シューマン作曲の「Widmung(献呈)」という、私の本当に大好きな歌曲があります。
以前、歌のパートを友人のチェリストが弾いて、一緒にコンサートで演奏しました。
その後、シューマンの奥さまが原曲の色をほとんど変えずに忠実にピアノソロ用に編曲したものを
弾きました。
同時代の作曲家リストもこの曲に魅せられたらしく、ピアノソロ用に編曲しました。
こちらは思いっきりリスト色に塗り替えた、けれども原曲の美しさも形を変えて伝わる素敵な曲です。
それを今練習していて、思いました。
私は結婚前の人生の時間と労力のほとんどを
ピアノでクラシック音楽を弾くことに費やしてきたにも関わらず、
なんらかの理由で、クラシック音楽は自分が一番求める表現手段ではないと判断して
今に至っていますが、
それでもやはり時折こうして練習していると、たまらなく幸せな気持ちになります。
なんでかなー。
別に世界で一番クラシック音楽が好きってわけでもないのになー。
で、気付きました。
過去の天才たちが
それこそ言葉でも顔の表情でも態度でも もうどーやっても表現しきれない、
まさにあふれんばかりの愛や喜びや感謝や悲しみや苦しみや孤独を込めてつくった音楽を
楽譜を通して弾かせてもらうことによって、
私は到底自分の力だけではたどり着けない、光あふれる神の領域へとほんの一歩だけ、
近づかせてもらえるのです。
まさにこの歌の歌詞にあるように、
自分がよりよい自分へと生まれ変わるような、より高みへと引き上げられていくような
喜びを味わうことができるのです。
現実の自分は腹黒くて、我が儘で、怠け者で、俗世のアクにまみれているけど、
ピアノに向かっているときは「ワタシっていい人間かも
」と、つかの間の妄想に浸れるのです。
私にとってはいわゆる[自己表現」とはまた違うものです。
いや、自己表現には違いないんだけど・・・ そこは今回は踏み込まずにおこう
ビバ、シューマン!
ビバ、モーツァルト!
ビバ、ベートーベン!
ビバ、バッハ!
はーぁびばのんのん。








なんだかとっても、
和
・・・ゲーテが・・・モーツァルトがぁ・・・

せばっちゃん
Sebastian
ですっっ。











