Wanococolog in NY

Wanococolog in NY

ニューヨークで心と体のハッピーライフを模索する、MBA女子の頭の中。

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7月からニューヨークよりロンドンに移り住みました。

 

普通に考えてあまりさらっと書けることでもありませんが(笑)、自分でも信じられないほどトントン拍子に物事が進んだので、巡り合わせに感謝する外ないなと思っています。

 

イギリスは中学からビートルズに憧れ、高校の時にイギリス英語好きの先生の影響も受けたりして一生懸命追いかけていた時期があったものの、どこか暗くて馴染めなそうな国という思い込みがあり、(大学時代にお隣のアイルランドで語学研修をした際の乗り継ぎ時以外)ずっと足を踏み入れたことはありませんでした。

 

それが、アメリカ5年目のラストスパート(!)と、婚活に燃えていた昨年の夏、オンラインデートで出逢ったイギリス育ちのイケメン男性(結局国籍不詳)が「ロンドンはいいよー」と言っていたのが印象に残っていて、その彼とは結局だめになったものの、初めてその秋にセンチメンタルジャーニーよろしく、1週間のイギリス女一人旅を決行したのでした。

 

実際に行ってみると、ニューヨークよりも古いのに整然として美しいロンドンの街並み、穏やかで少しシャイな人々、リバプールでのビートルズ聖地巡礼に、湖水地方でのビアトリクスポターのピーターラビットの世界の魅力発見に、ケンブリッジのパンティングの絵のような景色に、10月の心地よい陽気も手伝ってすっかり魅了されてしまいました。

何より、イギリス人はかっこいい(笑)。←結局そこ

 

旅の最終前夜に、会社のロンドンオフィスの先輩の家に泊めていただいたのですが、その頃には自分の方から「ロンドンにポジションありませんか」って自分から頼みたいほどに、イギリスに住みたい気持ちが強くなっていた私がいました。

すると翌朝、私の気持ちに呼応するように、先輩から「実はEUチームの要の子が辞めるので空きが出るんだけど、よかったら来ない?」という急なお誘いがあり。

それから翌年3月の英国ビザ申請まで、急展開で話が進んでいったのでした。

 

実際に来てみると、同じ英語圏でもこんなにも違うのかという発見の連続です。

スーパーやドラッグストアにも知らない商品があったり("shower cream""miceller water"って??)、イギリス英語の独特の言い回しがあったり(直接命令形や疑問形を使う代わりに"If you want----?"と婉曲に聞いてきたり)と、戸惑うこともあって最初はストレスでした。

 

最近、3か月も経つと、さすがに毎日さらされているイギリス英語に自分も染まってきて、逆にアメリカに戻ったら浮くのでは、、と時々アメリカ舌の練習をしています(笑)。

(ちなみにイギリス人はアメリカが長くてもイギリス英語を直そうとしません。彼らにとっては"correct English"なのだろうけどーー関西弁みたいなものかしら。)

 

国民性の違いもやはりあります。

アメリカ、特にニューヨークは、頑張れば認められる、アメリカンドリームが叶えられる場所。

一方で、やはり黒人を始めとする差別意識も根強く『アメリカ人至上主義』という印象も少なからずあり、どこか常に「いざとなったら闘わなければ」という緊張感も無意識のうちにあったと思います。

イギリス・ロンドンは意外にも国際都市で、ヨーロッパやイスラム圏の移民も多く見かけますし、店員さんもそれぞれ訛りはあっても親切で丁寧な対応をしてくれます。「みんな違ってみんないい」が実現されている場所、と言ったら言い過ぎでしょうか。

生きていく上でのサバイバルスキルや心のタフネスという意味では、アメリカの方が断然レベル高い気がします。

あと、アメリカでは物欲を刺激されるのか(セール時の値下げっぷりは本当にすごい・・)、イギリスに来てから物をあまり買わなくなりました。

 

今振り返ってみると、アメリカにいた頃の私って「頑張ってた」んだなぁと思いますし、古き良きを大切にする落ち着いたヨーロッパの人から見ると、やはりアメリカは消費大国で特殊な国に映るのかもしれません。

 

それでも、アメリカにまず行っていなかったら、あのエネルギッシュで新しいものを生み出そう・変えようというパワーとか、体制にも黙っていない一人一人が物言う強さとか、底辺を支えるチャリティとかボランティアの力・そこに宿る信じられないくらい崇高な人々の精神とかも知らずに一面だけ見て批判していたかもしれません。

 

両方とも経験できていることにありがたく感謝して、世界にはきっとまだまだ知らないことがあることを自覚し、偏見を持たず、謙虚に学びながら、こちらにいる間に他のヨーロッパ・イスラム圏やアフリカ、それに東南アジアもいろいろ見てみたいなぁと思います。

午前2時半。ポストオバマをかけた運命の大統領選の

開票中継を見ながら早々に酔って寝てしまい、慌ててテレビをつけた私の目に

飛び込んできたのは、悪夢と見まがう

「Trump Win」の文字。

 

一瞬、状況が飲み込めず"OMG!?"状態になりました。

 

リベラル派の多いニューヨークのローカルテレビ局では、

トランプの勝利演説にも遠慮なく辛辣なコメントのオンパレードで:

「ここ(トランプの集会)に集まっている人たちは超超超右翼」

「歴代の大統領の勝利演説と大して変わらない」

「トランプは皆に愛されたいと願っているのが感じられる、

なぜなら今は愛されていないから」などなど。

 

さっそく株式市場が暴落したとのニュースも含めて

ジョークと思うしかなかった、いや思いたかったです。

 

一夜明け、ニューヨークの街はどんよりとした灰色の空の下、まるでお通夜モード。

通勤で地下鉄に乗る人、道行く人もそれぞれ押し黙って

何も言えないままショックに打ちひしがれた気持ちを共有しているようで、

隣に立っている黒人男性に思わず「うん、だよね。。」とハグしたい気持ちでした。

夜には勤務先近くのユニオンスクエアで反対デモも起きていました。

 

自分自身を慰めるためにも、この結果の正当化を求めて

「政治的にクリーン」「アメリカは強い経済成長を求めている」等の

ニュース解説を読んだりしましたが、後付感が強くて腑に落ちず

色々と考えを巡らす中でふと、トランプが勝利演説の中で特に

"underappreciated"(感謝されない)、"forgotten"(忘れられた)人たちに

呼び掛けていたのが気にかかりました。

 

トランプの支持者は白人の(中高年)男性層がメインです。

私が知り合ったり話をしたりした人を見ても、

ヒラリー派が声高に主張していたのに対して

彼らは一部の過激派を除いて「自分の意見はあるけど特に議論しない」と、

(少なくとも私の前や公的には)沈黙を守る人が多い印象を受けました。

 

個人的な偏見もあるかもしれませんが、もしかしたら彼らのような人の多くは

女性進出やグローバル化など、最近のリベラルな新しい考えの波に乗りきれず、

下手に手や口を出せばセクハラ扱いされ、

移民などに反対すればレイシスト扱いされ、

上司や部下、家族にも何かと文句を言われて

既存の価値観は変えられないまま、社会の中でどこか取り残されて

"underappreciated"(感謝されず)、"forgotten"(忘れられ)、"unloved"(愛されず)、

それでも黙々と仕事へ行き、スポーツ観戦やお酒でつかの間の憂さを晴らす日々。

そんな中、スカッとすることを言ってくれるトランプに共感して

静かでささやかな一石を投じる。。。

 

保守派の考えに共感するわけでも味方するわけでもありませんが

(オバマ大統領の広島訪問と核廃絶のスピーチにも"too innocent"(純粋すぎる)という

批判が国内であったのでびっくりしました)、

何だかそういう境遇のおじさん達に、それが数で上回ってしまう世相に、

怒りや悔しさよりも、むしろ悲哀を感じました。

(もちろんこういう人ばかりが投票したわけじゃなく、それぞれ意見もあるかと思いますが。)

 

ヒラリー率いるリベラル派は、結局、

そんな彼らを取り込んで巻き込むことができなかったのです。

 

それでも私は世界はどんどん良くなっていると信じていますし、

その中でこういうバックラッシュが起こるのも

ある程度仕方のないことなのかもしれないと、今はクールな気持ちで受け止めています。

むしろ、そういう抵抗を押し込めてリベラルな改革を進めることもまた、

誰かにとっては強引で受け入れがたいことなのかもしれません。

 

『汝の隣人を愛せよ』と聖書は説きますが、

より良い世界の明日のためにも、隣のおじさんを愛せよ。

 

開票の翌日、今日はまたPractical Phylosophyのクラスがあって、

キーワードはちょうど"Unity in diversity, diversity in unity"

(「一体化・調和の中の多様、多様な中の一体・調和」を目指すこと)でした。

 

4年後にアメリカが良識ある判断が下せるよう

(そして次回はよりよい候補者が出てくるよう)祈りつつ、

これからの成り行きをしっかり見届けていかねばと思います。

"Gift of Happiness"

NY地下鉄のこう題した車内広告が前から気になっていて、
この秋The School of Practical Philosophyの入門クラスを受けてみています。
(初回登録料$10のみ、で逆にモチベーションが上がらず出席率が低いですが...)

「実践的哲学」ということで、様々な難しい哲学理論を紹介するというよりは
古今東西の文化・宗教問わず「より良い人生を生きるための知恵(Wisdom)」を
日常生活の中での実践するという、ちょっとスピリチュアル要素も入った内容です。

来ている生徒は性別年齢職業人種問わずで、違いはあれど
それぞれが似たような悩みを抱えていて、共有し合う空間があらためて新鮮に感じます。
重厚な建物で、授業は黒板にチョークを使用(アメリカに来て初めて見た)。
先生は生徒の意見や感想を聞きつつ進行していきます。

ここしばらく出席できていませんでしたが、久しぶりに出席した今週の授業は
ヒンズー教思想に基づく「3種類のエネルギー(Tri Gunas)」について。

ちょうど最近悲しいニュースを受けて、日本の過労死や
それにともなううつや自殺について色々と思い巡らせていた矢先、
ピンとくるものがあったので紹介したいと思います。

Tri Gunasはヨガやアーユルヴェーダにも取り入れられているようですが、
クラスでの説明は次のようなものでした:

Sattwa /Sattva(サトワ)-- satisfaction(充足):光、知識、向上。
Sattwaが優位のとき、明るさを感じ、リフレッシュし、健康で安らぎを感じる。
思考ははっきりし、聡明で、たやすく学ぶことができる。
心は感情が安定しており、他人を受け入れ、寛大でポジティブ。エゴがない愛情。

Rajas(ラジャス) -- rage(激情):動作、創造性、情熱的。
Rajasが優位のとき、活動的で、緊張し、落ち着きがない。
アドレナリン全開で次の経験に備える。
思考はせわしなく次々と計画などを立てることに忙しい。
心はせかせかして、見返りを求める愛情。

Tamas(タマス) -- tame(抑制):休息、規制、消失。重くて鈍い。
Tamasが優位のとき、体が重く弱く鈍っているように感じる。怠惰でスロー。
思考は曇って遅く、混乱し、制約だらけ。
感情が麻痺し、暗く、意地悪で破壊的ですらある。愛情は妬みや悪意によって凍りつく。

大切なポイントは、これらのエネルギーは常に存在しているが、
ある時はどれかが優位になり、その時々でふさわしいバランスを見つけることが
肝心だということでした。

たとえば、夜は眠くなって自然とTamasが優位になるし、
常にRajasの状態でいると攻撃的で落ち着きがなくなるなどの弊害も。

生徒の一人が「サイクル」と表現していましたが、まさにぴったりくると思いました。

人は常に完璧なSattwaの状態でいることもできないし、
常に頑張るRajasの状態でいることも無理。
エネルギーを使いすぎたら、擦り切れて残ったものはTamasだけになってしまい
本来の自分でいられなくなってしまうのは当然なんだと思います。

それが、過重労働が偏重されてきた中で
ずっと働きづめで頑張って頑張って頑張って、
リラックスや休息できる時間も心の余裕もなくて、
あるいは、それが許される状況じゃなくて、
そんな風に人間としてのエネルギーバランスが崩れたら、
病気になったり命を落としてしまうのは、考えてみれば当たり前のことなのでしょう。

そういう人間の自然な状態が保障されないような勤務体制や心理的プレッシャーは
やはり異常なのだし、社会全体の意識から見直されるべきだと思います。

(かくいう私も、日本で働いていた頃は8~9時あるいは10時までの残業もザラだったし、「5時からが本腰入れて仕事」みたいな感じがあり。。
慣れというか麻痺してしまっていたのでしょうね。)

ちなみに上記の内容を、私はうつ病を例にしてクラスで発言しましたが、
”karoshi”が英語になるくらいですから、教室にいるアメリカの人のほとんどは
日本の過労死状況など想像すらつかないんだろうなぁと、遠い気持ちになりました。

アメリカなんて、日本から見たら驚くほど皆が皆残業してなくて
バケーションも1-2週間とっていたりして、それでもこんなに栄えているのに、
日本では終電まで働きづめ、有給どころか週2日も休めない状況があるなんて
悲しいを通り越してばかばかしい気持ちになります。
(もちろんもともとの国土や資源の差はありますが、
働き方の姿勢も根本的に違う気がします。)

もちろん、完璧主義だったり頑張りすぎるのは性格的なこともあります。
私もそういう傾向があるので、このクラスを受け始めてからは、
ストレスフルな思考を意識的に手放したり
(体の五感に集中するエクササイズなども紹介されます)、
気持ちが落ちたら「そうかそうかよしよし」と素直に認めて、
自分を労ってあげるようにしています。

大多数の人が生きるためには働かなければいけない現代で、
多くの人が仕事が原因でストレスを抱えている世の中。
「働きながら皆が幸せになるにはどうしたらいいか」を考えたかったのも
ビジネススクールに行きたかった理由のひとつでした。

"Gift of Happiness"の鍵は、人間が自然の原点・エネルギーやバランスを
今一度思い出すことなのかもしれません。

亡くなった電通社員の方のご冥福をお祈りいたします。
今苦しんでいる方が、辛い状況から少しでも解放されますように。

これ以上悲惨なニュースが増えないことを祈るばかりです。

母の日によせて、私がMBA時代に「リーダーシップ・コミュニケーション分析」のプレゼンで取り上げた

女性エグゼクティブであるバーバラ・コーコラン(Barbara Corcoran)を紹介します。

 

ブロンドのショートカットに色鮮やかな服装と笑顔が魅力的な彼女。

元・ニューヨークの高級不動産コーコラングループの創設者・初代社長であり、

現在は人気TV番組Shark Tankにも出演している個人投資家・コメンテータでもあります。

彼女の著書『Use What You've Got ~& Other Business Lessons I Learned from My Mom~』(日本語版はこちら)では、

文字通り、自分のお母さんの家事や子育ての知恵から学んだという

マネジメントのアイディアが詰まっいます。

 

アイリッシュ系の大家族の中で育ったバーバラ。

彼女のお母さんは子供を10人も育てながら、家事の効率化を目指し、使えるものは使い、

忙しいながらも子供一人ひとりに気を配るのを忘れず、いつも

「あなたはできる」というメッセージを送り続けてくれたと言います。

 

そんなお母さんの姿を見つつのびのびと感性を磨いていったバーバラ。

時に苦境も経験しながら、社員に対して気さくで愛情とユーモアあふれるコミュニケーションを欠かさなかったと言います。

 

彼女のことを最初に知ったのは、コーコラングループに60歳を過ぎてから入社して不動産のキャリアを積み始め、

90歳近い今でも現役で働いていらっしゃる鈴木かつ子さんの著書

『I Can Do It! 60歳なんて怖くない』で紹介されていたのがきっかけでした。

(鈴木かつ子さんの人生のご経験やフィロソフィーもとても素敵で、バーバラとの特別な絆もうかがえます。)

 

かつ子さんが入社面接の際に、直前に道端で衝動買いした大きなラグを抱えてエレベータに乗ろうとした時、

「あら、18階に行くの?私もよ。荷物を持ってあげる」

とフレンドリーに颯爽とラグを持って上っていったのがバーバラだったとか。

日本がバブルの時代、リスクを背負ってまでニューヨークに不動産を買いに来る日本からの客に

景気が長く続かないことを予想してかつ子さんが全然売ろうとしなかった時も、

入社してから売上0のままで社内の批判もある中、バーバラだけは信じて日系メディアへの宣伝を任せてくれていたそうです。

 

問題のある社員に対しては厳しい決断を下すのも早いけれど、毎月のトップセールス表彰や

リトリートやサプライズパーティ、相手を信頼し正直に向き合う姿勢などが、かつ子さんの言葉を借りれば「皆が心で繋がっていた」チームを作り上げました。

退職する際には、全体の送別会の他に社歴25年以上の社員を集めたパジャマパーティも自ら企画し、

かつ子さんを含め一人ひとりに手書きのチャーミングなイラスト入りカードが送られたそうです。

 

リーダーシップ・コミュニケーションには人によって様々なスタイルや要素がありますが、

彼女の場合、一人ひとりを尊重して相手の仕事に意義を与える"Meaning Maker"であり、

常に率直でフェアな"Trust Builder"であり、

自らも営業活動の他メディアに寄稿したりユニークなマーケティング企画など

(初めて物件の写真をウェブサイトで閲覧できるようにしたのもコーコラングループだそうです)

"Direction Setter"の一面もあると思います。

 

そんな彼女が成功者となり、4600万ドルという銀行の預金残高を見て

真っ先に連絡したのはお母さん(&お父さん)だったというのも印象的でした。

 

彼女の本のエッセンスを通して感じたのは、母親というものは概して家庭の中で、Great leaderなのではないかということです。

特に子供にとって一番「すごいね」「えらいね」って言って欲しい人はお母さんだと思うし、

信じて頑張る力を与えてくれるのも、お母さんの励ましじゃないかなと思います。

家庭にもよりけりですが、家計のやりくりから家族の健康・モチベーション管理まで、

家族をいっぱいの愛情で見つめながらいわば"マネジメント"するという

重要なリーダーの役割を果たしているのではないでしょうか。

 

組織のリーダーシップはまだまだ男性中心の社会ですが、そんな「母性」を活かしたリーダーシップも

もっと発揮されるようになるといいんじゃないかと私は思います。

 

ちなみに、プレゼンの締めくくりには私自身の'Great Mother'の写真も登場させ(笑)発表は大成功。

普段やる気のない担当の先生をして「今までこのビジネススクールで見てきた中で一番いいプレゼンだ」とまで言わしめました。

(しかし彼は自分の退職のことしか頭にないため適当で、最終成績はクラス全員BかB+という結果に終わりましたが。。)

 

私個人を振り返っても、時にケンカしたり愚痴や泣き言を言ったりしながらも、

いつも精神的に支えてくれて、一番信じてくれたのは母親です。

母の人生の大半は主婦ですが、いつでも家族の頼りになる相談相手であり、

時にSharp decision makerであり、愛に溢れたGreat Leaderであります。

 

女性の社会進出促進についても議論ばかりでなかなか進みませんが、

女性の活躍が増えていくことによって、より愛に溢れた、バランスのとれた世の中になるといいな、と願います。

 


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ランナー歴2年めになります。
今年は、ニューヨークマラソン主催団体であるNYRR
「9+1プログラム」なるものに挑戦しています。

会員に登録して1年間のうちに該当レース(1マイルからハーフマラソンまで幅広くあり)を9本完走し、かつボランティアを1回すると、
人気の非常に高いニューヨークマラソンへの翌年の出場権が得られるというものです。
(通常、一般市民は抽選に受かるか、海外応募枠を$600くらいで買うか
$1000以上の寄付をしないと出場できません。)

巷はランニングブームもだいぶ定着していますが、
走ることが嫌いな人が長距離ランナー達に対して抱く疑問、
そして自分自身が走るようになってからよく聞かれるようになった質問といえば、
「なんでそんなに苦しい思いまでして走るのか」でしょう。

確かに、走ることは苦しいし、足が痛くなったりもします。
でも、今まで走れなかった距離が走れるようになったり、タイムが伸びたり、
レースに参加することで自分では行かないような場所に行けたりするなど、
達成感と喜びを味わえることも多いです。
ぶっちゃけ、究極の自己満足です(笑)。

私の場合は、特に新しい場所に行けるのがモチベーションになって、
9つ出場するレースを選ぶにしても、セントラルーパークを何度も走るよりは
ブロンクスやスタテンアイランドで開催されるレースや、
五番街1マイルランなんていう方がワクワクします。

行ったことのない場所に行って、見たことのない景色を見てみたいと思うんです。

(ちなみに知人は参加賞でもらえるTシャツのデザインに左右されるというので、
ポイントは人それぞれだと思います。笑)

そもそも、人間は本質的に走ることが好きな生き物じゃないかなと思います。
小さな子供たちが外で遊んでいるのを見ると、走ることが楽しくて仕方ないというように
喜びをいっぱいに表現して駆け回っています。

では、なぜ走ることが嫌になるのか--それは恐らく学校などで強制されたり、
誰かと競争させられることが始まりなんじゃないでしょうか。

勉強も然り。本来、新しいことを学ぶのは純粋な喜びのはずなのに、
そこに第三者からの評価とか、他人との比較とかが出てきた時に
「自分のために学ぶ」という一番大切なことを見失う気がします。

というわけで、話を走ることに戻すと、
自分がレースを走る際には目標タイムや順位も決めず、周りのペースも極力無視して、
ひたすら自分が快適なペースで走ることに集中するようにしています。
足が痛くなったり坂道で苦しくなったりしないようにフォームを調整したり、
また、長いレースの間には意識してポジティブな気持ちを保ったり
時には色んな思考で気を紛らわせてみたりしながらゴールを目指します。
そんな風に、ランニングは自分の体と内面ともじっくり対話する時間であるとも言えます。

走りながらヒマなので、人生についてあれこれ振り返っていると
自分なりに辛いことも色々あったけれども、今こうして健康で
ニューヨークで走れるようになったんだなぁと、しみじみ感謝の念も湧いてきて
思わず涙がこみ上げてくることもあります。ランナーズハイの一種でしょうか(笑)。

上り坂あり下り坂あり、頑張っていれば時に給水所あり。
レースはどこか人生にも似ている気がします。

基本一人で走っているのですが、時折、沿道のボランティアや応援してくれる声援に
ものすごく励まされます。
特に英語では、日本語の「頑張って」とはまた違って
"Good job!""Keep going!""Way to go!"(いいぞ!その調子!)というような
ポジティブに肯定する言葉をかけてくれることが多いので、
自分が辛い時に聞くとマジ天使の声かと思います(泣)。

先日、NYハーフマラソンで初めてボランティアをしましたが、
苦しいながらもひたむきに前に進んでいるランナー達の姿はいじらしく愛おしく、
高校のチア部経験を生かして大声を張り上げて応援しまくりました。
最後には思い余って"I love you guys!"(大好き!)と叫んでましたw
ランナー達も、自分も苦しいのに「ボランティアしてくれてありがとう!」と
声をかけてくれる人もいて、お互いを讃え合う
最高のヒューマニズムを味わうこともできました。

あと、走れるようになると色々と便利なこともあります。
ワシントンDCに個人旅行で行った時に、時間がない中、朝ランと称して
National mall(下図参照)の端から端まで約3kmの距離を走って見て回ったり
(歩くと結構時間がかかるんです)、

2回目のDC訪問の際には、早朝のツアー観光中に一人急にもよおしてしまい、
国会議事堂からその時間にオープンしているNewsiumまで走って、
トイレを使ってから再び走って戻って航空博物館の観覧に間に合って合流するという
自身の健脚を試す荒行も遂行しましたw

そんなこんなで、今やハーフマラソンまではいけるようになった私ですが、
1年半前にジムに通い始める前までは3マイル(5kmちょい)走るのもやっとでした。
しみじみ、人体の可能性というものはすごいなと感じます。
マラソンは、初めてその距離を走った兵士が死んだ歴史の事実があるので
体を壊さないよう注意して念入りにトレーニングしなくては、と思いますが。

なぜ人は走るのか--その先に、自分の知らなかった何かが待っているかもしれないから。

以上、私なりの'What I talk about when I talk about running'*でした。

(*村上春樹さんのエッセイ『走ることについて語るときに僕の語ること』の英語訳タイトル。読むだけで走ることについてかなりお腹いっぱいになれますwランナーズバイブル。)