人生変えたくなったときに読むお話
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『変わらないこと』
それは、
罪なのかもしれないし、
愛なのかもしれない。
ただ、どんなことでも、
自由を求め続けてきたわたしにとって、
『変わらないこと』は苦でしかなかった。
心のどこかでは、安定を求めていても、
常に「創造と破壊」を繰り返してきた。
その1つが離婚だったのかもしれない。
変わらないことを望む(元)夫と
変わり続けることを望む(元)妻と。
どちらにも、折り合いがつかず、
ぐるぐると思いあぐねていたわたしは、
何の迷いもなく、『アジト』に飛び込んだ。
『人生、難有り』
だからこそ、有り難い。
人生、ぼーっとしていても、
変わらず、日は昇って沈むし、
時計の針は、どんどん前へ進んでしまう。
だからこそ、
「時間」に追われるんじゃなくて、
自分で新たな「時間」を創りだそう。
わたしが今、
こうして自由に生きれるようになるまで、
この6ヶ月間、何があったのか、
今日もまた、1つ1つ綴っていこうと思う。
この記事を読み終わった後、
あなたの日常が、
少しでも、より愉しく
より違和感のない今になるよう。
記念すべき今日へようこそ。
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〜アジトでのお話〜
大人Aは『アジト』を取り仕切る座長のような存在なのだが、
人間ってやっぱり誰かを真似する生き物のようだ。
気づいたら、「わたし」。。。
大人Aの笑い方を完コピしていたのだ
6ヶ月目にして、そんなことに気づいた。
人間っていうのは自分が尊敬している人に対してや、
長く一緒にいたりすると、
無意識にその人を真似てしまうという特性がある。
大人Aの笑い方は、
腹の底から「はっはっはっ」っと笑う感じ。
よくよく考えてみると、大人Tの笑い方も完コピしていた。
短く、乾いた声で「ははっ」と笑うのだ。
この「真似る」ことは、良い意味において、
例えばイチロー選手を尊敬している。
将来野球選手になりたい。
こども達がそういう風に自分が尊敬する人を
目標にして頑張る。っていう。
これが本来の「真似ぶ」の良いあり方だと思う。
そう。。。
「わたし」はこの6ヶ月、
尊敬できる大人5人達を、
ひたすらに身近で感じ、真似て来たのだ。
ときに友のように、
ときに父のように、
ときに母のように、
ときに姉のように、
ときに弟のように、
ときに師のように、
ときに神のように、
でも、
1つだけ出来なかったことがある。
それは、
ときに戦友のように、
そこに至れなかったことだと思う。
だから今、
「わたし」は、『戦友』にもなるために、
今よりもさらに自分を追い込むために、
自らの全ての環境を変えるために、
アジトを後にした。
例えば、ダンスで、
トレーニングをすると、
筋肉の中の筋繊維が切れる。
その筋繊維がまた、再生するから、
体が強く、より強度の高い動きができるようになる。
そのことを現役の時に学んだけど、
人生も同じだなって思う。
骨が毎回、強制的に壊されて、その都度、作り直される、、、
そうやって丈夫になっていくように、
人生においても
お互いに、最高の基準値で、
ぶつかり合い、それでも信頼し手を取り合う。
そうやって、戦友になれるから、
より強固な絆を創れるんだと思う。
本当はもっと、
戦友として、「創造と破壊」をしてみたかった。
その機会はたくさんあったはずなのに。。。
それなのに、、、
『時間切れ』
そのブザーは、ほんの少し前から、
「わたし」の中で鳴り響いていた。
『アジト』の大人たちは、
24時間、手を差し伸べてくれていたし、
ちゃんと「創造と破壊」の瞬間も創ってくれた。
だからこそ、
今ある全てが当たり前だと、
そう思ってしまう自分に奢らず、
常に、前を向けたんだと思う。
それなのには「わたし」は、
この「創造と破壊」を、
『アジト』の大人達へ、紡ぐことができたのだろうか。
どちらも、怖がって、
何も生み出せていなかったのではないだろうか。
と、言うのも、
ダンスをしていた時は、
それは、自然と、演じることで創れていた。
ルンバでは愛の「創造と破壊」を、
ワルツでは、男女の「創造と破壊」を、
パソ・ド・ブレでは、戦いと優雅さの「創造と破壊」を、
サンバでは遊びの中の「創造と破壊」を、、、。
それは、
気の遠くなるような練習と、
嫌になるくらいの筋トレ、
その先にある、衣装という鎧と、
宝塚ばりの派手なメイク。
いろんな鎧で塗り固めた、
仮の姿の「わたし」だったから、創れていたのかもしれない。
でも、一度ダンスフロアから出てしまえば、
また迷子の「わたし」が顔を出す。
そんな迷子の「わたし」が、
迷子ではなくなった時、
「わたし」はアジトを後にすると決心したのだ。
要するに、本当の大人って、
結局は、自分にも相手にも。
「創造と破壊」を創ってあげられる存在なんだと思う。
厳しさの中にある優しさ。
優しさの中にある厳しさ。
どっちも大事で、どっちもいい。
干渉しすぎることもなく、
答えを、無理やり聴き出すでもなく、
それでいて、本気で共に戦ってくれる。
ただただ、
日常生活を一緒に送るだけでは生まれない、
その「創造と破壊」を、
『アジト』でたっぷり感じたのだ。
そういう空間、
それが、『アジト』。
そう思える「わたし」に、
今日も、出和えてよかった。。。
waninatteodorou