第二次大戦~太平洋戦争までで、こんな人もいたんだよーって感じで書きますのでぜひ。(超長い)
ミリタリー関係にはそれなりに興味があり、後に書きますが軍艦などの艦艇も好きです。
ところが戦後2世代目にして大戦中のことをなにも知らない危機感を抱き、夏~冬にかけて父方の家系の調査…この短い休暇で曽祖父の実家(現在もお手伝いさんが保存してくれてます)を訪ねてみました
士族だったこともあり、曽祖父は海軍の結構な役職だったそうです。佐世保の軍港から勤めていた曽祖父ですが、戦中の記憶をいっさい残したくなかったのか 写真、軍服、電報などを全て焼いてしまったようで…曽祖母も曽祖父が話したがらない仕事のことは聞かず、終戦後も周囲には戦中の話を頑なに拒否していたため結局わからずの八方塞り…
ただ、曽祖母の隠して持っていた電報によると、終戦間際に佐世保からではなく別の軍港に移動してそこから出港していたことがわかりました
そして一番気になったのが曽祖母が亡くなる前に話してくれた大きなヒント…曽祖父は没前、重度の痴呆で病床にありまして、傍らにいた曽祖母の見ている前で「大和が…大和が…」といいながら空中を指差していたようです(トラウマかもしれません。これがきっかけで艦艇に興味を持ち始めました)
もしかしたら曽祖父は天一号作戦に参加していたかもしれません
ちなみにその息子世代の祖父とその兄は当時10代の若い兵士でした。しかしシベリアが大陸に渡った日本兵士を戦後に「日本に帰してやるからこのシベリア鉄道に乗れ」と騙して捕虜として引っ掻き集めていた時代に捕まり、祖父の兄はそのまま捕虜が返還されるまでシベリア炭鉱で捕虜として労働…
祖父自身は鉄道が北に向かっていることに不審感を抱いて友達4人と脱走…脱走直後に足の遅かった2人は追ってきたシベリア兵に撃たれるのが見えたそうです
ほかの2人ともはぐれ、脱走で生き残った祖父はその後、農家で匿って貰い
(日本兵の軍服を見た瞬間 「シベリアの兵士に見つかったら殺されるよ!」と服をくれたそうです)
そこで戦後の1年間を隠れて暮らしたそうです
よっぽど怖かったのか、そこでの1年間のことは祖母にもあまり話さなかったみたいで…結局7年前に亡くなるまで 当時のことはわかりません
復員船に乗ったとき、日本人の乗組員が「おかえりなさい、ここはもう日本ですよ」と言ったとき安堵から泣き崩れたそうです
…ですから、鳳翔や隼鷹、葛城その他戦後復員船になった艦艇たちには感謝しています( ´ ▽ ` )ノ
日本に帰還してなかったら自分は産まれてませんからね
祖父の兄は終戦後数年してから帰国、しかし捕虜の時代に働かされていた炭鉱のことがトラウマらしく、今も健在ですが痴呆が進み、「炭鉱に行かなきゃいかん」とよくつぶやいています…傷は深いです
以上がこれまでにわかっている我が家の大戦中の話です。
