大月町柏島

 

 

 

 

土佐清水市下川口

 

 

 

 

土佐清水市足摺岬

 

 

 

 

土佐清水市大岐ビーチ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつの間にか見かけなくなった丸ポスト。

物に限らず、人に限らず、全てが移ろいゆく。

 

 

 

 

亀戸天神というくらいなので

昔からカメはいたのだろうが、

本来ならば在来種の二ホンイシガメのはず。

今いるのは、特定外来生物に指定された

ミドリガメ(ミシシッピアカミミガメ)ばかり。

生存競争に負けたイシガメは

絶滅危惧種となってしまった。

 

 

 

 

 

石垣とこの花の組み合わせは、南の地方でよく見かける。

故郷に帰りたくなる。

 

 

 

 

普段は滅多に使わないが、

あまりに可愛かったのでマクロレンズを使用。

 

水滴の音符で花が歌っている。

 

 

 

 

 

 

 

ミャンマー北部の少数民族であるカチン族。

少女たちが、艶やかな民族衣装で出迎えてくれた。

その国、その土地の伝統は、ずっと残して欲しい。

 

 

 

 

どうしてこの国の人達は生活環境に関係なく、

大人も子供も笑いかけてくれるのだろう。

言葉が通じないこともあるが、「笑って」などと

僕は一度も言ってないのに。

 

 

 

 

さっきの子のご両親も近くにいた。

お母さんが食事の用意をしている最中である。

普通で考えると、「何撮ってんの!」と

怒られるシチュエーションだが、

ここでは誰も怒らない。 皆、笑ってくれる。

 

 

 

 

ミャンマー第二の都市、マンダレーから南へ下る。

170年程前に、旧王宮の木材を再利用して

作られた、全長1、2kmの世界最長の木造歩道橋。

夕暮れ迫る「ウーペイン橋」のひととき。

 

 

 

 

見た者に幸運をもたらすという、

高知県宿毛(すくも)市のだるま夕日。

 

 

太陽が水平線に近づくと、海からもう一つの

太陽が昇ってくる。

目の当たりにしながらも我が目を疑う。

 

 

 

 

二つの太陽がくっついて「だるま夕日」に。

この日は雲があったため、偶然、ワイングラスの形になった。

 

 

 

 

一枚目のカットから、ここまで僅か数分の出来事。

地球が、ものすごいスピードで回っているのを実感する。

 

 

 

 

完全に日は沈んだが、夜の戸張が下りるまで余韻を楽しむ。

 

 

 

 

なんて可愛い男の子、と思ったら女の子だった。

この年齢の子は、男女にかかわらず丸坊主が多い。

こんな頭を見ると、つい両手でこねくり回してしまう。

 

 

 

 

我が家の軒先で、孫を抱き上げ幸せを満喫する。

それぞれでいいとは思うが、人が生きる意味なんて、

ただ単純にこういうことではないのかな。

 

 

 

 

店番をする女の子。

ミャンマー版看板娘は、よく笑いよく働く。

それにしても日本人とよく似た顔立ちだ。

 

 

 

 

誰か一人と遊んでいると、どこからともなく子供が集まる。

言葉が通じないので、相撲を取って遊んだ。

なんという人懐っこさ、なんという純朴。

ここに来る前、「怒ってばかりいる国」、

を周っていたので、尚のこと心が安らぐ。

 

 

 

 

 

先に紹介した『ミャンマー鎮魂の詩』の取材ではなく、

MTB(マウンテンバイク)レースの撮影でタイを訪れた際、

チェンマイから山間部へと車を走らせ撮影したものです。

 

 

首長族の多くは、難民として連れてこられた、

ミャンマーのカレン族。

この村も、観光用に作られた村のようである。

タイ側のこの村で、機織りなどをして暮らしてゆけば、

タイ政府から生活費が支給される。

それがいいことなのかどうかは、本人しか分からない。

 

 

 

 

首の輪っかは女性のみで、5才くらいから入れ始め、

徐々に増やして長くする。

 

どこか物憂げに見えるのは、

僕がその背景を知っているからだろうか。

 

 

 

 

鮮やかな色彩の機を織る。

ずっと、ここでこうして織り続けてきたのだろう。

俯けないために手元が少し見辛そうだが、

慣れた手つきで作業を続ける。

 

 

 

 

ここで子を産み、ここで育てる。

親は子を愛し、子は親に全てを委ねる。

本物の村も偽物の村もない。

 

 

 

 

ずっと木の棒で、一人遊びを続ける男の子。

飴をあげると、キチンと合掌してから受け取った。

あるだけ全部あげたくなる。

 

 


 

通りすがりに、大喜びする少年に出会う。

網を仕掛けておくと、時々こうしてカニが獲れるらしい。

帰ったら母さんに茹でてもらってね。

ご馳走だね。

 

 

 

 

皆でスイカを食べて涼んでいるのではない。

この子達が、スイカを売っているのだ。

ミャンマーを歩いていると、そこここでスイカ売りを見かける。

暑いので、水分補給によく売れるのだそうだ。

糖度はさほど高くないが、喉を潤すにはちょうどいい。

 

 

 

 

 

煌煌と輝く水上パゴダ。

ここは首都ヤンゴンに近いため、この電力を賄える。

町から少し離れると、ホテルでさえ夜11時から朝5時まで停電

になる。

常に枕元に懐中電灯を置いとくことだ。

 

(取材当時はヤンゴン。現在の首都はネピドー)

 

 

 

 

 

 

雨に煙る千鳥ヶ淵。

いつもなら、花見客でごった返す桜の名所も、

さすがに今日は誰もいない。

ビニール傘に降る雨音を聴きながら、一人うろつく。

 

 

 

 

 

こんな日に、雨に打たれてポツンといるのは、

僕とコイツくらいのものか。

もう帰ろう。

熱いコーヒーが飲みたくなった。

 

 

 

 

二人の笑い声が微かに聞こえてくる。

 

「おにぎり、どれが美味しかった?」

「どれも美味かったけど、梅が特に美味かった」

「でも種ごと噛んじゃってさー、

差し歯が取れちゃったよ。ほらっ」

「わはははは」「キャハハハハ」

 

こんな会話じゃないと思う。 たぶん。

 

 

 

 

風にまかせて姿を変える花筏。

今年もやっぱり、パッと咲いてパッと散った。

一度くらい間違えて、三ヵ月ほど咲かないものかな。

 

また一年、待つより他ない。

 

 

 

 

 

 

 

このミャンマーシリーズの写真は、2006年に出版された

『ミャンマー鎮魂の詩』の取材で撮影したものです。

昨年他界された、著者 小林静雄先生の言葉が思い出されます。

「掲載した写真もせなんだ写真も、全部あんたの写真やがな、

好きに使うて下さい。そのほうがワシも嬉しいでなあ」

 

では、お言葉に甘えて。

 


子供が子供のお守りをする。

僕が小さい頃、日本でも当たり前の風景だった。

タイムスリップしたような、なんだか懐かしい感じ。

 

 

水汲みも子供たちの大事な仕事。

村には水道がないものの、さほど不便は感じていない。

水と一緒に大事なものを汲んできて、 君も大きくなるのだろうね。

 

 

 

托鉢に回る小坊さん。

いつか皆から尊敬される、立派な高僧になれますように。

 

 


子供の笑顔はどこの国も変わらない。

思わず日本に連れて帰りそうになった。