「柚木原遼子ってこんな人」ってことで
柚木原遼子の人生いろいろを語ります🍀
娘の出産は、
それまでの経緯から
里帰りしませんでした。
しかし
二人目ともなると
そうもいかないだろうと
里帰り出産することにしました。
(相変わらず母は母でしたが。)
時は2月。地元では、
大人が40度の熱を出してバタバタ倒れる
インフルエンザが
猛威を振るっていました。
3600gにもなっているのに
予定日を過ぎても出てこない赤ちゃん。
とうとう私まで
インフルエンザにかかってしまい
入院することになったのです。
熱が40度を超えてしまったので
点滴の解熱剤を使い、翌朝には
平熱に戻りましたが、疲れました。
ベッドの横には、
赤ちゃんの心拍数を測る
機械が置いてあります。
朝の検温が終わり、
看護婦さんもいなくなって
一人取り残されて
心拍数の機械を見ていると
みるみる数字が下がって
40になりました。
慌ててナースコールをすると
先生と看護婦さんがやってきて
「帝王切開しなければならない」
とおっしゃるのです。
他には誰もいません。
怖かったけれど
1人で決断しなければなりません。
すぐに帝王切開手術が始まりました。
何とか無事生まれてきた息子。
3824gでした。
連絡を受けた夫が関西から駆け付け
病院に着いたのは
生まれた後でした。
保育器に入れられた息子は
ほかの保育器に入っている
未熟児たちと比べて
巨大だったそうです(笑)
手術後は、ベッドの上で
点滴と導尿で身動きが取れません。
水も飲んではいけないので
インフルエンザの咳をするたび
のどの渇きに苦しみました。
おなかにも響くので、おなかを押さえて
そっと咳をしました。
麻酔の影響でしょうか。
眠るたびにヒマラヤの上空を
飛んでいる夢を見ました。
自分の体一つで飛んでいるのですが
風や空気、降り立った時の雪の感触まで
リアルに感じて怖くなりました。
後で聞いたところによると
自分の体を守るために
幽体離脱していたのだろう
ということでした。
その夜は
雷が鳴り、地震もありました。
地震雷火事親父と
鳴り物入りで生まれてきた息子。
どんな運命を持って
生まれてきたのでしょうか。