた(笑)
一般的、非一般的な話はまた次回だ。今回は精神的繋がりの話。
切ろうとして切れる関係じゃないのが唯一それでそれさえあれば肉体的関係も金銭的関係も全く要らない。肉体的関係は金で繋ぐも切るも簡単で金銭的関係は肉体的関係が付加する場合が多々ある。「アタシならホ別で苺ね(はぁと)」とか言うことだ。切れやすいったらありゃしない。金の切れ目は縁の切れ目だ。
縁側でお茶をすすって「今日もいい天気だねぇ」「あぁそうだ隣の猫が子猫を産んだらしいよ」「じゃあ一人貰おうか」なんて生活が夢の20代にしちゃ爺さんみたいな隠居生活を夢に夢見てる(大分とな)僕にはそれこそ肉体的関係も金銭的関係も無縁で且つ精神的繋がりがあってこその安心した居心地のいい居場所、それこそ魂の落ち着くような場所が、最終的目的地な訳だ。
基本的に一般的社会からは外れた道に居る僕だが精神的繋がりを求める気持ちや考え方は何ら他の人と変わりはないのかも知れない。ともすれば重たい愛情ともとられがちだが愛情とはまた違う。信頼や掛け値なしの情があって愛情とはまた違う関係性だろう。そこには愛情も含まれるかも知れないが愛情よりもっと深いだろう。
ある種これはマイノリティに生きる人間の一番願う所かもしれない。そして一番叶い難い願いかも知れない。
来世があるなら、僕は『普通』に生まれてみたい。何も知らずにありふれた一生を過ごしたい。今が嫌な訳じゃないし寧ろ好きだが、街中を見ていると、知らない『普通』が欲しいとも偶に思う。

