ふるさとの満濃池
香川県 満濃池
放水路 毎年6月15日に放水「ゆる抜き」
が実施されます。
松坡長谷川翁功徳之碑
松崎渋右衛門辞世の歌碑
君の為 国のためには 惜しからじ 敵に散りなん 命なりせば
松坡長谷川翁功徳之碑
長谷川佐太郎は松坡と号し幕末
から明治にかけて満濃池の再築に
家財を傾けて尽力した人である。
榎井村の豪農の家に生まれ勤王
の志士日柳燕石と交流し 幕吏に
追われた高杉晋作を自宅にかくま
うなど幕末には勤王運動にも挺身
している
一方安政元年に決壊した満濃池
は その水掛かりが高松 丸亀
多度津の三藩にまたがり一部に天
領も含まれていた このため復旧
には各藩の合意を必要としたが意
見の一致を見ないまま十六年のあ
いだ放置されていた この間長谷
川佐太郎は満濃池の復旧を訴えて
倉敷代官所や各藩の間を奔走す
るが目的を果たせないままやがて
幕府は崩壊する
彼は好機到来とばかり勤王の同
志を頼って上京し維新政府に百姓
たちの苦難を切々と訴え早期復旧
の嘆願書を提出した
この陳情が功を奏し高松藩の執
政松崎澁右衛門の強力な支援のも
とに明治二年着工にこぎつけ同三
年に竣工したこの間彼は一万二千
両にも及ぶ私財を投入し晩年には
家屋敷も失い清貧に甘んじている。
この碑は彼の功績を称え 明治
の元勲山形有朋が題字 品川弥次
郎が撰文したものである 扇山書
松崎澁右衛門辞世の歌碑
松崎澁右衛門佐敏は髙松藩尊王
派の藩士で榎井村勤王の志士日柳
燕石とも交流があり幕末には入獄
の憂き目にあっている明治維新に
より出獄し藩の家老職となり農政
長をつとめた
ときに満濃池は安政元年に決壊
したまま放置され 復旧のめどが
立たなかった。 彼は榎井村の勤王
家長谷川佐太郎の要請を受け丸亀
多度津藩や倉敷県の間を本奔して
藩論をまとめ明治二年着工にこぎ
つけた このとき。満濃池
の用水は現在もこのトンネルを通
って配水されている
彼は満濃池の完成を見ないまま
明治二年九月八日髙松城内桜の馬
場で旧佐幕派集団に謀殺され四十
三歳の生涯を終えたがかねて覚悟
の辞世を常に用意していたという。
君の為国の為には惜しからじ
仇に散りなん命なりせば
註 この歌碑は松崎澁右衛門の末
孫松崎正照氏の自宅髙松市片原
町に建立されていたが片原町再
開発事業により移転を余儀なく
され満濃池土地改良区が寄贈を
受けたものである.
ACe 建設業界【2016年4月号】からシェアしました。




