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ErgoProxy

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日本を離れてもう一年半以上たった。親元を完全に離れてからはもう6年以上も経っている。


もう一度考える。どうしてこれほどまでに、強く親から逃げたかったのか。
そうだよ、いつだって親から、特に母親から逃げ出したかった。親にとって”都合の良い”子な私しか
受け入れてくれなかった母親から。


父親はほとんど私の中には居ない。物理的に一緒に過ごした時間も少なかったし、彼が私の目の前に現れる
時は、お金を与える時か理不尽な暴力で私を押さえつける時だけだった。血が流れようと、痣が出来ようと、
そんな事はおかまい無しに私を押さえつける。選択肢は親が選んだものだけ。私の意見や希望なんて
いつも無かった。だから私は基本的に優しい年上の男性に惹かれる。恋人として、という訳ではなく、いつも
望んでいた父親の影を探そうとして。


だから高校を出た後すぐに就職した。大学で専門的に学びたい事も無かったし、外国に住んでみたかったら
今の会社に就職して、東京にでた。今思えば、小さい頃から外国に住んでみたかったのは、親という支配者の
居ない世界で自由に生きていたい、という思いの現れだったのかも知れない。でも母親は私を簡単に自由には
してくれない。はっきりと言われた。私のことは人に話せない、学歴がなくて恥ずかしいから、と。


何がいけないのだろう。大学を出ていなくても、ちゃんと就職して、初動資金や転勤の時を除いて決して
親を頼った事はなかった。ちゃんと自分の力でお金を稼いで、自分で生活をしていた。今だってそうしている。
彼女はそんな私が気に入らないのだ。私を恨んでいる。自分の支配を逃れて、遠くに逃げて行った私を。


褒められたこともなかった。成績優秀で品行だって歳の割には落ち着いていたと思う。でも、私の両親に
とってそうあることは特別なことではなくて、至って当たり前のことだった。一言頑張ったね、や良かったね、
と言ってくれれば良かったのに、彼らにはそう言う言葉を探す気さえ無かった。いい成績を取って、彼らの
望む進学先、就職先に行って、彼らの気に入る様な男性と結婚する、そうすれば私の人生は何の間違いも
苦労も無く、彼らも満足してすべてが上手く行くと思っているから。でも、本当にそうなっていたら
私の人生はどこにあったのだろう?そんなのは私の人生じゃない。私は彼らのおもちゃではないのに。


鏡の中にいる自分に諭す様に、なんども繰り返す。大丈夫だよ、なんだかんだ行ってもまあまあ楽しく
毎日やってるじゃない。仕事だってそれなりにこなして、好きなものを買える経済力もあって、少なくはない
男の人を惹き付ける魅力も持ってる。自分のことを否定する要素なんて、私が思っているほどには
ないんだよって。そうだね、と応えるけれど、母親の声が遠くから必ず聞こえてくる。そんなことはない、
学歴もなく、言う事を聞かなかった私は無力で無能なんだと。愛される価値もない人間なんだと。
幸せになんてなれない、一生一人で、後悔して生きて行くんだよ、と。


育ててもらって感謝しているよ。ちゃんと大人になって、大きな病気もしないでちゃんと生活出来てる。
それなりに常識もある人間だし、社会生活だってちゃんと出来てる。ねえ、どうして私の好きな様にさせて
くれないの?こんなにも遠く離れているのに、電話の向こう側からそんな恨みの様なことを聞かされて、
私が喜ぶとでも思ってるの?お母さんのこと、可哀想だって思う。私の様に、好きな様に人生を選べな
かったのは残念なことだと思う。でもね、自分がそうやって苦しんだなら自分の子供に同じ思いを
させないで。完璧なお母さんなんて求めてないけれど、もう私を否定しないで。私はお母さんの一部じゃ
ない。血がつながっていても私は私なんだよ。お母さんの人形ではないんだよ。


もう一度鏡の中の自分に向き合って、もう一度声をかける。確かにお母さんの声は聞こえるけれど、
彼女にはもう何も出来ない。もっと強くなって、その声が聞こえても、でもごめんね、私は私だから、って
一言言えば良いんだよって。きっとまた文句を言われると思うし、それで心は痛むだろうけど、
私が私の痛みに責任を持つ様に、彼女には彼女が背負うべき痛みがあるのだから。


ちょっと疲れた。昼寝でもしようかな。