年功序列と同調圧力を海外に持ち込み、日本人間のみで去勢を張り合う悲しき日本人達

学生時代から英語圏の国に住むこと20年程、海外の日本人コミュニティの煩わしさと気持ち悪さを文章として吐き出すことで、鬱積された自分の気持ちを整理する為にこのブログを始めることにした。

現在住んでいる小さな都市は学生時代に住んでいた大都市圏とは違いローカル達のコミュニティ自体も密接だが、更に輪をかけて日本人コミュニティ内の人間関係は濃厚であった。
現地人と結婚した日本人女性の多くは、自らのことをwesternizedされた感覚を持つ国際色豊かな女性として自己演出されている方が多い。
しかしながら彼女達の多くが、日本人特有の年功序列と同調圧力を日本人コミュニティ内のメンバーに仕掛けてくるのである、それも凄まじ圧を持ってして。

年功序列の日本人コミュニティ内では、とりあえず年齢が上の者は、たとえ現地の言葉をまともに話せなくても、日々の生活に必要な能力に欠けていたとしても、更にそれを克服する努力を怠っていたとしても、このコミュニティ内においては、年下より序列が上として扱われることを期待して接してくる=大きな態度であらゆる頼み事を当然のようにしてくる。そして、もしそれを断ろうものなら、コミュニティ全体へ陰口を吹聴する形で制裁を下すのだ。
まさに、上の者には絶対服従が掟のコテコテな村社会。

対象的に、語学が堪能で仕事を持ち自立した日本人女性もいるのだが、この手の充実ライフを送っている方達や自分に自信のある人達は、海外に住んでまで日本人同士の相互監視コミュニティを避けている人が多く、彼らは同レベルの者同士でのみの交流に留めている事が多い。

私は学生時代、語学の習得の為に殆ど日本人コミュニティに属しておらず、また日本の出身地もわりと都心な為、この日本人コミュニティのねっとりと絡み付くような濃厚で村社会的な相互監視コミュニティというものに免疫が無さ過ぎたのだろうなと今にして思う。

母国語が同じというたった1つの共通点しか無い、価値観が違いすぎる相手と理解し合えるはずも無く、10代から海外に出ており個人主義的な価値観が強い私は、この日本人コミュニティにおいて村八分の格好のターゲットとなってしまった。

表面的には、さも誠実でかつ人が良さそうで親身な良識ある人間の振りをしながら近づいて来て、私からあらゆる情報を引き出し、それを誇張してコミュニティ内にばら撒き集団で嘲笑うという事を、ストレス発散の肴にして楽しんでいたらしい。

私の人生を振り返って、ここまで内面が醜悪な人物達と対峙する必要がほぼ無かった事が幸運でもあり、と同時に不幸でもあったのかもしれない。
無知とはそれ程までに恐ろしいと実感させられた。


しかし、人生とは面白いものだ。
先導を切って私の悪口を広めていた人物やその子分的存在達に次々と不幸が訪れた。
更に現在進行形で不幸の真っ只中に停留している者もちらほらいる。配偶者や親族に見下された扱いを受け続けているらしい。
友達の振りをしながら、長らく私をサンドバッグにし続けてきたのだから自業自得だろう。
可哀想とは思わないが、只々哀れだと思う。

この人達のことを私はもう友達とは思っていないので、
これから先の私の人生では関わる必要は皆無だ。
しかし彼女達は易々とは縁が切れない家族からディスられているが、自分が置かれている苦境は自身の醜い言動が引き起こした因果応報の結果と言った発想は無いのかもしれない。そして、それ故に負のループの中でもがき続ける日々しか待っていないのだろう。

彼女彼らの多くは、自身の人生に真摯に向き合っていない。自分が抱える問題に正面きって向き合っていないし、向き合う勇気を持つことを放棄している。
努力をする気がないので、周囲の努力する者達を小バカにして、崩壊寸前の自尊心を保とうと足掻く。
この人達は、自分を誤魔化し続ける哀れな人生を送り続けていくのだろうか。
またその熟れを果てを、互いに小バカにし合う事でしかコミュニケーションの術を持たないのかもしれない。


ここに居たら腐る!
私の内なる声が叫んでいた、限界が来たのだろう。
私は村から完全に決別することにした。
仕事に邁進し、貴重な自分の時間を無益なことに浪費しないと決めた。