あなたの価値に光をあてるY's数秘術 -3ページ目

あなたの価値に光をあてるY's数秘術

あなたの価値(才能)を見える化し光をあてるY’s数秘術。あなたは13310分の1のあなただけの才能に気づいていない!あなたの価値(才能)に光が当たれば運命が回りだす!あなたは今のままで良いの?人生を変えたいなら、自分の才能にロックオン!

「柚木原遼子ってこんな人」ってことで

柚木原遼子の人生いろいろを語ります🍀

 

 

【3.名前を自分で選んだミラクル娘】はこちらから

 

 

 

 

 

娘の出産は、

それまでの経緯から

里帰りしませんでした。

 

 

しかし

二人目ともなると

そうもいかないだろうと

里帰り出産することにしました。

(相変わらず母は母でしたが。)

 

 

時は2月。地元では、

大人が40度の熱を出してバタバタ倒れる

インフルエンザが

猛威を振るっていました。

 

 

3600gにもなっているのに

予定日を過ぎても出てこない赤ちゃん。

 

 

とうとう私まで

インフルエンザにかかってしまい

入院することになったのです。

 

 

熱が40度を超えてしまったので

点滴の解熱剤を使い、翌朝には

平熱に戻りましたが、疲れました。

 

 

ベッドの横には、

赤ちゃんの心拍数を測る

機械が置いてあります。

 

 

朝の検温が終わり、

看護婦さんもいなくなって

一人取り残されて

心拍数の機械を見ていると

みるみる数字が下がって

40になりました。

 

 

慌ててナースコールをすると

先生と看護婦さんがやってきて

「帝王切開しなければならない」

とおっしゃるのです。

 

 

他には誰もいません。

怖かったけれど

1人で決断しなければなりません。

 

 

すぐに帝王切開手術が始まりました。

 

 

 

 

何とか無事生まれてきた息子。

3824gでした。

 

 

連絡を受けた夫が関西から駆け付け

病院に着いたのは

生まれた後でした。

 

 

保育器に入れられた息子は

ほかの保育器に入っている

未熟児たちと比べて

巨大だったそうです(笑)

 

 

 

手術後は、ベッドの上で

点滴と導尿で身動きが取れません。

水も飲んではいけないので

インフルエンザの咳をするたび

のどの渇きに苦しみました。

おなかにも響くので、おなかを押さえて

そっと咳をしました。

 

 

麻酔の影響でしょうか。

眠るたびにヒマラヤの上空を

飛んでいる夢を見ました。

 

 

自分の体一つで飛んでいるのですが

風や空気、降り立った時の雪の感触まで

リアルに感じて怖くなりました。

 

 

後で聞いたところによると

自分の体を守るために

幽体離脱していたのだろう

ということでした。

 

 

 

私がヒマラヤの上空を飛んでいる頃

夫は義母と一緒に、娘を

病院に連れて行きました。

娘もインフルエンザにかかっていて

熱があったのです。

 

 

病院から夫の実家に戻ると、寒いので

あちこちの暖房をつけたそうです。

 

 

リビングのストーブに火をつけ、

他の部屋でコートを脱ぎ、

「やれやれ、一息」と思ったとき、

娘が「うんち」と言いました。

 

 

 

娘をトイレに連れて行こうと

リビングの前を通ったら、

なんと!ストーブから火が出て

カーテンに燃え移ろうとしています!

 

 

 

 

 

夫はとっさに素手でストーブを

庭に持ち出し、事なきを得たそうです。

 

 

 

ストーブの上に

洗濯バサミの入ったプラスチックの

かごがあったのに気づかず

夫が火をつけてしまったのでした。

 

 

 

 

 

その夜は

雷が鳴り、地震もありました。

 

 

地震雷火事親父と

鳴り物入りで生まれてきた息子。

どんな運命を持って

生まれてきたのでしょうか。

 

 


 
 

 

 

「柚木原遼子ってこんな人」ってことで

柚木原遼子の人生いろいろを語ります🍀

 

 

【2.結婚~数秘術との出会い】はこちらから

 

 

 

 

 

結婚して数年後、ミラクル娘 爆誕ビックリマーク

 

 

生まれてすぐの娘に

なんとなく考えていた名前で

呼びかけてみました。

 

 

すると

「それは私の名前ではないわよ」

とばかりに反応しません。

 

 

次に

思いついた名前を数秘術で変換して

数字的に抜けのない名前にして

呼んでみました。

 

 

すると

「それ、それ!」という感じで反応。

自分で名前を選んだのです。

 

 

今でも自分の名前を気に入って

口にするので

この名前しかなかったのでしょう。

 

 

誕生日を選んで生まれてくるというけれど

名前も選んで生まれてきた娘でした。

 

 

【歩けないのに歩いた びっくり
 
生後6ヶ月くらいの頃
 
 
夕食を作るために台所に立った私は
娘がむずからないように
ベビーラックに座らせました。
 
(画像はお借りしました)
 

ベビーラックを背にして
野菜を切っていると



あれ?カタカタ音がします。
 

振り向くと、ベビーラックが
ひとりでに
動いているではありませんか!


え、なんで?


よく見ると
娘は安全ベルトをしたまま 
ずずっとずれて
足を床につけて
ベビーラックを動かしていたのです。
 

歩けないのに歩くとは!
恐るべし!我が娘!


(上の写真、今はストッパーついてるんですね)

 

【30畳を高速ハイハイびっくり

10か月検診のとき
畳に座って順番を待っていると



お母さんの周りで
おとなしく遊んでいる子を尻目に
検診のテーブルが並んだ30畳を
高速ハイハイで
何回もまわって戻ってくる娘。


「いつもこうなんですか?」
隣のお母さんに尋ねられて
返答に困ってしまいました笑
 
 
【2歳8か月で母子で論争!】


 

お箸も鉛筆もボタンかけも

何でも早くできるようになった娘。

 

 

言葉を覚えるのも早くて

もし通じないとなると

少ない語彙の中から言いかえて

伝えようとします。


 

そして、理解していないのに

大人が癇に障るような、その場に合った

難しい言葉をチョイスするので


 

2歳8か月のころは
部屋の端と端で向かい合って
大きな声で大論争(笑)



子どもと同じレベルで戦ってどうする?笑
 

 
 
 
 
 
 
 

 

 

「柚木原遼子ってこんな人」ってことで

柚木原遼子の人生いろいろを語ります🍀

 

 

【1.誕生〜結婚まで】 はこちらから

 

 

 

 

 

夫の就職先が関西だったので

新婚生活は、関西で始まりました。

 

 

 

地元から出て初めて住む土地が関西。

「子供まで関西弁しゃべってる」と

不思議な感じがしました。

 

 

 

知りあいは夫だけ。

 

 

 

毎日の生活に慣れるのに

精一杯の日々でしたが、

親との確執から解放され

うれしかったのを覚えています。

 

 

 

しかし、子どものいない私は

子どもを遊ばせながらのコミュニティ

には入っていきにくく

 

 

 

教師時代の同僚が

「結婚と同時に大阪の公立学校の

教師になった」と聞いては

焦る気持ちが強くなりました。

 
 
 

卒論の続きの研究を

図書館まで調べに行ったり

パッチワークを習ったり

友人たちとの新聞を発行したり

 

 

 

何がしたいのか

何をやった方が良いのか

どの順番でやるべきなのか

正解が分からなくて

混迷を極めていました。

 

 

 

 

そんなある日、本屋で

数秘術の本に出会いました。

 

 

 

その本を手にとるように

運命的に仕組まれていたとしか

思えません。

 

 

 

数秘術にのめりこみ

周りの人を片っ端から占い

 

 

 

自分の性格や使命を知り

(どうやらネクラじゃなかった😅)

 

 

 

家族との関係性が腑に落ちました。

(家族の中で私だけ数秘の並びが異質だった😵)

 

 
 
ライフサイクルがわかって
それほど焦らなくなったようです。
 
 
 
そして
 
 
 
数秘術で「今日はどんな日か」考え
バイオリズムで体調を確認する日々が
始まりました。
 
 
 
 
 
 

 

 

柚木原遼子のお仕事遍歴。
 

 

さて、塾講師時代も
数秘術は私の傍にあったニコ

 

 

結婚後、26,7歳のころに

カバラ数秘術に出会って

 

 

周囲の人を占いまくり

カバラ関係書を読みあさり

 

 

名前のローマ字も
ソラで数字に変換できるようになり

 

 

その日がどんな日か
一瞬で計算できるようになって

 

 

数秘術は
生活に欠かせないものになっていた。

 

 

ある時は、フロッピーディスクに
打ち込んだデータをもとに
鑑定書を渡し

 

 

ソラで計算できるので
その場で鑑定して
アドバイスしたりもした。

 

 

 

ところで

 

 

夫には持病があり

薬を飲みつつ会社勤めをしていたのだが、

 

 

いつ会社を辞めることになるか

分からない状況で

 

 

次第に起業を

考えるようになっていった。

 

 

起業するなら

塾講師の経験から国語関係か

数秘術関係🤔

 

 

 

そんな時ネットで見つけた

「誰でも出版出来る」という

出版セミナー。

 

 

出版出来れば

それを足がかりに

起業出来るかもしれない。

 

 

そう思って参加した

出版セミナーだったが

 

 

その目論見は

あえなく打ち砕かれた。

 

 

ある出版社の編集者には

「国語で名を馳せた権威者か

何かでバズった人でないと難しい」

と言われ😩

 

 

この時初めて

バズるという言葉を知った…😅

 

 

セミナー主催者には

「数秘術での経験値がないと」

と言われ😩

 

 

つまり

出版→実績じゃなくて

実績→出版。

 

 

売れると分かっているものしか

出版されない😩

 

 

誰でも出版出来るんじゃ
なかったんかーい?

 

 

もう自力で起業するしかない

と悟ったのであった。

 

 

そして

 

 

数秘術での起業に舵を切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

柚木原遼子のお仕事遍歴。
塾講師時代。

 

 

当時悔しかったエピソードを3つ。

 

①急に「来なくていい」と言われた件

 

その頃5年生2クラスの授業が

1クラスは前半国語、後半算数

2クラスは前半算数、後半国語

のようになっていて

 

国語の講師、算数の講師

それぞれ2人体制だったの。

 

国語は、私と

塾内の実力有名男性講師。

 

 

ある日、算数の1人の講師が

急に来れなくなって

 

2クラスを1クラスにして

授業することになり

 

当然国語の講師が1人余るので、

 

授業の準備万端で

塾に出かける寸前の私の所に

電話がかかってきて

「今日は来なくていいです」😵

 

実力有名男性講師の方が

選ばれたというわけ😢

 

しかも、

それを決定した室長がビビりで

自分で電話出来ず

事務さんに電話させるという情けなさ😫

 

②講習の担当は男性講師

 

春期講習とか夏期講習とかは

いつもの体制とは異なり

クラスが減ったりするの。

 

そんな時優先されるのは男性講師。

 

おかげで

講習の担当クラスが

ひとつもなくなった時は

泣きそうになったわ🥲

 

③コロナ禍で切られるのは女性講師

 

コロナになって

集団授業が難しくなって

オンライン授業がメインになり

 

そうなると

一斉に授業出来るから

担当講師は少なくて済むわけ。

 

男性講師にはこっそり

映像授業の資格を取得するよう指示が出て

 

女性講師には

「明日から来なくていいです」

 

同僚の女性講師と

慰めあいながら帰った思い出が😢

 

この頃私は塾に見切りをつけ

起業へ舵を切っていたから

 

これも神さまからのお導き

と思っていたけどね🥰