かつての、宇野宗佑氏(元内閣総理大臣)を上回る非業ですな。
(ところで、自分も金星とやらに行ってみたいんですけどねww)
■「祖父に恥じない仕事したい」鳩山夫妻が墓参
(読売新聞 - 09月05日 21:33)
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以下女性セブンから転載した誰かの日記から転載した友人の日記からの転載です。
今朝発売の『女性セブン』に以下の記事が載っていました。掲載します。
「あの人が首相になるのは問題」とー
幸夫人の前夫 激白!「あの夫婦 仮面の下の亡恩と不実」
「さっきNHKの国際放送で民主党の圧勝を知りました。彼が首相になるんですね‥」
彼はそういって複雑な表情を浮かべた。米国・サンフランシスコ一の観光名所といえば、ゴールデンゲートブリッジ。
市内からこの橋を渡り、約5分ほど車を走らせた高級住宅地で暮らす日本人男性Aさん(72才)。彼こそがこのたびファーストレディーになる鳩山幸さん(66才の〝前夫″だ。
*
34年前、鳩山由紀夫氏(62才)は人妻だった幸さんと“略奪婚”で結ばれた。何度となくそのことは世間の話題となってきたが、これまでAさんは一切口を閉ざしてきた。
そのAさんがいう。
「正直、私は人格からして問題がある人が首相になるのは、どうかと思っています。だからいま、昔のことを話そうと決めたんです」
不倫を密告する手紙が届いて
Aさんは熊本県出身。60年、アメリカ在住の姉夫婦に誘われて20代前半で渡米。サンフランシスコに日本食レストランを開店した姉夫婦と3人で懸命に店を切り盛りした。日本の高度経済成長を受け、渡米してきた日本人客でレストランは大繁盛。各界の著名人が訪れる社交場にもなっていた。
「月に1回ほど店に来る日本企業の社長さんがいまして、あるとき、冗談半分で“私にお嫁さんを探してください”といったら、本当に日本人女性を紹介してくれたんです。それが幸でした。
宝塚にいたせいか、彼女はきれいでハキハキした女性でした。英語が上手で発音もよかったです」(Aさん)
ふたりは同棲を経て、67年に結婚。幸さんも店を手伝うようになった。
しかし3年後、妹夫婦のもとに届いた一通の手紙がAさんたちの人生を変える。それは日本に住む名士からで、
《元首相鳩山一郎氏の令孫由紀夫君が留学のため貴地に赴くことになりました。よろしくご指導、ご鞭撻を賜りたい》
という内容のものだった。
姉夫婦やAさん夫妻は、スタンフォード大学大学院へ留学してきた御曹司、由紀夫氏を快く迎え入れ、世話した。
「由紀夫くんはときどきレストランに食事に来ていました。彼はお金持ちの息子という感じで、本当に世間知らずでしたから、私たちに頼るしかなかったんでしょうね。
そのころ幸はレストランで客を案内する係をしていたのですが、どうも由紀夫くんが幸に一目惚れしてしまったようです。私はゴルフで出かけることも多かった。その間に由紀夫くんがうちへこつそり来て会っていたんです」(Aさん)
由紀夫氏は、後のインタビューでこう語っている。
《人の妻に惚れてしまい、それでも突き進むことはつまり「不倫」という結果を招くことになるわけだけど、どうしても自分の気持ちに抵抗できずにゴールまで走ってしまった‥‥》
その後、幸さんは店を辞めるが、由紀夫氏と幸さんの仲は当地の日本人社会で噂されるようになっていた。
いまから38年前のこと。小さな〝日本人村″で話はあっという間に広まった。
「ある日、〝弟さんが留守のとき、男性が家にこっそりと来ている″という密告の手紙が姉夫婦の家に届きました。
義理の兄が調査すると、由紀夫くんが私の留守中に家に長時間上がり込んだりしていることがわかったんです。
私が、“こんな手紙があったようだから、噂がたたないよう気をつけろ”というと、幸は“あの人はアメリカのことは何もわからないから、世話してるだけです”と答えました。
たまに幸が“今日昼に由紀夫さんが来たのよ”というときはあったけど、何せああいう世界にいたから、演技がうまかったんですね。ふたりがつきあっているとはまったく思わなかったし、気配も感じませんでした」 (Aさん)
しかし、夫婦の終わりは突然訪れた。手紙の一件から1年ほど経ったある日、Aさんがゴルフ後に帰宅すると、そこに妻の姿はなかった。
「彼が迎えに来たんでしょう。
『家を出ていきます』という置き手紙だけがありました。
ただただ茫然自失の状態でした」(Aさん)
「恩を忘れた」
結局、別居から2年後の73年にAさんと幸さんは離婚。
同棲をしていた由紀夫氏と幸さんは、その2年後の75年に結婚した。
「幸は私に挨拶もしないで出ていきました。もちろん由紀夫くんからの挨拶や謝罪もありませんでした。ああいう政治の世界で生きる人は、一般の感覚とはズレているんでしょう」(Aさん)
Aさんの姉のBさんは、由紀夫氏の母・安子さん(86才)が、ふたりの結婚が決まったと挨拶に訪れたときのことをいまも鮮明に覚えている。
「弟は留守でした。対応をしていた夫から、私も来るようにといわれたのですが、私は“ごゆっくりどうぞ”というのが精一杯で、すぐにキッチンに戻りました。だつて、弟の妻を奪われたんです。あまりに腹が立って、弱めていた火を強くして料理したのを覚えています。
思えば、由紀夫くんはうちへ食事に来ても、代金やチップを払ったことほありません。
お金にあまりに不自由せず育ったからそういう常識すらなかったんでしょう」
Aさんは幸さんと離婚後ほどなく日本人女性と再婚した。
「妻は前の妻が幸だと知っていましたので、テレビでふたりを見ると“この顔は見たくない”と目を背けていました。
その妻も昨年がんで亡くなり、私もようやく気持ちの整理がついたんです。
いまでも、思を仇で返されたという気持ちに変わりはありません。由紀夫くんが何の挨拶も謝罪もなく去っていったこと、そしてそういった人格の人間が首相になることについては、やはり思うところがあります。私は自分の妻を奪われたことをいっているのではなく、自分が来るべきところを母親を挨拶に来させるような男だということをいいたいのです」 (Aさん)
由紀夫氏は「妻と一緒にならなかったらぼくは政治家にはならなかった」と公言するなど、折にふれて幸さんとの仲を微笑ましいエピソードとして語る。
それに対し、34年問憤りの気持ちを抱き続けてきたAさんやBさんは、テレビの中で“友愛”を掲げる由紀夫氏、そんな夫を支えていきたいと微笑む幸さんの笑顔の仮面の下に亡恩や不実がみえるのだという。
以上転載終わり。
この内容が事実だとすると、政治家以前に最低の倫理観の夫婦が首相夫妻に為った事に成ります。
私は、この様な人間に今上帝手ずから証書を手渡す事を許せない。
何とか為らないものだろうか。