日本人のYouTuberより、海外のYouTuberの方が同じくらいの再生数で似通ったコンテンツでも、いいねの数やコメント数が圧倒的に多い。(ショートではなく、通常動画を想定)そんで、日本のコメント欄は動画にもよるが、大喜利が発生していたり、深めの考察が書かれていたり、ただ投稿者が投稿してくれたことに対していち早く好意や感謝を伝えるコメントを書き込みいいねを稼ぎを狙ったり、などいろいろある。それに対し、海外のコメントで上位に来るものはかなりシンプルにこの動画いいね!最高!と伝えるだけのものであることが多い。
こうした違いには、英語と日本語という圧倒的な使用者の母数の差と文化的な共通認識が深く関与していそうだ。英語は、とにかく世界中で使われている。そして、非ネイティブも多い。そのため、コメントの上位に来るものはシンプルでわかりやすいものの傾向があるのかもしれない。さらに、英語はあまりにも世界中に広まっているため、ネイティブや、特定の地域で使われている種類のものを除けば、ネットスラングなども理解されづらく、日本語ほどはたくさん発生しないだろう。
それに対し、日本語は話者数は多いものの、この小さな島国に限定されている。そのため、文化的な共通認識が強く働く。同世代の若者は同じネットスラングをある程度理解しているし、思考様式や意見も似たようなものになりがちだ。だから、日本の動画のコメントの上位には、皮肉の効いたものや考察、大喜利などが来やすいのではないだろうか。
そして、一番最初に言及したいいね数やコメント数の割合の違いも、海外と日本という対立で考えるなら、おそらく日本人の方が肯定に対する感情の振れ幅が小さいのではないかと思う。これは私の経験だが、高校時代の英語の先生方や大学の先生方、海外の旅先で出会った人々は皆口癖のように、Nice! とか Good! とかいう。肯定的な感情が表出しやすいのか、またはそれがベースになっているかもしれない。さらに、そう思ったならすぐに口に出すというのも日本人との違いだろう。そういえば日本人は物事を悲観的に捉える遺伝子を持った人がかなり多いと聞いたことがある。それなら肯定的な感情がでにくいということにもつながるかもしれない。
日本人はそれに対し、感情を押し殺しがちだ。いい意味でも悪い意味でも。
そして、感情をコントロールできる人を「大人っぽい」「大人」と称賛する。私はこれにいつも疑問を感じている。言い方はあるが、不快なら不快、良いなら良いと素直に言える人が「大人」でも良いではないかと思う。そうした社会的な多くの人が無意識に想定する「大人」という概念が、自らの感情や意見を率直に表明することを阻害してはいないかと思う。だが、日本では目と目のコミュニケーションといった暗黙的なものが好まれる。(私も嫌いではない。同じ民族間だからこそできる高度で繊細な技術だ。)
そして、実際にいいと思っていても、伝え方が婉曲的だったり伝わらなかったりする。ネット上なら余計にそうだ。良いと思っていても、それを婉曲的に伝える術がないから、無反応に見えてしまう。もし、そうした性質がポジティブな感情をも無意識に抑え付けているとしたら、なんだか勿体無いなと思う。もっといいねの基準をさげて、みんなで互いをもっと気軽に肯定し合えたら良いのにと思う。(だから、私はいいと思ったら率直に口に出し、真顔で相手を褒めちぎるのを習慣にしている。そして、少しでも良いなと思ったらチャンネル登録と高評価、コメントもするようにしている)
海外のYouTuberの動画につくいいね数、コメント数を日本のものと比べて、データなしで思考を展開してみました。みんな、もっといいねしてこうぜ。
追記:Xやインスタ、TikTok、ShortsなどはYouTubeの通常動画よりもいいねのハードルがなんとなく低いというのは、多くの人が感じているのではないだろうか。設計者が工夫している?それとも写真や短い文章、動画の方が、長い動画に比べて衝動的な感情がより湧きやすい?
難しいね。今はわからん