http://www003.upp.so-net.ne.jp/ikeda/Ono.html



小野善康『景気と経済政策』岩波新書
著者は、吉川洋氏と並んで霞ヶ関の人気者である。今どき「景気対策」が必要だと主張する数少ない経済学者だからだ。日本は、世界にも珍しいマルクス派とケインズ派の棲息する経済学の「ガラパゴス島」なのである。ただ、著者はリチャード・クー氏の ような落第生ではなく、博士号を持っているから、その議論もそれなりにマクロ経済学をふまえたものだ。要するに不良債権の処理などによって「供給側」の効 率を上げる政策は、完全雇用のときには正しいが、現在のように不完全雇用によって過剰設備が生じている場合には、供給能力を削減するのではなく有効需要を 追加することによって設備と労働の有効利用がはかれるというのである。

しかし、そんなことをしたら過剰設備は温存され、いつまでたっても供給の効率は上がらない、という批判に対して、著 者は「過剰設備は景気が回復してから削減すればいい」という。あきれた空論である。景気がよくなってから、わざわざ苦しいリストラをやるかどうか、経営者に聞いてみればよい。不 況というのは、hard budget constraintによって非効率な設備や雇用を削減する圧力となることに意味があるのだ。著者のような「どマクロ」経済学者に は、経済は個人商店の集合体みたいに見えているのかもしれないが、現代においては企業や組織を変えないで経済を変えることはできない。資本主義とは、不況期に否応なく外部者が介入して企業を解体・再構築する「制度変化」の装置なのである。
短期的には、これは設備も人間も余っているのにもったいないように見えるが、長 期的にはこうした人的・物的資本の再配分によってTFP(全要素生産性)が上がる。逆にいえば、生産性を上げない限り、どんな需要喚起策をとっても、終わったら元に戻るだけである。コーポレート・ガバナンスをめぐるShleiferなどの実証研究でも 明らかになったように、経済システムにとって最も重要なのは、借りたカネは返す、返せない会社はつぶれるという規律と、それを支える司法機関や規制などの 「制度」の効率である。著者のいうように行き当たりばったりに財政出動したら、そういう資本主義による規律づけのメカニズムが壊れ、今の日本のように際限 なく問題が先送りされてしまう。

おまけに、その用途はゾンビのような銀行や漁港・農道だ。「よい公共事業」を選別すべきだ、というのが著者や吉川氏の主張だが、何がよい公共事業な のか。「これは悪い公共事業です」と銘打って行われる公共事業があるのか。そんな選別ができる政府なら、もともとここまでひどいことになっていないだろ う。いつまでたっても、政府は民間より賢明だという「ハーヴェイ・ロードの前提」が忘れられないのも、ガラパゴス派の特徴である。

後記:吉川氏は、経済財政諮問会議のメンバーになって「構造改革 派」に転向したようだが、著者はいまだに『節約したって不況は終わらない』などという本を出している。最近は「日本の景気が悪いのは中国のダンピングのせいだ」と かいう1980年代のジャパン・バッシャー顔負けの中国脅威論を展開し、私の同僚が怒って「読んではいけない調」で批判している。




こういうニュースが流れるときは大体の場合、株や先物でボロ儲けしようとしているヤツがからんでいる






http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1489684.html





NASAによると、今までもありうるのではないか?として危惧されていた大規模な「太陽嵐(ソーラーストーム)」が地表に到達する可能性について、2013年5月頃に発生するかもしれないとして、人類の文明が太陽嵐によって破壊されるのを防ぐため、ワシントンで6月8日から開かれるナショナルプレスクラブの「宇宙天候企業フォーラム(Space Weather Enterprise Forum)」にて会合を持つことになりました。この会合によって、社会の重要なインフラを保護するための方法が検討されることになります。

前回大規模な太陽嵐が発生したのは1859年。この際には巨大な太陽フレアによって口火を切られた磁気嵐が地球に押し寄せ、電線がショートして家が火事になるなどの被害が発生、さらに赤や緑に光り輝くオーロラがハワイでも観測され、その光で新聞を読むことができたほどだったそうです。

この太陽嵐は電子機器、例えば携帯電話やパソコン、ネットが好きな人にとってはまさに必殺の一撃となるもので、特に人工衛星に関するサービス、例えばGPS・携帯電話・クレジットカード決済(人工衛星を実は使っているらしい)などは荷電粒子の大 きな波によって無効になる場合があるか破壊される場合があります。(抜粋)
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20100608_solar_storms/






http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51429760.html







著者はIMFに出向していたときに書いた2005年の論文で2008年の金融危機を予言し、その原因まで正確に分析していた。CDSのようなtail riskをとる金融技術では、ふだんは高い収益が上がってファンドマネジャーの報酬も上がるが、万が一の場合には職を失うだけなので、彼らは合理的な水準以上のリスクを取る傾向がある――という著者の分析は、その後の金融規制改革でも重要なテーマになった。

本書はそれにも比すべき、今回の経済危機についての深い分析である。その原因を著者は「断層」(fault line)と表現し、一方で過剰消費をやめられないアメリカ、他方で過剰貯蓄を抱える日本や新興国のインバランスが直らないかぎり、断層の破断はまた起こると予想する。

アメリカの過剰消費の原因は、彼らがグローバル資本主義を活用して世界中から資金を集めたことだ。上位1%の所得は、1976年にはGDPの8.9%だったが、2007年には23.5%になった。他方、最下層の所得も増えており、メディアンに位置する製造業の労働者の賃金が下がっている。つまり金融・ITなどの高度なスキルの報酬が極端に上がる一方、新興国で代替できるブルーカラーの雇用が減ったことが所得格差を拡大したのである。

ところがアメリカの社会保障は貧弱なので、この断層を埋める福祉システムがない。それを政治的に取りつくろうために、政府は住宅金融機関に暗黙の債務保証を与え、低所得層に住宅をもたせる政策をとった。これは住宅投資や消費を拡大する一方、財政負担は増えない「安上がりの社会保障」に見えたが、結果的にはとんでもなく高価になった。

他方、後発国のうち成功したのは、日本やドイツのように政府主導の「国家資本主義」によって輸出産業で成長する路線をとった国だった。国内市場が小さいため海外に進出した自動車や電気製品は、国際競争に鍛えられて高い生産性を実現し、政府と銀行が一体になって輸出産業を育成した。ボトルネックは資本蓄積だったので、金利を規制して資本コストを下げ、貯蓄を奨励して消費を抑制した。

しかし80年代に工業化が飽和すると、国内の過少消費がGDPを抑制するようになり、日本の場合はバブルとその崩壊の原因となった。この問題を克服するには国内産業に競争を導入して消費を拡大するしかないが、サービス産業は政治家と結びついて規制で保護されているため、酒屋や散髪屋の規制を撤廃するにも長い時間がかかる。福祉・教育は非効率で高価であり、銀行は金貸しのままだ。

こうした構造的な問題を解決する簡単な処方箋はない。アメリカの社会福祉や教育を改善する必要があることは誰もが同意するが、具体的にどうするかについての政治的合意はできていない。他方、日本など輸出主導の経済で内需を拡大するには、サービス業の競争を促進する必要があるが、これも遅々として進まない。

さらに大きな脅威は、最大の貯蓄過剰国となった中国の国家資本主義だ。国内の消費不足を海外投資で埋める構造を維持することは困難だが、民主主義が機能していないため、政府は人民元のレートを抑え、国内産業を潤して政権の安定を保っている。この断層がバブル崩壊で破断すると、2008年の危機に劣らない破局が起こり、政治的な危機に発展するおそれもある。

要するに世界経済危機をもたらした断層は残ったままであり、最大のリスク要因は中国だというのが著者の見立てだ。それに対して彼の提案している処方箋は、国際機関の強化による多国間調整など、あまり即効性があるとは思えないが、それは問題があまりにも複雑で困難だからである。日本の新政権は「増税で景気がよくなる」などという安直な話をするより、まず国内産業の効率化という問題に向き合うことが必要である。








http://www.asahi.com/politics/update/0605/TKY201006050354.html#






 【釜山=福田直之】峰崎直樹財務副大臣は5日、20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議で、企業誘致を狙った国際的な法人税引き下げ競争について「G20か経済協力開発機構(OECD)、国際通貨基金(IMF)で、ある程度の法人税率の範囲を決め、引き下げ競争をやめるべきだ」と提案したことを明らかにした。

 景気対策で財政赤字を抱える国が多いなか、過度の引き下げ競争はさらに財政の悪化を招きかねないためだ。経済産業省は「産業構造ビジョン」で、主要国では高い水準にある日本の法人実効税率(約40%)を5%幅引き下げる方針を盛り込んでいる。








http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100606-00000006-mai-bus_all








日銀が日本経済の成長力底上げを狙い導入を決めた新貸出制度の詳細が5日、明らかになった。総貸出枠は2兆~3兆円程度で、対象は環境やエネルギー、先端技術開発、医薬、観光など18分野とする方針。14、15日の金融政策決定会合で詳細を正式決定し、早ければ7月にも制度をスタートさせる。

 日銀は4月末の金融政策決定会合で政策金利(現行0.1%)と同じ超低金利で資金を銀行に貸し出し、成長分野への投融資を促す新貸出制度の導入方針を決定。具体的な枠組みを検討してきたが、対象となる「成長分野」をどう設定するかが最大の注目点だった。

 日銀は「成長分野へのリスクマネー供給拡大の呼び水にしたい」(幹部)とし、対象を当初から有力視された環境・エネルギー分野に加え、介護や観光など計18分野と幅広く設定。貸出期間は原則1年だが、複数回の借り換えを認めることで、成長企業がより長い期間、資金を受けられるようにする。

 また、同制度の存続期間は3~5年間とする方向で、政府が月内にまとめる新成長戦略と歩調を合わせ、成長力底上げを目指す方針だ。【清水憲司】









http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0606&f=national_0606_003.shtml






江戸の情緒溢れる下町、東京都墨田区で、現在巨大なタワーの建設が進んでいるのをご存知だろうか?

  「東京スカイツリー」と命名されたこのタワーは2012年春に開業予定で、なんと全長は634メートルにも及ぶという。今年で121歳になるパリのエッフェル塔の全長324メートル、52歳の東京タワーの全長333メートルと比べてみると約2倍の高さで、今日の技術の進歩を感じさせられる。

  そもそも東京スカイツリーはいったいどんな目的で建設されているのだろうか? 実は東京スカイツリーの計画は、2003年に在京放送事業社6社がデジタル放送の新電波塔を求めたことがきっかけで始まった。その後、電波塔としてだけでなく新たなコミュニケーションの場として商業施設も備えられることが決まり、東京の新しいシンボル、観光地として一躍注目を集めることとなった。特に展望台や水族館、プラネタリウムなどが新たな観光スポットとして人気を得ることは間違いないだろう。

  そしてさらに魅力的なのは、東京スカイツリーの付近には雷門で有名な浅草寺、大相撲が開催される両国国技館など伝統的な建造物もたくさんあることだ。東京スカイツリーの誕生によって、地域全体が日本の伝統と最先端技術が交錯する場としてさらに発展していくことだろう。
 
  まだ建設中にもかかわらず、テレビや雑誌では連日東京スカイツリー特集が組まれ、タワー付近は多くの見物客で賑わっている。たくさんの人々に温かく見守られながら、東京スカイツリーは今日も天空へ向けて成長を続けている。(情報提供:東京流行通訊)








http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51429422.html









菅新首相の就任会見で気になったのは、次の部分だ:
小泉・竹中政権のときに、需要が足らない中で供給政策をやった。あのカルロス・ゴーンさんが日産の従業員を大リストラして、確かに日産は飛躍的に業績が上昇しました。しかし、売り上げが上昇したんじゃないんです。自動車の売り上げは変わらないけれども、経費が下がったんです。[・・・]デフレの状態でデフレ政策をとったために、まさにデフレという状況がこんなに長引いてしまった。
これはどこかで読んだことがあるな・・・と思って調べてみると、本書の182ページの記述とほとんど一言一句おなじだ。

著者(小野善康氏)は菅氏の10年来の友人で、「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズの考案者といわれる。彼は内閣府顧問なので、首相がそれをまねるのは不思議ではないが、小野氏の理論は通説とは違う。標準的なマクロ経済学(ニュー・ケインジアン)では、長期の潜在成長率と短期の景気循環を考えるが、小野理論では短期の不完全雇用の場合だけを問題にする(長期ではニュー・ケインジアンと一致する)。

ニュー・ケインジアンでは失業の原因は価格や賃金の硬直性だと考えるが、小野氏は「消費の利子率」といった独特の概念で不均衡の原因を考え、価格調整よりも政府の介入のほうが有効だという。しかし彼の議論は、リストラによって生産性や潜在成長率が上昇する長期の効果を無視し、もっぱら短期の労働需要だけを問題にしている。

日産はリストラによって生産性が上がり、利益も上がったので設備投資も増やした。失業で労働の超過供給が増えれば、賃金が下がって人手不足の中小企業が労働者を雇いやすくなり、労働移動によって労働生産性も上がる。事実、2000年代前半には自動車産業を中心とする輸出産業の復調で景気は回復した。この20年間に成長率が上がってデフレも止まったのは、菅氏の非難してやまない小泉政権の時期だけだったのである。

さらに致命的なのは、こうした問題への処方箋として小野氏のいう「遊休している労働者をよい公共事業に雇用すれば経済はよくなる」という議論だ。これは「よい公共事業」とは具体的に何なのか、そしてどうすれば政府がよい公共事業だけを実施できるのかを示さないかぎり、単なるトートロジーである。池尾和人氏も指摘するように、政府が税金の「使い道を間違えない」保証はどこにもない。

全体として、小野氏の理論は「不況動学」と称しているが、その中身は長期の生産性を無視して短期の不均衡だけを問題にし、公共事業を重視する古いケインズ理論と変わらない。それは政府が全知全能であると想定しているので、社会主義者の菅氏には受け入れやすいのだろうが、政府がつねに賢明な経済政策を行なうことができるなら、日本経済はここまでボロボロになっていない。

菅氏は、小野理論をもとにして「雇用、需要に焦点をおいて財政出動をしていく」という「第2のケインズ革命」を提唱しているが、その結果は鳩山政権と同じバラマキ福祉になるだろう。「いのちを守る」とか「需要中心」とか名目は違うが、中身は相変わらずの社会主義路線である。不幸なことだが、日本経済が壊滅しないと彼らの目は覚めないのだろう。









http://www003.upp.so-net.ne.jp/ikeda/Ono.html




小野善康『景気と経済政策』岩波新書
著者は、吉川洋氏と並んで霞ヶ関の人気者である。今どき「景気対策」が必要だと主張する数少ない経済学者だからだ。日本は、世界にも珍しいマルクス派とケインズ派の棲息する経済学の「ガラパゴス島」なのである。ただ、著者はリチャード・クー氏の ような落第生ではなく、博士号を持っているから、その議論もそれなりにマクロ経済学をふまえたものだ。要するに不良債権の処理などによって「供給側」の効 率を上げる政策は、完全雇用のときには正しいが、現在のように不完全雇用によって過剰設備が生じている場合には、供給能力を削減するのではなく有効需要を 追加することによって設備と労働の有効利用がはかれるというのである。

しかし、そんなことをしたら過剰設備は温存され、いつまでたっても供給の効率は上がらない、という批判に対して、著 者は「過剰設備は景気が回復してから削減すればいい」という。あきれた空論である。景気がよくなってから、わざわざ苦しいリストラをやるかどうか、経営者に聞いてみればよい。不 況というのは、hard budget constraintによって非効率な設備や雇用を削減する圧力となることに意味があるのだ。著者のような「どマクロ」経済学者に は、経済は個人商店の集合体みたいに見えているのかもしれないが、現代においては企業や組織を変えないで経済を変えることはできない。資本主義とは、不況期に否応なく外部者が介入して企業を解体・再構築する「制度変化」の装置なのである。
短期的には、これは設備も人間も余っているのにもったいないように見えるが、長 期的にはこうした人的・物的資本の再配分によってTFP(全要素生産性)が上がる。逆にいえば、生産性を上げない限り、どんな需要喚起策をとっても、終わったら元に戻るだけである。コーポレート・ガバナンスをめぐるShleiferなどの実証研究でも 明らかになったように、経済システムにとって最も重要なのは、借りたカネは返す、返せない会社はつぶれるという規律と、それを支える司法機関や規制などの 「制度」の効率である。著者のいうように行き当たりばったりに財政出動したら、そういう資本主義による規律づけのメカニズムが壊れ、今の日本のように際限 なく問題が先送りされてしまう。

おまけに、その用途はゾンビのような銀行や漁港・農道だ。「よい公共事業」を選別すべきだ、というのが著者や吉川氏の主張だが、何がよい公共事業な のか。「これは悪い公共事業です」と銘打って行われる公共事業があるのか。そんな選別ができる政府なら、もともとここまでひどいことになっていないだろ う。いつまでたっても、政府は民間より賢明だという「ハーヴェイ・ロードの前提」が忘れられないのも、ガラパゴス派の特徴である。









http://japanese.engadget.com/2010/06/01/d8-jobs-interview/







現在進行中のD8 より、スティーブ・ジョブズ インタビューの速報を抄訳でお届けします。聞き手はDカンファレンス主催側の大御所テクノロジージャーナリスト Walt Mossberg 氏とKara Swisher 氏。話題はアップルの時価総額 マイクロソフト越えに始まって Flash 騒動、アップル製品の多くを製造する Foxconnの工場で従業員自殺が続いている問題、警察沙汰になった iPhone プロトタイプ流出、アップルと対決姿勢を強めるGoogleについて、iPhone / iPad の設計思想 ( 「タブレットOSが先であとから携帯電話に使うことを思いついた」)、電子出版と紙出版、タブレットとPCの未来、巨大なApp Storeの拒否権を持つ責任、ジョブズの次の10年、ソーシャルネットワーク時代のプライバシーなどなど。

追記:リンク、写真を追加。米国内事情など省略していた2問ほどを追加。訳文の加筆・訂正。


時価総額でマイクロソフトを超えたことについて。

なんだかシュールだった。(アップル復帰当時について振られて) 倒産まで90日の崖っぷちだった。優秀な人材はみな去ってしまったと思ったが、そうではなかった。「なぜアップルに残ってるんだ?」と言ったよ (笑い)。答えは、アップルを信じているから。この場所が象徴するものを愛している。


Flashについて。採用しない理由を述べた手紙を公開したが、仮に書いてあることがすべて真実だったとしても、バッサリ切り捨てることは消費者にとって最善、あるいはフェアなことか?

二つの点について。アップルはほかの企業のようにリソースがあるわけではない。未来がある技術を選んで採用する必要がある。技術は移り変わるもので、最盛期を過ぎれば墓場行きだ。賢く選ぶことで、膨大な労力を節約できる。アップルはこの判断をしてきた歴史がある。iMacの3.5インチフロッピー。シリアル・パラレルポートを廃止した。初めてUSBを見たのは iMacでだろう。MacBook Air では、真っ先に光学ドライブをなくしたメーカーのひとつになった。こうしたことをすると、ときにクレージーと呼ばれる。勝ち馬がどれか選ばなねばならない時がある。Flashは栄えたようだが衰えつつあり、これからはHTML5だろう。

Flashを採用しているスマートフォンなどない。(これから出荷予定と指摘されて) 2、3年前から「これから」と言われつづけてきた。一方でHTML5は普及しようとしている。




しかし消費者にとっては?

気付くとは思わないが......

サイトに穴が空いてること以外は。

そうした穴は塞がれつつあるし、ほとんどは広告だ。

Flashは開発環境でもあるが?

昔はHyperCardのほうがもっと人気だった。(Flashほどじゃなかっただろ!とモスバーグのつっこみ)。まあ、最盛期には...... (会場バカ受け)。

アップルの目標はシンプル。単に技術について判断したにすぎない。Flash対応に労力を割くことはないだろう。Adobeにもっとましな(Flash Playerを) 見せてくれといったが、一度も満足できるものはなかった。それなのに iPadを出荷したとたんにまるで大事のように騒ぎはじめた。それがFlashについての書簡を公開した理由だ。もう十分だ、Adobeがわれわれを誹謗するのは聞き飽きたというために。



もし市場の声が、「おーい、こっちにとっては大事なんだよ」だったら? Flashで書かれた優れたものもある。もし市場がそれを欲しがったら?もしユーザーが、iPadは不自由で制約があると言いだしたら?

ひとつの製品には良い点も悪い点もある。もしわれわれの判断が間違っていると市場が教えるなら、それは改善する。ただ素晴らしい製品を作ろうとしているだけだ。(......) うまくゆけば売れる、そうでなければ売れない。そしていわせてもらえば、 iPadは大人気のようだ (会場湧く、拍手)。


最近、面識のないユーザーからのメールに頻繁に答えているのはなぜ?

(ゴシップサイトのValleywagにもメールしたと言われて) ジャーナリストだと名のらなかったんだよ。遅くまで仕事をしていたら、その男が不愉快なメールを送ってきはじめた。だからびしっと言ってやろうとした。それでまんまと公開されてしまった。

流出したiPhoneプロトタイプについて。金でスクープを買う小切手ジャーナリズムには賛否がある。一方で、警察は捜査令状もなくコンピューターを押収した。大変なことだ。少なくともわたしのPCには、誰にも触れさせたくないものがたくさん入っている。警察はあのジャーナリストの資産を押収して......

あの男の。ジャーナリストといえたものかどうか。

この問題については?

警察の捜査が続いている。いえることは、製品を開発するにはテストをする必要があり、社内から外に持ち出さざるを得ない。問題のiPhoneを持っていたアップル社員がバーで本当に紛失したのか、バッグから盗まれたのかは議論がある。iPhoneを手に入れた人物は Engadget や Gizmodoに売ろうとした。その人物はルームメイトのコンピュータに問題の電話を接続した。証拠を消そうとしたが、ルームメイトが警察に通報した。盗難あり、盗品売買あり、強請りまで出てくる大したストーリーだ。きっとセックスシーンもあるんだろう (会場笑い)。この事件は地方検事が扱っており、わたしの知るかぎりでは、(押収品から) この事件に関連するもの以外には触れないようにさせる責任者が任命されている。最終的にどうなるかは分からない。


Foxconnについて。

真剣に対応している。あらゆる面から調査を進めている。言えることは、Foxconnは従業員を搾取しているsweatshopではない。従業員40万人でレストランも映画館もある巨大な工場都市。自殺や自殺未遂があったのは事実。米国の自殺率より少ないが、それでも困ったことだ。パロアルトでも、模倣で自殺が連鎖する問題があった。スタッフが現地で把握しようと力を尽くしているが、難しい状況だ。





プラットフォームについて。あなた(jobs)はキャリアのほとんどをマイクロソフトとのプラットフォーム戦争に費やしてきたが、結局は負けた。しかしスマートフォンという新しいプラットフォームでは、アップルは非常に成功している。そしてタブレット市場も始まろうとしている。一方でGoogleは Android や Chrome OSというプラットフォームを開発しており、またFacebookのようなソーシャルプラットフォームも巨大になっている。われわれ(聞き手) からすれば、これはプラットフォーム戦争だ。この見方については。

プラットフォーム戦争だとは思わない。マイクロソフトとプラットフォーム争いをしていたと考えたこともない。それが負けた原因かもしれないが。(会場受ける) われわれはただ最高のものを作ろうとしていただけ。どうすればもっと良い製品を作れるかとだけ考えていた。


しかしGoogleについては?(以前の良好な関係から) 何かが変わったようだが。

仕掛けてきたのはGoogleのほう。

Chromeについては、アップルが開発した WebKitを使っている。ほとんどすべての近代的なブラウザはWebKitベース。ノキア、Palm、Android、RIMも。当然アップルも。IEの本当の意味での対抗を開発した。モバイルではWebKitがナンバーワン。

競争相手としてのGoogleをどう見るか。なにが起こったのか。

あちらが競合しようとしてきただけ。こちらは検索ビジネスに手を出してない!
モスバーグ:では、ある朝とつぜんAndroidについて知らされたようなもの?
ジョブズ:そんなところ。
モスバーグ:裏切られた気は?
ジョブズ:セックスライフはきわめて順調だね。(会場大うけ)
モスバーグ:そちらについてはどう?
スウィッシャー:やめなさい。
iPhoneからGoogle (検索、マップetc)を外すことは?

ない。われわれはGoogleより良い製品を作ろうとしている。この市場の良いところは、消費者から直接反応が返ってくること。エンタープライズでは、判断する人間が混乱していることもあり、こうはいかない。

自然語で検索してくれるエージェント技術企業 Siri の買収について。

Siri は検索企業ではない。AI 技術の会社。検索に参入する計画はない。検索には関心がないし、ほかの企業がうまくやっている。


なにがすばらしいかといえば、ほんの数年前には、スマートフォン向けのアプリ市場は存在しなかった。

Palmにはアプリがあった。(組み込みの) ストアはなかったが。

でも現在のように巨大な市場ではなかった。当時はまた、キャリアが携帯を牛耳っていた。iPhoneは、キャリアに対してそちらはネットワークに専念してくれ、電話のことはこちらに任せろと言った最初の携帯だ。

では、そのネットワーク(AT&T) については?

実際、非常にうまくやっている。競争相手をぜんぶ合わせたよりはるかに大きなトラフィックを扱っていることを忘れてはいけない。

たしかに問題もないではないが......

他のキャリアに拡大する予定は?米国で2キャリア展開する意義は?

あるかもしれない。(近日中か?) それはいえない。

われわれは自分たちが売りたいと思う電話を売るやりかたを手に入れた。可能とは思っていなかったが、実現した。われわれにとっては経験のないビジネスであったし、AT&Tもこのために大きな変革をした。結果はほんとうにうまくいった。ゲームのルールを変えたんだ。







タブレットについて。

かつて、手書きは史上もっとも遅い入力方法だと言ったことがある。われわれはタブレットを再発明した。マイクロソフトとはまったく考え方が違う。マイクロソフトのタブレットはPCがベース。バッテリー駆動時間や重さの問題があり、PCのようなカーソルが必要だった。しかしスタイラスを捨てた瞬間、もっと正確な指が使える。PCのOSではなく、一から作る必要がある。






最初に携帯電話から始めた理由は?




実をいうと、タブレットのほうが先だった。タイプできるガラスのマルチタッチディスプレイを使うアイデアを思いつき、エンジニアに頼んだ。6か月後にこのすばらしいディスプレイを持ってきた。そこで才能のあるUI 開発者に渡したら、慣性スクロールそのほかを作ってきた。そこで、「これで携帯電話が作れるじゃないか!」と気付いた。タブレットはとりあえず中断して、携帯を作ることにした。

タブレットと新聞、雑誌。

自由な社会の基盤は出版・表現の自由にある。米国の新聞業界になにが起きているかはみな知っている。(新聞は)非常に大切だと考えている。ブロガーの国になったアメリカは見たくない。(観客から拍手) 編集者がこれまでになく必要になっている。

インターネットで最大のコンテンツ販売者のひとつとしていえることがある。価格は積極的に下げて、量を狙うこと。われわれはこれでうまくやってきた。いまは出版業界にこれを分からせようとしている。印刷とは違うやり方が必要だ。人々はコンテンツに対価を支払う意志があるとわたしは信じている。音楽やビデオについてもそうだし、メディアについても同じだと考えている。

しかし (iBooksで、Amazonより) 電子書籍の値段を上げさせたのでは。たったいま言ったことと逆では?

あー......うーん。まあ、これは複雑な問題だ。市場は半年前より消費者の要求に敏感になっていて、もし消費者がもっと低い価格を望むなら、出版社もその信号に反応するだろう。




タブレットはノートPCを置き換えるか?

それについては......(長い沈黙)。なにか良い例えがないかな。農業が中心だったころには、自動車はすべて荷台のついたトラックだった。しかし人々が都会に住むようになれば、自動車のことをもっと考えるようになる。PCはピックアップトラックのようになるのだと思う。必要とする人はだんだん少なくなってゆく。

このことが一部の人を不安にさせるのだろう。われわれは長いあいだPCの世話になってきたし、PCはすばらしいものだ。しかしそれも変わってゆく。利益の構造も変わる。われわれはその戸口にいる。iPadがそれになるのか?分からない。変化は来年か、5年後かもしれない。

少なくとも来年ではないと考えているのか。

だれに分かる?

(車のたとえでいえばエアコンやパワーウィンドウのように) iPadに追加されるものがあるとしたら?

「魔法のような」製品というと笑われるが、コンピューターとユーザーのあいだにあるものを取り払ったことは......(「キーボードとか」)。でも、iPadには魔法のような何かがあるんだ。われわれはまだ、タブレットでできるアプリの可能性のほんの上っ面にしか触れていないと思う。




iWork for iPad は開発した。では、 iPadでは無理と思うことは?

iPad用にはどんなものでも考えられる。動画編集、コンテンツ製作......

もっと速いプロセッサが必要?

まあ、そうしたことは時間が解決してくれるだろう。


App Storeの審査について。App Storeの審査基準を巡っては激しい論争がある。一度却下したアプリをあとから許可することもなんどかあった。確かにウォルマートであれアップルであれ、売りたくないものを売れという法律は聞いたことがない。しかしApp Storeは非常に大きくなり、モバイルアプリの大部分を占めるようになった。そこには責任が伴うのでは。消費者を守るためと語っていたが、アップルが全権を握って、諷刺漫画や選挙の候補者なども却下することには良くない面もあるのではないか。

まず、われわれは二つのプラットフォームをサポートしている。オープンでコントロールされていないHTML5 (ウェブ)がひとつ。HTML5のサポートはどこよりも進んでいる。そしてもうひとつが、監督つきのプラットフォームであるApp Store。審査は大勢の普通の人間が携わっている。基本のルールは:宣伝どおりか、クラッシュしないか、プライベートAPIを使っていないか。この3つが最大のアプリ却下理由。それでも、毎週審査するアプリの95%は通過している。

選挙の候補者の件は?

他人を中傷してはいけないというルールがあった。

アップルの社員が判断する。

そのとおり。例の風刺漫画家(のアプリ)もこれに引っ掛かった。こうした問題は予想していなかった。拒絶したあとルールを変更したが、再審査の申請はなかった。あとになってその漫画家がピューリッツァー賞を受賞して、実はアップルに却下されてたなんて公言した。だから、われわれはたしかに間違いをした。最善を尽くしているし、可能なかぎり早く学びつつある。ただ、このルールにも意味があると考えていた。

われわれはベストを尽くしており、間違いは正している。だが本当のことを言えば、人は嘘をつく。そういうやつらはメディアに泣きついて、アップルに抑圧されただのなんだのと話して一瞬の注目を浴びる。われわれのほうは、メディアに駆け込んで「そいつは大嘘つきのクソ野郎だ!」なんて釈明はしない。そういうことはやらない。

審査の基準をもっと明確に公表することについては。開発者からは分かりにくいとの声がある。

95%は7日以内に許可しているし......(「では、これ以上改善できないと?」) できると考えている。ただ、事実は挙げておきたかった。



アップルでのジョブズの仕事について。

世界でも最高の仕事のひとつだと思う。世界でももっとも優秀な人たちと、最高の砂場で遊んでいる。

アップルでの役割は。たとえば新携帯電話対して、個人としてどんな役割をしたのか。

アップルを知るために重要なことのひとつは、極めて協調して仕事をする会社だということ。アップルには内部団体がひとつもない。スタートアップのような組織だ。世界で最大のスタートアップ企業。毎朝3時間ミーティングをして、すべてのビジネスについて、どこでなにが起きているか情報交換をする。大得意なのは、課題をどう分割してチームに分担させるかを判断すること。チームどうしも話し合う。だから、わたしが一日じゅうやっているのは、優秀な人々のチームと顔をあわせて話すこと。優秀な人々を集めるには、かれらにアイデアを出させること。わたしもアイデアで貢献する。そうでなければここにはいない。

自分の次の10年はなにに取り組むと思うか。

(非常に長い黙考)

......例のGizmodoの件について、多くの人から「なにもなかったことにすべきだ」と助言された。「盗品を買って強請ろうとしてきたからといって、ジャーナリストを追求するのはまずい」と。これについては本当に深く考えた。そして辿り着いた結論は、考えうる最悪の事態は、われわれが自分たちの根本的な価値観を曲げて、何もなかったようにふるまうことだ。そんなことはできない。それなら辞職するほうがマシだ。

5年、10年前だったとして、やはりそんなことはしない。そのころから、われわれの信じているものは変わらない。一番大切なものは変わっていない。いまも当時と同じことを思って仕事をしている。最高の製品を作ること。知らない誰かから、iPadがどんなにクールかというメールが届くことほどうれしいことはない。毎日こうしていられるのはそのおかげだ。当時も、今も、未来もそれは変わらない。










次にすることは。広告に参入したが。競争相手については。

(Googleの) 広告配信システムはダメだね。発見したのは、ユーザーがアプリを好むこと。ただウェブサイトに飛ぶのではない。これはまったく新しい状況。ユーザーは検索ではなく、Yelpのようなアプリを使う 。( iAdについて説明)。現在のアプリ内広告はアプリから外に飛ばしてしまう。iAdは違う。ほかのどの企業もやっていない。

プライバシーについて。Facebook や Google Buzzなど、失策や出だしのつまづきがやたらと多いようだ。

GoogleのWiFiデータ収集とかね。

シリコンバレーではプライバシーについての考え方が違うのか?

いや、われわれはプライバシーについて非常に真剣に取り組んでいる。携帯電話の位置情報が例。どんなアプリでも、位置情報の取得について自前のダイアログを出して許可を求めることはできない。アップルの用意した機能を呼び出して、システム側の許可 / 不許可パネルを経由する必要がある。これも、監督つきのApp Storeが必要な理由のひとつ。シリコンバレーでは、われわれを時代遅れだと思っている人も多い。だが、われわれは真剣だ。

しかしクラウドに移行すると......

それは関係ない。ユーザーはなにが起きているか、はっきりと分かりやすく知りたいと思うものだ。どうしたいのか聞き、また「毎回聞くな」も選べるようにすべきだ。(大きな拍手)

ここからは質疑応答。




アプリの利用状況データの収集についての規約変更は。

アップル社内でテストされている新製品のデータが外に漏れていた。Flurryという企業が、アプリに埋め込んでデバイス情報や利用状況データを送信するソフトウェアを提供していた。プライバシーポリシーに反するし、われわれも不愉快だ。そこでデバイス情報を取らない解析だけを許すことにした。広告目的のみに。(収集したデータからアプリの改善ができる場合もあるのでは、と聞かれて) それはそうだが、ユーザーの承諾を得ずにデータを集める言い訳にはならない。腹立ちが収まったらそうした企業と話し合いをするつもりはあるが、今日ではない。

映画プロデューサーから、ディズニー株主としてのジョブズに。映画館に人を集めてチケットを売るビジネスをしてきた。コンテンツの価値を守りつつ、ユーザーにもっと手軽にアクセスできるようにするにはどうすればいいか。

コンテンツクリエーターには巨大なチャンスがある。たとえば、映画のマーケティングは変化している。オーディエンスにずっと効率的にリーチできるようになった。かつて音楽会社を訪ねたとき、顧客は誰だと聞いたらBest Buy や Target (量販店) だという答えが帰ってきた。この業界で変わったのは、流通やマーケティングをもっと効率的に、直接エンドユーザーを相手にできるようになったこと。われわれが望むのは、ユーザーがなんでも、いつでも好きな映画を見られるようにすること。ここが変わらなければならない部分だ。(モスバーグ:そうなるのはいつ?) 変化はいま起きている。(視聴形態は)大きく変わっている。新作映画を、映画館にかかる前に観られるようになるとさえ考えている。それなりの金額を払う気があるならだが。

(テザリングと無線同期についての質問を遮って)

自分のコンテンツの共有についてなら、現在よりいい方法があるべきだ。取り組んでいる。

(iPhone好きだけど電波が悪いよ、との質問にキャリア側の取り組みを説明。)

(iPhoneやiPadでファイルシステムに触らせない方針は変わるか? そのあたりについては多くのことに取り組んでいる。)


DVDを買ったらiPadで観られるデジタルコピーがついてきた。でもHDCPがかかってるからVGAアダプタで出力できない。どうなってるの。

アップルがそれを考えたわけでは......

でも採用したよね?

コンテンツ製作者は作品をプロテクトしたがっていて、藁をも掴んでいる。間違ったものを掴むこともある。コンテンツの提供を受けようとすれば、かれらのルールの一部には従わなければならない。苦痛は理解している。

ゲームについて。

iPhone と iPod touch は新しいカテゴリのゲームを産みだした。グラフィックはゲーム機に迫っている。ゲーム機のソフトは30ドルや40ドルするけれど iPhoneでは安い、だからマーケットが爆発的に拡大した(云々。いつもの宣伝)。


テレビどうするの。

テレビ産業のイノベーションにあたっての問題は、参入しにくいこと。TV(放送)産業はセットトップボックスを無料で配ってケーブルなどの契約で儲ける携帯電話的なモデルになっている。だから新しいボックスを誰も買いたがらない。TiVoやRoku、そしてわれわれに聞けば分かる。3か月くらいたったらGoogleにも (Google TV)。

だからできるのは、(現在つながっているケーブルetcの受信ボックスのほかに) また別のボックスを付け足すこと。それでテーブルいっぱいのリモコンやら箱のクラスタができてしまう。これを変える唯一の方法は、いまのSTBを一旦捨てて新しいUIを与えて、消費者が欲しいと思うような方法で目の前に提示するしかない。新しい参入策がないかぎり、また別のTiVoを作るだけ。

iPhoneではキャリアと組んで割賦販売をしている。テレビでは?

問題はケーブルTVプロバイダがローカルなこと。バベルの塔だ。






http://hisao-hidaka.hp.infoseek.co.jp/newpage210.htm







今 日本人に最も愛されている歴史上人物は多分坂本龍馬ではないかと思いますが、
こと鹿児島では西郷隆盛の人気が抜群です。
大阪生まれの私も、九州暮らしの方が長くなってしまいました。
あまり西郷先生の“悪口”を言っては、ちょっと生き辛い感じも致します。
“何故西郷ドンがそんなにもてるのか?”
明治右翼の“草分け”・頭山満にも師と仰がれた無口の巨人・西郷ドン、幕末きっての軍人・政治家・学者。
勿論“何を語ったか”より“何を為したか”で評価されている訳だが、
事績はネットでも沢山の方が触れておられます。
読み物としては海音寺潮五郎、池波正太郎、司馬遼太郎といくらでも有ります。
今日の所は彼の行動指針である“敬天愛人”の思想を“西郷南州翁遺訓”に見てみたい。
この“南州翁遺訓”の成り立ちそのものが如何にも西郷らしいのだ。
西郷はいたって無口、著書を1冊も遺していない。
この“遺訓”、西郷を中心とする官軍と最後まで闘った“庄内藩士”が西郷の温情有る戦後処理に感激、逆に西郷から学ぼうと藩主・酒井忠篤はじめ鹿児島に留学、仇敵西郷を師と仰ぎその言葉を1冊の書物に纏めたものなのだ。
こうした西郷の人を引きつけてやまない感化力・吸引力は、勿論彼が言葉通りの巨人であった事、巨眼を持っていた事だけでは到底説明出来るものではありません。
頭書は長尾剛氏が“遺訓”を翻訳、併せて西郷の心情を推し量って内容を膨らませ、現代風の読み物としてリニューアルされたものと言う事です。
漢文の素養のない私のこと、早速飛びついたのだが、西郷と長尾氏の言葉が渾然一体となっています。だから多分長尾氏の西郷像と言う事になります。
それを又私が解説しようと言うのだから、西郷さんを紹介するにはちょっと無理があるかも知れない。
まあ、“素人談義”はそんなものだとお許し願って、ご興味が有れば岩波文庫の原典を開いて頂きたい。

* 人の上に立つ者にとって第一に必要なのは私心・ワガママを捨て、公平に周囲を見渡す目である。
部下の功績に対して地位を与えてはいけない、金銭でよい。
“敬天愛人”天を敬い、人を愛する。
人は初めのうちは己を慎み、私利私欲でない高い志で事業の純粋な成功を目指して頑張る。
結果、仕事は順調に進み世の賞讃を得る事になる、ここに落とし穴がある。
“俺は偉い、立派だ”と舞い上がり、ただただ自分の富と栄誉を目的とするようになる。
自分の欲に拘る所から“天然自然”の道を誤る事になる、だから“克己”が一番大切なのだ。
“克己”を日常の心構えとして修練する事が西郷の説く“武士の道”なのだ。
(現代の世はお金への私心、個人的ワガママをエネルギーとしています。
市場原理で動いている現代ではお金を稼げる人が地位も与えられるのが現実です。
お金で心まで買えるとは思いませんが、少なくとも市場原理はお金をして世に認められる尺度としますから、尊敬され地位が上がり、地位が上がればお金が入ってくるのです。
西郷の時代以上に“お金”と“栄誉”が一体になった私利私欲が“大っぴら”な活動源になっている時代です。
西郷に私淑する人達は“市場原理”を否定される方が多いと思いますが、
見かけではなく本当に“市場原理”を捨て切るか?人生最後まで“克己”を貫いてくれますか?
最初から難しい問題が触れられています)

* 上に立つ者が持ってはならぬものが上記の通り“私利私欲”だとすれば
持たねばならぬもの、それは“ビジョンと決意”である。
他人の意見に耳を傾ける事は大切だが、まず己のビジョンと決意を持たねば他人の意見に振り回され
結果的に、取捨選択を誤り失敗に繋がる。
(当然の事のようですが、他人の意見に耳を傾けながら、尚かつ自らのビジョンと決意を通す事は、言葉ほどには易しくありません。征韓論から西南戦争への西郷のビジョンと決意が正しかったかどうか?
一方で西郷自身“薩長同盟”などで決断したようにビジョン・決意は他人の意見にもまれて融通無碍に変わる事も必要です。その際、変換したビジョン・決意はもはや他人の決意ではありません、自らのものとして責任をもって決断する事が大切だと思います)

* 組織を支える3本の柱、学問・武・産業
(西郷は軍人として“人の世は戦い”だと言っています。日頃からの修練で情報力・思考力・胆力を鍛える事の重要性は現代こそ大いに通用します)

* 上に立つ者の心得
1. 品行方正
 堅物ではいけない、節度を弁える事
2. 贅沢を戒めて倹約に努めよ
 上に立つ者の仕事は“万民の暮らしを幸福にすること”だから上に立つ者の贅沢は最後の最後
3. 仕事に精を出し、下の者の模範となれ
4. 下の者の労苦を気の毒に思って労る事
(英雄・西郷は勿論堅物ではありません、女とオヤジ・ギャグが大好きです。凡人はそこだけ真似します。維新後西郷の現政権、政府高官への反感が高まります、何のための維新だったのか?いつの世もそうだから上の驕りは仕方ないものでしょうか?ただ上の驕り粛正に気をとられて、かえって国家主義を許してしまった昭和の歴史もあります)

* 子孫に美田を残すな、万民の為の美田を残すべし

* 小人の能力と心を見抜け
(西郷は儒者ですから人を君子(私心無く他人を思いやれる人)と小人(自分への欲得を優先してしまう人)に分けます。そして君子は小人に重責を与えず才芸を見抜いて適材適所に使いこなさねばならぬと言います。
小人と決めつけられる方にも言い分があるでしょうが、誰でも彼でも重責を期待して任務に堪えなければ”俺の信頼を裏切った”として切り捨てるリーダーより余程”人を大切にする”現実的・実践的な智恵のように思います。部下を下手に信用・過剰期待して人材を重責で押し潰すのは無策です、教育は長所を見抜き得意な技能で開花させてやる事が大切です)

* 策謀(他人を騙し陥れること)を用いてはならない
(聖人・西郷は無類の策謀家としても知られています。
しかし西郷自身は公平と至誠こそが最高の戦略だと繰り返しています。
西郷自身はルール範囲内での“戦いの工夫”であったと言っています。ルールか策謀か?
西郷は戦時の策謀は恥ずべきではないが平時の策謀は卑しむべきであり、
かえって危険だと言います。
しかし戦時と平時、明瞭に分けられるものか?現代では一層混沌としています。
西郷が政府を去った際、自分が策謀家でないことを世間は知っているから、世間は騒がぬと断言しました。しかし両陣営疑心暗鬼の大騒ぎになって“西南戦争”に雪崩れ込んだ事、歴史が語る所である)

* 守るべき自分の本体をすえよ。
諸外国から学び他者から学ぶには、まずその前に“自分なりの理想”を明確にし、それを伝えよ。
(国の理想を掲げ、それをもって国を統一する、いわゆる“国体”ですね。これも言葉ではその通りですが、難しいですね。太平洋戦争では国家の理想は国民の理想にまで教育・宣伝の力で昇華されていたと思います。しかし結果として国民をこれ以上ない悲嘆と苦難に陥れた。一方自由主義を信奉する現代では国家にも国民にも余りにも理想がなく混迷の淵にあります)

* 人類普遍の正義
① 忠孝(国・故郷・家族・同志など大きなものへの愛)
② 仁愛(人は全て仲間なのだ)
③ 教化(忠孝・仁愛を育むもの)
  (私は現代の世の乱れの原因は教育にあると思います、
教育は社会で生き抜くための智恵と初歩的な知識を与えるものと言われています。
“社会で生き抜く智恵”と言ってもこの複雑化した社会では色々価値観もあってとても難しい。
だから学校教育は比較的簡単な“知識”を与える事に終わっています。
子供達に“社会で生き抜く智恵”を教えなければ、大変な事になりそうな気がします。
せめて“生命の尊厳、大切さ”だけでも人類の遺産として
学校・家庭・社会が一体となって教育していくべきだと思います。
昔は良くも悪くも社会に理想のようなものが有ったから、
自然社会全体の教育環境が守られていたように思います。
今は理想なく育てられた子供が親となって、さらに子供を育てます。
親自身が再教育されねばならぬ状況です。
ところが学校・家庭・社会が一体となって“大人を含めて”お互い教育しあうとなると、
実際の所は教育専門家あるいは国家が主導しての教育とならざるを得ない。
その教育はどのような価値観で行われるのか?
この行き着く所は統制された教育、或いは教育という一番大事な所で“社会主義”になってしまう。
ここの所で私もどう判断すべきか困ってしまうのです。
当然政治・経済・教育など人間生活の場は社会にあります。
個人と社会が適応障害を起こす所に問題が発生する。
だから問題解決には社会が個人に踏み込まざるを得ない、
しかしそれでは“国家主義”あるいは“社会主義”を取り入れる事になるかも知れない、
一方”社会主義”は現代ではもはや“悪”とさえ言われています
これは教育のみならず経済・政治に国家が何処まで介入すべきかと言う大きな問題になります
良くも悪しくも西郷には社会主義的国家主義者の側面が有ります)

* 人智を磨く
西郷は自分を育ててくれた世の中の様々な人々、自分と共に生きている仲間達、
そして自分をこの世に生んでくれた父母、さらにはご先祖を敬い守る“人智の開発”が一番大切だと言います。儒学者・西郷の言葉では“愛国忠孝”となりますが、まさに“社会”を守り“社会”で生き抜く智恵です。
一方で見た目派手やかな“文明開化”を“耳目の開発”と嗤います。
(西郷は下野後、私学校という社会教育(兵学校であったとしても)に夢を託します。
しかし政権にとっては反政府の“のろし”ととられ歴史は西南戦争に流れ込みます。
現代では前述の如く、
本質的に社会的なものである教育を社会が行う事すら拒否する論理もあるのです)

* 文明とは何か
未開の国が弱く愚かであるほど慈悲をもって接し、優しく辛抱強く文明の意義を教え未開国を文明に導いてやらねばならない。
未開国を物質力の威でもっていたぶり叩き搾取し隷属化する西欧は文明国ではなく野蛮国である。
(征韓論や汎アジア主義に流れ込むプライド高き教導主義が見られます)

* 財政論
税金は軽ければ軽いだけ国は豊かになる、進退窮まれば富める者からより多く収めさせよ
民を税で搾ってはいけない
会計の心得“入るを量って出るを制する”
歳入に収まらぬ予算は国を崩壊させる
国家たるもの軍備は絶対必要だが、過大な軍備拡張は国家財政を破綻させる
“対等の相手”“簡単に侵略できぬ相手”と思わせるだけの“質の高い兵”があれば十分だ

* 限度を超えた“計算高さ”が“節義廉恥”の心を曇らせる
己の信じる道のためなら損得を顧みず、我が命さえ顧みず戦い抜く“武士の勇猛心”を持て
(普仏戦争に負けたフランスは“自分の命と財産だけが大切”だった
勇猛心がない、私利私欲が甚だしい、誇りを持たぬ恥知らずの国民性だと強く批判しています。
戦いに負けた上、ここまで言われたら内政干渉も甚だしいですね。
正義漢を自認する人は、時に善意で無茶を言うものです)

* 正義のためなら滅ぶも辞せず
お国が侮辱を受けた時は、たとえ国の運命を賭けるほどになろうとも断固正々堂々と正義を貫け
(“征韓論”で自らの決意を示し、政府高官の軟弱を批判している所です。
威勢は良いのですが、“我が正義”と言う保障は有るのでしょうか?
戦争は全て“正義”と“正義”の抗争です。為政者の正義のために人民が殺されるのが近代戦争です。
“我が正義”とはっきりしている様な戦いもあります。
例えば“拉致問題”に目をつぶって居れば侮られるし国家として人民を守れません、
しかしブッシュのように勇ましく復讐に乗り出せば人類を殺傷する“殺人鬼”になってしまいます。
戦争はこのようなジレンマから深みに入るのでしょうが、正義を人民の血で購う事が自明かどうか?
少なくとも為政者は“滅ぶも辞せず”とは言えないはずです。滅ぶのは自分ではなく人民なのです)

* “自分には欠点がない”と思いこむ傲慢を捨てよ
(西郷は理想・信念は頑なに守りながら、戦略面で自らを修復する素直さ・柔軟性を持ち合わせていました。思想家・西郷の美徳です)

* 学問・武芸
学問については“あらゆる現実に対処する判断力を身につける”ためにあると言っています。
知識やテクニックを身につけるものではない。
武芸も剣や楯を使いこなすテクニックを身につけることではない。
どんな戦いにあっても敵の状況を見抜き、的確な戦いをする智恵を身につけることであると言います。さすが実践的すぐれた文武道を語られています。
現代“建前”としてはその通りと言われていますが、現実は“テクニック”万能です。

* 制度や計画・方法より人を有効に働かせる事が第一である
(組織論より人材配置、組織を整えて人材をはめ込むのではなく、まずこの人に何をやらせば活性化するかから組織を組み立てていく。特に中小企業の経営にとって肝要な事だとつくづく思います
ちなみに合理主義の要である標準化やマニュアル化は中小企業は官庁や大企業にはハナから及びません、個人個人が活性化して働ける仕事・組織を自由に創って行けるのが取り柄です)

* 天を相手にせよ
“道”とは何か?天然自然の理である“この世の全ての存在が幸せになること”である。
それは天の愛である、人は天に倣って“おのれ自身を愛する如く他人を愛すべし”
道を正しく行うに、尊卑貴賎は関係ない。
道を行うと言う事は困難に遭うに決まっている、世間が賞讃・歓迎してくれると思うのは大きな見込み違いである。
どんな困難に遭おうとも心を動じさせない覚悟を持て。
事の正否、自身の生死に不安を抱いてはいけない。
失敗しても“仕方なし、道を曲げて卑屈な人生を歩むよりは人の道に倒れた方が幸福である”
(西郷は事に成否を問わない、何故かと言うと今流行りの“結果主義”ではないからだ。
道を行うに上手も下手もない、道を行うのは心掛けである。
しかもその心掛けは人間の本性に発するものだから、行えば行うだけで楽しくなるものだと言う。
卑近に言えば、人を愛し抜くと言う事は人の本性であり、
その事でお金や栄誉が伴わなくても、それだけで幸せだし楽しいし満足な人生をおくれると言われれば、成る程そんな気がする。
ただ“愛する”のスケールが違うのだろう、
スケールがでかいが故に逆に人を傷つけもするし、死に追いやる事も有る)

* 人を恨んではならない、天に問う事である。
過ちは元に戻るものではない。過ちを改めるとは“おのれの過ちに気付く事”それだけでよい。
後悔は無意味である。
(西郷は徳川を恨まなかったそうだが、慶喜からは随分恨まれたそうだ)
金も栄誉も求めなかった西郷は高位高官にありながら、反政府の陣頭に立つ。
(やはり反骨こそ似つかわし人である)
金も金も名も官位も要らぬ人、俺はそう言う人間だから“始末に困るぞ”と嘯きます。
(世の主義者達も口だけはそれをウリにするが、結構“人望”と言う賞讃を生き甲斐にする。
まさかに西郷はそうではないが、真似をしたがる人がいるのは困りものだ
“征韓論”をめぐっての大久保との壮絶な対決、司馬遼太郎先生の描写が絶品である。
結果を問わない西郷だが、かの“西南戦争”は何を遺したのだろうか?
これが西郷の最後の仕事、“正義の道”だったのだろうか?
権力の横暴を諫める事に自らの“死に所”を求めたにしろ、やはり凡人は結果が気になる。
本人は満足かも知れないが、結果が変わらなければ何もしないと同じじゃないかと、
つい思ってしまう。
でも西郷の言うように過去の結果にのぼせている人は尚更困りものだ。)

* 繰り返します
西郷は結果ではなく“正義に生きる”心掛けを尊びます。
西郷の“正義”とは“敬天愛人”、天然自然の理に適って“人の幸せ”のために尽くす事です。
“敬天愛人”の道は人の本性に叶った道ですから、とても楽しい事です。
しかし人には“敬天愛人の道”を邪魔する“私利私欲”の本性もあります。
“私利私欲”を社会の毀誉褒貶が刺激します。
だから常日頃から“私利私欲”と“毀誉褒貶”に惑わされない“克己”の修練を積む事が大切です。
戦いにあっての“平常心”は日常の“克己”の修練から生まれます。
実践家としての西郷は事を成すにあたって“才覚”(能力)も重視しています、
しかしそれ以上に大切なのは“人徳”(道への志)だと繰り返し述べています。
西郷は仕事とは後生にどれほどの利益をもたらしたかどうかは二の次だとまで言い切ります。
ただ己が道を貫く事、そうまで言われると結構個人主義的な臭いもしますが、
歴史の評価を求めなかった事もないようです。
その時代に認められなくとも、真心の仕事は必ずや認められ大きな“感動”を与える事になると言っています。
西郷は小手先の“人気取り”を最も嫌います。
物質的功績ではなく、又一時的な評価ではなく、
その“生き方”に対する後生の大いなる“感動”を“置きみやげ”にされたのでしょうか?