引退ブログ 29期はな | 早稲田大学チアリーダーズFALCONS

早稲田大学チアリーダーズFALCONS

早稲田大学チアリーダーズFALCONS(ファルコンズ)です!
私たちは競技チアリーディングサークルで、大会をメインに活動しています
少しでも興味がある方は、ぜひご覧下さい❤️

三役唯一の頭脳担当🧠我らが菜々から引き継ぎました(菜々からのモーニングコールに命拾いしたり、絶望の淵に立たされたり、、笑)頭よりも先に声が出て体が動く📣🕺トップの花です🌼

チアするために、ファルに入るために奈良県の小さな村から(え?)早稲田に来た女!というだけあって、本当に長い引退ブログになってしまいました笑


本文スタート!の前に問題です!






「474,320」これが何の数字かわかるでしょうか




答えは、私が3年間を通してタンブリング教室に通うためにつぎ込んだ金額です
内訳はレッスン料約363,000円+交通費約111,320円!(約242日)
何と私は野沢さん(タンブリング教室の講師の方)に36万円も払ったのか、、
予約履歴を見て数えたのでおおよその数字ですが衝撃です。どおりで、坊主の野沢さんが髪切ったのもわかるし、教室のエアバーンの空気圧もわかるわけですね。


こんな感じで私の大学3年間はチア、ファルがすべて!だったことをわかっていただけたと思うので、是非読んでいただけると嬉しいです。


私がチアと出会ったのは小学校低学年、地域のスポーツクラブのチア教室に通い始めたのがきっかけです。放課後体育館で週に一回、学年幅広い、全員初心者のできたばっかりのチームでしたが、とにかく私は練習が楽しくて楽しくてしょうがなくって、すぐにチアが大好きになりました。正直その頃は、笑顔で演技したり、大きな声を出したり、キレキレのダンスを踊るだけで、コーチやチームメイトのママさんたちからめちゃくちゃ褒められて、これは私のためにあるスポーツだ!!と思っていました笑、、こんな風に私にチアの楽しさ、魅力を教えてくれたコーチの方々には感謝の気持ちでいっぱいです。
学年が上がって同級生が1人もいなくなっても辞めずに続けていたチア教室でしたが、塾に通う為辞めざる終えなくなり、大学からまたチア始めようと心に誓って中2にあがってすぐ辞めました。よって私は中学校では吹奏楽部、高校は合唱部と軽音部に所属したので、チアどころか運動部にも所属せず、文化部でぬくぬくと過ごす道をたどるというわけです。


大学ではチアするぞーと意気込んで、FALCONSの競技チアリーディングを専門にしているところに引かれ、早稲田大学に進学したいと思うようになるのですが、、、全く考えていなかった上京、1人暮らしの必要に両親からは反対、自分もお金のことで悩みましたが、友人や先生からの後押しもあり、仕送り無し、生活費食費自分のバイト代で賄う&いったん払ってもらう家賃は将来返すという約束で早稲田大学に心を決めました。そしてバイトガチ勢チアリーダーが爆誕するのでした笑

コロナによりリモートで行われていた一年生練習ではたくさんダンスやモーションを覚えたり、動画提出したりしなくてはならず、1ルームの狭い一人暮らしの部屋でジャンプやダンスをして大家さんが心配して部屋に来たり、音源を流しながら動画を取る方法が分からず、無音で踊ったダンスを提出したり、、、(たくさんの方に迷惑をおかけしました)
礼儀規則のルールなど、体育会系の上下関係も初体験だったので、今思えば体力的にも精神的にも大変なことだらけだったはずなのに、ファルにしか居場所も知り合いもいなかった私には辛い記憶としては全く残っておらず、サークルが始まるまえの孤独期間の方が、今思い出しても地獄でした。そんなこんなで、対面での練習が始まり、自分が経験者と呼べない実力であるという現実に少しショックを受けつつも(当たり前)、憧れのトップとしてとにかく全力でチアに打ち込みました。週4回の決して楽ではない練習を共にすると、不思議とあっという間に同期とも仲良くなるものです。ほんとに、いつからこんなに家族みたいな存在になったのか謎ですが、いろんな苦難を乗り越えてここまで生き残ってきた29期の同期愛は歴代一位なんじゃないかなーと我ながら思います。


チアがしたくてたまらなくてファルに入ったものの、やはり楽しいことばかりではないのがチアリーディングです。
3時間、週4回の練習に加え、ブログの初めに書いたタンブリング教室に通い始めるなど、今まで運動してこなかった身体にガタが出始め、ふくらはぎの慢性的な怪我によりタンブ、チアどころか、歩くだけでも痛みが出るようになりました。それでも、練習もタンブも休んでみんなより後れを取ることが怖くて痛みに耐えながらやり続けました。運動経験が豊富だったら、どこか怪我して治療やテーピング、サポーターをしながら競技を続けるみたいなことは当たり前なのかもしれないけど、そんな経験をしたことがない私にとっては、結構大事件でした。ふくらはぎ以外も足首や股関節など慢性的な怪我はたくさんあって脚引きずりながら練習に向かっていた時期もあったものの、大きな怪我と言ったら、スタン宙で自爆して一晩右肩が全く上がらなくなり、箸でつかんだ食べ物が口に届かなかったくらいです笑。左手で食べましたが、、(一人暮らしつら、、)危険と隣り合わせのチアで、大きな怪我無く3年間過ごせた自分は恵まれていたし、いつもキャッチしてくれるチームメイトには感謝してもしきれません。


もう一つ3年間を通して辛かったことと言えば、体重管理、、、、普段の大食いっぷりから嘘だろーって思う人も多いかもしれません。
デリケートな話題ではあると思うので、この引退ブログに書こうか迷ったけど、私のチア人生にとって結構大きな存在だったのでちょっと書こうかなと思います。
ファルに入る前は、家に体重計がなくって、体重計に乗るのは年に一度の身体測定だけだったし、ダイエットとかも全くしたことがありませんでした。それなのに入部して半年たたないうちにあらびっくり、一気に5,6キロ増量したのです。一人暮らしという生活の変化はあったものの結構自炊もしていて食べる量は増えていなかったはずで、むしろ運動量がバク上がりして瘦せるはずだったのに、、、今考えると、別に食べすぎとかではなく単純に筋肉の増加によるものだと思うのですが、私って食べると太るんだーってなって、今まで抱いたことのなかった食べることへの罪悪感を持ち始めました。ストレス解消法が食事ぐらいしかなかったので、練習で上手くいかないことがあったりでストレスが溜まる→沢山食べる→罪悪感でストレス溜まるというストレスの無限ループを過ごしてました。食べるの怖い時、1人で食べすぎて罪悪感に襲われた時、相談すると「好きなもの好きなだけ食べていいんだよ」って言ってくれた同期には感謝です。上級になっても、辛さはそこまで変わらなかったけど、プライベートで事故画像が大量発生したり、帰省すると男女問わず地元の友人にいじられ親に爆笑されるほど筋肉が付き笑、チアでも筋肉の恩恵を感じられるようになったので、ある程度割り切って自分の体重と向き合えるようになりました。トップでまさかの筋肉ムキムキキャラも悪くないけど、華奢トップな人生も経験したかったなーって感じでこの話終わります。色々あったけど結局食べ物のためなら早起きできるくらい食べることは大好き!引退後は1日5食くらいしてやろうと思います。いっぱいご飯誘ってください。


軽めの事故写真💪🤫



話は戻って、さっきも少し書きましたが、一応経験者として入ったものの大した経験値はなく、初めは少しだけついていた差もすぐに埋まって、1年生~2年生の初めにかけてはなかなか自分の成長を感じられなくて、悩んだ時期でした。特にスタンツは自分一人では実践的な練習はできないことで、上手くならなきゃと思う反面、練習量を自分で増やすことが難しいことに焦りを感じて、特にトライアウト前は不安な気持ちに押しつぶされそうでした。そんな私の精神安定剤が冒頭にも書いたタンブに行くことでした。タンブは、絶対通わなきゃいけないプラスαの自主練なので、タンブに行くだけで自分は努力しているという安心感を得ることができました(文字にすると怖い笑)それだけでなく、タンブはダンスやスタンツと違って、上手下手という曖昧な基準ではなく○○ができるようになるっていう誰が見ても確実な成果が出ること。自分だけで無限に努力できるところがいいところなんです。めちゃくちゃセンスがあったかというと、実は意外と要領悪かったけど、できなくて悔しかったらいっぱい通えばいいわけで、その結果できなかったとしても、そもそもプラスαなので、頑張ってるだけいいよねーって思ってとにかくコツコツ通いました。同期のあやり、かのとタンブの最寄り駅までの定期券(通学じゃないから高くてほぼ毎日通わないと元取れない)のを買って、一か月間死にそうになりながらサブスクで通ったのも、頭おかしいけどいい思い出です。どこか怪我しても身体が動く限りは最低週1、2年からは基本週2、結構頻繁に1か月サブスクで2日に1回くらい通ったおかげで、初めは思うようにロンダードも上手くできなかった初心者から3年間でいろいろできるようになりました。悔しいこともたくさんあったけど、総じて楽しかったしいっぱい通ってよかったです。野沢さん、ありがとうございました。こんな感じでタンブにたくさん通うようになると、身体感覚や体幹が身について悩んでいたスタンツや平場にも少しだけ自信を持てるようになりました。ほんとにタンブは裏切らない!50万課金する価値ありです笑


初青マロン宙!低い!



もうすでにめちゃくちゃ長くて、ここまで読んでくれた皆さまお疲れかと思いますが、とにかく濃かった幹部代についても書かせてもらいます。
ファルではキャプ、サブキャプ、Aキャプ(Aチームのキャプテン)によって三役が構成されています。私はその中のAキャプを務めさせていただきました。ファルでは大会に出場のためのチーム分けをする際、トライアウトの順位でチームを決め、上位者がファルを代表するAチームとなります。つまり、役職決めでAキャプになるからには、トライアウトで絶対にAチームに入らなければならず、安心安全絶対Aチームに入れる実力を持った人でなければいけないのです。そのため否応なく、歴代のAキャプの方々は、チームの代表と呼ぶにふさわしいチア経験者、実力者、偉大な方ばかり。さらに、そもそも暗黙の了解みたいな感じで、自身の技だしがあったり、演技中周りを見ることが難しいことから?キャプはトップじゃないほうがいい的なことが言い伝えられていたので、まさか私がなることになるなんて思ってもいませんでした。ではなぜ私がAキャプになったのかというと、ほんとにめちゃくちゃ簡潔に言えば「消去法」です笑。
1年半とにかくチアに夢中になって全力で練習していく中で、とにかく笑顔で大声を出して盛り上げる雰囲気づくりにやりがいを感じるようになり、何となく三役としてチームを引っ張れたらなーとは個人的な希望として思っていました。
そして迎えた同期での役職決めミーツ。いろんな役職がすらすらと決まり、三役も
菜々がサブキャプに立候補→シゴデキだし、ぴったり異議なし!
かのんがキャプに立候補→うんうん!実力も人柄も完璧!
、、、、、、えじゃあ、Aキャプは??花??みたいな感じでした。
なんかもう結構こうするしかないことは私も含め同期全員認めざる終えない感じで、私もみんなに「花しかいない!」とか言われたら、調子乗って引き受けちゃいました。
すみません、ちょっと関西人なので端折って若干話盛ってるところありますが、こんな感じで、気づいたらAキャプになっていました。
しかし色々あって、数週間後なんか本当に自分にAキャプが務まるのだろうかという不安に襲われました。技術面では、上手くなろうとコツコツ努力はしていたものの、絶対的な実力があるかと言えばそうでもなく、そもそも自分は毎回Aチームに入れるのだろうかという不安。精神面では、負けず嫌いで向上心は持っていたけれど、Aキャプが持つべき体育会系のストイックさとか結果主義なところかが自分には欠如しているのではないかという不安。他にもAキャプとしてふさわしくない気がどんどんして、同期ミーツでその旨を号泣会見して伝えました。そこでも同期のみんなは私が背負い込まないように、たくさん考えてくれて、腹をくくってAキャプになる覚悟を決めることができました。




とはいえそんな簡単にAキャプが務まるはずもなく、もう本当に仕事ができな過ぎてチームのみんなにしょっちゅう怒られるポンコツキャプでした。チームのみんなだけじゃなく、特に一年間一緒に頑張ってきたBキャプまやにも沢山助けられました。ありがとう。
そしてやっぱりトップでキャプって難しい。特に幹部代では、トップとしての責任自体も大きくなって、成功失敗がトップの技だし次第になることが多くなります。トップはベースポに持ち上げてもらって、飛ばしてもらえるからこそ輝ける、花形ポジション、、ですがその分やはり責任を背負います。(ミスがあって、○○が落としたってあんま言わんけど、花が落ちた、花基が落ちたって、トップだけ名前をさらされます)上手くいったときもそうなので、そういうものなのは百も承知ですが、やっぱりなんか自分が悪いような、自分だけ悪いような責任を感じて、自己肯定感の大暴落を起こすことも多々ありました。それなのに通し中、ショックから立ち直り、他のミスの確認、自分の技の修正、次の指示までやる必要があるAキャプ。まあもちろん私はみんなに助けてもらってばかりで、、たまにいっぱいいっぱいになってコート裏で泣きそうになってると菜々に「ああ花考えることいっぱいで大変だね、よしよし」って慰められて余計涙出そうになったり、、、

構成を決める際も、技で何出すとか、切るとか、トップの技出し次第なことが多くて当事者で決めるのって自分の気持ちとキャプとしての気持ちが喧嘩して、悩むことが多かったです。それでも、Aキャプとしてせめて努力量だけはみんなのお手本になるようにしようと思って、タンブも死ぬほど通ったし、学館の部屋取りまくって一人で平場自主練しまくりました。あとは練習中笑顔で一番声出すこと。大会ごとのみんなからのメッセージに「花のおかげで練習が楽しかった」って書いてもらえて、きっと一番頼りないAキャプだけど、一番明るいAチームにできたらって思います。だってチアやる上で一番大事なのは元気勇気笑顔!楽しくないと!


なんやかんや楽しかった規定練習



大会前になると、けがや病気など大事件が絶対起こって、安らかな気持ちで大会に挑めたことは無く、、、最後の最後に最大のピンチを迎え、またまた沢山の人に沢山助けられ、Aキャプとしての自分の不甲斐なさをひしひしと感じる数日間でした。ここまで来たらやるしかない!悔いの残らぬよう、インカレ本番チーム全員で出し切れるように、私がAキャプとしてできることやりきって、絶対みんなでいい演技出すぞ。





同期みんなに、そんな書くことある?って言われたけど、書いてるうちにどんどん書きたいことが思い浮かんで、省いた結果のこれです。それだけ濃い3年間で自分にとってチアがファルがすべてだったんだなーと改めて感じています。
書こうと思ったらまだ全然書けますが(怖い)最後は、感謝の言葉で締めさせていただきます💞

愛にあふれた先輩方
現役中はもちろん、引退されてからもいろんな方法で心強いサポート、あたたかい声援をくださった先輩方の姿を見ると、やっぱりFALCONSがいかに素敵なチームで、そんなチームで活動できた自分は幸せ者だと心の底から感じています。

やる気に満ち溢れた後輩たち
いい意味でも悪い意味でも(え?笑笑)後輩っぽくなかった30期。いっぱい意見を出しあって一緒にチームを作ってくれたみんなには感謝の気持ちでいっぱいです。感謝自慢の努力根性忍耐で強いFALCONSを作ってくれること間違いなしだね。
とにかくかわいい頑張り屋さんな31期。笑顔キラキラ、努力家なみんなはすでに最高のチアリーダー!きっともっといい期になっていくんだろうなーと今からおばさん楽しみです。

コーチの皆さん
厳しく、優しく、熱く、冷静に、、とびっきりの愛をもって私たちが進みたい道を進めるよう、サポートしてくださったあいりさん。
どんなときも現役に寄り添って一緒に考え、心強い意見、的確なアドバイスをくださったまなかさん。
事件、アクシデントが絶えなかった幹部代、お二人の存在なしでは乗り越えられませんでした。感謝してもしきれません、本当にありがとうございました。

家族
唐突に動画を送ると「よかったやん、すごいやん、お疲れ」ってLINEくれて、帰省して、お見送りの時には「次の本番いつなん?まあ頑張りや」っていつも笑顔で送り出してくれたママ。半年に一回しか帰省できないし、滅多に連絡しない私に、自由にやりたいことやらせてくれて、見守ってくれた家族には感謝しています。実家にいつでも私の居場所があるから、こっちで全力で頑張れました。本当にありがとう。


そしてとにかく大好きな29期
みんな得意なこと、性格違うからこそ大家族みたいにみんなで助け合って、慰め合って、時には足引っ張り合って。共依存な29期だったおかげでファル続けることができました。どんなに練習行くのがつらくても、練習で嫌なことあっても、みんなと話すと絶対大爆笑な何かが起きて、ファル辞めたらこれがなくなるって思うと、頑張って続けようって思えたよ。どれだけ練習で会っていても、練習外であって、話しのネタなんてもうないはずなのに一生話せて。きっとこんな同期は29期だけ。まさに「好きこそ無敵」だね。ほんとにほんとにありがとう。みんな大好き🫶




最後はいよいよ三役として一緒に頑張ってきた、我らがキャプテンかのんです💪💜
理工学部日本語下手なかのんの分までいっぱい書いといたよん😘