「脱原発」争点化は卑怯だ 元財務相・塩川正十郎
2011.8.12 02:39

 外国大使館の方々から「衆院解散はあるのですか」と尋ねられる。特定の有力なマスコミが「脱原発解散をやれ」と言ってあおっているせいだろう。しかし、世界の中で日本が置かれている立場を見れば、これほど無責任な主張はない。原子力利用を争点に据えるのは、卑怯(ひきょう)な考え方としか言いようがない。

 解散で最も心配なのは、日米関係に禍根を残すことである。米国はすでに民主党政権には信頼を寄せていない。菅直人首相は辞任を明言したが、最後の最後まで解散権を握っている。次の首相が解散に踏み切らないという保証もない。もしそうなれば、日米で安全保障共同宣言などのアジア太平洋の将来に向かった合意ができなくなる可能性が出てくる。

 米国は東アジアの安全保障環境に重大な関心を持ち、日本、中国、東南アジア諸国連合(ASEAN)の問題に取り組もうとしている。特に中国、台湾、ベトナム、フィリピン、マレーシアなどが領有権を主張する南シナ海の南沙(英語名・スプラトリー)諸島問題で、米国はASEANと緊密な連携を取っている。

 また、米国もASEANも、菅首相が環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)に参加しようとしていたことに期待していたが、今や民主党の政権担当能力への不安だけが膨らんできている。

  「脱原発」争点化の、もう一つの不安は原子力政策に及ぼす影響だ。

 私は、国民の皆さんが賢明な判断をされると信じている。しかし、放射性セシウムを含む稲わらを餌にした肉用牛が出荷された問題などが起こり、消費者は放射性物質(放射能)汚染に敏感になっている。ここで解散をして、「脱原発か原発推進か」という不毛な議論が戦わされることになることを心配している。

 海江田万里経済産業相も原発をなくして自然エネルギーだけで電力需要を賄うことなどできないことは分かっているはずだし、「脱原発」などという無責任なことを言っているのは民主党のごく一部で、ほとんどの議員が慎重に考えているだろう。

 日本で原子力発電を使おうと言い出した頃は正直、不安だった。学徒出陣を経験した私のような世代には、昭和20年8月に広島、長崎に投下された原爆のイメージがあったからだが、原発の仕組みを勉強して不安は少なくなった。

 今年3月の東京電力福島第1原発事故で放射性物質が漏れたことにより、福島県を中心とした地域の住民の皆さんが多大な苦痛を強いられているのは確かである。事故を起こした原子炉の制御がいかに難しいかも分かっている。

 しかし、今の段階で原子力を上回る有力な代替エネルギーがない以上、厳格な安全対策を講じて原発を使っていく必要がある。原発による約30%の電力供給力を解消するとなれば、経済だけでなく文化、医療の分野が甚大な打撃を受けるのは間違いないからだ。

  自民党の一部にも「脱原発」に同調する声があるやに聞くが、谷垣禎一総裁は原発の重要性は分かっているはず。「国会での追及に迫力がない」といわれるが、政権が卑怯な脱原発解散を行った場合には堂々と受けて立ってほしい。そうすれば、国民からの信頼をまた勝ち取れる。(しおかわ まさじゅうろう)



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