病気のこと。 | 春になり笑う月は何を想うのか

春になり笑う月は何を想うのか

  
6月9日ロックの日に始動!
音楽とか映画とか絵とか

なんか色々適当に書いたり書かなかったり

自分の中のドロドロした物を吐き出せると、少しだけ楽になれる。
もいっこの日記は友達らが見るから書けない事も、
こっちは自分の事を知ってる人が1人も居ないし、
読んでる人も居ないって分かってるから書ける。

でも何かで間違って来ちゃった人はUターンした方がいいよ。
読まない方がいいよ。

 


今までもだったけど。
今まで以上に、生きていなきゃいけない理由が見つけられない。

だからって、死にたい訳ぢゃない。
痛いのも苦しいのもいやだし。
症状が落ち着いた今、自殺をしなきゃいけない脅迫感もない。
でも、泡の様に消えて居なくなりたい気持ちはずっとある。


今現在も、自分は精神病を患っている。
随分と良くなったけど
なんとなく、もぅ今以上に。昔の様には戻れないだろうな。
って感じてるし、うすうす判ってる。

生きがいだと思っていた音楽。
今は聴く事が出来る様になったけど。
もぅ思う様にライブに行ったり出来ない。
それなのに、まだ生きていなきゃいけない意味が判らない。
自分を必要としている人も別に居る訳ぢゃない。
自分ぢゃなきゃダメって事もない。


骨を折ったり。
病気で手術したり。
目に見えて体が傷ついた人には「可哀想に。」「大変だったね。」って、
人を思いやる言葉が出るのに。
心が傷ついた人には「心が弱いからだ」「気の持ちよう」「思い込み」って片付けられる。
1万人の人が何らかの被害を受けたら可哀想だけど。それが10人位だったら大した事無かった。と言われる世の中。
理不尽な事故で死んだとしても、たった1人だったら何とも思われない世の中。
1万人の内の1人と。1人の内の1人。
命の重みが違うというのだろうか。
家族の悲しみに違いがあるというのだろうか。


「俺の方がこんな苦労があって、こんなドンゾコの人生があったけど、乗り越えられたんだ!甘えるな」
的な励ましをくれるけど、
「たまたま強いメンタルで生まれられて良かったね」
って思う。
本当にその人にとっては、自分らの様な病気の人間の悩みなんて、ちっぽけで、それ以上の苦労をしたのかもしれない。苦しい思いをしたのかも知れない。
でも自分達は、たったそれっぽちの事に生きている意味の不明と挫折感や無力感を味わったんだ。


自殺のニュースを目にすると
「なんて勿体無い事をするんだ」
「心が弱いだけ」
「生きたくても生きられない人に失礼だ」
って皆が口を揃えた様に言う。
けど。
「自分の残りの人生を、誰かにあげれるならあげたいものだ。特に小さい子供達に譲れたらどんなにいいだろう」
って思っているんだ。
そんな事、気づきもしないだろ?

「自殺なんかやめようよ」
って言うつもりなんか、コレっぽっちもない。
確かに。周りが言うとおり、心が弱いのだろう。
僕達は、心が弱いんだ。

 

 


判ってるなら、なぜその弱さを更にあなたは痛めつけてくるの?

 

 

 

心が弱いって判ってるなら、どうして誰も助けてあげないの?

命の重みを何でも知ってるかの様に、偉そうに言ってるだけぢゃん。
更に追い込む様に攻めるだけぢゃん。
得意顔で全てを判っているかの様に攻め立て、心についた傷をさらに広げてきてるだけやん。

 

自殺のニュースを見て思う事はただ一つ。
「仕返ししたのかな」
って事。
ただただ黙って死ぬのは、本当にバカだと思う。
どうせ死ぬんだ。
もぅ怖い明日も、悲しい明日も、辛い明日も来ないんだ。
だからどうせ死ぬなら。
ネットやマスコミに、洗いざらい思いのたけをぶつけるな。
イジメなら、やったヤツの名前や写真や住所……とか?

 


2012年の年の初め。
あれ程恐ろしく、辛い日々は今までの人生で無かった。
映像を見る事も出来ず恐怖感をおぼえるだけ。
音を聴くことも恐怖。時計の針の音も恐怖。
食べ物も恐怖。寝ることも恐怖。息をすることも恐怖。

そんな中。
凄く好きだったバンドが10年ぶりに再結成した。
行けなかった。
行ける状態ぢゃなかった。
ずっと発狂してたらしいが……
そのライブの日は大泣きしていたのを覚えている。

ずっとずっと大好きで。
日本中をついて回って。
楽しい事、悲しい事、辛い事。そしてそれを乗り越える事。
「明日突然死んでも後悔しないか?」
という生き方を教えてくれた。

追っかけをしていたそんな折に、父親が心筋梗塞で病院に運ばれた。
会社に電話がかかってきて、今すぐ病院に来いって。
着いた時、まだ手術中だった。その後もまだ手術は何時間も続いた。
医者は
「覚悟をしておいてください」
ただそれだけを言った。

今まで大きな病気すらした事が無かった父。
幸いにも、未だ父は健在だ。
働く事や無理な事が出来なくなったケド、そこに居てくれるだけで心の支えなんだ。

そんな父の突然の死の淵を見て、
「本当にいつ突然死ぬかなんて判らないんだ」
って思った。

追っかけてた彼の言葉と実体験。
次の日から自分は変わった。
後で出来る事は今出来る事。
やろうかどうか悩んでいるなら、今やって後悔する方が、やらなくて後悔するよりずっといい。
そう思って、やりたい事をやってきた。
だから段々「いつ死んでもいいな」っていう風にも思える位に、遣り残した事が思いつけない日々になってた。

そんな自分にしてくれた人のバンドの復活ライブに行けなくて。
一体何の為に生きてるんだろうって思って。
その日から、自殺をしなきゃいけない恐怖感にさいなまれた。


未だそのバンドのライブには行けてない。


何ヶ月もたち。
やっと合った薬が見つかって。
少しずつだけど、気持ちが落ち着いてきて。
家の中で過ごす分には、以前と変わらない自分に戻ってきた。
だけど、以前の自分とは全然違う生活。
未だにロクに乗り物にも乗れないし、病気以来行ってなかった場所に行くと不安感で発作が出る。


そんな中。
具合が悪くなったらすぐに家に帰るから。無理しないから。
って条件で。
病気になって以来の初めてのライブ。

 


京都大作戦2013

 


家から車で15分弱って事もあって、1日だけ許可が出た。
自分には一種の賭けだったんだ。

でも会場に着いて。
すぐにSiMのライブが始まって。


不安になったらどうしよう。
具合悪くなったらどうしよう。


そんな事、全く忘れてた。
自分が病気だって事を全く忘れてた。

というか。
SiMの音がそれを吹き飛ばしてた。
勿論SiMだけぢゃない。
それに続くUZUMAKIやロットン、スカパラに10-FEETと。
全ての音とオーディエンスの高揚と。
会場全てが病気を吹っ飛ばしてくれた。

でも全然意識してなくて。


ラストの10-FEETん時。
TAKUMAさんが、うつだった事を明かし。
「死んだらあかんな。生きてたらいい事あるな」
って言った時。
初めて
『帰って来れたんだ』
って。
そんな風に思ったんだ。

一番酷かった時。
もう2度と音楽を聴くことも出来ず。
大好きだったお風呂に入る事もままならず。
出かけるなんてもっての他で。
ちょっとした事が全部不安で。その不安に対する予期不安もあって。
好きなバンドの復活ライブに行けなくて。
そんな大事なものに行けなくて、何してんだろって、悔しさと惨めさと情けなさに苛まれ。
症状が落ち着いてきてても。
何もかもに絶望を感じてた。
この日までは。


あの日から、何かが変わった。
家では殆ど発作を起さなくなった。
音楽が好きなだけ聴ける様になった。
本も読むことが出来る様になった。
そして、

 

ライブにも行けるんだ

 

って判って凄く嬉しかった。
あれから2年。


酷い時。
病院に行く電車に乗ることすらナカナカ難しかった。
1駅。たった1分か2分が、発狂しそうな位に恐怖でならなかった。

おかんに全身でしがみついて。ガタガタ全身が震え。
意味のない恐怖感がただただ襲ってきて。

赤ちゃんや幼児の子供すら、にこにこして電車に乗ってるのに、
こんなに怖くて。恐いと思ってる自分が不甲斐なくて。
電車に乗る度、電車の中で、わぁわぁ泣いてた。


1人で何処でも行ける様になったら全然違うって判ってるケド
自分の心が自分の言う事をきかないもどかしさ。
1人で乗れる乗り物は、未だ1つだけ。
自家用車でも、せいぜい20分位しか乗れない。

未だ好きなバンドは、殆ど関東から東日本ばかり。
今の彼の目には東北しか見えてない。
日記からも歌詞からもそれが判る。
親しい人を失った人。家族を失った人。家を失った人。思い出を失った人。
傷ついている人が沢山居る。
だから彼の目が東北しか向いていないなら、それもいいかと思った。
(自分も仙台の友達が被災したから……)

もう彼のライブは行けなくてもいいって、踏ん切りがついた。
つけるしか無かったんだ。

 

最近知った言葉
『吾唯足知』
『われ ただ たるを しる』
あんなに苦しかった日々だったけど、人生のどん底ぢゃないかも知れない。
この先、あれよりももっと酷い事が起こる日が来るかも知れない。
でも無理やりでもなくて、素直に『吾唯足知』な気持ちになれてる気がする。
「○○が京都でやってくれるんやん!めっちゃ嬉しい!!!!めっちゃありがとう!!!!!」
って思える。

何一つ、当たり前なんて事はないのかも知れない。
行けて当たり前。
出来て当たり前。
思えて当たり前。

当たり前の事が出来る事に、凄さを感じて欲しい。
当たり前だけど、当たり前ぢゃないんだって。


西表島