片付ける 物事にきまりをつける。片をつける。

カタがつく、とも言いますね。けりをつけるとほぼ同じ意味ですが、『片付けられない』になると何故か『お掃除できない』がイメージされます。不思議。

こっちの意味でちょっと話を進めてみます。

『片付けられない』と聞くとどうも悪い印象を拭えません。〇〇できない、否定形だからですかね。しかしこの場合、『片付けようとしていない』んじゃないかしらと思うのです。

例えば私は、自分が次使うときにどこにあったか分からなくならないように、置く場所が決まっているものがいくつかあります。『あら、あれどこだったかしら』こうなるのが面倒なので必然定位置が出来てくる。

ところでこんな私にも、病める時と健やかなる時に共に居てくれる稀有な方がおられます。

一人暮らしなら、目に見えない存在と同居していない限り・・定位置からモノが動くことはあり得ません。ヤダこわい。

しかし運よく誰かと起居共にしておられるなら、定位置にモノが無い→次の二通りが挙げられます。

・てめえがぼんやりして違うところに置いた

・the otherがお使いになられた

 

一つ目は自分が置きそうなところをグルグル探して解決しましょう。ちなみに私は誰かに話し掛けられる、大きな物音を感知すると前後の記憶が途切れがちになるので、そのようなことがなかったか回想します。大体これで解決します。タンスの引き出しに空調機のコントローラーが在ったりします。

次の『自分でない場合』これがなかなか楽しい。該当する誰かになったつもりでグルグルしてみましょう。顎に右手を、右肘に左手を添えながらやってみたりしましょう。まさかうだる暑さに降参寸前でコントローラーを探しているとは誰も思いません。眉間に皺でも寄せておいたら、『どうしたの』と話し掛けられる恐れもほとんどありません、私は。きっと余程恐ろしい顔なんでしょう。

多分ここでゴロゴロしたな、そうしてしばらくして風を下向きに変えたな、ひと眠りして誰かに呼ばれとりあえずスイッチを切った・・その辺りをジロジロ、『あった』とはなりません大体。私名探偵ではございません。人の気持ちに成り代わる難しさよ。

『どこにやった』『どこにあるか知らないか』まあ聞いてしまえば早いのですが、どうもこの言葉たちに含まれる『俺がどこかにやったんじゃない』感が苦手なんですね。早い話が、『どこにやったったかしら』を防ぎたいのは私個人の考えで、伴侶、the otherはそうでないかもしれない。

また直ぐに散らかってしまうから、ここは別に片付かなくてもいいから、それぞれの考えで共有スペースは成り立っているので、全員が整理整頓タイプでない限り整った状態は維持できません。

そうでないのにそうして欲しいと求めるのは強要。愉快な感じがしないのでこれも苦手。

掃除も料理も何でもですが、やりたいと思った時にそう思った誰かがやればいいと思います。それが私なら私がやります。

 

本当ならここで私の、ゲーム内での部屋が如何に片付いていないかとか、前回申し上げたトラシュカの写真など貼り付けるはずでした。予想外に文字数が多いのと、お腹が減ったのと、写真を貼るのに何故だかどうしようもなく時間がかかるのとで断念せざるを得ません。主に腹が減りました。

無駄に引っ張ることになってしまい申し訳ございません。お蕎麦茹でます。