エピソード Ⅱ
三年前、蒼い顔して友人のTが私を訪ねてきた。自分の会社が倒産
友人の紹介で勤めた会社で今度はリストラになった。
奥さんは突然、郷里の実家へ帰り、離婚。
彼は自殺を考えていたらしい。
私と話している最中、携帯にメールが入る。
「パパ、 死なないで」娘さんからだった。
苦痛の表情に変化があった。
彼は生きることを選択した。
タクシー会社に再就職したTと三ヶ月後、上野で出会った。
「今、何したい?」と私が聞くとTは上を向き、しばらくして
「八十八ヶ所巡りがしたいなぁ」と言った。
つづく
エピソードⅠ
バブルがはじけ数年後、平成不況が本格化してきた。
友人たちで勉強会を隔週で行っていたが全くの先行きが不透明
”日本が一体どうなるのか”が話題の中心になっていた。
『ヴィジョンが見えない今、日本人が何処から来て、
何処へ行くのか、もう一度考える必要があるのではないか』
真顔で話す友人の隣りにいたRが何故か
〝閑さや 岩にしみ入る 蝉の声″と言った。
ピーンと来るものが、その時の私にあった。
週末、紀伊国屋で芭蕉のコーナーで私は探した。
何故、私の脳裏に ”閑さや.........”が光となって走ったのか。
あったのだ、すぐに、ユングの共時性なのか -
「芭蕉のこころ」 宋左近著。
やはりそうだったのか、芭蕉は俳句を創る目的以上に
自らの原神を求めて、出羽三山で開悟することを目的としていた。
”芭蕉のこころ”とは日本人のこころなのだ。
”荒海や 佐渡に横たる 天の河”
出羽三山で『不易流行』を開悟した芭蕉は
宇宙と自己の一体、自然と自己の一体の境地にあった。
芭蕉にとって、彼の俳句は芭蕉の般若心経であったのだ。
西の八十八ヶ所、東の奥の細道という構想が私の中で一人歩き始めていた。
つづく