GW中(私的にはお仕事
)、松井秀喜選手の引退セレモニーが
あった。感銘を与えてくれた名プレイヤーの一人!
『10年に一人の怪物』と呼ばれ、巨人軍の4番として活躍後、
’02年 フリーエージェント宣言、ヤンキースへ移籍
’09年 ワールドシリーズ、日本人初のMVP受賞
偉人の世界での華々しい活躍と大変な功績!
それだけではない何かを見る人に与えたのでは…
それは決して順調とも言えない道のりであったのではないか。
甲子園ではスーパー高校級スラッガーのため、明徳義塾戦で
大会初の『5打席連続敬遠』の憂き目に…当時、社会問題に
まで発展し、印象に残っている。
ヤンキースでは3年連続で手術(手首・右ひざ・左ひざ)をうけ、
両ひざに爆弾を抱えたままワールドシリーズへ、そしてMVP。
翌年、現役で終えたかったはずのヤンキースから放出され、
3チームを渡ったのち、マイナーリーグでも現役を続行などなど
反面、怪我やスランプ・ハプニングで苦しみながらも野球選手
としての職務を全うしようとする松井の姿もある。
野球少年時代の自分に戻った感想としては、抜群の素質は
あるにせよ、自分を不器用ととらえ、人の3~4倍練習をし、
天才肌ではなく、努力でのし上がった。まるで、王貞治選手に
かぶる感じだ。
打たれた投手への配慮とファンの子供たちの目を気づかい、
決してガッツポーズはしない人柄も好感をよぶところ。
松井選手の現役時代は偶然にも、失われた20年と呼ばれ
困難な経済状況期と重なり、30~40代にとって共感をおぼえる人は
多いらしい。ビジネスの世界でも厳しいことが無数に起きている中、
自分の周りでもいると思う。
おこがましながら、自分もそうかも…
自分達同様に黙々と努力し、困難に立ち向かい闘ってきた
松井選手をオーバーラップさせたいのかもしれない。
そう言えば、ちょうど松井がヤンキース入団時に独立起業した先輩が
巨人不動の4番の座を蹴り、新たな挑戦に出たことは、すごくうれしい
と言っていた。きっと勇気をもらった気持ちだったんだろう。
その社長は設立10周年を迎え、益々意気軒昂だ!
まずは結果ありきの業種のためか、よく例え話で野球選手の話がでることは多い。
今後の自分のがんばろう!にも、つながるパワーを
もらい、そして勝利していこう!が自然体で湧いてくる
いいきっかけになるような出来事でした。
ひとまず、遅れて来たGWで疲れを癒します~ (^^ゞ



