いのまたなおひこ
南満州鉄道のOBらでつくる「満鉄会」の最後の大会には約130人が集まった=19日、東京都千代田区(大竹直樹撮影)



2012.10.19 22:34

 戦前・戦中に満州(現中国東北部)で鉄道や炭鉱、製鉄など幅広い事業を展開し、教育や医療など行政分野も担った南満州鉄道(満鉄)のOBらでつくる「満鉄会」(松岡満寿男会長)が19日、東京都内で最後の大会を開いた。会員の高齢化により存続が難しくなり、満鉄会は来年3月末、66年の歴史に幕を閉じる。

 満鉄会は敗戦に伴い解散した満鉄の元社員の就職斡旋(あっせん)や未帰還者の早期帰国などを目的に昭和21年に誕生した。最盛期に約1万5千人いた会員も現在は約1千人と激減。来年4月以降は情報発信に特化した「満鉄会情報センター」として3年間限定で存続させる。

 満鉄は大連に本社を置き明治39年、設立された半官半民の国策会社。満州で一大コンツェルンを築き、従業員数は約40万人(日本人は約14万人)を誇った。

 約130人が参加した19日の大会では、久々に再会したOBらが満鉄時代の思い出話に花を咲かせた。

 満鉄を代表するのが、昭和9年から大連-新京(長春)間で運行が始まった特急「あじあ」号だ。東洋で初めて全車両に冷房設備が付けられた豪華列車で、流線形の蒸気機関車が牽引(けんいん)。最高時速は130キロを誇った。あじあ号の車掌を務めた経験を持つ元大連駅助役、冨(とみ)祐次さん(94)は「当時最先端の斬新な列車。乗務できたことは誇りだった」と振り返る。

 ドーム天井を持つ満鉄奉天駅(現瀋陽駅)は大正3年開業の東京駅と似たデザイン。奉天で幼少期を過ごした天野博之満鉄会事務局長(76)は「東京駅の2年前に完成したので『東京駅が奉天駅をまねた』という人もいる」と笑う。

 戦後は満鉄をタブー視する風潮もあった。天野事務局長は「満鉄が満州のインフラ整備で果たした役割は非常に大きい。こうした歴史をこれからも後世に伝えていきたい」と話した。