アメリカに来て、30数年経った。ということで、この30数年間必ず年に一度は「敵国=アメリカ」、そして「敵国人=日本人」を意識せざる終えない日を向かえている。

 真珠湾攻撃というのは、中学の歴史の時間に第二次世界大戦に就いて勉強した時のレベルくらいでしか知らなかった。しかもあんまりちゃんと勉強してなかったから、そういう攻撃?戦争?があったという程度の認識レベル。

 アタシの家庭環境はパピィの影響もあって、かなりウエスタナイズ(西洋的)なものだったから、アメリカという国も人も大げさに言えば、「日本よりも良い国」みたいな風に教えられてアタシは育った。だから、小さい頃、そして中学卒業と同時にアメリカに出されたわけだ…。

 初めてアタシが「PEARL HARBOR(真珠湾攻撃)」と言う英単語を聴いたのは、79年の12月…。日本から来てまだ4ヶ月も経っていない頃、通っていた語学学校でのことだった。

 レベル2くらいの初級クラスにいたのだけど、このクラスでの日本人はアタシひとりだった。しかも特例で入れてもらっていたので、学校の中で一番若かった。3ヶ月目…まだ話すことはままならなかったけど、耳は少し慣れてき初めてきていた。

 授業によって数人の先生がいた。今思うとこの時のアタシの通っていた語学学校の先生たちはかなりヒッピーっぽい人達が多かったと思う。それは、教えてくれた英語の歌や、先生たちの風貌や教材のトピックとして彼らが使う諸々のフレーズ、会話レッスンの題材も今思えばかなり反戦とかそういったテイストに満ちたものだった。ベトナム戦争が終ってからまだ5年も経ってない時だから、そういうタイプの若い先生(20代後半から30代くらい?)がいたんだろう。

 そんな先生の中に、アタシのお気に入りの先生がいた。名前はビル先生。彼は30代後半か、40代くらい?(当時16才のアタシにはそれくらいに見えた)の大柄で気さくないかにもアメリカ人って感じの人で、他のヒッピーっぽい先生よりは服装も普通のスラックスかジーンズにシャツといった、ちょっと木こりっぽいタイプの白人男性だった。

 クラスでの人気もあり、大きな声で良く笑うとても楽しい先生だった。彼の口癖だったのかもしれないけど、ビル先生に「Very Gooooood!」と言われるのが凄く嬉しかった。

 12月…校内もクラスもクリスマスな雰囲気になり始めていた。その日の授業はアタシに取って忘れられないほどショックで悲しいものになった。ビル先生がクラスを始める前に、「今日は何の日かみんな知ってるか?」と訪ねた。特に知っているという生徒はいなかった。

 静まり返っているクラスの中、ビル先生が突然黒板に大きく乱暴な字で「PEARL HARBOR!!」と書いた。その時数人の生徒が「Oh, I Know!」と言った。でも、アタシには読めるけどその意味が分からなかった。

 そして、ビル先生は何かそのPEARL HARBORに就いて話しだした。クラスのレベル以上の内容だったこともあり、難しすぎてアタシには先生が「JAPANESE~なんちゃら、JAPAN~なんちゃら」と言ってる部分しか分からなかった。なので、日本の真珠について話しているのか?と思ってた。

 そして、一通り話し終えたビル先生は、いつもと違う目つきでアタシを見つめ、
「そういう訳なので、Mina,僕は今日は君とは話さないからね。」と言われた。アタシが分かったのは先生が「I willl not talk to you today, OK?」と言ったことだけだった。

 そして、先生は普通に授業を始めた。でも、特にアタシを指すこともなく、文法とかの授業をしていった。アタシは先生がなんで今日はアタシと話さないと言ったのか、理解出きず、理由を訊くこともできず、じっと涙を堪えてとても長い45分間を過ごした。

 学校が終って、一緒に通っていた叔母のクラスや他の上級クラスの日本人の生徒さん達とコーヒーブレイクをした時に、ビル先生とのことを話してみた。そうしたら可愛がってくれていたお兄さんが「それは酷い!!」と怒りだし、「美奈ちゃん、心配しないで、そいつは酷いヤツだよ。今から校長に抗議しに行ってきてあげるから!」と言って、校長室に向かっていった。

 何が起こってるのか全く分からないアタシは、校長室の近くでお兄さんを待っていたら、お兄さんが校長室のドアを開けて「ちょっと来て!」と呼ぶので校長室へアタシも入った。

 校長先生はとても優しく良い人で、授業もしてくれていたので良く知っていた。彼はまず、アタシに「I'm sorry Mina」と本当に申し訳なさそうな顔をして詫びた。でも、まだ状況が理解出きて無いのでなんで校長先生が謝るんだろう?と思った。

 で、お兄さんの通訳と説明によって、アタシはその日が12月8日でPEARL HARBORの日ということと、そしてその日がビル先生みたいなアメリカ人にとってはどういう意味がある日なのかということを初めて知った。

 この話しは他の生徒達にも伝わり、少しの間アタシは色んな人から声を掛けられた。まぁ、まだあんまり英語が聞き取れない、話せない時だったからほとんど何を言われているのか分からなかったけどねw それでも、生徒同士でアタシのこのPEARL HARBOR事件?を元にディベートし始めたり、と一刻賑やかな状態にはなった。

 ビル先生はどうなったかというと…先生はアタシのクラスの担当からは外されたようだった。その後ウチのクラスで教えて貰うことは無かったけど、学校にはいた。学校のクリスマスパーティーの時にビル先生がアタシところにやってきて、なんか謝ってくれて、抱きしめられた。Sorryの他にゆっくりと何か言われたけど、あんまりわからなかったので覚えてない。でも、ビル先生は大好きだったから、ハグされて嬉しかった。

 この時以来、アタシは12月8日PEARL HARBOR Dayというのを意識するようになった。それは長い間「危機管理的」な思いをアタシに抱かせていた。それはやっぱりビル先生とのことがあったからだと思う。12月8日は普段優しい人でもアメリカ人はPEARL HARBORを奇襲攻撃と思っていて、日本人は汚いヤツらだ!って思われる日…気をつけようっていう感じだった。

 それが少し変わったのは、皮肉にも911テロの時だ。この日、アメリカのメジャーネットワークではこのテロ攻撃を「PEARL HARBORだ!」と例えていた。だけど、メジャー以外のネットワーク、特にNYでの人口の過半数以上を占めるマイノリティー系(とはいっても数的にはメジャー)のネットワークのほとんどが「ヒロシマ、ナガサキのようだ」と言ってたのを聞いてからだ。

 今まではなんとなく日本人であることに罪悪感を感じてたPEARL HARBORが、この911以来無くなった。日本が第二次世界大戦の口火を切ったと言ってPEARL HARBORを姑息なテロ行為と吹聴してきたアメリカに起きた現実のテロ行為を、アメリカが日本に落とした原爆投下行為に例えてアメリカ以外の人達が世界へ向けてメッセージを出したことは、とても大きかった。

 60年経って(911テロの時点で)人々は真実を知り始め、あの真珠湾攻撃も日本がアメリカに嵌められて?戦争を起こすキッカケを手伝わさただけ…というような感さえ与える風潮になって来ているんだな…と感じたことで、少なくとも人種の坩堝であるNYにいる限りは、12月8日を向かえる度にアタシが感じていた罪悪感や疎外感、危機感…そういった思いにもう囚われなくていいのだということで、やっとここ数年になって12月8日を意識しないようになった。

 でも、アメリカに住んでいなかったらこんな風に真珠湾攻撃について思ったり考えたりしなかったと思う。そういう意味ではいい経験をしたと思っている。
 愛を取るか、腎臓を取るか…。

To be or Not To be…生きるべきか死ぬべきか…ってシェークスピアみたいだw

 腎移植を待ってこれから10年近くも離ればなれで生きていくことと、10年ちょっとでダメになっちゃう(死んじゃう)かもしれない透析治療だけを受けて生きていくことの選択をせまられたら、アタシは迷わずたとえ10年だとしても透析治療だけで愛する人と一緒に生きることを選びますよ。

 だってもうすぐ50才だしねー。たとえ60才くらいまでの寿命だったとしても、で、それがかなりロッケンローな恋愛関係で激しい人生だとしても、その10年をアタシらしいパンクでロッカーなLove Lifeとして全うしたいわ。

 だけど、どうして日本では第三者間の臓器移植はダメなんだろう??マッチして、アタシの為に腎臓をくれるっていう人がいたら、もらっちゃダメなの?なぜ血縁や縁戚関係同士じゃないと違法なの??

 臓器提供の意志を表示して、交通事故などの不慮の死を遂げた人の意志も、「家族」の意向で全うされないケースも日本では多いとか…。

 アメリカに居たら、第三者からの提供も受けられるし、臓器提供者も多いから日本よりも移植をしてもらえる可能性はかなり高い。

 でも、もちろん移植をしたからといって移植を受けた人全員が健康に長生き出来る訳でもないけどさ…。

 アタシも来年とある手術を控えている身(移植じゃなです)…基本一人暮らしだから心細いよ。ましてや愛する人は地球の裏側にいるし彼も大病抱えてるから来てもらえないし…。でも、寂しさや心細さだけであの人に対する愛情や気持ちは揺るがないし、闘病生活にも負けない。その先に待ってるものがあるからね。

 お互いに重度の障害は抱えているけど、それを理解し、助け支え合ってこれから一緒に生きていくことが出来る相手と信じて、日々の闘病を頑張ってるんだけど…。

 どんなに欲しても、愛も腎臓もご縁があってもマッチしないと生きていけない…ってことですか?って思ってしまうこともある。恋愛は片方だけでは成り立たないもんだからね。

 でも、腎臓は諦められるけど、やっぱり愛は諦められないわ…。信じるものは救われるっていう言葉もあるくらいだから、自分が信じれる間は自分の気持ちを信じるしかないわ。

 

 
 

 先日、新品の豪華クイーンサイズのベットが届きました~ヾ(@^▽^@)ノワーイ


$Life Is Like A Plate Full Of Grits N' Gravy



 しかもただのベットではないんです。Adjustable Bedといいまして、頭の部分と脚の部分がリモコンで上下に動くリクライニング仕様になってるんです。病院のベットや介護ベットみたいなヤツですね。


$Life Is Like A Plate Full Of Grits N' Gravy



アメリカ製品しては、物凄く音が静かなんです。:*:・( ̄∀ ̄)・:*:


 アタシは腎不全を患っているので、普段から横になっている時間が長く、仕事も今は在宅でラップトップを使ってのことがメインなので、このベットはアタシにとってはとても必要で、寝ながらラップトップを使うのにもとても使い勝手がいいベットなんです。

 もちろん安い買い物では無かったけど、これは親からのプレゼントでした。義父が婚約しているアタシと彼の将来も考えてくれて、サイズもクイーンサイズにするようにと言ってくれたので、この大きさになりました。(b^-゜)

 20年間の保証もついているので、義父が「もし君が将来日本に帰る時に持って帰りなさいよ…」と言ったのですが、日本でまずこの大きさのベトを余裕を持って置けるような部屋なんてそうそうないと思うし、ベットの保証期間よりもアタシの方が先に期限切れになるかも~!(´Д`;)って、まぁ冗談ですけど、まんざらありえないことでもないので、そんな話もしましたが、いい物を買ってくれてありがとう!と義父に感謝しました。о(ж>▽<)y ☆

 ちゃんと安眠することがどれだけ大事なことで、健康状態や健康維持にも凄く重要だという事をこのベットに寝るようになったことで身を持って実感している日々です。(o^-')b




$Life Is Like A Plate Full Of Grits N' Gravy






今朝はロスから友達が朝早く着たので、久しぶりに近所のJimbo'sにブレックファーストを食べに行ってきた。

アタシが選んだメニューは、Cowboy Omelette…これはトマトとハムが入ったオムレツ。サイドにコーンビーフハッシュとGritsを付けてもらった。

このブログのタイトルでもあるGritsっていうのは、とうもろこしの粗びきを煮たもので、お粥みたいなもの。アメリカの南部の人や主に黒人の人たちが食べるソウルフードの定番サイドディッシュ。食べ方は色々あるけど、基本は塩とかバターで味付け。グレイビーを掛けるのもポピュラー。アタシはグレイビーが好きなんだけどJimbo'sのはマーガリンが乗ってる。

日本のお粥や、中華粥ももちろん美味しいけど、アタシはこのGritsをほんのちょっと硬めに煮たのが好きニコニコこれに両面焼きした目玉焼きとベーコンのコンビが一番好きラブラブ! 

Gritsに半熟の黄身を潰して混ぜて食べると、なんとなくソウルフード版卵かけごはんみたいな感じになるにひひ

家で作る時は、短時間で出来るインスタント版のGritsを使ってる。グレイビーも市販の物。
日本に帰った時にGrits売ってるかな?と思って探したけど、売ってなかったシラー
しかも日本の通販サイトでみたら何とこちらのスーパーの価格の3~4倍の値段が付いててビックリ!!目
いくら輸入品とはいっても、とうもろこしの粉だよ?ボッタクリ過ぎじゃあございませんかねぇむっ

次回帰国する時はお徳用パックを持って帰ろうかな。んで、売ってお小遣い稼ぎ…¥ウソデスべーっだ!


Little Milton - Grits Ain't Groceries
http://www.youtube.com/watch?v=4DaaJ4EPYwI





1993年2月26日、アタシは地下鉄に乗ってOne World Trade Centerのドクターの所に向かっていた。

予約の時間に少し遅れそうな感じだったのに、途中で電車が止まってしまった。暫くすると「ダウンタウンの駅で火災が発生したので暫く停車します。」とのアナウンスが流れた。

20分ほど停車し、人々もイラつき始めた頃に「火災の影響でこのラインは一時運行休止になりますので、次の駅で降りて下さい。」と言われ、アタシ達は最寄りの14丁目の駅で降ろされた。

仕方ないのでタクシーで行くことにした。その前に予約時間に遅れる旨をドクターに伝えようと思い電話を掛けたけど、呼び出し音がなるだけで誰も出なかった。「先生まだ来てないのかな?」とその時は気軽にただそう思っていた。

タクシーに乗って行き先を告げると、運転手が「たった今ラジオのニュースでトレードセンターで火事が起きたって言ってた。だから行け無いと思うよ?」と言われた。それで、火事はトレードセンターで起きたんだという事を知った。

家に戻り、夕方のニュースを見てたら「トレードセンターの地下駐車場で爆発物による火災が起きた。」と言っていた。これがNYで起きた最初のテロだった…。この時もNorth Tower(One World Trade Center)の地下駐車場が標的にされた。

ドクターはこの時、自分もアタシとの予約に遅れぎみだったという事で、地下駐車場に車を止めてコンコースに「急いで」上がった為、爆発には巻き込まれずに九死に一生を得た。後にドクターが話してくれたのだけど、その瞬間は彼がちょうどコンコースに出てオフィスに行くエレベーターホールへ向かう途中だったらしく、突然床下からドンッ!っていう衝撃と揺れがあったらしい。

当時彼は貿易センター内の中で営業している唯一の医者(日本人)であることもあって、とにかく無我夢中で怪我人の世話をしたと言っていた。

この時もアタシとドクターはギリギリのところで助かったのである。

911の時も、彼はアタシとの予約があったのだけど、マンハッタンで旅行者が急病になったということで、そちらに先に向かう準備をしていてまだニュージャージー州のオフィスにいた。アタシは家を出る寸前だった…。なので、アタシ達は奇遇にもこの2つのテロの日に本来なら現場にいたはずだったのにも関わらず、本当に寸前で難を逃れていたのだ。

そうとは知らずに、アタシは数日間ドクターの行方を探し続けた。無事だと知ったときは安堵感と共ににテロ攻撃とドクターとアタシとの不思議な運命の巡り合せを感じずにはいられなかった…。

911のテロはその衝撃の中にあっても、素人のアタシでさえ腑に落ちないことがいっぱいあった。
あまりにも「完璧」なワールドトレードセンタービル群だけの崩壊…。ありえないほどの最小限地区限定攻撃&被害…。おかしいと思わない方が変だと思う。


いまだに陰謀諸説が流れているけど、アタシのGuts Feelingもこれはどう考えてもアメリカの関与がなくして出来ることではないと感じている…。

http://www.youtube.com/p/F7E08CEA580D16DA?version=3&hl=ja_JP',