部活や応援団はそんな感じの3年間だったワケだが、勉学についてはこれまた中学の時と同じようなことを繰り返したワケである😅(アホやなー)


高校へ進学す、で書いたように母校の定員は320人

入学後の実力テストではだいたい50番目くらいの成績だった(やるやん)


しかし、授業をきちんと聞いて中間テストや期末テストを頑張る、っていうのが出来ない子なのがワシである


俗にいう『内申』というか『評定平均』というのが著しく悪いのである😅

いまは亡き恩師(数学の女性の担任でした)が『あなたはなんでここが出る、って教えてるのにこんな点しか取れないの?』と攻められたものである😅


2年次からは進路希望を出してクラス分けになるのだが、ワシは無謀にも『国公立文系』の進路希望を出して、国公立文系大学を目指すクラスに入ることになった

大丈夫なん?ついていけんの?と問われたがついてくしかない😅

実際、生物や数学はほんまによく分からんかった(いまも当然分からん)

成績表の点数が41点とか(ほんまに)落第させへんために付けられた程度なのである

高3の成績表はほんまに数学が41点で『これは卒業させるために付けたから感謝しなさいね』とほんまに言われた😅


回りの子らは賢かった

なんでこれ分かるん?って問題を当たり前に解いてるし

分からんヤツはよう教えてもらった

ちなみに賢かった子らは現役で国立大学に入っていった

女子が男子の倍いたが、女子は看護学校の難関校に普通に入ったり


いやー、いまにして思えば環境って大事やと思う

ワシも私立文系のクラスでヘラヘラしてたら確実浪人していただろう

回りが賢くて勉強しまくる子がたくさんいたからついてかなマズイ!と受験勉強した

ちなみに実力テストではなく、『成績』からいけばワシは48人学級で45番だった😅(これははっきり言われた)


3年の夏休み、高校野球が終わってからは毎日学校へ行き講習を受け自習をして家に帰っていた

家におったら絶対サボるやん

学校行ったらみんな勉強しとるからやらざるを得ない

だから毎日(お盆で学校閉まってる間以外)学校へ通った


これが功を奏したのか、夏休み終わっての実力テストではそれなりに点が取れていた

ワシ、その頃は夜間部しかなかった奈良県立大学を狙っていた

国語と英語を受ける(センター入試)だけで良かったし、なんといっても国公立

夜間やけど県立大学行って卒業したら警察官になろうと思ってましたんや


そうこうしてるうちに私立の推薦入試の季節になりましてな、ワシは滑り止め?として大阪にある私立の大学を受けることになりましたんや

・松原にある某大

・大東にある某大

・東大阪のワシの母校

を受けることにしました


本命はセンター試験やし、って感じでけっこう気楽な気持ちで受けました

ちなみにワシの母校は2学科受けた


試験が終わり、センター試験に向けて国語と英語と社会を勉強してましたんや

そしたら立て続けに結果が送られてきて、受けた試験全部合格してましたんや😄

マジ?ワシそんなに勉強しとらへんけど?


受かったはええけど、納入金とかありますやろ?

どれを押さえとくかも決めなあかんワケで、結局母校の経営学科に進むことにしましたんや

センター試験は棄権しました😅

あのまま勉強してたらたぶん県立大学入れたと思います

でも県立大学行ってたらもっとつまらん人生やったやろなーと思う(それくらい大学生活濃かった😅)


奇跡的に進路決まったので、慈悲で卒業させてもらいました

ちなみに男の同級生は半分くらい浪人した


楽しい高校生活でしたが、もうワシの母校はいまはありません

奈良県の高校統廃合で無くなってしまいました

寂しい限りです