Study Hard -384ページ目

出発式の魔

 今日は出発式だった。学会の中枢信濃町に魔がいた。

 今日は池田先生腹心の副会長が来る予定が急遽変更になり、10年くらい上の東大の先輩が代わりに来ることになったそうだ。そこでこの大先輩様が学会員にあるまじきことを放言していた。そのまま状況を書いても意味が分からない方もおられると思うので、何があるまじきことだったのかを説明しよう。まずは以下が大まかなストーリーだ。細かい遣り取りやニュアンスは省略。

 ある所に、知識も碌にないくせに偉そうに批評を垂れる怪しからん小僧(文3か文学部)がおったそうな。その小僧に大先輩様は「浄土三部経」も読んでないくせになどと侃々諤々の言い合いを繰り広げていたということじゃった。そこに居合わせたご婦人が「素晴らしい知識であるので、是非学会で講義をしてほしい」とわざとらしく言い放ち、相手を黙らせてしまったということじゃ。

 こいつらは一体どれほど間違えたら気が済むのか。
 まず最初の間違いは「法華経でない経典」を持ち出したことだ。とは言え、日蓮上人でも破折の過程において法華経以外の経典を持ち出すことはある。但し、最後は「でも法華経最高、他は全部糞」で締めなければいけない。徒に知識をひけらかし、法華一乗(って日蓮上人は言ってないっけ、俺もだいぶ混乱して来た)の精神を忘れるとは何たる謗法。
 婦人部の糞アマの間違いは到底許されるものではない。学会活動はすべて折伏に繋がらねばならぬ、そして折伏とは創価学会に入会させることである。皮肉を言うのは結構、しかしそれが下種であればの話である。法華経の一言一句でも語り、その人に種を植えることが出来たならばいつかは華も咲くだろう。ところがかの阿婆擦れは、法華経を語らず学会を語らず、ただ嫌みを言って相手を辟易とさせこの機会をそれっきりにしてしまったのだ。
 まずは話をして、学会に来てもらって、出来れば入会してもらう。これがすべてだろう。そこを忘れて知識を弄んだり、嫌みを言ってみせたりするようでは学会員として恥ずかしい。このような人物たちはきちんと教学を学び、折伏されるべきである。
 最近の学会員には福子(生まれつきの学会員のこと)が多く、自分が何をしているのかがまったく分からないのだろう。福子の連中は徹底的に叩き直してやる必要がありそうだ。

 今までの学会知識を駆使すると、多分こんな感じになるはず。もっと詳しい方に採点して頂きたい。
 さらに付け加えると、この大先輩様は婦人部の馬鹿の言をして「本当の頭の良さってのはこういうもんだ」とか妄言を吐いていた。自分が依って立つべき場所も碌に見えていない連中が、詭弁を弄してその場限りの口論に打ち勝つことを賞賛する。しかも真っ向から論破するのではなく、嫌みを言って相手を黙らせるなんてのは下の下としか言いようが無い。
 あんなのが壇上に立てるんなら、俺なんか雲の上に立っとるわ。創価学会も随分気楽な商売だな。ま、そういう気楽な話ではどうにもならんのが祖母の宗教法人に来るという構図なだけか。で、祖母でもどうにもならないと一家心中と。

 思うに、創価学会が今日受けている悪評のかなりの部分は、この婦人部の連中が撒いたのではなかろうか。おばさん連中は宗教法人最大の「無能な働き者」なのかもしれない。個人的経験からも頷ける。
 上の例で言えば、大先輩様が与える悪評はせいぜい「鬱陶しい奴だ」とか「話にならん」とか「あいつは頭が固い・悪い」くらいのもので、逆にそういう評判を振りまいている本人がどうなのかというのを含めて周りが見れば、これというほどの問題にもならないだろう。本人も一過性の怒りは感じても、それ以上のことにはなりそうもない。ちゃんとお互いに対等な「言い合い」になってるし。一方で、婦人部の人が与える悪評はとにかく「不愉快」の類いで、相手に一抹のわだかまりを胸中に残すようなものだ。理屈ではなく単純に相手の感情を害するだけという煽りの基本的テクニックで、これをやられるとどうしようもない。
 大先輩様との思い出はあくまでも「◯◯という経典に関する知識」などの客観的な事由を媒介としたものであるのに対して、婦人部の人との思い出は「創価学会=不愉快」という単純明快なものになるだろう。
 他にも頭の悪い婦人部の連中の話は幾つか聞いているが、話し出すと切りがないので割愛。

 ところでこの「魔」というのは、わりと学会オリジナルの意味で使われているようだ。うまく説明出来ないが、折伏の過程で起こる様々なよろしくない出来事の総称のことだろうか。誹謗中傷から心の迷いまで色々含めた用語らしい。
 学会員は折伏せよ、非学会員は創価学会に入れ、というのが今の創価学会の主張のほとんどだと思う。そして折伏の過程で多くの誹謗中傷を受けるのは当然だし、そんなことで屈していては折伏など出来ないのも確かだし、そういう意味ではいかに折伏に励んだかをいかに「魔」に会ったかで計るのももっともな話だ。

 まあこれは私の個人的体験だが、一切空気を読まず軍事と宗教の話しか他人にして来なかった私には痛いほど良く分かる理屈だ。無視されるならまだ穏やかな方で、無理解、中傷、蔑視、怒り、嘲笑、誤解、偏見、妄想云々とでも言うしかない反応ばかりだった。池田先生は恐らく、戸田先生の下で一所懸命折伏に励んだ人なのだと思う。その中で色々あったんだろうなというのが言葉の端々から伝わって来る。
 ところで、これは幾ら言っても「宣伝広報」「布教活動」などに付随する事象に過ぎない。もっと大切な、何を伝えたいのかという部分とは直接関係はない。

 私がいつも言っているのはここだ。折伏に伴う誹謗中傷なんて全然恐ろしくない、今までの10年で常に晒されて来たものだ。しかもこっちは単身でやって来た(学会風に言えば、まさに広布の広野に一人立って来たわけだ)。しかし何を話せばいいのかが分からないから困る。一体創価学会は何を主張しているのか。どのような宗教的主張があるのか。
 福子には理解が出来ないのだろう。日蓮上人がああいう人だから仕方ないと言えばそうだが、創価学会が有り、それ以外はその他大勢だという考え方なら「何を」という質問の意味が分からないのも当然だ。「何って『これ』しかないだろ」という訳だ。
 一方こちらは、色々な宗教法人の中の一つとしての創価学会の主張を聞いている。特に創価学会に独自の解釈や主張、その他諸々について聞きたいのだ。他宗教宗派はおろか、自分の所さえ何を言いたいのか分からない学会員に聞くのは無茶というものなのだろうけれども。

 強く分かったことが一つある。
 反創価学会運動は軒並み的外れだということだ。あんなものは幾らやっても創価学会の宣伝になるばかりであり、それどころか「宗教法人と言えば創価学会」というあらぬ評価を付け加えてしまうことになっているようだ。
 宗教と宗教法人は別物だという話はともかくとして、「宗教と言えばキリスト教、イスラム、創価学会」みたいな感覚には恐れ入る。せめてシク教とかマニ教とかヒンズー教とか言えないんだろうか。近所のローカルスーパーマーケットが全世界に展開していると思うくらいの酷い妄想だよ。
 反創価勢力(自称)の皆さんは決してそんなつもりで言っているんじゃないんだろうが、まず創価学会に夢中になるという時点で大体同じ。それに気付かないくらい学会に夢中なんだろうけど、例えば創価学会の部分を妙智会に直して言ってみればすぐに分かることだろうと思うのだが。
 折伏批判や池田先生批判は事実の面から言っても的外れなことが多いし、幾らやっても創価学会自体への攻撃には大してなってないねえ。

 ま、ともかく「日本には現在、これという宗教法人がない」という関係各所の嘆きに応えるためにも、創価学会くらいでも宗教と言って差し替えのうごぜえますね、と当たり障りの無いことを言ってる訳にはいかんのですよ。
 ところで日本のカトリック教会には教会改革の波って届いてるの?

10月14日付今日の寸鉄

・寸鉄本文(聖教新聞H18.10.14)

名誉会長への「200」の栄誉
米国の一流芸術家が慶祝
演奏。師弟の栄光は燦然。

注釈:一流芸術家にスーパーアーチスト
     ◇
秋の列島、音楽隊・鼓笛
隊の熱演に大喝采!創価
勝利の妙音よ世界に響け

注釈1:創価勝利を〃で強調
注釈2:妙音にサウンド
     ◇
「善良と正義のないとこ
ろに偉大はない」文豪。
学会の同志こそ真の偉大

注釈1:善良、正義をともに◯で強調
注釈2:文豪にトルストイ
     ◇
”悪党”の陰には”悪妻”
あり。竹入の女房も学歴
詐称が発覚。デマ夫婦よ。

注釈:デマ夫婦を・で強調
     ◇
松は病気で枯れたまま。
杉は落雷で焦げたまま。
日顕・日如、立枯れ黒焦げ

・寸評
 一流芸術家=スーパーアーチスト、妙音=サウンドの言語センスに敬礼。批判記事も2本立てで大満足の今日の寸鉄。

観客も受閲艦隊の構成要素か

 観艦式の乗艦券を頂いて参った。
 艦は全員「たちかぜ」で、恐ろしいことに行機の約35名と一緒らしい。

 横流し対策で、「氏名」「職業」「年齢」「性別」の4項目を事前に自衛隊側に報告が必要。
 券には、氏名、年齢、性別、住所、電話番号の要記入項目。乗艦時に簡単な本人確認がある。

 横須賀:吉倉桟橋
 乗艦受付:22日0700-0810
 出航時刻:0840
 入港時刻:1610

 当日朝0600に954kHzで実行中止等を告知。
 身分証明書要持参。
 命令の絶対性

 参考:
 DD 168
 基準排水量3850t
 後部単装砲塔撤去後、司令部施設新設