2年前。
弟と見てたテレビ。
揺れた電気の紐。
画面に映る地獄絵図。
翌週から始まった学校での募金。
全校生徒で集めた防寒具と一緒に、当校の写真部が東北地方の写真部にメッセージを書いたボードを持って撮った生徒たちの写真を贈ったこと。
全て覚えています。
記憶に、記録に、残っています。
死にたくないって思いながら最期を迎えた方。
死にたくないって思う間も無く亡くなった方。
まさか家族、友人、恋人…大切な人たちが居なくなるだなんて思わなかったであろう方。
苦しい思いを、悔しい思いを、悲しい思いを…曇る視界に恐怖を感じながら亡くなられた方も沢山いらっしゃるでしょう。
混沌とした現実を突きつけられ、しかし立ち止まることを許されず歩き出さなければならない方も、また多くいらっしゃったことでしょう。
生きることは罪では無いです。
多分、あの時、自分が生きることに精一杯だった方、大切なひとが亡くなったことに対して感傷出来なかった方は、今ものすごく苦しいと思います。
生きることは罪では無いです。
罰でも無いです。
先月東北大震災に関する映画が公開されました。
医者、葬儀屋、役所の人間。
悲しむ間も無く、沢山の御遺体を送り出し、そしてきっと永く引き取り手が出ないであろう御遺体も見て。
また御遺族とは違う苦しさがあったろうと思います。
本当にお疲れ様です。
頑張るのもひとやすみ。
少しだけ、立ち止まってください。
歩き続けるの、疲れるでしょう。
息が切れる前に少しだけ歩を緩めましょう。
生きることは、息せききって走り続けることばかりじゃないと思います。
充分、頑張ったじゃないですか。
これからのためにも、少しだけ身体と心をお休ください。
「元気に…」「頑張って…」
震災直後は自分のことでなく他人のために働いてくださり、考えることもできなかった方々に、それは酷なのではないかと。
「希望の光が見えています…」「回復の兆しが…」「私たちは過去に乗り越えてきた…」
私たちの理想を押し付けているのではなかろうかと。ただ安心したくて吐いた言葉なのではないかと。
見るべきは桃源郷ではない。
目の前に繰り広げられた現実なのではないかと思うのです。
きっとまだ本当の希望の光なんて射してない。
私たちがしなければならないことなのに、当事者が目を逸らしているからそんな絵空事を言えるんです。
光がさすのを待つのか。否、自分たちで光を見つけねば。
先人は素晴らしい技術と世界、時代を作ってくださいました。
次は私達の番です。
彼氏彼女と仲良くするのは大いに結構。だが、それのせいにする程学ぶべきことを学べないのは阿呆がすることです。
「だりー」なんてボヤきながら酒を飲む時間があれば、その靴を履きつぶす勢いで就職先を見つけたらどうですか。
大学のキャンパスなんかでのんびりせずに、新しい時代を作らねばなりません。
次の世界は、時代は差し迫っています。
靴紐が緩まぬようキッチリ縛り、走り出す準備をしなければ。
失ったものは大きい。とてつもなく大きい。
でも、いつまでも呆然と見つめているわけにはいかない。
これからもっと大きなものを作り上げていかなければならないから。
少しずつでいい。小さなことでいい。
歩き出しましょう。
私も今年、再度人生を見直します。
もう一度歩き出します。
Happiness is beneficial for the body, but it is grief that develops the powers of the mind.