この15日に68回目の終戦記念日を迎えました。
私の母親は戦争体験者で私が子供の頃からよく体験を聞かされました。
大阪の大空襲 炎の海を走って逃げまどう母達兄弟。長女である母はまだ小学生でした。幼い弟達の手をひき、爆弾が落ちてくる中を網の目を縫うように逃げたそうです。
母親の父、つまり私の祖父は戦死しました。それからは祖母が幼い母達を育てる為、昼も夜も働いたそうです。
食べ物が無く祖母は百姓に持って出た着物を売って農作物を分けてもらい飢えをしのぎ、
でも住んでいた家も家具も母達の写真も、思い出のひとつひとつがみんな焼けて灰になりました。
苦労を苦労とせず、「辛いのはみんな一緒」だと、「でも前に進まなければ」と今まで頑張ってきた母は今は介護も必要になっていますがとても明るいです。
小さい時に死ぬほど怖い思いをした母に、戦争もしらない平和な暮らしをしている私はどれほど母を幸せにしてあげてるのかと思うと心が締め付けられます。
でも戦死した祖父は本当に無念だったことでしょう。
戦争によって沢山の人や生き物が亡くなりました。生き物だけでなく何もかもが無くなりました。このような事は二度とあってはならないと気付かされる終戦記念日。
花火の音が爆弾の音に聞こえると言う母は花火大会には行きません。
電車のガードレールも同じ音がするといいます。
何気ない日常の音が戦争体験者にとっては恐怖を思い出すトラウマになっています。
戦争を知らない私達は思いも知り得ぬことですが、私は母の体験で貴重な話を聞き、伝えていかなくてはと思っています。
戦争は悲惨です。そして「命」は誰をもが奪うことを許されないかけがえのないものだと実感します。