DJ WASEI CHIKADAの「泣く場所は自分で決めるから…」blog
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KILLING MOON partⅡ 藤森純弁護士によるパーティー・ライナーノーツ

いよいよ日曜日に迫ったQ'HEY & WASEIのROCK対決第二弾!春に開催された同パーティーは大変な盛り上がりで、再びの開催を心待ちにしてくれていた方も多かったようでw。ここでは前回に引き続き、レコードコレクターにして自身の音楽レーベル「Sad But True Records」を主宰する藤森純氏の「本番直前DJ PLAY予定曲紹介!」を発表。これを見ればあなたも足を運ばずにはいられない!!ジェケ・アート付きでどうぞ。


KILLING MOON vol.2

dj : Q'HEY , WASEI CHIKADA
host : JUN FUJIMORI (Sad But True Records )
date : 2014/10/26 Sun.
place : Rhythm Cafe 03-3770-0244 http://rhythmcafe.jp/about_us/index.html
time : 19:00 ~ 24:00
charge : ¥500

flyer design : Ichino Design

NO TECHNO, NO HOUSE
but ROCK, DISCO, NEW WAVE, ALTERNATIVE and ....
Don't miss it !!

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今回もDJのお2人にこんなの掛けるよというのを挙げていただきましたので、軽くご紹介!
「Killing Moon」は、Q'HEYさんとWASEI CHIKADAさんにロックしばりでDJをしてもらうイベントです。普段とは違ったお2人が観られる貴重な機会ですよ。日曜の晩、サザエさんを観終わった後に、渋谷に遊びに繰り出しましょう。-Jun Fujimori (Sad But True Records)

まずは、Q'HEYさんの10曲!
今回はカバー曲しばりということで選んでいただいております。

【Q'HEY"s Selection】

1、Aztec Camera "Jump" (Van Halen)


Aztec CameraによるVan Halenの大ヒット曲「JUMP」のカバー。アズテックの大名曲「All I Need Is Everything」のB面曲でございます。Van Halenの「JUMP」はイントロのキーボードのリフを聴けば、誰でもなんか聴いたことあるというおなじみの曲です。このキーボードのリフは、ギターのエディ・ヴァン・ヘイレンが弾いてるんですが、普段はあまり弾かないキーボードでこんなに印象的なリフを作るなんてやっぱり天才です。「JUMP」をこんなふうにカバーしたアズテックのロディ・フレイムも天才。

2、Ciccone Youth "Into the Groove" (Madonna)


マドンナの『Like A Virgin』の頃の楽曲(アルバムには未収)のカバー。ノイジーなギターリフに導かれたやさぐれ感のある面白いカバーです。オリジナルよりBPMがだいぶ遅い気がしてたんですが、今回聴き比べてみたら、そんなに変わらなかったです。自分の印象ってあてになりませんね。

3、Dinosaur Jr "Just Like Heaven" (The Cure)


太ってなかった頃のロバートスミスが眩しいキュアーの代表曲の1つ。87年。ダイナソーJr.は89年にこの曲をカバー。ヘロヘロボーカル対決がいい感じでそれぞれはまっていますね。ダイナソーのカバーは、ロバートスミス本人もかなりお気に入りなんだとか。

4、The Cure "Purple Haze" (Jimi Hendrix)


お次は、キュアーによるジミヘンのカバー。オリジナルとは全く雰囲気が違います。歌の部分も少ないので、カバー曲だということを一瞬忘れそうになります。

5、Blur "Maggie May" (Rod Stewart)


ブリットポップの雄、ブラーによるイギリスのヴォーカリスト、ロッド・スチュワートの71年の楽曲のカバー。ロッドにとっては、ソロの初期の曲で、この曲で全英&全米で1位になりました。

6、Teenage Fanclub "Mr Tambourine Man" (Bob Dylan)


いつまで経っても10代の気持ちで居たいということでティーンエイジファンクラブによるボブ・ディランのカバー。ティーンエイジのカバーは、この曲のバーズバージョンに近い雰囲気です。ちなみに自分が初めてこの曲を聴いたのはバーズのバージョンです。そういえば、今年のボブ・ディランのライブに行ったんですが、とにかく渋かったです。この曲のころの面影は全くございませんでした。風に吹かれて時代は移ろいますね。

7、The Farm "Don't You Want Me?" (The Human League)


マンチェスターのバンド、ファームによるヒューマン・リーグのカバー。ファームはファームでも、ジミー・ペイジ、ポール・ロジャースの方のファーム(The Firm)ではないのでお気をつけて。先日来日したジミー・ペイジはいつもどおり西新宿巡りをして、自分たちのライブ音源やボブ・ディランの音源やらを回収して行ったそうです。相変わらずお元気。って、全然、こっちのファームとは関係ない話題でしたね。

8、Inspiral Carpets "Tainted Love"(The Four Preps / Soft Cell)


これまたマンチェスターの雄、インスパイラル・カーペッツによるカバー。オリジナルのレコーディングは64年のグロリア・ジョーンズですが、81年にソフト・セルがカバーして大ヒット。ソフト・セルは、マーク・アーモンドが居たグループです。80年初頭は、スチュワート&ガスキンやタコなどオールディーズをカバーしてヒットさせたグループが多かったようですね。

9、Marc Almond "Like A Prayer" (Madonna)


ソフトセルのメンバーだったマーク・アーモンドによるマドンナのカバー。ホーンアレンジが印象的で素晴らしいです。

10、Tears For Fears "Ashes to Ashes"(David Bowie)


最後はティアーズ・フォー・フィアーズによるデヴィッド・ボウイのカバー。ボウイのオリジナルは80年。PVが面白いので是非ご覧になってみてください。
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このリストを見るだけで、Q'HEYさんがいろいろなつながりから次の曲を選曲して行っているのがわかりますよね。きめ細やかな選曲へのこだわりが伝わってきます。当日はこういった曲をダイナミックにプレイしていただけると思いますので、お楽しみに。
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次は、WASEIさんの10曲。WASEIさんご自身のコメント(※が付いてます)も合わせてご紹介。

【WASEI"s Selection】

1、Prince & The Revolution”Take Me With U”


プリンスの名盤からの名曲ですね。僕の場合、最初にプリンスを知ったのがバットマンのサントラ、その後、プリンスは改名騒動でどんどんはるかかなたへと飛んで行っていたため、「バットダンスをしてる変なマークのオッサン」という酷い誤解を長い間していたのでありました。

※Prince。彼の一番好きなアルバムは「1999」ですが、この曲が収録されている「Purple Lain」も大好き。

2、Herb Alpert”Keep Your Eyes on Me”


ハーブ・アルパートといえばA&Mレコードの創始者の1人という印象が強いですが、自身としても様々なヒットを持つ才人。僕たち日本人に一番おなじみなのはオールナイトニッポンのテーマ曲「ビタースイートサンバ」でしょうか。受験勉強しながらラジオを聞いていたあの頃を思い出しますね。って、全然、この曲と関係ないですね。

※ジャンルとしてはフュージョン・ジャズにカテゴライズされる人だけど、「Rise」や「Rotation」などDance Classicsとして有名な曲も多い。この曲は80年代のDISCOでよくかかってました。時代時代の空気を取り入れるのがうまい人ですね。

3、The Runaways”Cherry Bomb”


ランナウェイズの代表曲。自分のこの曲の思い出といえば、ホッピー神山さんが率いていたオリビア☆ニュー☆トン☆ジョンというバンド(チューバの関島岳郎さん初め錚々たるメンバー)。この曲もものすごくスカムかつ猥雑にカバーしていて、それがものすごく刺激的で素晴らしかったんですよね。また関係ない話にそれてしまいましたね。

※シーナ・アンド・ロケッツと同じ匂いがするね。ガールズロックの草分け。

4、 Led Zeppelin”Trampled Under Foot”


ZEPの『フィジカル・グラフィティ』からの曲。ドゥービー・ブラザーズのあの曲に似てる気がしますね。

※ツェッペリンの中で最もフロアライクな曲だと思います。ちなみに「ツェッペリン?」「ゼッペリン?」w

5、Kelly Osbourne”Papa Don't Preach"


オジーの娘によるカバー。聴いたことないので聴けるの楽しみです。オジーは、以前から引退する引退するって言って、なかなか引退せず、あげくに家族ぐるみで元気に儲けているので、オジーが引退表明した『No More Tears』(91年)というアルバムを聴いて、涙を流して引退を惜しんだ中学生のころの僕に、是非、謝ってください。

※Q’HEYさんが「今回はカバー多めに選曲しようかな」と言ってたので僕も一曲。ご存知Madonnaのヒット曲ですが、唱っているのはあのオジー・オズボーンの娘のケリーです。ナイスROCKカバー。

6、Pete Shelley”Telephone Operator”


全然知らない曲なので聴くのが楽しみです。

※DISCO PUNK(そんなジャンルない?)の名曲。80年代前半、新宿のDISCOでかかりまくってました。さんざっぱら盛上がったあとのラストナンバー。この曲終わりでチークタイムに突入するのですw ちなみに10年ほど前にDOCOMOの新携帯機種のTVCMでこの曲が使われていて「あ、このCMのプランナー同世代なんだな」とw DISCOでしか聴けない曲だったので。

7、John Cougar”Jack & Diane”
 

ジョン・クーガーなのか、ジョン・メレンキャンプなのか、ジョン・クーガー・メレンキャンプなのか、名前をはっきりして欲しい人。

※イントロのギターが印象的。ブレイクビーツ・ネタとしても有名。

8、Queen & David Bowie”Under Pressure (Wasei’s re-edit)”


ヴァニラ・アイスと聞いて、なぜかSnowの「Informer」を思い出してしまう私。白人ラッパーでは意外にMarky Mark And The Funky Bunchがカッコ良かったんじゃないかと「トランスフォーマー/ロストエイジ」のマーク・ウォールバーグを見て思う私。その頃の口パクと言えば、ミリ・ヴァニリでしたが、ヴァニラ・アイスにも口パク疑惑がありましたよね?たしか。

※ボウイの名曲フレーズをサンプリングして大問題になった白人ラッパーVanilla Iceの「Ice Ice Baby」。当時黒人層から総スカンをくらったVanillaですが、12inchに入っていたDubが意外とかっこよかったので、皮肉まじりのre-editを作ってみた。

9、The Monkees”A Little Bit Me, A Little Bit You”


モンキーズは、僕らの世代にはソフトロックのバンドの1つとしてとらえている人が多いです。ホントにいい曲がものすごく多いバンド。

※中学生の頃、日本で再ブレイクを果たしたThe Monkees。大好きだった。ビートルズの二番煎じとして音楽的にはほとんど注目されなかったけど、アルバムでは実験的なこともたくさんやっていてとてもいい曲が多い。

10、Har Mar Superstar”Prisoner (feat. Fabrizio Moretti)”


これまた知らない曲です。こういった知らない曲にあえるのもDJの楽しみの1つですよね!

※ラジオで流れたとたんブッ飛んだFunky Rockナンバー。早速調べたらチビ・デブ・ハゲのおっさん。ところがイッチャッてるぷりがPRINCEに近く、メチャかっこいいのです。データを持っているだけでは心収まらず、結局アナログEPを買ってこの曲の所有欲を満たしましたw

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というわけで、曲と全然関係ないことばかり書いてしまいました。すぐに脱線するのが悪い癖。
イベント当日も、お酒を飲みつつ、いろいろ脱線した話をしながら、いい音楽に出会いたいと思っております。皆様、是非お越しください!-Jun Fujimori (Sad But True Records)

ハイそれまでョ ≒ So far , so good.

【 So far , so good 】

一言小言をいっただけで妻が出て行き「ハイそれまでョ」。
絶対長持ちと言われた愛車がガタンと止まって「ハイそれまでョ」。

今朝のinter FMでピーター・バラカンさんが植木等の名曲「ハイそれまでョ」の英題名について語っていた。リスナーによれば「ハイそれまでョ」をどこぞの外国人DJが「So far , so good」と訳していたそうだが、バラカンさんによれば「So far , so good」の本来の意味は

「まぁ、ここまでは良しとしよう」

というニュアンスであまり的確ではないそうだ。で、「It's enough.」や「That's it.」などが歌詞の内容に沿うのではなかと言っていた。

それにしても朝のバラカンさんの番組はダンスミュージックはほとんどかけないのに、こういった昭和歌謡や三味線音楽がヒョイとかかったりする。もっとも、バラカンさんは三味線の音を日本の「Soul sound」と捉えている様子だし、この曲も編曲・演奏自体はバリバリのジャズだ。

エレクトリックなんちゃら

【エレクトリックなんちゃら】連日のように僕が叫んでいる「エレクトリックなんちゃら」という音楽についてですが、これを説明する前に、ちょっと僕のダンスミュージック遍歴を語ります。環境がある方はこちらのMIXを聴きながらどうぞ。

https://soundcloud.com/studio-eyebrow-1/wasei-chikada-electric-funk-lounge-vol1



(初体験~DISCO)

僕が初めてDISCOに行ったのは高一の大晦日。友達を一人誘って行った新宿東亜会館の"GBラビッツ"でした。キラビやかな照明、綺麗な女の子たち、飲み放題のジンライム、食べ放題の揚げ出し豆腐(?)。なによりも感動したのが今まで聞いた事のないディスコ・ミュージックが四方八方から爆音で自分に降り掛かってくることでした。そして「曲が途切れないのは何故だ??」という単純な疑問から調べていくうちに「DJ」という存在を知ったのです。それからというもの、毎週の様にディスコに通ってはついでに六本木のダンスミュージック専門店「ウィナーズ」に行きコツコツと12インチレコードを購入。DISCO MUSICとの付き合いが始まりました。


(心移り~HIP HOP)

高校を卒業して短大に入った頃はバブル景気が全盛。僕の夜遊び場は六本木エリアに移っていました。マハラジャやエリアといった全国チェーンを展開するような箱が隆盛をきわめていましたが、個人的にはよりキャッチーにより無個性になっていくDISCO MUSICに飽きていました。そこに現れたのがRun DMCやWhodiniなどのHIP HOPサウンド。それまでのHIP HOPはどちらかというとエレクトロの要素が強くDISCOとの相性も良かったのですが、Run DMC以降のHIP HOPは曲の速度が遅くダウンビートで、おまけにスクラッチやビート・ジャグリングなどのDJスキルが衝撃的。その頃日本ではDJ YUTAKAさんが渋谷の宮益坂にあったその名も「Hip Hop」という店でプレイしており、そこに足繁く通うことなります。

(計算違い~HOUSE)

劇団青年座に入って三年目の1989年、僕はアメリカに行きました。劇団の新しい芝居のキャスティングに納得がいかず、逃げる様にアメリカに行ったのです、座長に「ミュージカル俳優を目指します!」とウソをついて(身体固いのにw)。NYのダンスシアターに籍を置いたものの、昼夜は日本食レストランでウェイターをして、深夜にクラブに通うという日々でした。NYでは当然HIP HOPのパーティーを目指しましたが、マンハッタンのクラブの多くはHOUSE MUSICが中心。BrooklynやQueensの下町Hip Hopパーティーに行く勇気もなく、気がつけばCHICAGO HOUSEやGARAGEが鳴っているSound Factory BarやWorldなどのクラブに通っていました。1990年に帰国したときは日本でも既に芝浦GOLDを中心としてHOUSEのジャンルが確立されており、そこからはもうHOUSEがかかっているクラブにしか行かなくなりました。

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DISCO → HIP HOP → HOUSE。この道を通過して今の僕のスタイルがあるわけですが、ここでその「エレクトリックなんちゃら」に戻ります。前置きが長くなりましたがここ最近僕がやっている

「ELECTRIC FUNK」

はこの全てのジャンルを統合したジャンルなのです。使用するネタは基本的に懐メロ。これをダウンビートでゆっくりと4つ打ちに重ねてループを多用することで「懐かしいのに新しい」が表現できるわけです。UKクラブシーンの重鎮Greg WilsonというDJが命名したジャンルですが、House/Technoの概念でFunkやJazz/Soul/Disocを料理するというのは僕みたいなオジサンHOUSE DJにうってつけなのです。ウチには30年近くに渡り集めて来た音ネタがたくさんあるしね。

僕はこのジャンルをPCソフトTRAKTORを使ってやるので、その場の思いつきで曲を編集(Live re-edit)します。むしろDJというより即興演奏に近いので同じセットは二度とできません。さて、今夜、このELECTRIC FUNKをPLAYするために始めた「ELECTRIC FUNK LOUNGE」のスペシャルを西麻布で開催します。今回はX-RAYことレイモンのアートワークも展示。大人の空間ですからゆっくり楽しめますよ。お待ちしてます。


==Electric Funk Lounge Special featuring The Art of X-Ray==
day : 2014.4.26 Sat.
place: Bar Flying Lady 03-5775-3549
time: 20:00~5:00
fee : ¥500 (charge) , Cash On for a drink
DJ : WASEI CHIKADAArt :
X-RAY

Electric Funkとは??

ソウルにエレクトロ要素を吹込みファンクとディスコを混合させるスタイル「Electric Funk」というジャンルがあります。Greg Wilson、The ReflexやTodd Terje,Dimitri from Parisなどヨーロッパを中心に「リエディット職人」と呼ばれるミュージシャンが数多く存在し、皆がよく知るR&BやDiscoのクラシックスを再構築して最新のElectorサウンドに仕立てるジャンルです。

BPM(曲の速さ)が90~110くらいと遅いのでゆったりとしたイメージがありますが、とにかく皆がよく知るメロディがたくさんサンプリングされるのでとても楽しくオシャレ。感度の高い大人にウケまくっているジャンルなのです。Nu-disco/Indiなどというカテゴリーで曲はたくさん発表されており日本でもRe-edit作品としてPlayする人はいますが、日本でこれを専門ジャンルとしてPLAYしているDJは今のところ僕以外に会ったことがありません。

今週の土曜日4/26(土)には西麻布でElectric Funk中心にPLAYします。SoundcloudにElectric Funkの最新MIXをUpしました(ダウンロード可能)。このMIXが気に入った方は是非いらして下さい↓↓↓。

https://soundcloud.com/studio-eyebrow-1/wasei-chikada-electric-funk-lounge-vol1

毎月開催しているこのElectric Funk Loungeとは、サウンド・ライティングシステムを自ら持ち込んで一般の流行にとらわれない遊びを共有する場所として半年前から始めました。近年NYを中心にブームとなっている局地型Party Styleで、DJブースの目の前にBarカウンターが繋がり、DJブースの様子を見ながらゆっくりお酒が楽しめます。もちろん踊ってもいいですよ!
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==Electric Funk Lounge Special featuring The Art of X-Ray==
このBar Flying Ladyはバーではありますが、とにかく音がメチャメチャいいです。その既存のシステムにさらにスピーカーを足してるってんだからもう強烈ですよ。音の輪郭がしっかり聴こえて低音もビンビン響くので、会話も楽しめるし踊れるしって感じで。詳細は以下をチェックして下さいね。
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==Electric Funk Lounge Special featuring The Art of X-Ray==

day : 2014.4.26 Sat.
place: Bar Flying Lady 03-5775-3549 https://www.facebook.com/BarFlyingLady
time: 20:00~5:00
fee : ¥500 (charge) , Cash On for a drink
DJ : WASEI CHIKADA
Art : X-RAY

最後の手段??無記投票のススメ

<朝日新聞7/13付 「2013参院選・日本の現在地」>
http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201307120542.html

このコラムは約一週間前に朝日新聞に掲載された、様々な著名人の今回の選挙に向けての意見です。実に様々な角度から、時には有権者を突き放す個性的な言葉が踊っています。以下にそれぞれのキーワードをサラッとまとめます。

・蓮池透さん (拉致被害者家族) 「被害者意識の高進が、狭量な社会を生んでいる。」
・五味太郎さん (絵本作家『さる・るるる』など) 「民主主義の根幹って選挙に参加することではない。" 個人が意見を言える "ってこと。」
・中村うさぎさん (エッセイスト)「今の社会を一言で言うと" 気持ち悪い "。」
・熊坂義裕さん (元岩手県宮古市市長) 「優しさの保守政治はどこへいった?」

などなど。うさぎさんは「右傾化が嫌なら日本なんか捨てちゃえばいいのよ」。五味さんに至っては「選挙なんかいかないほうがいい」とまで言っています。ま、もちろんこの言葉は逆説的なものですが(笑)、やはり「民意を示す」という意味では誰に・どこに投票するにせよ選挙は行ったほうがいいよね。

政治参加の実態を示すある統計を見ました。それは投票率の高い世代(高齢者60代~70代)の値から、投票率の低い世代(20代)の値を引いたもので、世界の民主的な選挙が行なわれている国の中で、日本は2番目に差が大きかった(ワースト2)。これは「若者が圧倒的に選挙に無関心」という事を意味します。「何をしても無駄」「行きたいけど分かんない」が理由です。さて、そんな人たちにお勧めしたいのがこれです。ジャン!!

無記投票のススメ」

「無記名投票」とも言いますが、厳密には無記名投票とは投票者が自分の名前を書かないことで、「無記投票」とは投票には行っても何も書かない事を意味します。むろん、日頃から政治に関心を向けて候補者・政党を絞り込むのが一番です。でも分からないならしかたがない。でも選挙には行きましょう。せめて「何も書かない投票用紙」を出しましょう。投票所に行った時点で「投票に参加した」という意思が示され、無記でも投票率に反映されます。もし白紙の投票用紙が大量にあるならば、それはそのまま今の政治の「複雑さ・分かりにくさ」への批判意見となります。あと、大切なことはもう一点、たとえ無記でも「選挙に行った」という行動は、その後の政治に対する関心に繋がります。選挙に行かない人の政治の話しには誰も耳を貸しませんから。「政治を語りたいなら投票に行ってから」。

ここで繋がっている皆さんはオトナが多いので、今更僕なんかから諭されることはないと思いますが(生意気言ってゴメンナサイ)、周りに選挙に行かない・意味が無いという人がいたら、せめてこの「最終手段」を提案してもらえると嬉しいです。

さ、それではそろそろうちも家族で投票所に行って来まーす!

沖縄を誤解しないための三つのこと

昨10月1日、普天間米軍飛行場にオスプレイが配備されました。飛来の模様を収めた写真を昨日記事としてフェイスブックでシェアしました。撮影をされた宜野湾市の佐喜眞美術館のスタッフの方から、昨日のコメントのやり取りの中で僕が大きく誤解している箇所があるとのご指摘を受けました。

""昨日の書き込みで「佐喜眞美術館は返ってきた土地と支払われた謝礼金?を沖縄に返さねければとの思いで作られた」と書きましたが、正しくは「謝礼金」など一切支払われてはいないとのこと。お詫びして訂正いたします。""

自分の誤解を正すため、そして皆さんに真実をしっかりとお伝えするために、今朝電話で佐喜眞美術館館長の佐喜眞道夫さんと沖縄問題に詳しいジャーナリストの森口豁さんにお話しを伺いました。これをみなさんにお伝えするという体(てい)で書き進めれば、自分の沖縄観の整理もつくでしょう。読んでもらえると嬉しいです。

今日は三つのテーマで今朝のお話しを整理してみます。

1、「貸してる土地で潤ってる?」
2、「例外中の例外!!"領土"を奪還した佐喜眞さん」
3、「基地があるから貧しい沖縄」


<その① 貸してる土地で潤ってる?>

これは全くの誤解です。「地代をもらって悠々自適」という話を聞いたことがある人もいるかもしれませんが、これはほんの一部の大地主に限られた話しです。「五反百姓」という言葉があります。五反(1500坪)の農地しか耕すことのできない貧しい農民を指す言葉です。沖縄の場合平均的な農民は「三反百姓」と呼ばれ本土よりさらに貧しく、その土地をアメリカが一方的に基地として占領しています。沖縄の土地は狭く、そう、本島の半分はヤンバルのジャングル。農耕できる平地は限られています。

"小さいながらも大変貴重な土地"を基地として占領され、そこから得られる借地代は多くの場合を平均すると年間150万円程度。いくら物価が安いとはいえこれで贅沢などできるはずがありません。何億もの借地代をもらっているのはほんのわずかな大地主だけです。しかし、「基地⇒大金持ち」のイメージはマスコミのいいネタになるので、結果一般にはこうした"例外"がエキセントリックに取り上げられ、これが基地地主の姿だと誤解されています。

※森口豁さん写真展チラシより。フェンスの向こうにある先祖の墓にお参りする老婆
$DJ WASEI CHIKADAの「泣く場所は自分で決めるから…」blog


<その② 例外中の例外!!「領土」を奪還した佐喜眞さん>

普天間基地から取り戻した土地に建設され、1994年に開館した佐喜眞美術館。世界的に有名な丸木位里・俊夫妻が描いた『沖縄戦の図』を所蔵するこの美術館。僕は画家でもあった父・近田洋一の晩年の作品『HENOKO』が所蔵されていることでお付き合いがあります。

館長の佐喜眞道夫さんはもともと上野誠、ケーテ・コルヴィッツ等の作品のコレクターでしたが、ある日『原爆の図』で有名な丸木位里・俊夫妻と出会います。その時丸木夫妻は沖縄戦の悲劇を題材にした『沖縄戦の図』を制作中で、「この絵は沖縄にあるべきだ」という思いから佐喜眞さんはこの絵を中心に据えた美術館を作ることを決意。ところが巨大なその絵を展示するためには500~600坪の土地が必要でした。しかし民間の土地に適当な土地を見つけることはできませんでした。

そこで佐喜眞さんは戦いを挑みます。先祖から受け継いだ土地を普天間基地内に持っていた佐喜眞さんは1989年、3年ごとにやってくる米軍との借地に関する契約更新を拒否。それからひたすら沖縄防衛局や防衛庁と交渉し土地の返還を訴えます。しかしお役所は「認められない」の一点張り。

これは途方もない挑戦です。基地を取り囲むフェンスの向こうはアメリカ領。つまりこれは国境問題であり領土問題なのです。ある日、膠着状態を打ち破ろうと佐喜眞さんは普天間基地がある宜野湾市役所に訴えます。そこで米軍人とのパイプを持つある人物と出会い米軍に直談判。「YouはMuseumを作りたいのか?それなら・・」という国境を超えた人間対人間の信頼関係を構築し「例外中の例外、異例中の異例」として米軍普天間飛行場の一部が佐喜眞さんに返還されたのです。基地返還の可能性を自ら示した佐喜眞さん。もちろん帰ってきたのは土地だけ。それまでの占領に対する謝罪や慰謝料などありません。世界に類を見ない平和美術館としてのプライドと地道な宣伝活動、そして沖縄を応援するたくさんの声に支えられてこの美術館は在るのだと館長の佐喜眞さんは言います。

※佐喜眞美術館
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<その③ 基地があるから貧しい沖縄>

ここに朝日新聞が2012年5月にまとめたあるデータがあります『データで見る沖縄』。

・県民所得 

「全国 359万円、沖縄 249万円 最下位(2007)」

・年間収入に対する貯蓄高の割合 

「全国 222,0% 沖縄 111,2% 最下位(2004)」

・完全失業率 

「全国 5.1% 沖縄 7.5% 1位(2009)」

・総面積に対する米軍基地施設の割合 

「全国 0.27%、沖縄 10.41% 1位(2005)」

このデータからわかるとおり、基地があることで沖縄が成り立っているということは全くありません。基地経済で潤うことができるなら、なぜこんなに経済的に貧しいのでしょうか。貯蓄高の割合は「その日暮らし度」を意味します。沖縄の失業率の特徴はその失業者の多くを20代30代の若者が占めているという点です。国際通りの居酒屋求人募集には「時給650円」という信じられない数字が殴り書きされ、基地を縫って走る国道沿いにはパチンコ屋が乱立しています。これでもまだ、沖縄は基地で生かされているというのでしょうか。ウチナンチュ特有の辛抱強さとおおらかさがなければ沖縄はとっくのとうに死んでいます。

また、こういうデータがあります。

・沖縄県民所得 4兆円、基地収入(基地従業員給与・軍用地料・基地外での米軍人または家族の消費・基地内工事、メンテナンス費) 2000億円。

つまり、沖縄県の収入における基地経済規模はたったの5%に過ぎません。本土の多くの人たちは沖縄はこのたった5%に依存して成り立っていると誤解しています。さらに1981年に沖縄に返還されたハンビー飛行場。今はアメリカンビレッジという都市型リゾートに姿を変え、県内外からたくさんの観光客が集まります。

・ハンビー飛行場 当時の雇用 20人程度 ⇒ アメリカンビレッジ5,029人(2007)

雇用は252倍に。またこの変化を"生産誘発額"で表すと

・ハンビー飛行場 2.8億円 ⇒ アメリカンビレッジ 600億円

と、なんと214倍です。沖縄はもともと観光資源に恵まれた土地です。基地なきあとの経済の心配をするのはナンセンス、結局そんな心配は基地押し付けの免罪符でしかありません。沖縄の人たちは日々の騒音と危険な米軍絡みの事件事故に晒されながら、尚且つ県外からの誤解に苦しんでいます。

※北谷アメリカンビレッジ
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<終わりに>

 最後まで読んでくれてありがとうございます。今日はこんなに真剣に書きましたが、沖縄のことをたずねられたら、僕は基本的にfor FUN !のことしか言いません。まずは沖縄の良さを知ってもらう事が先ですから。僕の大好きな沖縄は海の他にはブルーシール・アイスだったりJimmy'sのアップルパイだったりジャッキー・ステーキハウスだったりする。アメリカばかりですね(笑。沖縄の人たちのしたたかさはこうした敵をも自分に取り込む"チャンプルー精神"がベースになっています。でもどうか沖縄の笑顔が反面、基地の犠牲を強いられた苦しい生活の上にあることを忘れないでほしいのです。

掲載した父の絵『HENOKO』。妻(僕の母)が眠るうるま市石川の亀甲墓からは辺野古の海を望むことができます。晩年、僕とスペインを旅しピカソのゲルニカに強く導かれた父が、母が安らかに眠れるようにと描き残した最後の作品です。常設展示ではありませんが佐喜眞美術館で「沖縄の作家たち展」や「沖縄を描いた作家たち展」などの特別展が催されるたびにこの『HENOKO』が展示されます。ありがたいことです。左の中東の少年に見えるのが・・僕です。

【佐喜眞美術館ホームページ】

http://sakima.jp/


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普天間⇒辺野古,普天間⇒西麻布(ELEVENから徒歩1分) ~沖縄慰霊の日によせて~

 父の友人で元共同通信カメラマンの新藤健一さんから写真と情報​のシェアをいたします。写真は進藤さんが六本木ヒルズから撮影した麻布ヘ​リポート。この米軍基地はCLUB ELEVEN(元YELLOW)から徒歩で1分足らず、都会のど​真ん中に位置しています。約3 万平方メートルの敷地の中に、約4300 平方メートルのヘリポートがあります。もともとこの場所は都立青​山公園の一部で、今日まで返還されずに米軍の占有状態が続いてお​り、不法占有との抗議がなされています。

 新藤さんの記事に寄ると、この夏、沖縄に配備が予定されている​米軍機「オスプレイ」の訓練空域が沖縄だけでなく、全国各地で繰​り広げられることが明らかになりました。ということは、確実にこ​の麻布ヘリポートも利用することになります。

 オスプレイ(写真右上)はローターを用いてヘリコプターのよう​に離陸し、離陸後はローターの方向を前方に回転し、飛行機のよう​に飛ぶことができる、いわば最新鋭の垂直離発着機。エンジンが止​まれば即落下という危険極まりない代物で、2000年のアリゾナ​州での墜落事故から近いところでは今月13日のフロリダ州での墜​落事故に至るまで計8回の事故を起こしており、多数の死者も出て​います。オスプレイはNBC(核、生物、化学兵器)対応ヘリコプ​ター。米軍は近代戦争の戦力として専用基地を必要としています。​また、軍事産業との繋がりから計画を中止にするわけにはいきませ​ん。開発費はすでに200億ドルを超えているとされています。

 今日は沖縄慰霊の日。米軍が沖縄本島に上陸してから3ヶ月もの​間、日米合わせ200,656人が亡くなりました(沖縄県平和祈​念資料館)。この悲しみが癒えることはありません。普天間基地周​辺の住民はこう言います。「着陸時には機体のボルトまで見える」​。戦争が目の前をかすめていくのです。この上さらに危険な機体が​沖縄だけでなく、日本各地で飛行予定。オスプレイが東京タワーを​かすめて六本木エリアのど真ん中で離着陸する恐怖。その危険さは​南の小さな島だけのものではありません。

※新藤健一著『疑惑のアングル』(平凡社) 
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ムスメ哲学~その5 「メガネ姫」

街を歩けば見知らぬおばさんに「まぁオシャレなサングラスね」と声をかけられる。実際は色が入っていないので"伊達めがね"、とでも思っているのかしら。10ヶ月の赤ん坊がおしゃれメガネ??もしそうだとしたら、それはスットン狂な親のエゴだ。妻は「視力がちょっと弱くて(笑)」と自信をもってかわす。かわいくデコってはいるが、これはまじめな赤ちゃん用の視力矯正眼鏡だ。

 発育の遅れの原因が分かってきた。どうもムスメは遠視らしい。目に映る光はぼんやりしていて輪郭がない。生後10ヶ月の間、ムスメはボヤけた景色と他の感覚を頼りに、精一杯に世界を感じようとしていた。オモチャに興味は示しながらも手に取ることがなかったのは、単に見えない=わからなかっただけなのだ。目に映るすべては、ただ揺れている光。

 約一週間前にメガネができた。メガネをし始めてからのムスメの変化は劇的だった。とにかくよく笑いよく喋る。揺れる光にはカタチがあり意味がある事を知り、音や匂いで補っていた世界がいきなり光彩を放ち始めたのだ。ムスメを抱いてベランダに出れば、流れる雲を見つめ僕に微笑みかける。あの口に放り込まれる臭い物体は、目の前に差し出された茶色い豆(納豆)だと分かり、露骨に拒絶する(納豆嫌いは遺伝していた・・)。昨日、友達がムスメを見てこう言った。「視覚が制限されていた分、音の感性がより発達したんじゃないの?」。確かにそう思えるところはあるが、もしそうだとすれば予期せぬ副産物まで獲得したことになる。

 「難しい問題だな。残念だが父さんにも答えは見つからない。生まれつき身体の悪い人はいる。悲しいけどこれは事実なんだよ。でもね、それを補う才能にたいていの人は恵まれているみたいだな」

 このセリフは、ドラマ「大草原の小さな家」の(オルガの靴)というお話で父・チャールズがローラに言った言葉だ。少女オルガは生まれつき片足が短く、足を引きずって歩く。オルガの父さんはいじめられるのを恐れ、オルガを家に閉じ込めていた。祖母の強い勧めでオルガはようやく学校に通えることになり、そこでおさげ髪のローラと出会う。ローラは人一倍優しいオルガとすぐ仲良しになった。ローラにとって足が不自由である事はどうでもよい。でも、誰よりも優しく愛情深いオルガを人はなぜ好奇の目で見るのか。不思議に思ったローラが父さんに質問した時の答えがこれだ。

 いずれムスメはメガネが要らなくなる予定だが、先の事は分からない。これから新たな不安が出てくるかもしれない。でも何があろうとムスメには、人にとって「不自由である」ということは必ずしも不幸ではないという事を知ってもらいたいのだ。「オルガの靴」の物語はこう続く。

 ローラの友達を想う優しさにこころ打たれたチャールズは、ある事を思いつく。片足の短い分を靴底を厚くして補えば、まっすぐに歩けるのではないか?頑固な父親は何をしても無駄だと拒絶するが、それでもチャールズはオルガのために一日も早くと、夜を徹してブーツ作りに勤しんだ。あくる日はローラ主催のパーティー。外で野球をしようということになり打席に立ったのは、いつもはただ観ているだけのオルガ。偶然にもバットに当たったボールは右中間をコロコロと抜けていく。オルガは走る!走る!走る! チャールズ特製のブーツを履いてダイヤモンドを颯爽と駆け抜けるオルガにみな唖然。ランニングホームラン!!迎えに来ていたオルガの父も、この光景には言葉を失った。そして、娘の可能性を信じなかった自分を嘆き、オルガを抱きしめ泣き崩れるのだ。

 ムスメのゆうわとは、遠からずこの話を一緒に観ることになるだろう。このお話に共感する優しさが備わってくれればそれでいい。「姫よ、メガネは意外とお似合いですよ」。不自由(障がい)は個性であるとわかってくれればそれでいい。$DJ WASEI CHIKADAの「泣く場所は自分で決めるから…」blog

”ムスメ哲学~その4 「手は外に出た脳である」”

「手は外に出た脳である」 これは18世紀に活躍したドイツの哲学者イマヌエル・カントの言葉だ。ある日、珠算塾の窓に貼ってあったポスターで知った。小学生がスマホを持つこのご時勢、そろばんなんぞはもはや時代遅れに思えるが、テレビで時々見かけるスーパー暗算キッズ(10桁以上の数字を瞬時に掛けたり割ったりできる)は頭の中でそろばんを弾いているらしい。数の概念をそろばんの珠に置き換えて、指で覚えた感覚を頼りに「計算する」という思考をすっ飛ばし、まさに「Don't think, Feel!!」(by Bruce Lee)の感覚で正確な数字が「口をつく」のだ。

余談になるが、僕がDJで音楽をつなぐ時はその曲を譜面で想像するのではなく、レコード盤の溝(ミゾ)で想像する。実際レコードの表面をよく見ると、音数の少ない部分は黒が濃く、音数の多い部分は黒が薄い。よって溝の濃淡をみればイントロからAメロ→サビ→Bメロ→アウトロといった構成が可視化され曲の全体像を把握できる。その上でどの部分で次の曲のどの部分をつなげればいいかを判断するのだ。それはCDを中心に曲を繋ぐ今でも変わらない。数字の概念をそろばんの珠で可視化するのと似ている。

 さて、ムスメのゆうわは生後9ヶ月を過ぎてもまだ寝返りがうてない。一般的にはハイハイを始めてもいい頃だ。おもちゃにもあまり興味を示さない。おもちゃを手に取り振り回したり、逆手に持ち替えたりもしない。ま、成長には個人差があるからあまり心配していないけど、念のため相談した小児科の先生には「とにかく足の裏と手に刺激を与えまくって下さい」と指導された。言葉をかけたり、絵本を見せて色の刺激を与えるのも大切だが、今の時期は「外に出た脳」に直接触れることで、脳の発達を促す事が大切なんだそうである。

だから僕は、毎日ムスメの足の裏をくすぐりまくり、ムスメの指を舐めまくっている。時々甘噛みなんかしたりして。最近は顔を近づけると自分から「ほら」って感じで手を差しだす様になった。40過ぎのおっさんに(まぁ父親ではあるが)指をチュパチュパされるのは好んでではなく「なんか不思議」という感覚なのであろうが、それでもその手は「自分の物」であり、その手に刺激を与えているのは「他者である」という自我の概念が、外に出た脳で理解されているということなんだと思う。うん、順調順調!

ある日その手で「やめてキモい!」とひっぱたかれる日も、そう遠くはないな。

撮影:田村権史
$DJ WASEI CHIKADAの「泣く場所は自分で決めるから…」blog

「ちゅにくるさってぃん にんだりーんしが、ちゅくるちぇー にんだらん」

40年前の今日、僕はまだ沖縄にいた。4歳だった。本土にやってきたのはその一年後。琉球新報の記者だった父が東京支社に転勤することになり、船と電車で埼玉にたどりついた。当時、空路が無かった訳ではない。飛行機なら2時間ひとっ飛びではあるが、幼い妹と僕に故郷からどれだけ離れた場所で暮らすことになるのか。実感させるための両親の選択だったと思う。那覇港から九州へ。そこからは鈍行電車を乗り継いだ。幼い僕はあまり記憶がないが、初めて電車に乗った時のことは覚えている。長く連なった車両が、一本のレールの上を走る。車窓から見える景色は色鮮やかに輝いていた。春の訪れを告げる花々がとても美しかった。

 第二次大戦終結から27年、沖縄は日本から分断されアメリカ軍の統治下にあった。この時代を沖縄の人々は「アメリカ世(ゆー)」と呼ぶ。車は右側通行。道路標識はマイル表示。本土に行くにはパスポートが必要。そして通貨は$。幼い記憶の中にも、10セント硬貨をもらって駄菓子屋にグリコのキャラメルを買いに行ったり、友達のガイジン住宅で遊んだり、親戚のネェネェがボロくてでかいキャデラックでドライブに連れて行ってくれた思い出がある。僕の今の肉好きは、非課税のアメリカ産牛肉を子供の頃からしょっちゅう食べていたせいだ。そんなアメリカだった沖縄が、40年前の今日、本土に復帰した。

「変わらぬ基地 続く苦悩」~沖縄県 厳しい前途

 これは40年前の今日、地元紙・琉球新報に父・近田洋一が書いた1面の見出しだ(写真)。基地の危険に晒され、言論の自由も奪われていた沖縄県民が、人間らしく生きようと望みを託し迎えた本土復帰の朝。父は冷静に沖縄の現状を見つめ「苦悩は簡単には消せないだろう」と悲観した。

 当時、世界は東西冷戦の真っ只中。ベトナム戦争は泥沼化し、基地は減るどころかその重要性(アメリカにとって)は増すばかり。大量破壊兵器が持ち込まれ多数の軍人が沖縄にやってくる。正当性を見失った戦いに疑問を持った兵士は、戦地に赴く前に県民を巻き込んで暴れて事件を起こし、また無事帰還した兵士もトラウマを抱えたままOKINAWAで暴れる始末。逮捕・起訴しようにも一旦基地に逃げ込めば、日本の法律では裁けず、実質的な無罪放免で犯人は本国に送り返されるのみ。治安への不安、騒音による健康被害、そして戦闘機を含めた兵器そのものが空から落てくる恐怖。政府は領土が帰ってきたことに外交成果を誇ろうとしたが、沖縄は何も変わらなかった。それどころか、本来アメリカと日本の間に適用された日米安保条約が「日本になった沖縄」にも適用されることになり、国防の為の捨て駒であった沖縄は、復帰前よりもさらに身動きがとれなくなってしまったのだ。

 それでもウチナンチュは平和を勝ち取る戦いをやめなかった。復帰後の米軍絡みの事件は約5,000件。ことさら1995年に起きた米兵による少女暴行・浜辺に捨て去った事件は、ウチナンチュを悲しみのどん底に突き落とした。事件は奇しくも沖縄戦終結50周年を記念し、かの戦争で命を落とした人々を弔う「平和の礎」が完成した年に起こった。宜野湾市の会場には85,000人もの県民が集まり、大規模な抗議行動をおこした。さらに2004年には沖縄国際大学に米軍大型ヘリが墜落炎上。あたりには破片が散乱。幸い民間人に負傷者はでなかったものの、ウチナンチュはこれをみて1959年に起きた宮森小学校ジェット機墜落事故を思い出した。僕の生まれた石川市(現うるま市)で起きたこの事件は小学生11人を含む17人が亡くなり、210名が負傷した沖縄戦後史上もっとも悲惨な事件だった。小さな事件が日常的に頻発し騒音に悩まされ多大なストレスの中で、本土でも報道されるような中・大規模の事故・事件が勃発する。基地がもたらす危険性は本土でいくら想像を巡らせても、それをはるかに凌駕する。

 それでも時々こんな言葉を耳にする。「基地経済ってものがあるんじゃないの?」

 これに関してはウチナンチュの間でもとても複雑な問題として扱われる。「KKK」という言葉を使う人がいる。「観光・基地・公共事業」。沖縄の経済を支えているのはこの3つが中心となっている。しかし、豊かな海に囲まれた沖縄は観光資源が豊富ではあるが頼りない。911テロ以降の産業のウツロイをみれば明らかだ。観光とはとても不安定な産業であるし、そもそも大規模なホテル等は本土資本によって運営されている。基地を置く見返りにばらまかれる地域振興金による公共事業。これも継続的ではなく、出来上がってしまえばおしまいだし、ゼネコンが絡む事業は無駄なものが大変多く、有効活用されているとは言えない。そして基地の中で働く人々。これに関しては僕の親族にも多く基地で働く人がいて、この話をするのにはとても神経を使う。仕方がない。雇用が無いのだ。しかし、この3つの「K」に関して共通して言えるのは、そもそもお金の循環が基地を中心としていなかったら、沖縄は独自の地の利を活かして自ら産業を産み出すことが可能だということだ。基地がもたらす金は身につかない。これは沖縄の平均所得が全国的に最低水準であることをみればわかる。

 代替案も出さずに文句ばかり言っていると情けないのでここで書くけれども、例えば沖縄は本土と違い地震がない。地震の影響を受け易い企業、たとえば企業のデータを管理するサーバー基地等を積極的に沖縄に作る。また、沖縄は東南アジアや中国に近く、シンガポールの様に交通・流通のHUBになり得る。歴史的にみても昔の琉球王国はこれで栄えた。(データ基地やHUB構想は韓国が既に実践)。また沖縄の観光資源は海だけでなく、豊かな動植物に恵まれた北部のヤンバル地区の開発なども期待できる(逆に何もしないでその生態系を守り、世界にアピールする方法もある)。
 
 いずれにせよ、基地が全くない状態が大前提だ。本島中部以南の平地の多くは基地に専有され、人の行き来が非常に不便だし、ヤンバル地区は米軍の演習がいたるところで行われている。基地に占領され、基地依存の経済構造が出来上がってしまった今、想像するのは難しいかもしれない。しかし基地が亡くなり平和が訪れ、尚且つ地の利を活かした産業そして文化が発展するならば、沖縄は世界が羨む素晴らしい場所になるに違いない。

 それでも、現政権・そしてアメリカは基地を無くす気は毛頭ないようだ。世界一危険と言われる普天間基地は「移設」するだけで、辺野古に危険が移動するだけだ。人口密集地だからダメ⇒だから人の少ない辺野古へ?? 人の命は数ではない。基地を過疎地に設ける考え方の傲慢さには、3・11の経験を経た本土の人々も気付きはじめている。

 「海外移設、最低でも県外」 ん??グァムに兵士を5,000人移すとも言っているが、グアムにもチャモロという原住民がいることをお忘れなく。グアムはアメリカであってアメリカでない。グアムの島民は大統領を選出する選挙権をもっていない。これでは復帰前の沖縄、アメリカ人でも日本人でもなく、リーダーを決める権利を持たないまま基地を押し付けらたのと同じだ(グアムには沖縄からの日系移民も多い)。

 「ちゅにくるさってぃん にんだりーんしが、ちゅくるちぇー にんだらん」

最後にこの沖縄の言葉を紹介します。「自分が痛めつけられても耐えられるが、人を痛めつけては眠ることはできない。」沖縄の人々が基地を目の前にして一番心を痛めるのは、この基地から朝鮮へ、ベトナムへ、イラクへ、アフガニスタンへ殺人兵器が飛び立っていくことなのです。自然を愛し、優れた文化を持つ沖縄の人々。僕もその中の一人であることを誇りにし、遠く離れている同郷の、心優しき人たちのことを思い、2012年5月15日、復帰40周年。思うところを書き綴ってみました。最後までお読み頂き、ありがとうございました。
$DJ WASEI CHIKADAの「泣く場所は自分で決めるから…」blog
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