ドキドキサマーデート 「次は桜ヶ丘一丁目~」 乗内アナウンスに、真司の胸がドキドキワクワクするように、妙に騒ぎ出す。今日これから、真司はデートらしいデートをしようと心に決めてきた。考えてみると、麻子と一緒にいる時は、図書室や桜広場で、ホームズさんや推理小説の話をする以外、何もしていなかった。 あの時告白してから、両想いになったと分かって、真司は柄にもなく、世間一般の中高生がしているデートというものも良いんじゃないかなと、夏休みに向けて、心の中でいろいろプランをこっそりと立てたのだ。 夏といえば、真っ先にプールと浮かんだが、麻子の水着姿が浮かんできて、七味唐辛子を食べた時のように、身体が熱くなって赤面してしまい、まだ、早いかなと思って、映画館に行くことにした。 ちょうど、今年の夏休みに公開される『名探偵ドイル』を上映していたので、麻子に話してみると、一つ返事でOKされた。 ピポン。誰かが降車ベルを鳴らした。乗内一斉に赤ランプが点る。 (いつもと一緒、麻子と会うだけじゃないか) 真司は自分の胸に言い聞かす。真司が窓の外を見ると、バスはあと100メートルくらいのところまで来ているのに、バス停で待っている人は誰もいなかった。 (俺、乗るバス間違えたっけ?) 真司は腕時計に目をやった。 「12時20分のバスね」 あの時交わした麻子の声が脳裏に浮かぶ。 (12:20 間違っていない!) さっきまでの真司の弾んだ心が、風船の空気がしぼんでいくように、急に萎えていった。 (どうしよう?でも、待てよ。先に行っているのかも知れない) 真司はバスを降りずにそのまま、映画館まで行ってみることにした。 (髪良し! ポシェット良し! スカート良し!) 玄関の脇の壁に掛かった姿見を見て、麻子は、今までにない最上の弾んだ声で言った。姿見の中のTシャツのひまわりとオレンジ色の三段切り替えスカートも、麻子の今の心の色を表しているようだ。上機嫌で扉を開けて、バス停に向かおうとすると、びっくり。そこには、キカン坊のリョウと遠野のおばさんが立っていた。 「あらっ、麻子ちゃん、もしかして、お出掛けなの?」 おばさんは気落ちしたように、リョウの手を握り立ちすくんだ。 「困ったわ。お母さんはいないの?」 麻子の母親は、昨日から、サークルの仲間と旅行に行っていた。麻子はそのことをおばさんに伝えると、 「麻子ちゃん、お出掛けのところ悪いんだけど、うちのおばあちゃんが倒れて病院に運ばれたんだけど、いろいろあるから、この子を連れて行く訳にもいかないし。しばらくの間、あずかってくれない?」 麻子は今日という日を真司と同じように楽しみにしていたが、そういう事情とあっては断る訳にもいかず、快く引き受けた。 (真司のことなら、電話があるかも知れない) 麻子はそういい聞かながら、リョウの手を握り、大急ぎで帰って行くおばさんを見送った。 シーサイドシアター表門に着いた真司は辺りを見渡した。平日だから、カウンターの前には、まばらに列ができていて、親子連れや中高生の友達グループや年配のおばさんグループがいた。中には、真司たちのように、中学生らしいカップルも何組かいて、その中でも、目立っている一組を目で追っていると、名探偵ドイルではなく、紺碧の海という恋愛映画の方に入って行った。 (俺にはできないや)と思いながら、真司が自意識過剰になっているからできないだけだが。また、表門の方に目を移した。 麻子が来る様子はない。代わりに、また、中学生のカップルが入ってきた。 (本当だったら、今頃、俺だって)真司は心の中で毒つくと、腕時計に目を移した。 12:50 名探偵ドイルの開始10分前だった。 (こりゃ~間に合わないな。でも、麻子ん家に電話してみよう) と思って、公衆電話の所に行きかけると、 「お兄ちゃん!」という幼い女の子に呼ばれ、ズボンを引っ張られた。 (誰だっけ? 俺に幼児の女の子の知り合いなんていたかな?) と、下を向くと、トライヤルウィークで行った保育園児のレナが真司の顔を見上げていた。 「レナちゃん!」 真司が驚いて声を上げると、 「レナ、誰なの?」 と、レナと一緒にいた60才前後のおばさんが立っていた。 「お兄ちゃん」 レナは、そのおばさんにも、さっきと同じことを言った。おばさんが首を傾げているので、真司は慌てて説明した。レナのおばさんは納得して、真司を見た。 「レナちゃんもドイルを見に来たのですか?」 と、真司がおばさんに聞くと、 「レナはうぐいすパンマンの方よ」 と、おばさんが微笑んだ。真司がうぐいすパンマンの館の前を観ると、大きなショルダーバッグを下げた若い母親と幼い子供連れが多かった。 「娘が生きていたらね。私じゃね。レナには可哀想なことをしたけど。たまには映画くらいと思って。うぐいすパンマンをこの子に見せてあげたかったの」 真司はレナの両親が交通事故で亡くなったことを思い出して、何と言ったらいいのか分からなかった。 (レナに出会うと、いつも浮かれている自分を思い知らされる) 真司が立ちつくしていると、レナのおばさんが、 「まだ、若いあなたにこんなこと言って悪かったわね。でも、レナは、今年の保育園での中学生のママのことばかり、しばらく話していたわよ」 (麻子のことだ) 真司は、もう一度、レナに、麻子と会わせてあげたいと思ったが、まだ、麻子の姿は見えなかった。 うぐいすパンマン上映10分前のアナウンスが流れたので、レナたちは、真司と別れた。 (麻子のヤツ、一体、どうしたんだろう?) 真司は、館内の売店前の公衆電話に急いだ。 トゥルルルル~、トゥルルルル~ (電話! 真司かしら?) 麻子が玄関の電話に向かおうとすると、 「うぇ~ん」 というリョウの泣き声がする。麻子は電話が気になりながらも、リビングに戻ると、リョウが、ガラスのテーブルの上においていたオレンジジュースを派手にこぼし、ワァンワァン泣いている。 「リョウちゃん!」麻子が駆け寄ると、リョウは麻子にピタッと抱きついて、 「麻ねえちゃん、どこにも行かないで~!」 と、心細そうに、麻子の腕にしがみついている。麻子は、ハッと気づく。 (今日のリョウちゃんは、家でも、おばあちゃんが倒れて、おばさんもいつものおばさんと違ったのだろうし、私も真司のことで頭がいっぱいだったから、誰もリョウちゃんに気が向いていなかったから、不安になったのね。でも、真司、どうしよう?) 真司は、公衆電話の受話器をおいた。 (麻子、どうしたんだろう? 電話に出ないということは、家を出たのかな? もう少し、待ってみようか。) そうこう考えて、また、表門の前に戻って外を見ていると、翔と目が合った。 真司はヤバいと思って、トイレにでも隠れようとしたが、逃げる間もなく、翔から声が掛かった。 「やあ、麻ちゃんとデート?」 「いきなり、何だよ!」 真司は何だかバツが悪くなって、こんな答え方をした。翔は思ったことをそのまま口にしただけだが、真司は、からかわれているように解釈してしまった。真司がまたもや自意識過剰になっているだけだと判断もできずに。 「でも、麻子ちゃんがいないな? 待ち合わせ? これから、来るの?」 「そんなことより、鈴木は何しに来たんだよ?」 真司は話題を変えようと慌てて言った。 「映画に決まってるだろう。名探偵ドイル」 「えっ!?」 「君たちも?」 「そ、そうだけど、、、」 真司は麻子と二人で見たかったのに、この展開は、、、?と、焦ってきた。 それを察したように翔は、 「一緒に見ようなんて、野暮なことは言わないよ」 真司は何て返したら良いのか分からなくなり、でも、余裕たっぷりの翔を見ていると何か言い返したくなったが、言葉も見つからず、黙ってしまった。 翔も黙ったまま、周囲をおもしろそうなものを見るように観察しているようだった。 しかし、母親と父親の間にはまり、両親に手をつないでもらい楽しそうにはしゃいでいる小学一年生くらいの男の子親子を羨ましそうな目で追っている翔を見ると、真司は言い返す言葉を見つけたとばかりに、 「何、羨ましそうな顔をしているんだよ? 鈴木にもあっただろう? あんな時期」 からかってやろうと、真司が翔の顔を見ると、 「ああっ」 と翔がうわの空で返事をした。でも、顔は悲しそうだ。 (俺、何かヤバいこと言った?) 真司が心の中で自答していると、 「仁川に変な顔見られたかな?」 と翔は笑って言ったが、目は悲しそうだった。 「何だよ、鈴木らしくないぞ!」 「父さん、いないから、つい、、、」 「えっ?」 「自殺した。麻子ちゃんから聞いてないの?」 「あいつは、人の秘密を、いくら俺でも、そんなに軽々しく言わないよ」 「そうか、、、」 翔は少し喜んでいるようだった。 「でも、俺が、、、」 麻子の彼氏だからな!と、真司が釘を差そうとすると、外の方から、ガチャン!!とすごい物音が聞こえてきた。 「交通事故だ! 女の子だぞ!」 と、誰かが叫んでいる。 (まさか、麻子?) 真司と翔は、ダッシュで外に出る。 事故現場には、人垣ができかけているところだったから、表門のところからでもよく見えたが、黒い車が退廃して、大量の血がアスファルトに流れてきていた。 女の子はお腹から車に挟まれていて、苦しそうにゆがんだ顔をしていた。腰まである長髪だったので、真司は、麻子ではないと判断して、ホッとしたが、女の子の苦しそうな顔を見ていると、急に麻子のことが、内臓が縮みそうになるくらいに心配になってきた。それに、思い返してみると、今日は、レナのことといい、翔のことといい、亡くなった人のことばかり聞かされている。 これらが、真司の心の中で混ざり合って、真司は、麻子の家に向かわずにはいられない思いだった。 側にいた翔が、 「仁川、気分が悪いのか? 顔が青ざめているぞ、、」 と言い終わらないうちに、 「ごめん、帰る!」 と、真司の身体は、バス停の方に走り出していた。バスは見えていたのに、真司が到着しないうちに、バスが発車してしまった。 バスの時刻表を見ると、桜ヶ丘町行きのバスは、昼間は、30分に一本しかなかった。 (30分もじっと待っていられない!) 真夏のジリジリ照りつける太陽の下を真司は走り出した。 暑さも距離も時間も気にせずに、ただ、麻子のことだけが心配で走っていたが、日陰もなく、太陽が容赦なく照りつけるアスファルトでは、真司の身体も、それほどもたなかった。 暑さと喉の渇きで、身体が動かなくなって、白線の内側にペタンと座り込んで、 (どうしよう、これから、、、?) と悩んでいると、 「どこまで行くの?」 と、白い乗用車の窓が開き、30代半ばくらいの男性に声を掛けられた。真司は、思ってもみないことだったので、目を疑ったが、天の助けと思い、その男性に経緯を簡単に話し、桜広場まで乗せてもらうことにした。 「ガールフレンドを心配してか。そりゃ、それだけ不吉なことが起きたら、心配になるわな」 クーラーが効いた涼しい車に乗っても、さっきまで走っていた真司の体力はすぐには戻らなかった。だから、この男性の言葉に返事をする気力もなかった。 助手席に新聞をおいていたから珍しいとも思わなかったが、その男性の職業を推察することも、勿論、できなかった。 三時を過ぎて、風が出てきたので、麻子はリョウを連れて、桜広場に向かった。元気でキカン坊のリョウでは、家の中だけでは狭すぎたからだ。 リョウは、目を皿のようにして道を眺め、棒きれを見つけて、放り投げて、 「麻ねえちゃん、こっち!」 と、麻子の手をしっかり握りしめて、棒の先が向いている方に歩き出した。そしてまた、棒きれを拾って、放り投げた。棒の先が逆を示すと、リョウはまた、麻子の手を引っ張って、引き返した。 麻子は、こういう、リョウの遊びなんだと快くつき合った。 真司のことが気になったが、その事を考えていると、リョウが落ち着かなくなるので、できるだけ考えないようにした。 「着いたよ。」 乗用車の男性が、真司に声を掛けた。真司は丁重にお礼を言って、麻子の家に向かおうとしたが、桜広場を見たら、オレンジ色のスカートをはいて、両肩に短い三つ編みを垂らした麻子が知らない男の子と遊んでいる。 真司の今までの麻子への心配を思うと、 「何でだよ!」 と文句を言いたくなったが、麻子が元気なことに安心し、心が和むと、麻子にも行けなかった理由が何かあったんだと思えるようになった。 真司は麻子に気づかれないように、背後から近づいた。心配させた罰に、脅かしてやろうと、知らない男の子との遊びに夢中になっている麻子の両眼を、背後からそっと抑えた。 「誰?」 麻子の身体が堅くなった。真司にも分かるくらいだった。 「言われた通りにしろ!」 真司は声音を変えて、後ろからぼそっと言った。 「真司ね!」 と、麻子はすぐに気がつき、真司の手を振りほどいて、真司に向かって、満面の笑みを浮かべた。 真司の大好きな笑顔で、二人が温かい雰囲気に浸っていると、リョウが隙間から割り込んできて、真司をおもいっきりにらんだ。 「ぼくの麻ねえちゃんだぞ!」 と、幼いなりに、にらみを効かした。 麻子と真司は、どうしよう?と目で会話していると、 「麻子ちゃん!、リョウ!」 と、遠野のおばさんの声がした。リョウは麻子から離れて、恋しそうに、遠野のおばさんのところへかけ出した。 「今まで、リョウと遊んでくれてありがとう。麻子ちゃんにも用事があったのに」 遠野のおばさんはリョウの手を引くと、夕飯の支度があるのか、そそくさと帰って行った。 真司は、救世主の遠野のおばさんをありがたく見送った。  無事に事は収まったのに、麻子と二人になると、真司は急に疲れが出てきた。春や秋などの快い季節では走っても疲れない距離でも、猛暑の中を5、6㎞走ったから、海水浴をした後のような気だるさがおそってきた。 「あのベンチに座ろう」 真司は麻子を促した。出会えて嬉しいはずなのに、ベンチに座ると二人は、しばらく、無口になった。 真司は映画館での出来事を、麻子はリョウに振り回されたことを思い出していた。 太陽の光が白からオレンジ色にうっすらと色づきかけた時に、真司が言った。 「俺たちのデート、冴えてなかったな」 「そうね。でも、いろいろあったけど、最後はこうして会えたんだし。神様に見捨てられていた訳じゃなかったわ」 「神様か。そこまで大袈裟に考えなくてもいいけど。これからだって、また何回でも」 「そうね。でも、こうして会えたんだから、せめて、この空が天然プラネタリウムだったら良かったのに」 麻子は、残念そうに、空を見上げた。 「麻子は知らないのか~? 昼間でも、星の光は届いているんだぞ! 太陽の光で分からないだけで」 「あら、真司って、ロマンチックなことを言うのね」 真司は、初デートだからなって、心の中で呟いたが、口にはしなかった。 急に眠気がおそってきた。 「ちょっといいか?」 真司は言うなり、麻子の肩に頭をもたせかけた。そのまま、眠りの森へ。 麻子は、まだ、真司から何も聞いていなかったが、真司の寝顔を見て、私を心配してくれていたんだと思うと、胸がいっぱいになり、何時間でも、真司に肩を貸してあげようと思った。 夕日が西から差してきて、麻子と真司の影も、桜の木とともに、長く東に伸びていった。           完