コインランドリーWash&Dry真志喜店のブログ

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新しくOpenしたコインランドリー「Wash&Dry真志喜店」の奮闘日記です。店内のサービスや、地域の出来事、スタッフの思いつきを記載していきたいと思います。近隣の方は、興味がありましたら覗きに来てください。

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ども。こんにちは。

昨日は穏やか、今日は肌寒い。勘弁してほしい。今日という一日にどんな面白いネタが転がっているか、今のところは午前中にきた「私でもわかる喋りが下手な黒人」のお客様かな。アー、ゥワーが、話し始めに必ずつく。それでいて動きがオードリーの春日ばりのスローリーさ。なかなかのボケだった。でも外見はジョーダンみたいで、服装もオシャレ。米国はこれだから侮れない。

さあ、今日も緩く年表にいってみよう。

1991(12歳):小学校6年生。1組。担任は2年連続の林先生。イマイチテンションに馴染めず、卒業までしっくりこなかった。春先に鎌ケ谷市陸上競技大会があった。長距離くらいしか出れそうなのがない。運動神経がいいケンチャンや転入生のトリモトは、他の種目に駆り出されるからだ。先生も児童も、出る本人も全く入賞の期待していない長距離走は、練習だけはやたらきつかった。この練習期間は塾がある日も練習をギリギリまでやった。ちなみに同じ塾通いのヌマタは陸上競技大会には出ず、完全に勉強に集中する方向でいた。この頃から塾は通常の授業プラス補習も始まり、合計3~4時間の勉強をする事となった。補習の授業は更にレベルが高く、サイヤ人向けの難関問題が続いた。練習で疲れており、尚且つ解らない問題を与えられ、眠るなという方が無理な環境だ。ラリホーに100%かかるあばれザル同様、ある日塾長が講師という最悪なタイミングで、眠りに墜ちた。塾長は授業中に注意せず、終わってから居残る様命じられた。それからマンツーで烈火の如く怒られ、言葉の暴力でボコボコにされた。国語講師特有のハーコーな言葉の弾丸は、さながらジョジョのスタープラチナ並みだ。そんなライムに涙し、最後に泣く位なら寝るんじゃねー!つーか辞めちめえ!とファイナルブローを決められ教室を追い出された。待っててとは頼んでなかったが、ヌマタが駅で待っており、状況を察したのかお互い喋らず家まで帰った。
このサグ塾長はこれにとどまらず、ご丁寧に家まで電話して、退学のススメを母親にしていた。まあ、入賞の可能性もない長距離練習に精を出し、塾で寝ちゃ怒られるわなと納得はしつつも、あそこまでやられて辞めるのはシャクだった。なのでクラスを落として通う事にした。
新しいクラスはひとつレベルが落ちただけなのに、同じ塾とは思えないほんわか明るい雰囲気だった。レベルも私か私以下の奴が多く、このレベルで私立中学受験と通学は金の無駄と言わんばかりの奴らだ。しかしそんなのは私の杞憂に過ぎない。後々気づくが奴らはサイヤ人並みの金持ちの子息達だった。塾もダブルスタンダードと気づいた。頭いい奴らはしごいて優秀な中学に受験、合格させ、この塾から◯◯中学合格者が出ました的な箔をつけ、一方難関中学は無理だが金持ちの子息達は、楽しく通わせ、辞めさせず、金を取り、尚且つ良心的な塾をアピールするというのがよく解った。その位講師の態度、教室の雰囲気が違い、どっちも経験した私は何か嫌なモノをみた感じになった。
陸上競技大会の長距離は参加者28名中25位という輝かしい成績で幕を閉じた。最後の直線100mはスタンドに手を振る余裕さえ生まれるほどのレース展開だった。5年生から一緒のクラスになった、1年生の時の架空日記に登場した同名のミチヒロは、このスタンドへ手を振る行為がツボだったらしく、これを機に仲良くなった。ミチヒロの家は漫画が多いが「電影少女」や「ウイングマン」「ジャングルの王者ターちゃん」など、ピンキーな漫画が多く、完全に彼の癖を感じずにはいられなかった。
塾でクラスを落とし、精神的にも余裕が出て何ヶ月かたった頃、ヌマタもクラスを落としてきた。ヌマタは定例試験の成績も悪くなく、ちゃんとついていけるレベルのはずなのにと疑問が残った。まあ、ノンプレッシャーになった私の方が気楽に受験に応じ合格してしまうかもしれないと感じたか、はたまた更にレベルが上がりヌマタでさえついて行くのがやっとだったのか解らないが、まあいいやと思いまたヌマタと塾に行く様になった。

そんなこんなであと受験まで1ヶ月の時に事件が起こる。


続きはまた今度。