誰にも相談せずに自殺してしまう人間が殆んどを占めている理由について感じている事を書こうと思います。

自殺相談は傷害罪に当たるかもしれないから誰にも相談せずに自殺している人が多いのでは無いか?という疑問です。

私の場合は性的被害相談を異性から受けて胸糞悪く、被害を受けられた女性の事が不憫で聞いてるだけで辛かったです。
相手の力になりたかったが、自分は警察官でも無いので当然ながら力にはなれなくて辛かったです。
しばらくは軽めのノイローゼが続いていました、警察では代理被害と言うらしいですね。
そして、軽めのノイローゼになった私は相手を傷害罪で訴えて良いことになるのでしょうか?
例えば「復縁してくれなければ自殺してやる」というのは脅迫などで訴えられてしまうかもしれませんが「私は自殺を考えている」という相談を傷害罪で訴えるのは厳しいのでは無いでしょうか?
自殺相談に限らずパワハラやセクハラの相談を受けた側が鬱病やノイローゼになったという理由で相談をした相手を訴えてしまうのでは誰にも何も相談出来ない世の中が出来上がってしまうので無いでしょうか?
そもそも、相談をされて鬱病やノイローゼになったと言って相談をしてきた相手を訴えるぐらいならば相談に乗らなければ良いのです。
「相談に乗れるよ、何でも話して」と悩んでいる相手に話しておきながら「相談を受けて鬱病やノイローゼになったので傷害罪で訴えてやる」というのは理不尽では無いでしょうか?

こういった立件要因が成立するのであれば、相談せずに自殺をする人が殆んどなのも頷けます。
悩んでいる事を相談したから犯罪者として立件されるなんて堪ったもんじゃない、この世は理不尽で溢れて染まりきっています。

メディアや記者などが「何故、誰にも自殺したい気持ちを相談せずに死んでしまうのか?」とテレビで話してますが、それが「相談して良い」では無く「相談したら駄目」なのだから前提的に話にならないです。

極端に言えば、心療内科へも相談出来なくなる訳です。
そう解釈している人間が誰にも相談せずに諦めて自殺しているのかもしれません。

自殺を仄めかす言動や行動は第三者から見ればショックを受ける事は理解出来ます、ですが悩みを相談する事が犯罪ならば自殺相談フリーダイヤルも心療内科や誰への相談も必要無いです。

希死念慮の感情による相談やパワハラやセクハラなどのハラスメント被害による相談を誰にも出来ない世の中が浸透してしまうのでは?と深く疑問に思い、残念でならないです。
相談を受けた人間が感情移入による代理被害を受けるのも深刻であるものの、誰にも何も相談出来ない状況を作ってしまうような風潮が出来上がってしまって良いのでしょうか?

これでは泣き寝入りする人間や自殺者の増加の一途を辿るばかりでは無いでしょうか?

報告、連絡、相談という報・連・相は人生において切っても切れないものだと思いますが…相談の部分を否定するような風潮と自殺相談に対する理解が世の中では浸透していない事に失望を隠せません。

所詮は同調圧力と弱肉強食の世界なのでしょうか。