1 王貞治

「世界のホームランアーティスト」

1940年5月20日生まれ。早実高では1年夏から投手として活躍し、東京都予選ではノーヒットノーランも記録。57年の選抜では優勝投手となる。59年に入団した巨人では一塁手に転向した。62年に一本足打法を会得すると、38本塁打で初の本塁打王を獲得。以来15回にわたって本塁打王の座を守り、この間64年にはシーズン55本塁打の日本記録を樹立した。73年から2年連続で三冠王に輝き、巨人のV9の原動力に。77年9月3日のヤクルト戦(後楽園)でハンク・アーロンの持つ755本塁の世界記録を更新。国民栄誉賞を受賞した。80年にも30本塁打を放ちながらこの年限りで現役を引退。実働22年の間に残したのは偉大な記録ばかりか、日本野球界に残した功績も大きい。


2 長嶋茂雄

「ドラマチックな『日本球界の太陽』」

1936年2月20日生まれ。佐倉一高時代に大宮球場での大ホームランで注目され、立大では首位打者2回、東京六大学記録の通算8本塁打記録をマークし、大学野球の人気を独占。58年に巨人入りし新人王。新人での打点王は史上初めてのことだった。59年に展覧試合で放った2本の本塁打は今でも語り草。60年から王貞治とクリーンアップを組んで"ON時代"を築いて巨人のV9を支え、野球人気を一手に担った。74年に引退するまで17年間すべてのシーズンでオールスター(64年は辞退)、ベストナインに選ばれた、日本プロ野球界最高峰のスター選手。


3 落合博満

「孤高の打撃スペシャリスト」

1953年12月9日生まれ。秋田工高から入学した東洋大では一時野球から離れたものの、東芝府中を経て25歳だった79年にドラフト3位でロッテに入団。80年後半に一軍へ上がると、81年に首位打者、82年には史上最年少の28歳で三冠王を獲得し、大打者の仲間入りを果たす。85年には打率.367 52本塁打 146打点という驚異的な記録で2度目の三冠王、86年にも続けて史上初の3度の三冠王に輝いた。


4 張本勲

「『3085安打』のベスト・ヒットメーカー」

1940年6月19日生まれ。浪商高(現大体大浪商高)から59年に東映へ入団。ルーキーながら開幕戦から六番・レフトで先発出場し、そのままレギュラーに。61年に初めて首位打者になると、62年には優勝に大きく貢献してMVP。その後は7度首位打者を獲得し、前人未到の3000安打も達成した。3割以上のシーズンは実に16回を数える。文字通りの"安打製造機"だった。


5 門田博光

「打法を変えてまでホームランにこだわった」

1948年2月26日生まれ。天理高ークラレ青山を経て、70年ドラフト2位で南海に入団。2年目から三番に抜てきされ、いきなり打率.300 31本塁打 120打点で打点王を獲得するなど、期待にこたえる結果を残したり79年2月には右足アキレス腱を断裂する重傷を負うが、翌年には41本塁打を放って復活。40本塁打となった88年に初めてフル出場を果たし、44本塁打、125打点で2冠を獲得、MVPにも選ばれた。

高速飛行の鷹の爪
22年間(1956~1977)、ホークスリードオフマンを担った俊足巧打強肩の名選手。球界随一の快足に加え、80%を超える通算盗塁成功率をマークした盗塁技術で、プロ野球のスピード感を変えたと言われる史上屈指の天才打者である。

 

臥薪嘗胆のスラッガー
1980~1999年にかけ、主にホークスで活躍した強打の外野手。2度の戦力外通告をはねのけ、不屈の精神力と努力で19シーズン現役を

貫いた苦労人であり、驚異的な勝負強さで印象的なプレーを数多くファンの記憶に刻んだ名選手である。

 

驚愕のインロー打ち
1990~2003年にかけて、主にホークスで活躍した豪打の捕手。広い福岡ドームでの3連発や東京ドーム3階席弾といった豪快な一発や、芸術的なインロー打ちを見せる、長打力とバットコントロールに優れた天才打者である。

 

センス溢れるアベレージヒッター
ホークス一筋15年間(1997~2011)、チームメイトとファンに愛されたフランチャイズプレイヤー。俊足巧打好守強肩長打力と、3拍子も4拍子も揃った名外野手である。

 

 高い身体能力を誇る万能外野手
1997~2015年にかけ、ベイスターズホークスで活躍したスラッガー。その高い身体能力から、5ツールにメンタリティをプラスした6ツールプレイヤーとも称される、球界屈指の万能外野手である。

 

 皆に愛されたドカベン
1980~1989年にかけ、ホークスで活躍した強打の捕手。その風貌と人懐っこい笑顔、そして驚異的なパワーで球場を沸かせ、多くのファンに愛された無類のスター選手である。

 

プロ野球史上最高の安打製造機
1959~1981年にかけ、フライヤーズ(現ファイターズ)、ジャイアンツなどで活躍した史上最高の安打製造機。プロ野球では唯一となる3000本安打、500本塁打&300盗塁を達成したレジェンドプレーヤーである。

 

火の玉野球の切り込み隊長
1977~1991年にかけ、主にファイターズで活躍した俊足巧打の切り込み隊長。走攻守3拍子揃った名外野手であり、1イニング3盗塁のパーフェクトスチールを達成した選手である。

 

ミスター・フライヤーズ
1954~1971年の18年間、フライヤーズ(現ファイターズ)一筋で活躍。三塁打王を4回獲得するなど、外野の間を抜く長打が得意で、"三塁打の毒島"と異名を取った巧打の名外野手である。

 

超人スラッガー
1981年~2002年にかけ、ライオンズホークスで活躍した史上屈指のオールラウンドプレイヤー。並外れた身体能力と抜群の運動センス、高いプロ意識を持ち、史上初めて30-50を達成するなど、駿足長打強肩堅守を誇る球界の至宝である。

 

十年一剣を磨いたヒットメーカー
1997~2015年にかけ、ライオンズ、ドラゴンズで活躍した巧打の外野手。30歳のシーズンで初の規定打席到達という遅咲きながら、不断の努力で会得した打撃技術でヒットを量産し、2000本安打も達成したヒットメーカーである。

 

正確無比なミート力
2004~2015年にかけて、主にゴールデンイーグルスで活躍した巧打の外野手。高い身体能力と抜群の野球センスに加え、優れた選球眼と卓越したバットコントロールを備えたヒットメーカーである。2009年に首位打者も獲得した黎明期の東北を代表する選手である。

 

いぶし銀の技光る
1975~1992年にかけ、ホークス近鉄バファローズで活躍した安打製造機巧みなバットコントロールでヒットを量産する一方、通算300犠打が示す通り、打線のつなぎ役としてもチームに大きく貢献してきた、いぶし銀の名選手である。


稀代のコンタクトヒッター
17年間(1968~1984)、近鉄バファローズで活躍し、球団最多記録1908試合出場を果たしたフランチャイズプレイヤー。優れた選球眼と卓越したカット技術を持った、史上もっとも空振りを取るのが難しいコンタクトヒッターである。

 

猛牛打線のリードオフマン
1994~2010年にかけて、主に近鉄バファローズの先頭打者として活躍した、俊足巧打好守の外野手。堅実なバッティングに、ここぞという時の長打力も魅力的な、理想のリードオフマンである。

 

 闘志溢れる「ヨッシャー!」
1972~1981年にかけて近鉄バファローズで活躍した巧打の外野手。持ち味のシュアなバッティングで"いてまえ打線"の主軸を担い、球団のリーグ初制覇と連覇の原動力となった、熱血漢の名選手である。

 

電光石火のスナイパー
1981~1996年にかけ、ドラゴンズ、ライオンズほか全3球団で活躍した強肩好守の外野手。球界屈指の守備力と送球技術を誇り、通算451犠打を記録したバント技術と高い走塁能力を持つ、走攻守3拍子そろった名選手である。

 

高度な打撃理論を持つ職人
1952~1970年にかけ、主にオリオンズ(現マリーンズ)で活躍した強打の外野手。卓越したバットコントロールと高度な理論を持つ打撃職人であり、コーチとしても多くの打者を育てた、偉大な野球人である。

 

 

 高い身体能力を持つ突貫小僧
1980~1992年にかけ、主にオリオンズ(現マリーンズ)で活躍した俊足巧打強肩外野手トリプルスリーを期待させる高い野球センスと身体能力を持ち、積極的なバッティングと守備、正確無比な送球でファンを魅了した名選手である。

 

タイニー・スピードスター
1972~1987年にかけ、主にオリオンズ(現マリーンズ)で活躍した巧打好守のスピードスター。小柄な体躯ながら、持ち味の俊足と広大な守備範囲、闘志溢れるプレーと時折見せる強打でチームを牽引した名外野手である。

 

 類まれな安打製造機
1958年から15年間、ホエールズで活躍したヒットメーカー。天秤打法と呼ばれた独特の構えで安打を量産し、シーズン最多単打8回を記録(プロ野球史上最多)するなど、他に類を見ない個性的な安打製造機である。

 

小さな大打者
1971~1989年にかけてアトムズ/スワローズで活躍し、現役引退後もコーチ、監督を歴任したミスタースワローズ。小柄ながらも、卓越したミートセンスと長打力を併せ持ち、歴代2位の通算打率.319をマークした小さな大打者である。

 

進化を続けるチームリーダー
1995~2014年にかけて、スワローズ、ファイターズで活躍した名プレイヤー。天才的な内角打ちの技術と優れた選球眼を誇るアベレージヒッターであり、常に全力のプレーでチームを引っ張る天性のリーダーである。

 

一打必殺の仕事人
アトムズ/スワローズ一筋22年(1972~1993)、初球を必ず見逃す独特の打撃スタイルを持ち、キャリア後半は代打の切り札として度々球場を沸かせた人気打者。日本シリーズ史上初の代打サヨナラ満塁本塁打は、今でも語り草である。

 

球団と共にあった40年
現役23年(1971~1993)、引退後はコーチとして、入団以来40年間をアトムズ/スワローズ一筋で歩んだフランチャイズプレイヤー。フォームを極端なオープンスタンスにして打撃開眼し、33歳で正捕手の座に着いた遅咲きの名捕手である。


ファン・ファースト
2000~2015年にかけて、主にファイターズで活躍した堅守強肩外野手。お茶目な言動と師匠新庄選手から受け継いだサービス精神で、引退の日以外、常にファンへ笑顔を送り続けた愛すべき選手である。


ハリケーン・スイング
1988~1995年にかけ、主に近鉄バファローズで活躍した史上屈指のフルスインガー。NPB記録のシーズン204三振が示すホームランか三振かという竜巻のようなスイングで、奇跡の4連発ほか数々の伝説的本塁打を記録した怪物助っ人である。

 

万能ランボー

1989~1992年にかけてオリオンズ(現マリーンズ)で活躍した強肩強打のユーティリティプレイヤー。日本ではDHを中心に、外野やファースト、捕手と、様々なポジションでチームに貢献した万能選手である。

 

狙い外さぬヒットメーカー


1992~1998年にかけ、主にドラゴンズで活躍した巧打の外野手。外国人選手としては初めて3年連続で首位打者に輝くなど、優れた適応能力と打撃センス、選球眼を持ち合わせた球団史上屈指の安打製造機である。

 

史上最強の兄弟助っ人(弟)


兄のレロンに誘われて日本に渡り、1978~1987年にかけてオリオンズ(現マリーンズ)他3球団に所属。10年に渡り安定した活躍を見せ、プロ野球史上最強の助っ人兄弟と称された強打の内野手である。

 

 

孤高の狼


1996~2009年にかけ、近鉄/大阪近鉄、ジャイアンツ、バファローズで活躍した豪打の外野手。当時の日本タイ記録である55本塁打をマークするなど、13年間で通算464本もの本塁打を放った助っ人史上最強の飛ばし屋である。

 

才知と情熱あふれるファイター


1984~1990年にかけ、スワローズで活躍したスイッチヒッター。テスト入団でプロ入りし、難病と闘いながらも猛練習を重ねてレギュラーの座をつかんだ、類まれなインテリジェンスと野球への情熱を持った名プレイヤーである。

 

松井と争った最強打者

1999~2010年にかけ、スワローズ、ジャイアンツほか3球団で活躍したスラッガー。穴の無い高い打撃能力を備え、NPB在籍7年で打率.312、出塁率.438、本塁打233本、OPS1.051という驚愕の通算成績を残した最強助っ人である。

 

遅咲きのスピードスター
1994~2012年にかけ、カープ、ライオンズ、スワローズで活躍した快足スイッチヒッター。抜群の走塁センスを誇り、盗塁はもちろんのこと、その持ち味を生かしたバッティングで内野安打や三塁打を量産する足のスペシャリストである。

 

野球愛溢れる天才打者
1998~2011年にかけ、タイガース、ファイターズほか3球団で活躍した巧打の外野手。入団1年目からスタメンに定着し、大学時代に磨いた振り子打法と抜群のバットコントロールでヒットを量産し続けた天才打者である。

 

ミスター・ブルーウェーブ
16年間(1987~2002)、ブレーブス/ブルーウェーブ一筋で活躍した強肩強打の外野手。左の長距離砲として長らくブルーサンダー打線の一角を占め、歴代3位の通算満塁本塁打14本も記録した、勝負強さが魅力の名スラッガーである。

 

 捕手のお手本
1978~1998年にかけて主にファイターズで活躍した強肩捕手捕手の見本と言われる程、捕球、送球、リードすべてにおいて高い技術を見せ、ノーヒットノーランのアシスト2回、サイクルヒットも達成している名選手である。

 

 野生のスラッガー
1969~1987年にかけ、主にブレーブスで活躍した強打の内野手。安定感のあるバッティングと高い出塁率、長打力と勝負強さを兼ね備えた理想のクリーンナップとしてチームの黄金期を支えてきた、球史にその名を刻む大打者である。

 

 初まりのゼロ
1980~1997年にかけてカープ他4球団で活躍。高い打撃力と広い守備範囲、大舞台での異常な勝負強さを誇り、プロ野球の公式戦出場選手で初めて背番号0を着用したことでも有名な、巧打好守の名中堅手である。

 

ビッグバンの核心
1992~2006年にかけ、主にファイターズで活躍した強打好守の内野手。安定感のあるバッティングに持ち前のパンチ力抜群の選球眼を活かした高い出塁率で、ビッグバン打線不動の3番として強力攻撃陣を支えた名プレイヤーである。

 

溢れるファイティング・スピリット
2002~2015年にかけ、ブルーウェーブ/バファローズ、タイガースで活躍した巧打好守の野手。高い身体能力と粘り強いバッティング、ダイビングキャッチやヘッドスライディングなど、闘志溢れるプレーでファンを魅了した熱血選手である。

 

若きミスタータイガース
1974~1988年にかけてタイガースで活躍した天才スラッガー。若くしてミスタータイガースの称号を受け継ぎ、天性の打撃センスと肉体改造で身に付けた長打力を武器にチームの主砲を務め、絶大な人気と信頼を集めたレジェンドである。

 

 エースに愛される男
1991~2010年にかけ、ドラゴンズ、タイガースで活躍した、打撃、守備、肩とすべてに高い能力を見せる万能型キャッチャー。特にリードでは投手陣から絶大な信頼を受けており、2球団で2回のノーヒットノーランも演出した名捕手である。

 

微笑みのホームランアーチスト
1989~2009年にかけ、カープ他3球団で活躍した強打の内野手天性の打撃センスとパワーを備え、好球必打のバッティングスタイルで軌道の美しいホームランを放つ、笑顔がステキな名スラッガーである。

 

フルスイング・オバQ
ホエールズ(現ベイスターズ)一筋19年(1973~1991)、豪快なフルスイングと滞空時間の長いホームランでファンを沸かせた豪打の大砲。本塁打か三振か、という潔い打撃スタイルで、長年チームの主軸を務めた名スラッガーである。

 

バントの神様
1983~2006年にかけて主にジャイアンツで活躍した、通算533犠打のNBP記録を持つ稀代のバント職人。100%バントと分かっている場面で確実に犠打を決める技術と精神力に、史上屈指の守備能力も備えた最高のいぶし銀プレイヤーである。

ダイヤモンドのスピードランナー
16年間(1982~1997)、オリオンズ/マリーンズで活躍した"走る将軍"。4年連続の盗塁王、パ・リーグでは史上初となるスイッチヒッターでの首位打者獲得、内外野両方でのGG賞獲得など、俊足巧打堅守兼備の万能型プレイヤーである。

 

熱風! ブンブン丸!
スワローズ一筋19年(1984~2002)、三振を恐れない豪快なフルスイングでファンを魅了した強打強肩堅守の内野手。サイクルヒットや、遊撃手では史上初となる3割30本達成など、数々の記録と記憶を残した名選手である。

 

俊敏華麗なフィールディング
1984~1999年にかけ、主にライオンズで活躍した俊足巧打好守の名内野手。堅実なバッティングと高い走塁技術、広大な守備範囲と抜群の捕球技術を誇り、歴代最多8度のGG賞にも輝いたその守備力は、史上最高と評する者も多い。

 

目覚めた赤ゴジラ
1995~2013年にかけ、主にカープで活躍した強打の外野手。期待の左腕投手として入団後、打力の高さを活かすため野手に転向し、2004年に打撃開眼。32本塁打を放つとともに首位打者を獲得し、以後チームの主軸を担った名選手である。

 

メジャーに最も近い男
1984~2000年にかけ、ホークスライオンズほか3球団で活躍した俊足巧打強肩好守の外野手。優れた身体能力と、走攻守すべてに高い技術を備え、秋山幸二選手とともに「メジャーに最も近い選手」と呼ばれた万能型の名選手である。

キング・オブ・レジェンド
巨人一筋の22年間(1959~1980)、常に中心選手であり続けたプロ野球史上最強のバッター。美しい一本足打法で積み上げた868本塁打をはじめ、不倒不滅のNPB記録を数多く保持する、言わずと知れた世界のホームラン王である。

 

ミスター・プロ野球
17年間(1958~1974)、ジャイアンツ一筋で活躍した国民的スーパースターであり、唯一無二の野球人。4番サードを定位置に、数々の記録と記憶をファンの心に刻み続けた、野球史に残る偉大な背番号3である。

 

怪童と呼ばれた最強打者
1952年から18年間、西鉄ライオンズで活躍し、多くの伝説を残した強打者。入団1年目で新人王獲得、2年目でトリプルスリーを達成したほか、7年目までに首位打者2回、本塁打王5回、打点王3回のタイトルを獲得した、まさしく怪童である。

 

横浜史上最強助っ人
1993~2000年にかけ、ベイスターズで活躍した球団史上最強の助っ人。8年間ほぼフル出場を果たし、通算打率.325という高打率をマーク。チャンスに強く、数々のタイトルも獲得した。巧打攻守の名内野手である。

 

芸術的バットコントロール
1977~1994年までの18シーズン、ジャイアンツの中心選手として活躍した稀代のアベレージヒッター。打球を自在にコントロールするシュアなバッティングと堅守で、チームの一時代を支えた名二塁手である。

 

華麗なコンタクトヒッター
19年間(1966~1984)、タイガース一筋で活躍した巧打堅守の内野手。208打席連続無三振という当時の日本記録を樹立するなど、天才的なバットコントロールを誇り、華麗な打撃フォームでヒットを量産した、球界屈指の打撃職人である。


今牛若丸
1953~1969年にかけてタイガースのショートを守り続けた守備の達人。軽やかで華麗な堅守と、三振が極端に少ない粘りのバッティング、盗塁王も獲得した俊足でファンを魅了し、現在でも球界最高の遊撃手にその名が挙がる名選手である。

 

史上最高の二塁手
21年間(1960~1980)、ドラゴンズ一筋で活躍した、2代目「ミスタードラゴンズ」。その俊足巧打もさることながら、巧みなポジショニングと華麗なバックトスによる強固な守備力で、史上最高の二塁手との呼び声も高い名選手である。

 

ミスターツーベース
22年間(1988~2009)、ドラゴンズ一筋で活躍した3代目「ミスタードラゴンズ」。俊足巧打堅守にユーティリティ性と勝負強さ、人気まで併せ持ち、通算487二塁打の日本記録も打ち立てた、完全型の名内野手である。

 

ダンディなチームリーダー
1970~1986年まで、ドラゴンズ一筋で活躍した中距離ヒッター。選手生命が危ぶまれるほどのアキレス腱痛から奇跡の復活を果たし、長年、主軸打者としてチームを牽引。2000本安打と3割を超える生涯通算打率を残した不屈の名選手である。

 

無冠の強打者
1962~1981年にかけ、主にホエールズ(現ベイスターズ)で活躍したスラッガー。好成績を残しながら打撃三冠などのタイトルと無縁だった無冠の帝王ながら、タコ足キャッチと呼ばれる開脚捕球でも名を馳せる、堅守強打の名内野手である。

 

赤ヘル機動力野球の申し子
1976~1992年にかけて、主に広島で活躍した俊足スイッチヒッター。並外れた猛特訓で会得した両打ちで33試合連続安打の日本記録を打ち立てるなど、長年、切り込み隊長としてチームを牽引。理想の一番打者と呼ばれた名選手である。

 

鉄人
カープ一筋23年(1965~1987)のフランチャイズプレイヤーにして、連続試合出場の世界記録(当時)を樹立した不屈の鉄人フルスイングから生まれる長打力に加え、俊足堅守を兼ね備えた、球史に名を刻む名内野手である。

 

 赤ヘルの核弾頭
1989~2005年にかけてカープで活躍した俊足巧打のリードオフマン。卓越したミートセンスと走塁技術に加え、地道なトレーニングで身に着けたパワーを併せ持つ、チームメイトからの信頼も厚い名プレイヤーである。

 

史上最高のスイッチヒッター
1981~1997年にかけ、主にブレーブス/ブルーウェーブで活躍した名三塁手。類まれな野球センスと俊足に加えて長打力まで兼ね備え、2回のサイクルヒットや、6回の両打席本塁打など、印象的な記録をいくつも打ち立てた偉大な選手である。

 

豪打の快男児
1965~1983年にかけ、フライヤーズ/ファイターズとスワローズで活躍した豪快スラッガー。入団テストでプロ入り後、長打力を武器に球界屈指の大打者にまで這い上がった苦労人であり、多くのファンに愛されたスター選手である。

 

ミスター・ロッテ
1969~1986年にかけてオリオンズ(現マリーンズ)で活躍し、監督時代を含めて21年間、球団一筋を貫いた「ミスター・ロッテ」。走攻守すべてに優れ、高い身体能力を生かしたダイナミックなプレーでファンを沸かせた名選手である。

 

いてまえ打線の起爆剤
1981~1997年にかけ、近鉄バファローズ一筋で活躍した俊足強打好守の名二塁手。福本豊選手の14年連続盗塁王を阻止するなど、驚異の俊足を武器に、強力いてまえ打線のリードオフマンとして名を馳せたスピードスターである。

 

熱血漢の大砲
1971~1994年にかけ、主にドラゴンズで活躍した熱血スラッガー。掬い上げるような豪快な打撃で本塁打を量産した強打者であり、シーズン代打本塁打7本の日本記録が示す通り、類まれな勝負強さを誇るクラッチヒッターである。

 

 

一瞬に生きるミスターホークス
1994~2012年にかけ、主にホークスで活躍した稀代のスラッガー。一本足打法から放たれる滞空時間の長い美しいホームランが魅力の強打者であり、抜群のリーダーシップを備えた、球界屈指の"キャプテン"である。

 

 

 飽くなき大砲
1992~2014年にかけ、近鉄バファローズをはじめ、MLB含めて6球団で活躍した堅守豪打のスラッガー。通算2000本安打と400本塁打をクリアしてなお、生涯現役にこだわり続け、常に進化を求め続ける誇り高き名選手である。

 

熱いハートのライオン丸
1972~1980年にかけてホエールズ(現ベイスターズ)、ジャイアンツで活躍した強打好守強肩の助っ人内野手。毎年3割30本近くをマークする安定した打撃力に華麗な守備、その独特の風貌や言動は、未だファンの記憶に色濃く残っている。

 

永遠の若大将
1981~1995年にかけてジャイアンツで活躍したスラッガー。抜群の長打力と勝負強さで長年チームの主軸を担い、爽やかな風貌と人当たりの良さでファンから絶大な人気を集めた、永遠のスター選手である。

 

巧打堅守のスーパーカー
1981年から13年間、ホエールズ/ベイスターズで活躍した俊足巧打の名内野手スーパーカートリオの一番手として、史上屈指の超機動力野球を牽引したスピードスターである。

 

練習の鬼
1985~1998年の14年間、広島で活躍した名二塁手。猛練習と努力で、プロ入り後に両打ちを会得し、スイッチヒッターでは史上初めて首位打者タイトルを獲得。走攻守で広島機動力野球の要であり続け、その後の礎ともなった選手である。

 

ミスターレオ
1981~1996年にかけ、主にライオンズで活躍した堅守強打の内野手。走攻守に優れ、どんな戦術や役目もこなすオールラウンダーであり、抜群のリーダーシップでもって常勝チームの黄金時代を支えた名プレイヤーである。

 

勝負強き満塁男
1983~2000年にかけて、ジャイアンツ、ベイスターズで活躍した大型内野手。史上初となる初打席満塁弾を放って以来、満塁打席で無類の勝負強さを見せる生粋の満塁男であり、明るいキャラクターでファン人気も高いスター選手である。

 

絶好調
1977~1989年にかけ、ジャイアンツ一筋で活躍したムードメーカー。巧打と堅守で長年チームの中軸を担い、どんな時でも「絶好調!」と答える明るい人柄で多くのファンを魅了したスター選手である。

 

猛虎打線最高の5番打者
1980~1995年にかけて主にタイガースで活躍、球団史上最強と謳われた猛虎打線のクリーンナップを担い続けた右の長距離砲。伝説のバックスクリーン3連弾目を狙って打つなど、高度な打撃理論と勝負強さを併せ持つ選手である。

 

稀有な強打の遊撃手
1977~1994年にかけて、主にドラゴンズで活躍した強打強肩の遊撃手。2リーグ制以降では唯一となる、遊撃手での本塁打王獲得など、攻走守すべてでスケールの大きなプレーを見せ、多くのファンに愛された選手である。

 

晩成型フィジカルモンスター
25年(1989~2013年)の長きにわたり、主にドラゴンズ、ゴールデンイーグルスで活躍した豪打の内野手。入団10年目に本格化して以降、その長打力は衰えることなく発揮され続け、39歳にして本塁打王を獲得した型破りな大砲である。

 

俊足巧打のゴリさん
1968~1982年にかけ、ホエールズ(現ベイスターズ)で活躍したリードオフマン。相手の"中塚シフト"にも構わず、徹底した流し打ちと俊足でチャンスメイクに徹する献身的プレーと軽妙な話術で、長年ファンに親しまれた名選手である。

 

優勝を招く主砲
1985~2003年にかけて主にスワローズで活躍した天性のスラッガーにして、所属した3球団全てで4番打者とリーグ優勝を経験し、サイクルヒットも達成した"持ってる"主砲。

 

逃がさないスラッガー
1973~1988年にかけ、ファイターズほか3球団で活躍した豪打の内野手。敬遠球を大根切りでスタンドに叩き込むなど、ここ一番の集中力で、チャンスに滅法強い打撃を見せる名スラッガーである。

 

センス輝くいぶし銀
1965~1984年にかけ、主にオリオンズで活躍した不動の二塁手。堅実な守備と、どんな状況や戦術にも対応する抜群の野球センスで、攻守にわたり長らくチームの要をつとめた名選手である。

 

妙技「ウッドペッカー
1967~1984年にかけ、ライオンズ、ホエールズで活躍した名二塁手。独特のトス技術"ウッドペッカー"に象徴される卓越した守備能力に加え、勝負強いバッティングと走塁技術を併せ持つ、優れたトータルプレイヤーである。

 

キケンなスラッガー
1989~2007年にかけ、主にライオンズで活躍した強打の内野手。非凡な打撃センスと優れた選球眼、長打力と勝負強さを併せ持った主砲として、世代交代を果たしたばかりの新生チームを優勝に導いた天才スラッガーである。

 

球団最高の安打製造機
1954~1969年にかけ、主に近鉄(パールス/バファロー/バファローズ)で活躍した巧打の名内野手。高校を中退してプロ入りし、2年目でレギュラーを獲得すると、瞬く間に全国区のスター選手となった天才打者である。


奇跡の走塁
14年間(1965~1978)、ジャイアンツ一筋で活躍した、V9時代不動の二塁手。チームバッティングと堅守、1969年の日本シリーズで見せた奇跡の本塁突入に代表される抜群の走塁技術で、長年チームを支え続けた名選手である。

 

反骨の野武士
1953~1969年にかけ主にライオンズ(~1962)で活躍した俊足強打の遊撃手。守備力と小技優先がセオリーだった2番打者像を覆し、豪快な打撃で西鉄黄金時代を支えた、史上屈指の攻撃型ショートである。

 

世界一のバント技術を持つ守備職人
スワローズ一筋19年(1995~2013)、巧打堅守の名内野手。ひたむきな努力で身に着けた世界最高のバント技術と、史上屈指の守備力、野球に対する真摯な姿勢で長年チームを引っ張ってきた、偉大なキャプテンである。

 

有言実行の理論派
1996~2009年にかけて、主にジャイアンツで活躍した俊足強打の切り込み隊長。入団前年に引退した原辰徳選手から8番を受け継ぎ、期待に応えて見事に新人王を獲得するなど、有言実行を体現してきた選手である。

 

ミスター・マリーンズ
17年間(1989~2005)、オリオンズ/マリーンズ一筋で活躍した強打の内野手。"幕張のファンタジスタ"、"初芝神"の異名を取るキャラクター性と勝負強さでファンを魅了し続けた人気選手である。


 相手惑わすクセ者
14年間(1992~2005)、ジャイアンツ一筋で活躍した内野手。類まれな野球センスと、どこでも守れるユーティリティ性で長年チームを下支え、そのユニークなキャラクターでファンに愛された、記憶に残る名選手である。

 

恐怖のポイントゲッター
1982~1996年にかけてジャイアンツで活躍した好守の内野手。内野であればどこでもこなすユーティリティ性と堅実な守備、チャンスに強いバッティングがウリの名選手である。

 

球場を沸かせる代打の神様
18年間(1987~2004)、タイガース一筋で活躍した右の長距離砲。キャリア後半はここ一番という場面での代打起用が増え、いつしか"代打の神様"と呼ばれるようになった、勝負強さとユーティリティ性が魅力の名選手である。

 

美しいフォームの仕事人
1979~1997年にかけてドラゴンズで活躍した強打の内外野手。代打本塁打16本という記録が示す高い打撃力と勝負強さで、主に左の代打の切り札として勝利に寄与してきた、美しいフォームが印象的な名選手である。

 

いつも笑顔の守備職人
14年間(1974~1987)、ホエールズで活躍した守備の名手。遊撃手連続守備機会無失策記録(当時)樹立、8年連続のダイヤモンドグラブ賞受賞など華麗な守備を誇り、明るいキャラクターでファンから絶大な人気を集めた名選手である。

 

 耐えて勝つ静かな熱血漢
1958~1971年にかけて、主にカープで活躍した俊足の内野手。引退後は指導者、監督として広島の黄金期を築き、球団史上初のリーグ優勝、日本一に導いた名将としても有名である。

 

勝利に導く哲学者
19年間(1987~2006)、スワローズ一筋で活躍した、いぶし銀のユーティリティプレイヤー。玄人好みの粘り強いバッティングに代表される堅実で献身的なプレースタイルで、攻守両面にわたりチームを支え続けてきた名選手である。

 

全力疾走!
ホークスで15年間(1975~1989)活躍した巧打の内野手。兄はジャイアンツで活躍した正和選手で、兄弟揃って1000本安打を達成したのは日本人野手ではこの兄弟のみ。攻守交代時の全力疾走も印象的な名選手である。

 

つちのこバットの先駆者
1969~1982年にかけてホークスで活躍した俊足巧打の内野手。野村克也選手兼任監督(当時)の教えで「つちのこバット」と自慢の足を生かしたゴロヒッティングに徹し、打撃開眼。他の俊足選手たちにも大きな影響を与えた名選手である。

 

豪打のいてまえ大将
1982~1999年にかけて、主に近鉄バファローズで活躍した豪打の三塁手。持ち前の強打と非凡な打撃センスで"いてまえ打線"の中軸を担い、豪快奔放、明るいキャラクターで人気を集めた名選手である。

 

不屈のユーティリティプレーヤー
現役17年(1984~2001)のうち、16年を近鉄バファローズで過ごした強打強肩の内外野手。入団後すぐに投手からショートに、その後も外野手内野手と度々コンバートされたが、そのすべてのポジションで結果を残した勝負強い選手である。

 

名将の秘蔵っ子
1973~1989年にかけて近鉄バファローズ一筋で活躍したフランチャイズプレイヤー。入団2年目に三塁手のレギュラーを獲得し、抜群のパンチ力で永くチームの主軸として活躍した強打の名内野手である。

 

赤い核弾頭
1962~1981年にかけ、ジャイアンツのリードオフマンとして活躍した俊足スイッチヒッター。6度の盗塁王獲得、セ・リーグ記録の通算579盗塁など、足でV9を牽引した、赤い手袋がトレードマークのスピードスターである。

 

V9の頭脳
20年間(1955~1974)、ジャイアンツ一筋で活躍した鉄壁の頭脳派捕手。驚異的な記憶力と研究に裏打ちされた球界随一のリードと、優れた捕球技術を備え、永きにわたり扇の要としてチームの黄金期を支え続けた名捕手である。

 

 孤高のヒットメーカー
1996年から13年間、ジャイアンツで活躍した強打のヒットメーカー。1年目から外野のレギュラーに定着し、安定した打撃力と俊足を武器に仁志選手と超攻撃的1・2番コンビを組むなど、数々のチャンスを演出した切り込み隊長である。

 

長打を刈り取る壁際の魔術師
1968~1980年にかけ、ジャイアンツ一筋で活躍した俊足強打堅守の内外野手。広い守備範囲、抜群のクッションボール処理と素早い送球で、数々の長打を単打に変えてきた、史上屈指の名左翼手である。

 

 不屈の天才打者
1982~1998年にかけてジャイアンツで活躍した左の強打者。チームの主軸として打棒を振るっていた最中、試合中の不運で交通事故レベルの怪我を負うも、不屈の闘志で復帰。その後もチームに貢献し続けた天才スラッガーである。

 

 意外性の男
13年間(1978~1990)、ジャイアンツ一筋で活躍した強打堅守のキャッチャー。投手の良さを引き出す柔軟なリードと、まさかの場面で放つ一発長打で名を馳せた、'80年代を代表する名捕手である。

 

 青い稲妻
ジャイアンツで10シーズン(1977~1987)活躍した両打ちの快足リードオフマン。トレードマークである青い手袋をはめ、塁間を稲妻のように駆け抜けて積み上げたシーズン76盗塁は、今もセ・リーグ記録である(2016年現在)。

 

天性のホームランアーチスト
1969~1984年にかけ、タイガース、ライオンズで活躍した強打の捕手。虹のように美しい本塁打を放つ天性のホームランバッターでありながら、高い捕手能力まで備え、ファンからの人気も絶大な、球史に残る天才打者である。

 

 球界の赤い彗星
2001~2009年にタイガースで活躍した球界屈指のスピードスター。新人王や5年連続の盗塁王など、いくつもの栄冠を手にし、9年間の現役生活を、彗星の如く強烈な印象を残して駆け抜けていった選手である。

 

史上最強の一番打者
1973年プロ入り、1979年にタイガースへ移籍すると、以後17年にわたり虎の核弾頭として活躍した俊足好打、強打堅守のユーティリティプレーヤー。史上最強の一番打者として福本豊選手と並び称される名選手である。

 

恐怖のバイプレイヤー
タイガースで14年間(1983~1996)活躍したキャッチャー。巧みなリードと強肩、持ち前のキャプテンシーで長年投手陣を引っ張り、球団初の日本一にも大きく貢献した名捕手である。


ファンに愛された浪花の代打職人
タイガース一筋19年(1968~1986)、ファンに深く愛され続けた名プレイヤー。アキレス腱断裂の大怪我に見舞われるも、強烈なプロ魂でもって長きにわたり代打の切り札として活躍した、球史に残る不屈の代打職人である。

 

 物静かな勝負師
1974~1989年の16年間、タイガース一筋で活躍した中距離打者。全球場のフェンスにラバーを張るきっかけとなった激突事故の際もボールを離さず、頭蓋骨陥没からの復帰戦では本塁打を放つなど、恐るべき精神力を持った名選手である。

 

継続する力が生んだ"代打の神様"
タイガース一筋22年(1992~2013)、ファンに愛された強打の外野手。誰よりも多い練習量で長くチームの主軸として活躍し、レギュラーを離れたキャリア後半は、"代打の神様"として勝利に貢献し続けた。

 

泥まみれのファイター
1959~1976年にかけて、主にドラゴンズで活躍した強打強肩のスラッガー。長打と巧打を併せ持ち、豪快なスイングや果敢なヘッドスライディングなど、闘志溢れる全力プレーで"闘将"と呼ばれた名選手である。

 

マサカリパンチ
1964~1982年の19年間、ドラゴンズのホームを守り続けた強打の捕手。高い捕手能力に加え、独自のトレーニングと研究で編み出したマサカリ打法でクリーンナップとしても活躍。長年、攻守両面の要としてチームを支えた名捕手である。

 

頭脳派野球人
ドラゴンズで18年間(1955~1972)中堅レギュラーの座を守った俊足巧打の外野手。打撃では"ちょうちん打法"や卓越したバント技術を生かして高打率を残し、守っては広大な守備範囲で多くの長打をアウトカウントに変えた名選手である。

 

甘いマスクのヒットメーカー
1976~1991年にかけ、ドラゴンズほか3球団で活躍した安打製造機。構えの際にバットをくるりと回す円月打法から広角に打球を打ち分けてヒットを量産、甘いマスクと華麗なプレーでファンを虜にした生粋のスター選手である。

 

抜群のインサイドワーク
1987~2005年にかけ、主にドラゴンズで活躍した強肩捕手投手を立てる好リードと高い盗塁阻止率、体を張った捕球やブロックで、投手陣から絶大な信頼を得た、球団屈指の名捕手である。


強打の竜頭
1985~1998年にかけてドラゴンズで活躍した、強打強肩外野手。入団後に投手から外野手に転向し、5年目でレギュラーに定着。長打力のある1番打者としてリーグ優勝にも貢献した、チーム史上屈指の核弾頭である。

 

 電光石火のスナイパー
1981~1996年にかけ、ドラゴンズ、ライオンズほか全3球団で活躍した強肩好守の外野手。球界屈指の守備力と送球技術を誇り、通算451犠打を記録したバント技術と高い走塁能力を持つ、走攻守3拍子そろった名選手である。

 

 最強の司令塔
1989~2015年まで、27年もの長きにわたりホエールズ/ベイスターズ、ドラゴンズの扇の要として活躍し、3021試合出場の日本記録を打ち立てた鉄人捕手。攻撃的なリードと強肩、巧打と強打で投手陣を支え続けた名キャッチャーである。

 

勝負強きハマのスラッガー
1991~2008年にかけ、横浜一筋で活躍した左のスラッガー。2年連続の首位打者に輝くなど、卓越したバットコントロールと抜群の勝負強さを持ち、永く横浜マシンガン打線の中心選手として活躍した名選手である。

 

和製ミッキー・マントル
1973~1987年にかけ、主にホエールズで活躍した俊足巧打のアベレージヒッター。力みのない独特の構えから、鋭いスイングで打球を飛ばす中距離打者で、堅実な守備も魅力の名外野手である。

 

足のスペシャリスト
1978~1995年にかけ、主にホエールズ/ベイスターズで活躍した俊足好守の外野手。1985年に結成された"スーパーカートリオ"の一角となり、3年連続の盗塁王を取るなど、走塁と守備でファンを魅了した足のスペシャリストである。

 

巧打のパフォーマー
1993~2011年にかけ、主にベイスターズで活躍した左の巧打者。シュアなバッティングと勝負強さでチームを牽引する傍ら、そのキャラクター性とパフォーマンスでファンを熱狂させた稀代のムードメーカーである。

 

ミスター赤ヘル
18年間(1969~1986)、カープ一筋で活躍したプロ野球史上最高の5ツールプレイヤー。
30歳を過ぎて長打に開眼、5年連続の40本塁打を記録したほか、ほとんどのタイトルをキャリア後半に獲得した大器晩成の大砲である。

 

孤高の天才打者
1990~2013年にかけ、22シーズンをカープ一筋で過ごした、美しいフォームと類まれな打撃センスを持つ天才打者。アキレス腱断裂という大怪我に屈することなく、ひたすらに理想の打撃を追い求めた、不屈の求道者である。

 

 心堅石穿の復活劇
1978~1993年の15シーズン、カープで活躍した赤ヘル野球の申し子。選手生命さえ危ぶまれる右膝の大怪我を乗り越え、復活後に6年連続フル出場や200個以上の盗塁を重ねた、不撓不屈のリードオフマンである。

 

 豪打のポイントゲッター
1966~1985年にかけ、主にカープで活躍したスラッガー。類まれな勝負勘で球種を読み切り、一打必殺の豪快なスイングで打点を量産する、無類の勝負強さを誇ったポイントゲッターである。

 

 強打の鯉女房
1989年~2005年にかけ、主にカープで活躍した巧打の捕手。規定打席に到達して打率3割を達成した球団史上唯一の捕手であり、キャッチング技術と正確なスローイングにも定評がある名キャッチャーである。

 

もっとも信頼できる捕手
2000~2014年の15シーズン、マリーンズ一筋で活躍した強肩捕手。強気のリードと高い盗塁阻止率、1018試合でわずか19捕逸という最高の捕球技術を誇る、投手陣の信頼厚い屈指の名捕手である。

 

世界の盗塁王
ブレーブスで20年間(1968~1988)、不動のリードオフマンとして活躍した超足巧打の外野手
日本記録であるシーズン106盗塁、通算1065盗塁、115三塁打など、足にまつわる数々の記録を持つ、伝説の韋駄天選手である。

 

 ミスターブレーブス
1966~1979年までの14年間、ブレーブス一筋で活躍した強打の外野手。苦手だった内角攻めを青田昇コーチとの猛練習で克服、絶品と言われるほどの内角捌きに昇華させて、長きに渡りチームの4番を担った名選手である。

 

球界屈指のオールラウンダー
1976~1990年にかけ、主にブレーブスで活躍した巧打堅守の名外野手。1983年には、中西太選手以来30年ぶりとなるトリプルスリーを達成するなど、走攻守すべてを高レベルで兼ね備えた5ツールプレイヤーである。

 

内角打ちのスペシャリスト
1981~1996年にかけ、主にブレーブス/ブルーウェーブで活躍したスラッガー。膝の故障を抱えながらも、類稀な打撃センスと長打力でもって、超重量級ブルーサンダー打線の中軸を担った打撃職人である。

 

華麗な流し打ち
1997~2015年にかけ、主にブルーウェーブ/バファローズで活躍した俊足巧打好守の外野手巧みなバットコントロールと、球界でも屈指と言われた流し打ちで、安定してハイアベレージをマークする名選手である。

 

不惑の大砲
1970~1992年にかけ、主にホークスで活躍したスラッガー。全打席本塁打狙いのフルスイングで40歳を過ぎてからもホームランを量産し、歴代3位の通算本塁打と打点を積み重ねた、史上屈指のパワーヒッターである。

 

 

・松井秀喜

 

通算 2643安打 .293 507本 1649点 59盗

 

紳士なゴジラ
1993年から10年間ジャイアンツで活躍し、その後MLBでも結果を残した規格外のスラッガー。驚異的なスイングスピードから生み出される強打と巧打、圧倒的な勝負強さで、ファンの心に強烈な印象を刻んだレジェンドプレイヤーである。

 

 

・和田豊

 

通算 1739安打 .291 29本 403点 94盗

 

 流し打ちの達人
1985~2001年までの現役生活に加え、コーチ・監督時代を合わせると31シーズンをタイガースで過ごしたフランチャイズプレイヤー。堅実な守備と確実なバント技術、芸術的な流し打ちが光る安打製造機として長年活躍した名内野手である。

 

 

・平井正史

 

通算 569登板 防御率3.31 63勝43敗 84H 41S

 

不屈のパワーピッチング
1994~2014年にかけ、ブルーウェーブ/バファローズ、ドラゴンズで活躍した剛腕投手。最速157km/hをマークした豪速球と、切れ味鋭いフォークが武器のパワーピッチャーである。

 

 

・島田直也

 

通算 419登板 防御率3.69 39勝 38敗 9H

 

スクランブルセットアッパー
1988~2003年にかけ、主にホエールズ/ベイスターズ、スワローズで活躍したリリーバー。切れ味鋭いスライダーと、わずか数球で肩を作るというタフネスさで、2球団の日本一に貢献した名投手である。

 

 

・小早川毅彦

 

通算 1093安打 .273 171本 626点 34盗

 

記憶に残る天才スラッガー
1984~1999年にかけ、主にカープで活躍した強打の内野手。ポスト山本浩二選手と期待され、ルーキーイヤーからクリーンナップを任されると、見事に新人王を獲得。チャンスに強い赤ヘルの若大将としてチームに貢献した天才打者である。

 

 

・角富士夫

 

通算 1196安打 .262 128本 489点 19盗

 

マウンドからホットコーナーへ
プロ入り後、投手から内野手に転向。1976年に一軍デビューし、以後19年間、スワローズでホットコーナーを守り続けた堅守を誇る内野手パンチ力があり、小技もできる選手として、攻守両面で長らくチームを支えた。

 

 

・袴田英利

 

通算 519安打 .231 38本 231点 9盗

 

恐れを知らぬ司令塔
堅実なリードとファイト溢れるプレーで、13年間(1978~1990)、オリオンズ(現マリーンズ)の投手陣を支えた不動の正妻。エース村田兆治投手の球をノーサインで受けていたことで有名な、度胸満点の名捕手である。

パワプロ1997開幕版より

ポジション 捕・(一)

右投左打のスタンダード

(本来) (現在の表示に変換)
ミート 4 D 55
パワー C 107 C 69
走力 C 11 C 67
肩力 C 11 C 67
守備力 D 9 D 57
捕球 6 E 43

主な特能
対左✕

ヒント
持ち味の打撃を生かすため、捕手としてのこだわりを捨て一塁手として1年間出場。.295 7本 64点 24盗の成績を残し、一塁のゴールデングラブ賞を受賞し、松井稼頭央、鈴木健らと共にチームを日本シリーズへ導いた。

序盤は阪神が首位を走るも、松井秀喜・上原浩治など、投手野手ともにタレント揃いであった巨人が巻き返し、最終的には2位に11ゲーム差をつけての優勝となった。また長らく低迷していた阪神が復調の兆しを見せ、代わりに横浜が徐々に勢いを失っていくという勢力の転換期でもあった。規定打席に到達した30人の名前を見ると、27歳~33歳の選手が21人とこの時期に盛りを迎えていた選手が多く、90年代~00年代を彩ったビッグネーム達がズラリと名を連ねている。

 

30位 谷繫元信 .215 24本 78点 4盗

24本塁打、78打点はキャリアハイ。前年FAでメジャー移籍を試みるも叶わず、中日に移籍。このシーズン以降、14年間を中日で過ごすことになる。またこのシーズンに記録した、捕手として参加した併殺数25はNPB記録である。

 

 

 

29位 片岡篤史 .228 12本 46点 2盗

星野仙一監督の強い勧誘を受け、FAで阪神入団も打撃は振るわず。FA加入年で存在感を示せなかった為、翌年以降続々と台頭する若手に押されていった。その為規定到達はこの年以降ない。

 

 

 

28位 木村拓也 .238 5本 27点 6盗

前年三振が129個と1番打者としては致命的な数字であった為、確実性を重視したスタイルに切り替えるも、今度は打率を大幅に下げてしまった。ポシションは固定されなかったが、持ち前のユーティリティ性と守備走塁の良さを生かしレギュラーの座は死守。

 

 

 

27位 東出輝裕 .239 1本 17点 12盗

OPS.552という数字から分かるように単打&単打で戦うプレースタイルは生涯変わらなかった。まだ高卒4年目であった為、所属球団広島の将来を担う存在として期待されたが、翌年以降やや伸び悩む。

 

 

 

26位 江藤智 .242 18本 56点 5盗

巨人での3年目。前年までは2年連続で30本クリアと役割を果たしていたがこの年はやや不振。レギュラーの座を手放してしまい、この時期の巨人のスラッガー乱獲もあり、翌年以降徐々に出場機会を失っていく。

 

 

 

25位 種田仁 .252 5本 29点 5盗

中日時代に長年燻るも、横浜移籍後は立ち位置を上げ、実に9年ぶりの規定到達となった。ユーティリティ面もあり、以降も横浜に欠かせない選手として重宝された。代名詞のガニ股打法はこの年も健在。

 

 

 

24位 J.アリアス .258 32本 82点 3盗

前所属のオリックスと契約更改で揉め、阪神に移籍。打率は例年あまり良くないが、類稀な長打力は移籍後も変わらず、リーグ3位の32HRを記録した。翌年の阪神優勝メンバーの一人でもある。

 

 

 

23位 荒木雅博 .259 2本 18点 16盗

前年までは外野手としての出場もあったが、この年は二塁手としてレギュラーを掴み初の規定到達。この選手が二塁に定着したことにより、遊撃の井端弘和との「アライバコンビ」が結成され、以後野球界を席巻する二遊間として活躍することになる。

 

 

 

22位 B.ロドリゲス .262 18本 60点 10盗

この年横浜に助っ人として入団。サイクルヒットを記録するなど一定の成績を収めるも、36歳の高齢がネックで1年で退団となった。ファーストネームは「ボイ」。

 

 

 

21位 稲葉篤紀 .266 10本 39点 3盗

前年.311 25本 90点の活躍から一転、この年は不振。ヤクルト時代はシーズン毎に浮き沈みが激しく、これがいまいち評価を上げられない要因の1つにもなっていた。

 

 

 

20位 金本知憲 .274 29本 84点 8盗

打率や出塁率は前年から大幅に落としてしまうが、それでも及第点といえる成績を残し、前年に引き続き全試合に4番でフル出場と、チームに貢献した。オフにFAで阪神移籍。

 

 

 

19位 石井琢朗 .274 8本 49点 19盗

過去盗塁王を4回獲得したが、この年は19盗塁で11盗塁死と走塁の面で課題を残した。打撃や守備面での問題は特にはなく、この年も横浜の絶対的ショートとして君臨。

 

 

 

18位 二岡智宏 .281 24本 67点 3盗

当初2番を務めていた仁志敏久が不振に陥り、代役として2番打者に定着。巨人の遊撃手では初となる20本越えを記録した。またポストシーズンでも日本シリーズMVPに輝くなど、充実したシーズンとなった。

 

 

 

17位 新井貴浩 .287 28本 75点 1盗

大卒4年目で初の規定打席到達。28本をマークし、これからの広島を担う大砲として期待されたが、翌年からはこちらも東出と同様に伸び悩んでしまう。

 

 

 

16位 井端弘和 .290 4本 25点 6盗

確実且つ嫌らしさを兼ね備えた打撃と安定感のある守備で、一気にリーグトップクラスのショートへ成長。二岡智宏や石井琢朗を差し置いて、同年自身初のベストナインを受賞した。

 

 

 

15位 宮本慎也 .291 5本 25点 6盗

32歳となり中堅からベテランになっていくという時期でも成績を落とさず、通算5回目のGG賞、リーグ最多の40犠打を記録するなど、この年も自身の役割を全うし、球界屈指のショートストップとしての面目を保った。

 

 

 

14位 桧山進次郎 .293 13本 61点 7盗

この頃には中距離打者としてのプレースタイルを確立。5年前の三振数が150から69に大幅に改善されており、既に以前のような低打率20本機のようなものではなくなっていた。既に30代に入っており、自分の適性を見つけるのにかなり時間がかかった選手。

 

 

 

13位 A.ラミレス .295 24本 92点 0盗

来日2年目も好成績をマークし、順調に日本に順応していたが、この頃は同じ球団に当時NPB三本の指に入る打者ペタジーニがいた為、どうしてもペタジーニの陰に隠れてしまいがちという時期であった。

 

 

 

12位 阿部慎之助 .298 18本 73点 4盗

長嶋政権最後の逸材がここで開花。捕手ながら打撃で非常に優秀な成績を残し、自身初のベストナインを受賞した。以降歴代の巨人軍最強捕手として長きに渡り君臨することになる。

 

 

 

11位 古田敦也 .300 9本 60点 3盗

既に37歳とベテランの域に達していたがまだまだ打棒は衰えておらず、通算6回目の3割越えをマーク。打者であれば誰もが憧れる、そして恩師野村克也以来の捕手としての通算2000安打がもう目前に迫っていた。

 

 

 

10位 緒方孝市 .300 25本 73点 4盗

34歳となる年齢や前年の大きな故障の影響か、流石に盗塁数は減ってきたが、打撃は相変わらず素晴らしいものであり、打撃が淡白

な選手が入りがちなセンターとして、十分すぎる好成績を残した。

 

 

 

9位 立浪和義 .302 16本 92点 4盗

80年代からずーーーっとレギュラーを張ってきたが、この年がキャリアハイ。通算2480安打ながら単年で頭抜けた成績を残しているわけではなく、安定した成績を長く積み重ねていくといういわば無事是名馬型の選手であった。

 

 

 

8位 高橋由伸 .306 17本 53点 1盗

卓越した打撃技術を持つ天才打者がここでランクイン。シーズン序盤は4割を超える活躍も徐々に失速。またダイビングキャッチによる怪我も発生してしまい、出場試合は105試合に留まっている。

 

 

 

7位 前田智徳 .308 20本 59点 0盗

左アキレス腱の状態が向上し、3年ぶりの規定打席到達。怪我に悩まされた選手の代表格として挙げられることが多いが、この年以降6年連続で規定打席に到達したことが、後の2000安打達成の要因の一つであっただろう。

 

 

 

6位 清水隆行 .308 14本 58点 12盗

この時代に全盛期を迎えていた、巨人を代表するヒットメーカー。この年記録した191安打は球団シーズン最多安打記録であり、この年に獲得したタイトル「最多安打」が自身唯一の打撃タイトルとなった。

 

 

 

5位 今岡誠 .317 15本 56点 0盗

この年セカンドのレギュラーを奪取。変態的な打撃技術を存分に生かし初の3割を記録、飛躍のシーズンとなった。このシーズンで自信を手にいれた虎の天才打者は、翌年から短い短い全盛期を迎える。

 

 

 

4位 岩村明憲 .320 23本 71点 5盗

伝統の背番号1を引き継いだ2年目、打率3割、20本越えは当時自己最高記録。初のベストナインを受賞。一気にスターダムに駆け上がったシーズンとなった。翌年は怪我で出場試合数を落としてしまう。

 

 

 

3位 R.ペタジーニ .322 41本 94点 0盗

当時のNPBを代表する強打者。当時のライバル松井秀喜とハイレベルなホームランダービーを繰り広げたが、最終的には惜しくも松井に敗れ無冠。オフに読売ジャイアンツに移籍している。

 

 

 

2位 松井秀喜 .334 50107点 3盗

人気・実力を備えた当時NPBのNO.1選手。ペタジーニとの本塁打王・打点王争いに勝ち、平成初の三冠王が期待されたが打率1位の選手とのデッドヒートの末敗れた。オフに満を持してニューヨーク・ヤンキースに移籍。

 

 

 

1位 福留孝介 .343 19本 65点 4盗

松井秀喜との争いを制し自身初の打撃タイトルとなる首位打者を獲得。前年までは本調子とはいっていなかったが、ここで一気に才能の片鱗を見せつけた。以降ドラゴンズの中心選手として活躍していく。

 

 

 

 

以上、30名