またいつも


よりによって、ブログの内容が忌み嫌われる話題の、死ぬことばかりで、毎回フォロワーや読者の方々にはつくづく申し訳ないが、だがいつその時を迎えるのかは分からなくても、誰しも必ず訪れる避けては通れない話ではある。


今の私は


今現在もまだ生きて日々を延々と苦痛と絶大な苦しみにあらがっているのは、もはや気力以外の手段は何も無いと確実に断言できる。


人は誰しも


自らの最期を迎えるその瞬間には、誰であろうとも苦痛の時しか与えられない。


仮にスイスに行ってから


お金持ちなら安楽死の手段も迎える奴もいるのだろうが、たとえ死の瞬間を感じない薬物とか注射とか冷凍保存にするのかは知らないけど、その瞬間には誰もが必ず苦痛を伴って死ぬしか仕方がないのは明白である。


仮にもしも


残された家族や残された身内とか、生き残った人間や知人縁者同士で「きっとあの人は幸せな瞬間を迎えて亡くなったんだろうね。」だとか「この人の生涯は、たぶん幸せな人生だったみたいだから、死に際もきっと苦しまないで死ねたのじゃァないかしら?」とかって生き残りの人間達の勝手な妄想で、気休めや気軽な慰めをそれぞれ自由に勝手に語り合うだろうが、実際には安楽死だろうが即死だろうか、心臓発作だとか脳出血だとかで、いわゆる『ポックリ死んだ』突然死のように見えようと、一度倒れてから9ヶ月も10ヶ月間も気が狂う程の地獄の沙汰の苦しみを毎日毎晩毎時間味あわされていて、あまりにも長い時を苦しみ抜いて死のうとも、その時に天に召される瞬間には、誰もが必ず苦痛を感じないで亡くなることはない。


もちろん


その苦しい瞬間は、決して私のように延々と苦しみを味あわされて苦しみぬくよりは、確かに即死とかポックリ死んだほうが、気力だけで生きている長い永い苦痛を感じなければならないよりは、極力短いほうがまだマシだけれど。

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