ついにこの時が来てしまいました。
引退ブログ、ラストを飾らせていただきます。31代目代表のあやかです。
紹介ありがとう♡ ファルの心臓でした
エースタンブラーえみたん
エースタンブラーえみたん私は引退ブログが大好きです。毎年この時期になると、公開された先輩方の引退ブログを何度も読んで、感情を揺さぶられて、いざ自分が書く立場になったら何を思うのだろうと考えていました。
そして今、この文章を書きながら、思うこと。考えてみたらいろんな感情が押し寄せてきました。私のチア人生をありのままに振り返りながら、自分でも感情の整理ができたらいいなと思います。
私がたくさん刺激を受けたように、私の引退ブログが誰かの背中を押せるといいな。
チアを始めて15 年。いろいろなことがありました。チアへの向き合い方や、理想のキャプテン像は、いろんな経験を経て変化してきました。ファルでのチアを語る上で、どうしても欠かせない、地元広島でのチアから振り返ります。かなり長いですが、お付き合い下さい。
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チアとの出会い
私は幸運なことに、年長でチアに出会いました。
テレビ番組の企画でチアリーディングが取り上げられていて、なんて魅力的な競技なのかと、幼いながらに衝撃を受けたのを覚えています。ちょうど同時期に、家の近くでチアリーディング教室がスタートしたことを母が知り、私を見学に連れて行ってくれました。当時所属していたダンススクールをすぐさま退会し、チアの道に飛び込みました。
小2の終わりに、各地で開催されていたチアリーディング教室を合併して、ひとつの大きなスクールになることが決まりました。今まで車で10分ほどの場所で練習していたけど、何倍もの時間をかけて電車で練習に行く必要が生まれました。30人ほどいたチームメイトのほとんどがチアから離れ、残った4、5人でスクールに通うことになりました。決断に迷った記憶はないので、その頃からチアにどっぷりはまっていたのだと思います。大会を目指す選抜チームに入れてもらい、小3で初めてJAPAN CUPに出場しました。
お姉さんたちがやってるかっこいいバク転を習得するため、小4から体操教室に通い始めました。同時期に始めた友達がどんどん技を成功させる姿に焦りを感じつつ、小5の最後の大会で、やっとロンバクを成功させることができました。
中学受験のため1年間チアをお休みし、受験が終わった1週間後には、中学生チームの練習に参加しました。これまた決断に迷った記憶はなく、受験勉強中も「早くチアがやりたい!」とずっと思っていたので、憧れの中学生チームでチアを再開できてとっても嬉しかったのを覚えています。受験のストレス(?)で少し痩せたらしく、トップポジションでの復帰となりました。
中学生時代のチアで記憶に強く残っているのは、中1と中3の中四国大会です。
中1。初めてのトップに苦戦しながらも、練習に必死にくらいついて、数ヶ月でたくさんの技を習得しました。自信と不安が五分五分くらいの状態で迎えた、中四国大会本番。一番練習した演技前半のスイッチで、呆気なく落下しました。スイッチ後にバランスを崩し、視界が斜めに下がっていく。周りの声援が聞こえなくなる。今でも鮮明に覚えています。演技終了後の雰囲気は最悪でした。私は自分を責めました。先輩にたくさん謝りました。あんなに練習したのに、私のせいで。
審査員の情が入ったのではないかと今でも疑っていますが、210点以上獲得でフライデー進出の基準を、210点ぴったりでなんとか通過できました。リベンジの機会があることに救われました。
トップは、私にとってプレッシャーの大きすぎるポジションでした。トップの凄さを身をもって知りました。
中3。キャプテンに就任しました。
自分でもキャプテンに向いていないことは分かっていたし、ママにも止められたのに、自ら立候補しました。ドのつく負けず嫌いだから、キャプテンをやりたい気持ちはある?と先生に聞かれて、「自信ないです」とは言えず。「やりたいです!」とはっきり答えました。
練習に行くのが少しだけ憂鬱になって、それでもなんとか頑張って。後輩が増え、OGの先輩にコーチを務めていただき、目新しい構成で挑んだ中四国大会。結果は、
地方予選敗退でした。
今まで何年も連続で行っていた全国に、私がキャプテンを務めた代で行けなかった。とにかく責任を感じて、たくさんたくさん泣きました。次の日は中間テストだったけど、応援してくれていた友達に合わせる顔がなく、保健室でテストを受けました。今までのチア人生でママを泣かせてしまったのはこの時だけです。後悔と不甲斐なさでいっぱいでした。
もっと自分にできたことがありました。後輩の顔色を伺って、自分の意見を押し殺し、無難に練習を進めただけでした。
当時、スクールで開校されていたのは中学生チームまででした。社会人チーム(プラチナ)は、メンバーが減って活動を休止していました。県内に大会を目指して活動している社会人チームは他にありませんでした。
同期5人中、3人はチア部のある高校に進学を決めました。中高一貫校に通っていた私は、高校でチアを続ける道が閉ざされました。
中3ラストステージ
不完全燃焼な気持ちを抱きつつ、続ける道がないのならしょうがないかと半分諦めていたとき、スクールの大先輩かりかりさんと、偶然お話しする機会がありました。これまでのチームのこと、中四国大会のこと、私はチアを続けたいけど、続けられそうにないこと。そして、かりかり先輩の思いを聞かせていただきました。
同じ思いを持った心強い先輩の存在に、本当に救われました。かりかり先輩は、今までお会いした人の中で一番行動力のあるお方です。プラチナをもう一度結成してJAPANを目指したいという夢を叶えるため、いろんなツテを使ってメンバー集めに奔走して下さりました。
色々な都合で、土日の練習にフル参加は難しいという人が多く、社会人チームのメンバー集めは本当に難しいです。新生プラチナは、5人でスタートしました。
2020年
引き続きメンバー集めに奔走しつつ、基礎練やスタンツ練を頑張っていた矢先、チアリーディングに大打撃をもたらした、コロナ禍に入ります。この期間、私にとっては大きな意味を持つ大切な期間となりました。
大会が開催されるか分からない、そもそも家から出られない。当たり前に、身体接触の伴うスタンツ練習は中止となり、スタンツなしの「スピリッツ演技競技」が爆誕しました。
初めて聞いた時はなんだそれ!と思いましたが、私はもともとダンスやタンブリングといった平場が好きだし、現状プラチナは5人しかいないから、スタンツは十分にできない。今の状況にぴったりなのでは?と、意外と明るい気持ちでスピリッツの練習が始まりました。
コロナ禍は毎日ビデオ通話を繋いで筋トレをしたり、グリーンアリーナの壁を鏡に平場を練習したり、島に行って合宿をしたり。制限がある中で、自分たちができることをとことん突き詰めました。チアを思いっきり練習できることは当たり前じゃないということを実感した1年でした。
正解が分からない中、振り付け、演技構成、個人技、全てを1から考えて、全員で力を合わせて演技を作り上げました。スピリッツの練習は地道だけど、少しずつ演技が完成していく過程が本当に楽しかったし、この期間に平場のレベルがぐっと上がった気がします。
その年の中四国大会は、例年より遅い11月に開催されました。
エキシビション部門に出場し、見事奨励賞を受賞。
新生プラチナで初の大会、幸先の良いスタートでした。中四国大会のトラウマを少しだけ払拭できました。
2021年
プラチナは人数が8人に満たなかったので、引き続きスピリッツ部門に出場しました。
3月の西日本大会に向けては、メンバーが1人減り、4人で練習を進めていました。私には、大会でロンバク宙をする!という目標がありました。スタンツ練習ができない分、タンブリングと向き合う時間が増え、憧れのロンバク宙をやっと習得したのです。ほぼ自己流で練習していたので、今見返すとフォームがぐちゃぐちゃでした笑 習得したとは言っても、体のコンディション次第でなかなか安定せず。ダイエットをして体を絞ること、ランニングをして体力をつけること、練習の日はほぼ何も食べずに体を極限まで軽くすること、そんなことをしながら、大会一週間前の練習では無事、ロンバク宙を入れた通しができました。
大会前日。この日もコンディションをベストに整えて、練習に臨みました。そして、気合いを入れて宙返りを回り終わった瞬間、着地でふくらはぎに強い衝撃が走りました。肉離れだったか靭帯損傷だったか覚えていませんが、ロンバク宙はおろか、まともに歩けない状態になりました。出場を辞退し、大会当日の朝に構成を変更。たくさんご迷惑をおかけしました。
一番自主練をしたこの期間、怪我という情けない結果と、宙返りへのトラウマが残りました。
急遽、音担として参加
怪我で始まってしまった2021年でしたが、なんと、JAPAN CUPに出場することができました。プラチナとしてずっと目標にしていたJAPAN CUP。コロナ禍の影響で、予選関係なく本選に出場できることになったのです。予選を勝ち上がったわけではないのですが、久しぶりに代々木の青マットに立てる!それだけで心が踊りました。ロンバク宙は出せませんでしたが、練習の成果を出し切り、心から演技を楽しめた1分半でした。
演技が終わって選手席に戻り、フライデートーナメントを観戦しました。ここで、ついに、FALCONSの登場です!僭越ながら、この時初めてFALCONSの存在を知ったのですが、一切の揺れがない、洗練されたクリーンな演技がすっごく心に残って。プラチナはとにかく「クリーン」な演技を追求していたので、技の難易度以上に、演技全体の綺麗な印象が心に響いたのだと思います。
大会翌日は東京の大学をいくつか見に行こうと思っていたのですが、志望校を後回しにして、私は、真っ先に早稲田大学に向かいました。
日曜日だったのでキャンパスにはほとんど人がいませんでした。閑散としたキャンパスを歩きながら、私の心は早稲田に決まっていた気がします。
スピリッツ部門に1年半を捧げてきたものの、やはりJAPANで見た自由演技はすっごく魅力的で。スタンツやりたいな、またJAPAN目指したいな、私が本当にやりたいことってなんだろう、といろいろ考えた末、大学でもチアを続けたい!という思いに固まりました。
2022年
受験勉強のためチアをお休みしていたのですが、秋頃に進路が確定し、プラチナへ復帰。翌年の2月に行われるクラブチーム大会、3月に行われる西日本大会に出場することになりました。そして、さっそくファルのインスタに入部したい旨のDMを送り、2月のクラブチーム大会の後、練習見学に行くことになりました!
私が復帰して、プラチナは7人になりました。プラチナとしても、自由演技で出場したい思いが強かったのですが、そのためには8人以上のチームである必要があります。あと一人、、いろんな人に声をかけましたが、なかなか集まりませんでした。
私はダメ元で、中学からの親友、りなちゃんに打診しました。同じ早稲田に進学が決まっていて、りなちゃんは運動神経抜群だし、毎年スクールの公演を見に来てくれていたので、少なからずチアに興味はあるはず。あまり期待はせず軽い気持ちで聞いてみたところ、やってみたいと思ってた!と、好感触な返答が!そのままその週の練習見学に来てもらい、急遽、りなちゃんがプラチナに加わりました!
加入1週間後に九州まで合同練に行ったり、スクールの公演では卒業生として盛大に紹介されてたり、りなちゃん家で犬猫に見守られながらかりかり先輩と3人でダンス練習をしたり、思い返すと逸話がたくさんですね笑 週2の練習かつ基礎をあまり丁寧に教えられなかったにも関わらず、数ヶ月でたくさんの技を習得し、怒涛のスケジュールと練習メニューを全てこなして、初めての大会をミスなくやり切ってくれました。りなちゃん本当にありがとう。中1のとき私にはじめて話しかけてくれた子と大好きなチアを一緒に頑張れたこと、私の人生の宝物です。
クラブチーム大会を終え、私は一人で新宿のカプセルホテルに宿泊し、ファルの練習見学に行きました。前髪全上げで、両手には大量の差し入れを持って、緊張とわくわくで目はガンギマっていたと思います笑 ファルの練習を見学して抱いた感想は、「とにかく雰囲気が好き!先輩方が優しすぎる!!!」です。田舎でぬくぬくと育った私は、「早稲田のチア」と聞くと、スクールカースト上位のイケイケお姉さんたちを想像して、馴染めるか不安に思っていたのですが、とにかく温かくて笑顔が眩しい素敵な先輩方が迎え入れてくださり、そんな不安は吹っ飛びました。ファルの雰囲気に心から惹かれて、入部がとっても楽しみになりました。
プラチナで最後の大会、西日本大会を終え、バタバタと引越し準備をして、3月末に上京しました。1週間後には関東大会の追加トライアウトに参加する予定だったので、すぐさま練習に参加。一人暮らしの寂しさを感じる暇もなく、トライアウトに向けた自主練を頑張っていました。
迎えた関東大会追加トライアウト。
さっそく、挫折しました。
結果はBチームでした。
Aチームに入るために早期入部したのに。平場死ぬほど練習したのに。スタンツ合わせは数回しかできてないし。悔しすぎて、結果発表後に先輩方の前で大号泣しました。
いやー本当に迷惑な後輩です......思い出したくないくらい恥ずかしいです笑 大した実力もないのに、プライドをへし折られて大泣きして、絶望感でいっぱいでした。ひとしきり泣いて落ち着いたあと、やっぱり現実を受け入れたくなくて、なぜ私がBチームなのか、コーチに理由を聞きに行きました。すごい度胸ですね。
暗闇の中で、私に希望の光を差し込んでくれたのが、29期代表のかのんさんです。なに泣いてるの〜と励まされたあと、「JAPANでAに上がっておいで」と言ってくださって。憧れのかのんさんにそう言っていただけて、本当に勇気付けられました。この言葉を胸に、翌日にはすっかり切り替えて、Bチームの練習に参加しました。
そんなこんなで、大号泣に始まった大会期間ですが、関東Bは本当に楽しかったです!
私はできればずっと1年生でいたいくらい、チームの末っ子ポジションが好きです。先輩について行きながら純粋にチアのことだけを考えていました。キャプテンのまやさんをはじめ、先輩方は私たちのことをたくさん気にかけてくださって、可愛がってくださって、なかなか素を出せない自分が、たった数回の練習でプラチナのような居心地の良さを感じていました。学生コーチもえりさんに平場を褒めていただき、入ったばかりの私に平場の添削を任せていただいたときは本当に嬉しかったです。なんともえりさんは現在もBCチームの学生コーチを務めてくださっています。入部から引退まで、ずっとお世話になりました。
授業が始まる前だったか始まってすぐくらいの頃、30期まやさんに連れられて、初めて野沢バズーカに行きました。上京前からインスタで見て知っていた野沢バズーカは、私にとって夢のような場所でした。今でも毎回、通うのを楽しみにしています。いろんなチームのチアリーダーが集まって個人技を磨くあの空間が大好きなんです。帰り道はかなりの確率で落ち込んでいますが笑 予約のLINEを遡ったところ、今日まで138回通っていました。同期のあやのに比べたらまだまだですが、この回数は、大きな成長と自信に繋がっています。
楽しかった関東期間が終わりました。1週間後には運命のJAPANトライアウトが迫っていました。私は、どの項目で何点を目指すのか、そのためにどんな練習をするのか、徹底的に作戦を練りました。あの時もっと練習していればと後悔するのは嫌だから、少しでも休むのが怖くて、ひたすら練習しました。
学館で部屋予約の紙を書いてもらうとき、29期はなさんの苗字をよく目にしました。はなさんは絶対にAチームに入れる実力があるのに、誰よりも自主練をしていました。そんなはなさんの姿が本当にかっこよくて、私も負けじと、自主練を頑張れました。トライアウト前日は、かける思いが強すぎた分、報われなかった時のショックを思うと怖すぎて、一人でたくさん泣いてしまいました。トライアウト当日は、「もんちゃん、燃えてるね」と先輩に言われて恥ずかしかったのを覚えています笑 後にも先にも、あんなに心をすり減らしたトライアウトはありません。
結果は、Aチーム!なんと、ベース内1位でした!
想像以上の結果に驚くと共に、コーチにこれまでの努力や実力を認めてもらえたことに安堵し、何より、広島でずっと目標にしていたJAPANに自由演技でもう一度出場できるのが本当に嬉しかった。
ファルで初めてのAチーム。フルリバやトスアップの送り、23のミドルなど、レベルの高い技をたくさん練習させていただいて、毎日がキラキラしていました。しかし、Aに加入して1週間ほど経ったとき、手首に違和感を感じ始めました。何人もが経験しているあの有名な、TFCC損傷でした。痛みはどんどん増して、ついにはパソコンを打つのも痛くなってしまいました。ごりっごりのテーピングをして、鎮痛剤の注射を打って、ロキソニンを飲んで、それでも痛すぎて、笑顔なんて作れませんでした。このまま続けても良くなることはないので、構成を変更してもらい、ほとんどのスタンツから外れました。
満を持してAチームに加入したのに、私はチームに貢献するどころか、大迷惑をおかけしている。TFCCは治らないと言われているから、いつこの痛みが消えるのか分からない。
Aチームの練習を客観的に見る時間が増えました。印象的だったのは、30期まりまるさんの、誰よりも声を出して練習を盛り上げる姿です。悲劇のヒロインぶっている自分が恥ずかしくなりました。チームに何も力になれないと悲観していたけど、私にもできることはたくさんある。気持ちを切り替えることができました。
一定期間スタンツをお休みしたおかげで、手首の痛みは随分緩和されました。夏合宿は、同期とたくさん話せてとっても楽しかったです。実はこの頃まで正規入部の同期とほとんど話す機会がなく、仲良くなれるのか真剣に悩んで、29期さんに相談までしていました笑
JAPANでは、大会で初めてミドルをしました。それと、ロン宙も!トラウマのあった宙返りを大会で成功できたのは自信になりました。大好きな先輩方に囲まれて、とっても幸せな大会期間でした。
JAPANが終わって1週間後にはすぐインカレのトライアウトがありました。同期のあいりと一緒に無事Aチームに選んでいただき、その年最後の大会に向けて、気合を入れ直しました。オフ期間を経て手首の痛みはほぼなくなり、ちょうどその頃、野沢バズーカのバーンで初めてロン捻を成功させました!捻りを練習し始めてから、2、3回の練習で成功させることができ、かなり調子に乗りました。(その後、青マでロン捻を成功させるまで相当苦労するとはまだ知らず......)
初めての早稲田祭期間は、とってもとっても楽しかったです。1年生なので余裕ありまくりで、もっと忙しくてもいいのになーって思ってました。学年演技でどうしても221をやりたくて、29期さんに交渉したのもいい思い出です。ファルで初めて振り付けを担当した学年ダンス、みんなが褒めてくれて嬉しかったなあ。お互いに応援しあって、一緒に早稲田を盛り上げる、パフォサー文化って素敵だな、と心から思いました。
男祭りさんの車に、「JAPAN決勝行くぞ!!」と書いてました
早稲田祭が終わったら、あっという間にインカレです。ここでもたくさんの技に挑戦させていただきました。ヒルヒルや、送りとして1.5ワンワンに入り、29期さんとの最後の大会期間を惜しみながら、一年の集大成として更なるレベルアップを目指しました。インフルエンザの蔓延により全員揃うのは前日練という事態になってしまったことだけが悔しかったですが、本番はとにかく楽しかったです。29期さんの作る温かいチームが大好きでした。
2024年
30期さんの代が始まりました。幹部代方針の大会目標に"JAPANCUP 決勝進出"とあったのが本当に嬉しかったです。目標を見据えて練習時間を増やしたり練習メニューを変更したり、強くなるための改革に大賛成でした。
3月の岡山大会に、スピリッツ部門とスモグル部門で出場することが決まりました。中四国大会で毎年立った、嬉しい記憶も苦しい記憶もたくさんあるジップアリーナ。そして、プラチナでの思い出が詰まったスピリッツ部門。私は、ファルの誰よりもスピリッツ経験があるし、プラチナで培ったことを還元できる最大のチャンスだと思ったので、迷わずキャプテンに立候補しました。この頃からファルの代表になりたいと思っていたので、自分の得意なスピリッツでまずはリーダーシップを発揮して、みんなからの信頼を得たい。そんな思いもありました。
年明けからすぐに練習が始まるということで、年末年始の帰省はスピリッツの構成作りに全てを費やしました。いろんなチームの演技を見て、実際に振りに起こしてみたり、何度も絵に書いてフォーメーションを工夫したり。かなり時間がかかりましたが、スピリッツは構成が命なので、これが結果を左右すると思うと妥協できませんでした。
ファルでは毎年の学年ダンスや2025年大会ダンスの振り付けを担当したのですが、絶対に、実家で考えるようにしていました。というか、東京では納得のいく振りが降ってきませんでした笑 実家だと心の余裕が違うのか、頭が柔軟に働く気がします。
たしか2月のオフ明けから本格的にスピリッツの練習が始まりました。自分でも納得できる構成を作って、いざ楽しい練習の始まりかと思いきや、この時期は本当にしんどかったです。
私は指示出しのポジションが苦手で、人の前に立って発言するには物凄いエネルギーを必要とします。中3の時の後悔があるから、無難に練習を進めるようなことはしたくなくて、毎練習しっかり意気込んで、上手くできなかったらしっかり落ち込みました。自分に嘘をついて強気でいたけど、徐々に頭がパンクしてきて、練習が来るのが怖かった。やっぱり私にリーダーは向いていないのかと落胆しました。トライアウト練ではベースマシンに選んでもらったのですが、私の実力不足を痛感して申し訳ない気持ちでいっぱいだったし、スタンツを数十分上げ続けるので手の甲に穴が開いて血まみれでした。スモグルは正規練習外の自主練で完成させることになっていましたが、疲れが取れず、気持ちに体が追いつきませんでした。タンブをサブスクしたものの、技を習得するどころかいろんなところを痛めてしまいました。
そんな時に、スタンツ中の事故で、頭を八針縫う怪我を負いました。さすがにちょっと痛かったけど、救急車で搬送されながら、「やっと練習休める…」と思っていました。大好きなはずのチアを楽しめていないことが辛くて、でも私にはチアしかないから、チアが嫌になったときの逃げ場はなくて、キャプテンだから毎練習を適当にやり過ごすことはできなくて。手術後は、一回だけ練習を休みました。ママが東京に来てくれたので、おいしいものをたくさん食べて、チアのことを一旦忘れました。
ママが帰り際に送ってくれた、「がんばれがんばれ あ・や・か!」というLINEに涙が出ました。私が今早稲田でチアを頑張れていることは、決して当たり前のことではなくて。恵まれた環境でチアに打ち込めていることがどれだけ幸せか、忘れていました。私はあの時、リベンジの機会すらなくて、チアを続けたくても続けられないと諦めていたじゃないか。ままと昔話をしながら、忘れかけていた大事なことを思い出して、明日からまたがんばろうと、気持ちが晴れました。
岡山大会が終わって、みんなからメッセージをもらいました。もんちゃんの構成が大好き、と書いてくださった先輩がいて、あやちゃんのおかげで平場が上達した、と書いてくれた同期がいて、この期間、自分の弱さに何度も幻滅したけど、私がチームに少しでも貢献できたのかと思うと嬉しかった。スモグルに初出場できたのも本当に嬉しかった!心身共にかなり鍛えられた期間でした。
岡山大会が終わると、休む間もなく、関東大会の練習に入りました。関東は、結果から言うとノーミスで、自由演技は7位と、かなりの好成績でした。しかし、本番がもしノーミスじゃなかったらと考えると恐ろしいです。技術が足りず、雰囲気作りも苦手で、各々がいろいろな思いを抱えて練習に耐えていました。大会前は、報われなかったらどうしよう、という思いが強かったです。チアの怖いところは、本番の一本で評価されること。どれだけ頑張っても、本番ミスをしたら点はありません。
1年生の時はほぼ送りだったので、ミドルの練習をがっつりさせていただいたのはこの期間が初めてでした。最強ミドル、32期ちぃちゃんの存在は本当に大きかったです。たくさん教えてくれて本当にありがとう!
JAPANは、同期のあやのが捻りを成功させたり、三度目の正直でヒルヒルを残すことができたり、リワインドからの23が安定したり、演技のレベルがかなり上がりました。やっと技術が追いついてきて、下積みの結果が出てきたように感じました。迎えたフライデーはノーミスで、目標点数を上回り、準決勝に進出!名前が呼ばれた瞬間は、本当に本当に嬉しかったです。未だ立ったことのない準決勝の舞台にわくわくしました。そういえば、ラススタが決まって「よっしゃー!」と叫んだあと、興奮のあまりあやのを早く降ろしてしまい、ジェネ男のゆうすけさんにキャッチに入っていただいて、、、演技終了後のキャッチだったため大丈夫でしたが、安全規則違反を取られたんじゃないかと、発表まで気が気じゃなかったのもいい思い出です笑
準決勝では14位。目標の決勝まであと少しでした。私たちのできる最大限の演技だったから、悔しいけど、やり切った気持ちでした。準決進出は、決勝を目指すなら当たり前にクリアしなければいけない関門ですが、準決に行けたことで達成感を感じてしまう自分がいました。次の日は、同期のあいり、えみりと決勝を観戦しました。決勝まで数点だったけど、その数点はかなり高い壁だと感じ、それでも絶対に届かない夢ではないことを確信しました。来年、私たちの代で決勝の舞台に立って、得点発表のモニターに映って、みんなでわー!って手を振るところまで妄想しました。
インカレが近づくにつれて、次期代表というプレッシャーと、漠然とした不安にやられました。私は、あと何日で代表......と考えていました。30期代表はるさんがチームの指揮を執る姿を見て、果たして私に代表が務まるのだろうかと、不安が募りました。
ぬるっと幹部代が始まってしまうのが怖くて、12月のはじめに同期ミーティングを開催して、みんなの想いを聞きました。印象的だったのは、「やるべきことをやったら絶対に決勝に行けると思う」って言ってくれたあいりと、「決勝とかわかんないけど追求するのが好き」って言ってたあやのかな笑 みんな共通してたのは、同期が好きってこと。あとは、みんな幹部代は不安って言ってた。でも、決勝に行きたいっていう夢に誰も反対しないで、もちろん自信はないけど、決勝を目指したいと胸を張って言えるこの同期が好きだなと感じました。
インカレ期間は、最後までリワインドに拘りました。それまでのファルではどんな技でも審査をして見切りをつけることが多かったので、最後まで粘って大会に持って行けたことが本当に嬉しかったです。30期さんは、FALCONSを大きく変えてくださりました。技術だけでなく、根底にある意識から改革され、30期イズムに洗練された31期は、強く逞しく成長しました。
インカレが終わり、ついに、31期の代が始まりました。私は、チアノートを新調して、ノートの最初に「決勝に行く!」と大きく書きました。次のページには、インカレ直後の気持が綴られていました。
アツいことを書いていて恥ずかしいので、一部分だけ笑
感謝を忘れないこと、「私の好きなチア」を目指すこと、背中で見せること。この三つを、大切にしてきたように感じます。「強気」は、気が弱くて発信が苦手な私にとって、代表を務めるために自分を鼓舞する言葉でした。
2025年
初回練習が無事終わり、年末年始オフに入ります。一年前はスピリッツの構成作りに費やした年末年始、今回は、大会ダンスの振り付けに追われました。
2023、2024と外部委託してきた大会ダンスですが、今年は難しいということで、私が振り付けることになりました。チア経験が長い分私は何種類ものダンスを踊ってきているし、見てきている。スピリッツでの振り付け経験もある。誰もやらないなら、私がやりたい!と声を上げたものの、やはり大会演技の中でかなり重要なパートなので、「決勝に行ける」ダンスを作れるか、ここでも不安と焦燥感でいっぱいでした。難易度はこれで良かったのか、隊形移動は変じゃないか、など不安はずっと付きまといましたが、合同練で他チームの方から褒めていただいたり、通しを上から撮影した動画を見たりして、やっと、これなら大丈夫!早く代々木で披露したい!と思えました。みんな、素敵に踊ってくれて本当にありがとう。
1,2月は本当に忙しかったです。インカレ前の不安など感じる暇もなく、日々の練習やさまざまなイベント、外部とのやりとりを、無事に終わらせることに必死でした。基礎練、クラワン練、早期入部体験練、トライアウト練、イベント練、発表会練を並行して行いました。とにかく逆算して練習メニューを組み、練習に行ったらメニューが円滑に進むように指示を出す。練習が終わったら、今日も無事終わってよかった、と安心し、すぐさま次の練習メニューを考え始める。大会練が始まる前のこの期間、基礎固めが大事なので、コーチのまなかさんと、同期のあいりと、練習メニューについてたくさん話し合いました。基礎練について、メニューグルで2時間くらいLINEしたことも。幹部の仕事に追われて自分の成長を後に回すことは絶対にしたくないと心に決めていたので、時間が空いたら必ずタンブに行きました。
一年前の、スピリッツキャプ時代の自分とは違いました。チームを背負う覚悟があったからか、心身共に成長したおかげか、なんとかこのとんでもなく忙しい日々を楽しみながら、頑張れた気がします。企業の新年会に出演して「元気がもらえたよ」と言っていただいたり、OG会演技ではたくさんの歓声をいただいたり、高校生大会を観に行って、命を懸けて頑張る高校生に胸打たれたり、チアっていいな、と思うことがたくさんあったのも理由の一つです。
1月の中旬に、コーチ×幹部のミーティングを行いました。コーチのまなかさん、あいりさんが、「この代で結果を出したい」と言ってくださって、心の底から嬉しかったのを覚えています。「ファルでしかできないチア」がある、と言われたときに、一年半前、最初のトライアウト後にコーチに理由を聞きにいって、そこで同じことを言われたな、と思い出しました。あの時はよく分からなかったけど、今なら分かりました。決勝常連校に比べたら、初心者率が高くて、練習環境も十分ではないかもしれない。それでも、奇跡的に出会えた大切な仲間と、ファルでしかできないチアを楽しむこと。勝てる方法を模索して、決勝を目指すこと。こんなにアツくなれる青春が、あと一年しかないのだから、もっともっと頑張らないと。
三月の冬オフを経て、ついに関東大会の練習が始まりました。この代で初めての大会です。最初は、とにかくいろんな技を試してみて、少しずつできることが増えて、比較的和やかな雰囲気で練習が進んでいました。でも、一番大切な「チーム作り」がまだまだでした。
私は、一人でできる平場の練習は人一倍やろうと思い、毎日必ず規定の練習をしました。でもそれは、自分が代表でいるために、かっこいい背中を見せるために、独りよがりな気持ちでやっていた義務的な練習でした。やっぱり自信がなかったんです。規定で前に立ってアドバイスするために、まず自分が上手くならないと。そう思って、一人で練習して、それをチームに還元できるようになったのは大会直前期でした。平場は一人で練習できてしまうけど、個人競技ではありません。「背中で見せる」なんて、発言が苦手な自分を肯定するための、守りの言葉だったのかもしれません。私と同じように、意見をなかなか発信できなかったメンバーがたくさんいました。チームの信頼が足りていませんでした。
迎えた本番。私は、ずっと他のメンバーの心配をして、自分に上手く集中できていなかったのだと思います。まさかの、ロン宙で手を着きました。練習で一度も失敗したことのない、何百回とやってきたロン宙です。自分が自分でないように感じて、動揺しました。そこから演技終了までは、断片的な記憶しかありません。演技動画は、まだ見ていません。
中3の時、全国に行けなかった。私は、あの時の悔しさを原動力に頑張ってきたのに、同じ過ちを繰り返しているのかと、本当に情けなかった。フライデー出場チームで名前が呼ばれたときは、安堵で涙が溢れました。
あんなに頑張ってきたのに、本番一回の演技がこれだと、何も報われない。チアを頑張ることが、賭け事のように思えました。どれだけ積み上げても、本番で失敗したら、ゼロどころかマイナスになってしまうのか?
幸いにも明確な課題はありました。そこに正面から向き合わないといけない。同期でミーティングして、コーチとミーティングして、夏に向けて、再始動しました。
タンブリングは繊細です。私は本番の青マットが怖くなりました。また同じように失敗するんじゃないか。次は助走でこけたりするんじゃないか。ラインオーバーするんじゃないか。考えたらきりがなくて、完全に自信を喪失してしまいましたが、ここで諦めるのは悔しすぎます。自分に向き合うため、大会の翌々日には野沢バズーカにいました。(本当はもう少し休みたかったけど、大会翌日に行ってた同期を見て悔しくなったのもあります)
野沢さんに合わせる顔がなく、自主練の時間に行ったのですが、そこにいた同期のショカ二人は多くを聞かず、「おつかれ」とだけ言ってくれて、なんだかすごく救われたのを覚えています。
夏は、全てをチアに捧げました。関東のトラウマがフラッシュバックしてしまうことはありましたが、練習に行けば、全力でチアに打ち込む仲間がいて、支えてくださるコーチがいて、私たちには大きな目標がありました。
夏合宿は、本当に暑かった。体育館に到着して、41℃という表示を見て、気が遠くなったのも懐かしいです。三回目の合宿は、全員が怪我病気なく終わるため、合宿に来てよかったと思える練習をするため、代表として、今までとは違う緊張感がありました。きっと、これからの人生にあれほど汗を流した三日間はないと思います。
一日も練習を無駄にせず、やるべきことをしっかりやりました。大会一週間前から全面で練習をすることができ、本番想定もばっちりでした。それでもやっぱり、関東の記憶が心のどこかで邪魔をしました。
幹部代が始まってから、関東までは、ほぼ毎日チアノートを書いていました。その日の練習で思ったことや、反省点などをノートに書くことで、気持ちを整理できる気がしました。しかし、夏は一度もチアノートを開いていません。それは、さぼっていたからではなくて、自分の気持ちをチームメイトに話して、会話の中で昇華することができるようになったからだと思います。漠然と悪い想定をして不安になるのはだめ、いいイメージを持つこと。仲間を信じ、何より自分を信じること。あの関東を経験できたことをプラスに捉えて、着実に積み上げた練習過程が大きな自信となりました。
フライデートーナメント前日、BCチームが、素晴らしい演技を届けてくれました。観客席から見るみんなが本当に頼もしくて、輝いていて、もらったパワーを絶対につなげる覚悟が決まりました。
迎えたフライデートーナメント当日。当日練にはたくさんの方にジェネに駆けつけていただき、会場に行ったら大会実行委員を務めるBCチームのメンバーがいて、アップエリアには顔なじみのジェネ男さんがいて、たくさんの方に支えられていることを実感しながら、リラックスして臨むことができました。
結果、フライデートーナメントを四位で通過することができました!数か月前涙を流した代々木で、笑顔で集まれたことが本当に嬉しかった。
よしこさんに、「明日はもっとキレイな演技出来たら、決勝も行けると思うから頑張ろうね!」とメッセージをいただきました。まだまだ点を伸ばせます。最終調整をして、準決勝に臨みました。
迎えた準決勝。自分でも驚くくらい自信いっぱいに演技ができました。フライデートーナメントよりもクリーンな演技で、点を伸ばすことができました。
しかし、結果は13位。
決勝まで、あと4点でした。
悔しいけど、後悔はありませんでした。自分たちのできる最大限の演技で、あと4点届かなかった。翌日に見た決勝は、やっぱり夢の舞台で、ああ立ちたかったなあ、と思うと同時に、決勝に行くにはもうひと段階レベルを上げる必要があるのだと痛感しました。
大好きなみんなと、大好きなチアに打ち込んだ、一生忘れられない夏になりました。
夏オフが明け、10月3日。嬉しすぎて日付を覚えているこの日、青マットでロン捻を初成功させました!
一年の秋にバーンでできるようになってから、約2年間。タンブリングって本当に奥が深くて、楽しいけど、難しすぎます。ロンダートや蹴りを見直して、助走を変えて、伸身を修正して、とにかく回数を重ねて、やっと成功できました。
大会でやるには、ほぼ100%立てるようになるまで安定させる必要があります。インカレには、間に合わせることができませんでした。悔しいけど、最後まで諦めずに練習してきました。それは、近くで同じようにタンブを頑張る同期、後輩がいて、野沢バズーカに行ったら大勢のチアリーダーが各々の技に一生懸命だったから。みんながいなかったら、理由をつけて絶対にあきらめていました。タンブリングはチアで唯一の個人競技だと思っていましたが、これも一種の団体競技かもしれません。
10月は、早稲田祭準備でほぼ毎日チアをしていました!みんなと過ごす日々が本当に楽しかったなあ
早稲田祭単独ステージは大成功。大会メインで活動している私たちにとって、早稲田祭のような誰にでもご覧いただけるイベントは稀です。2025FALCONSの魅力を存分に発揮できたんじゃないかな。学年ダンスを3年連続で振り付けできたのも本当に嬉しかったー!
残すは明日のインカレ。これで、31代目が終わります。
ここ最近は、大会前のこのそわそわ感からはやく解法されたいけれど、終わってしまうのが悲しくて、複雑な気持ちです。
最後まで「Be The BEST You」 私たち史上最高を目指して、やり切ります!
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本当に、たくさんの方に支えられ、愛され、守られてきました。
コーチの皆様
最初のミーティングで、コーチと幹部の二人三脚で頑張ろうと言ってくださり、本当に心強かったのを覚えています。大きな愛で、力強く導いてくださりました。チーム作りの壁にぶつかったとき、運営に迷ったとき、的確なアドバイスを本当にありがとうございました。技術以前の、チアスピリッツを一から教わりました。FALCONSでしかできないチアを、心の底から楽しむことができました。
OGの皆様
日頃より温かいご指導、ご声援をいただき、ありがとうございます。かけてくださる言葉の全てが、私たち現役の大きな励みとなっていました。OGの皆様が作り上げた素敵なチームを、より良い形で継承できていましたら幸いです。
29期さん
31期の永遠の憧れです。練習や発表会にたくさんお越しいただいて、私たちの成長した姿をお見せできるのが本当に嬉しかったです。29期さんが幹部の代に入部することができて、幸せでした。
30期さん
同期のように仲良くしていただいて、とっても面倒見が良くて、大好きな30期さん。ファルで勝つために、力強く導いてくださりました。30期さんのおかげで強くなりました。また一緒にチアしたいです
現役のみんなへ
32期は、しっかり者が多いよね。2代での練習の時は、いつも元気で向上心の高い32期にたくさん救われたよ。新歓やパレード本当に楽しかったなあ、ひたむきに頑張るみんなが大好き。13人それぞれに得意分野があって、FAL愛、同期愛に溢れるみんなの作るFALCONS、心から応援してます。
33期は我が子のように可愛くて、みんなのキラキラした目が尊くて、私のエネルギーの源でした。もっともっと上手くなりたい!ってたくさん自主練してる姿が少し31期と重なって、でも、みんなは31期より人数が多くてレベルも高い!どこまでを高みを目指して欲しいな。みんなの輝く笑顔が大好き!
FALCONSに入部を決めてくれて、私たちに着いてきてくれて、本当にありがとう。
そして大好きな同期。優しくて、思いやりがあって、結局一度もぶつかったことがないね。チアが大好き、同期が大好きなみんなと、決勝を目指して頑張ったこの3年間は、かけがえのない思い出です。私を代表として認めてくれてありがとう。あやちゃんのダンスが好きって言ってくれてありがとう。みんなと作り上げるチアが大好きだった。いつまでも最強31だよ
メンバー全員に伝えたい思いがたくさんあるので、後日、お手紙渡します

ひろチアの皆様
私のチアの原点です。ひろチアに帰ると、いつも温かく迎えてくださって、大会で会うと、会場に響き渡るくらいの声で話しかけてくださって、温かくてキラキラなひろチアが大好きです。チアの楽しさを知り、キャプテンの難しさを知り、悔しいことも嬉しいこともたくさん味わったひろチアでの経験が、今の私を支えています。
野沢バズーカさん
こんなにも設備が充実していて、チアリーダーで溢れていて、楽しい場所があるなんて、充実した環境で伸び伸びと練習ができました。野沢さんはいつも、もんでん大丈夫か、って心配してくれましたね笑 だいぶ強くなりました。憧れのロン捻、大会で出す夢まだ諦めてません!
早稲田他団体の皆様
日々刺激を受けていました。命をかけてパフォーマンスをする人、パフォーマンスを支える、プロフェッショナルな運営の方々......たくさんのエネルギーが集結した早稲田祭の舞台に立てたことは、一生の誇りです。
SHOCKERSの皆様には、B2期間やジェネなど、たくさんたくさんお世話になりました。同じチアリーダーとして、ショカさんの迫力や技を追求する姿勢、チアにかける想いを、心から尊敬しています。
ママへ
私の一番のチアリーダー。いつの時代も私の味方でいてくれて、本当にありがとう。たくさん怪我したし、上京してからも迷惑をかけてばっかりだったけど、「あやかの青春はママの青春」って言ってずっと応援してくれて、ママの存在がずっと心の支えでした。ママに褒められたくて、上手くいったスタンツやタンブは一番に報告してたな。チアママ歴長すぎて、最近は大会後にいろんなチームの講評をしてるママ笑 私をチアに導いてくれてありがとう。
他にも、活動を通して出会えたたくさんのチアリーダー、合同練を引き受けてくださった他大学の皆様、スポンサー企業の皆様、体のメンテナンスをしてくださった敬心さん、
今までのチア人生で知り合った全ての皆様に、感謝の気持ちでいっぱいです。
感謝の気持ちを、演技で届けます。
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あの時FALCONSの演技を見ていなければ、早稲田に通うことはなかったかもしれません。プラチナという素敵なチームでチアができて、社会情勢の影響でJAPANに出場することができて、ファルの演技を見ることができて。
いろいろな偶然が重なって、今、引退ブログを書いています。自分がチアをしていない大学生活なんて考えられないので、偶然のようで必然だったのかもしれませんが、。
いろんなご縁や奇跡、過去の自分の選択に、感謝してもしきれません。
チアリーディングに、FALCONS に出会えて本当に良かった。
31代目 FALCONS を支えてくださって全ての皆様へ 本当に、本当に、ありがとうございました。
チアは私の青春でした。
31期代表 あやか




























