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ファルネジーナ・キージ荘はユリウス2世の会計係でローマ一裕福と言われたシエナの銀行家アゴスティーノ・キージの依頼でブラマンテの弟子バルダッサーレ・ペルッツィが設計でアゴスティーノが後援していたラファエロ・ジュリオ・トマーノ、ソドマなどが装飾に加わり1520年完成しキージ自身がヴィラ・ディ・デリツィエ(歓喜の邸宅)と名付け「ルネサンスの宝石」と呼ばれました。夏の別荘として使用され開放的なコの字型です。
1577年アレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿の手に渡り、テヴェレ川対岸のファルネーゼ宮殿と区別するためヴィラ・ファルネジーナと呼ばれています。ヴィラと宮殿を行き来する専用橋の建設に取り掛かりましたが完成には至りませんでした。
現在は向かいのコルシーニ宮にあるアカデミア・ディ・リンチェイの迎賓館ですが見学もできます。
建てられた頃はこちら側が玄関でプシュケの回廊に入りました。
今はこちらが入口です。
ガラテアの間
天井画はバルダッサーレ・ベルッツィ作占星術のシンボルで注文主アゴスティーノの誕生日1466年11月29日9時30分が示されています。どちらも1998年に修復されました。セバスティアーノ・デル・ピオンボがルネットに神話のシーンをと壁に「ポリュペーモス」、ラファエロがガラテアの物語で部屋の壁を埋める予定でしたが「ガラテアの凱旋」のみで終わってしまい、17世紀に風景画が描かれました。
ラファエロ「ガラテアの凱旋」1514年とその上のピオンボのルネット
パライモンに先導されイルカのひくホタテ貝に乗っているガラテア。海の神トリトンとネレイスが祝福し空中ではエロスが矢をつがえています。筋肉質な肉体はミケランジェロの影響だそう。
アモーレとプシュケのロッジア
庭園に面した半オープンロッジアで”庭園のロッジア”と呼ばれていましたが、現在はガラスがはめ込まれています。
デザインのみラファエロで着画は弟子ジュリオ・ロマーノとジャン・フランチェスコ・ペンニです。花飾りの柄はヴァチカン宮殿ラファエロのロッジアのグロテスク文様を担当したジョヴァンニ・ダ・ウディネ作。地球の歩き方にはラファエロ設計とありますがここで買った本ではその説もあるけれどと否定しています。
プシュケとアモールの恋の物語が描かれています。
天井画「神々の饗宴」
「アモールとプシュケの結婚」
フリーズの間
部屋の名はペルッツィ作のフリーズに由来します。ヘレニズム・ローマの古典芸術を反映した神々の物語。アゴスティーノ・キージは完成を見ずになくなったようでタペストリーのホールにするつもりだったのではとのこと。
階段で2階へ。
遠近法の間
騙し絵トロンプ・ルイユで描かれた円柱の向こうにローマの街並みも描かれています。ベルッツィ作。1519年にここでアゴスティーノ・キージの結婚披露宴を開かれそれにあわせて完成したそうです。
フリーズも豪華で圧倒されました。
結婚の間
アゴスティーノ・キージの寝室。
「アレクサンドロス大王とロクサネの結婚」ソドマ作。
アレクサンドロス大王がベッドに座る最初の妻バクトリア王女ロクサネに王冠を手渡しています。
「アレクサンドロスとブケパロス」
ブケパロスは大王の愛馬。当初中央はベッドが置かれていて絵の中央は17世紀に描かれたものだと推測されています。両サイドはソドマ作。
「アレクサンドロスとダレイオスの家族」ソドマ作。
イッソスの戦いでアレクサンドロスはダレイオス3世率いるペルシャ軍に勝利します。大王は同行していたダレイオスの妻、母、娘を捕らえますが丁寧に迎え入れて後に娘スタテイラを妻に迎えます。ロクサネと結婚した3年後のことでした。
書斎
グロテスクのギャラリー
ミュージアムショップもフリーズと緞帳のフレスコ画で豪華でした。
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