今日の再掲は 靖国神社。7月15日といえば靖国御霊祭り。
![靖国神社1](https://stat.ameba.jp/user_images/20240115/15/warptraveler/67/24/j/o0640027015389780006.jpg?caw=800)
![靖国神社2](https://stat.ameba.jp/user_images/20240115/15/warptraveler/48/53/j/o0360024015389780007.jpg?caw=800)
![靖国神社3](https://stat.ameba.jp/user_images/20240115/15/warptraveler/70/6d/j/o0420024015389780009.jpg?caw=800)
![靖国みたままつり](https://stat.ameba.jp/user_images/20210928/02/warptraveler/df/63/j/o0420026315007669666.jpg?caw=800)
![靖国神社6](https://stat.ameba.jp/user_images/20240115/15/warptraveler/fa/e6/j/o0315042515389780157.jpg?caw=800)
靖国神社も幼少期からの遊び場だったし、父に連れられ祭礼の度に年に何度も訪れた。僕の父も「靖国で会おう」の戦争に翻弄された世代なので…毎年靖国神社に数十万も寄付していた。僕が父の認知症に気付いて止めるまで幾ら注ぎ込んだやらだが_父にとって靖国は特別な場所だったのは僕でも分った。戦争体験という_間もなく皆さんも体験するだろう特別な世界、僕は父の「死なせてくれ」という自決への憧れのような精神を何度も聞かされた。父が亡くなって僕にも特別な場所になった。
ウチには伊勢神宮鳥居と神棚、左に赤鳥居の伏見稲荷の神棚、右に僕の名が入った小網神社の神棚が掲げられている。その下に二つの禅宗式仏壇、床の間は真言宗式。父の仏壇にはお釈迦様座像、母の仏壇には弥勒菩薩。床の間は日光菩薩立像と七福神。祖父は靖国の御霊として祀られているので靖国神社の神棚も別に掲げてある。生前の父は_今日7月15日、靖国御霊祭参拝を欠かしたことが無かった。 今は遠くなってしまったので行かれないが僕も10回以上行ってる。昔は…ろくろ首小屋とかお化け屋敷とか楽しい出店も多かったが、現在は落書きしたり小便したりする異教徒とのトラブルが懸念され…露店も飲酒も全面禁止になった。
何度も繰り返すが_神道はカルトであり依存は危険だが日本文化、風習としては誰にも親しみ楽しんで欲しい。痔眠糖と並ぶ某学会は膨大な信者を抱えるが、その家庭に生まれた子供たち二世三世は夏祭りや露店を見たことが無い、鳥居をくぐったことが無いと知ってますか? 同じ日本人なのに祭りも初詣も知らない、日蓮宗の教義の名のもと自由や人権を奪われている多くの子供たちが不憫でなりません。
僕の母方の家系の一部(僕と何人かの親戚、ただし現存は僕だけ)は、幽体離脱し霊体となって普通に人前に誰でも見える状態で現れたり、また幽霊を見たり会話したり出来る体質だった。現在の僕には幽体離脱も霊視も出来ませんが_居れば視える。小学生まで普通のことだった。
叔母が入院中、頻繁に幽霊(半透明人間)となって病院の壁をすり抜け、外へ出て騒ぎを起こし(誰にも見える)家に帰って来ていた。家にいる叔父(旦那さん)は認知症だったので「なんだお前その恰好は、あはは」といった具合で決して騒ぎにはならなかったものの_多くの関係者に何度も迷惑をかけてしまった時期があった。僕が幼い頃、祖母は幽霊になった親しい人が訪ねて来る_とその様子や対応を僕にだけ話してくれた。
過去に書いた_ジブリ映画より古い、トトロの七石山病院にそっくり(受話器が耳と送話が別の手巻き式もあった)だった祖父が院長の病院と、その隣に立つ母の実家。ちなみにその家は栃木の田舎町で今はもう無いが_叔母の話しは都内の病院のこと。都内最恐心霊スポットとかに載っていたら…嫌だな(笑)
近年、僕も亡くなった父、母そして祖母とそれぞれ会って会話をしたことがある。見える実態として_もちろん何の恐怖もなく不思議に生きてて会話しているように。しかも父の霊体には嬉しくて触れてしまった(もの凄く痛かった)こと。いつも霊現象を否定してるように根拠と共に書いているし実際その通りなのだが_言ってみれば僕の脳が引き起こす霊現象とも言えるのだが。
※ 毎日、寺社いずれかしつこく掲載しますが無意味な規則のためご了承ください
さて。
ネットやTVを見たり、本を読んだりしていて「はっ!」と心に響いた言葉、心に残る言葉に出会うことがある。あるいは友人や知人、家族や先生に言われて「なるほど!」と思ったこともあろう。それは自分と違った視点の意見だったり知らなかった事を知り物事が見えて来たりしたのかもしれない。もちろん自分のことかもしれないし、見えなかったものが見えたのかもしれないが、これらは物事の本質を、俯瞰して見えて来るコアが理解出来たりする「あなたの脳に作用した言霊」と言える。
また別の観点から言えば友人に指摘され「ドキッ」とした言葉もあるだろう。本音や下心がバレたかのような状況かもしれない。ときには「お前のおかげで救われたよ、助かった、ありがとう」なんていう照れくさくも嬉しい感謝の言葉もまた心に残る。そして_「てめぇ覚えてやがれ!今度会ったら殺すぞ」なんていう闇を抱えてしまうトラウマになりそうな呪いの言葉もある。このどれもが「心に残る」言霊であって祝福や活力の源にもなれば長いこと脳裏に残り続ける恐怖やトラウマにも成り得る。
しかしこれらはシチュエーション、立場や状況によって変化もする。あなたがスマホを覗いた数秒で前から歩いてくる子供に気付かず、ぶつかって子供が転んだとする。あなたに悪気はなかったし申し訳ないと思うが、周囲に居た他者から見れば「あなたは悪い大人」で傍に居た人から「気を付けろやゴラァ!子供が怪我して泣いてんじゃねーか!」と非難されたりする。当の子供は「この怒ってくれた人、素敵な人だなぁ」と思ったかもしれない。一見「あなたという悪者、子供という被害者、悪に物申す正義の味方、それを称賛し眺める傍観者」という構図になる。
この記事を読んでるあなたなら「確かに自分に"も"落ち度があった」と認め謝るだろうし、何なら手当もするだろう。あなたがよそ見をしていたわけじゃなく、子供が飛び出したのかもしれない。そうなると中には「てめぇがいきなり突っ込んで来たんだろーが!」と怒鳴って子供相手に逆ギレする人もいるかもしれない。善悪、正邪とは、あなたがどの立場にあっても最善を尽くしていても他人の判断に委ねられることもある。あなたに呪いの言霊が浴びせられるか、子供に浴びせられるか、あるいは「呪いを浴びせる側」になるのかは_神のみぞ知る?か。パレスチナの子供たちは常に被害者だが_正義の味方も神も存在しない、邪悪なユダヤの呪いだけが支配している。日本も同じだ。
最初に書いた「心に残った言葉」は良い意味であなたを開眼させた言葉だが、微妙な違いでこれが宗教やスピに関わってくると意味が変わって来る。心理学などを用いた人付き合いやビジネスにおいて「相手の意見をよく聞いて否定せず考える、相手の立場に立って自分の意見を考えてみる」というのは神仏やスピではない。だが実践も検証も出来ない高次元だの神や祖霊の言葉なんてことを語ってしまうと、その瞬間「あなたが教祖のカルト宗教の始まり」でしかない。もし信じてしまった信者がいれば尚更だが、あなたが支配者で奴隷洗脳に成功したと言える。それが「支配」であり「洗脳」だ。
信者はあなたの代わり手足となり信者を増やし戦士になる。洗脳を抜け出すのは困難で無理に等しい。違う意見には耳を貸さなくなり現実や真実がどんどん見えなくなってくる。なぜ自分自身で調べないのか_鵜呑み、妄信こそが邪悪なダークサイドのゲートに他ならない。アマテラスとは何者か、実在したのか、作り話しなのか、なぜ調べない? なぜ様々な意見を聞かない? なぜ神仏を、いずれか信じなければならない? なぜ善悪を二極化して分けなければならない? なぜジャッジしなきゃいけない?
それは誰のために? 何のために?
靴を履いてない民族は不幸か。 蛇口を捻れば水が出ることは幸福か。
[今日は盂蘭盆会]
胡瓜や茄子で牛や馬作ったことある?
日本の「お盆」とは単なる盂蘭盆会ではない。というか誰もが、すべての宗教さえもが「盆」で詳細を捏造しごっちゃにしていること。仏教として仏説盂蘭盆経を拠り所としているが、そこに開催日や仕様が書かれているわけじゃない。中国三教(道教、儒教、仏教)の集合祭祀であり、そこに神道も加わった「ごった煮祭り」である。言い換えると盂蘭盆、施餓鬼、中元節、御霊会、精霊会を7月15日に統一しちゃえ、だ。なので拠り所と由来だけは間違ったままで曖昧に続いているが、そもそもこれら祖霊思想は東アジアだけの考えである。
アブラハムで言えば謝肉祭、復活祭、死者のカーニバル、仮面舞踏会、断食や告解に伴う祭りの一つと同じことだろうが_輪廻転生は密教と一部の仏教の話しで死者との対面と言えば東アジアだけで信じられた考えである。アブラハムでは異世界転生などしない、有り得るのはゾンビか「復活」だけである。今回、靖国神社では露店も飲酒も禁止になったが、明治5年にもお盆は禁止になったことがある。特に京都では徹底取り締まりがおこなわれた…そりゃそうだ。神道というカルトが天下を取って仏教廃止に走ってたんだから当然だろう。天皇の言葉は何より最重要だった。だが_皇室も紐解けば御霊会をおこなっていたわけで「死者が疫病を撒くのを防ぐため」再開することになる。地方によっては祖霊でなく精霊ボンサマという自然の妖精を祀る日だそうな。
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てゆーかさ、今日は海の日、海開き。
お盆の日は地獄の釜の蓋が開く日じゃないのか?
「故人が池や川、海から帰って来る日は決して水辺に近付いてはいけない。」
さて、迎え火を焚こう。
衝撃的ニュースでした。
ここ数年で銃撃された世界の政治家たちの記事を少し前に書きましたが_
その何よりの証拠こそが世界各国首脳らのコメントにある。「失敗した場合のセリフ」の台本があるかのように「同じセリフ」であること。民主主義こそ全能の神かの如く。全能じゃなく「洗脳」だろ。 正直言って真にまともなコメントを出したのは口シアだけだ。中国も民主主義とは言わないが_ただ除け者にされただけだろう。ビクトリア・ヌーランド国務次官とオバマの2人を磔にして問いただしてみな? 誰一人出来やしないだろうが_こいつらが主犯なのは確実だろ。
p.s.
「樒」 という字が読めない、何だこれ?との事で。
「しきみ」と読みます。「梻」とも書くほど仏教に大切なもの。
大阪、京都では今でも葬式で使われると聞きますが、樒の木は根っこから花まですべてが猛毒、なので土葬の頃は遺体と共に埋められた。焼香材にも使われるが、とにかく毒物劇物取締法にも入ってるほど虫や動物を寄せ付けないので「悪霊や邪気を遠ざける」と古くから知られていた_そう、空海が広めたとされる。真言宗の他、日蓮正宗、浄土真宗でも水や茶の代わりに樒を供えることとされてるが京都以外でも売ってるのかは知りません、紙で作るか紙に樒と書いて使うんじゃなかろうか。榊に似てるが榊より実用性も高く、京都の愛宕神社の御神木でもある。