見ず知らずの誰かならまだしも、近しい友人が世界で活躍したりすると、自分にもできるかもなんて、思ったりしませんか?

 

しかし実際は思った通り、うまくいくとは限りません。

むしろ、それほどの活躍をできる方が、稀ではないと思います。

 

理想が高くなった分、跳ね返ってくるのが自己否定です。

 

たとえば自分の身長が175cmだっとして、周りに同じくらいの身長の人が多ければ、自分の身長についてそれほど気になりませんが、周りが185cm以上の人ばかりだったら、気になるのではないでしょうか。

 

周りとの比較と通して、自分の立ち位置を決定、確認しているのが人間です。

 

だから理想が高くなれば、その分自己否定をする確率も高くなります。

 

そこで大事になってくるのが、自己否定の質と立ち直り方です。

 

自分自身をどう思うのかというアイデンティティは、人生を形づくる出発であり終点です。

 

ダメな自分だというアイデンティティから出発すれば、何をしても結論はダメな自分が蓄積されていきます。

 

だから自分のメージを上げようという試みがなされたりしますが、うまくいかないことが多いです。

 

なぜなら、ダメな自分をゼロ化するとういう工程を、すっ飛ばしてしまうからです。

 

ダメな自分にできる自分を上書きをしても、結局結論はダメな自分になってしまいます。

 

では、どうやったら自分のイメージをゼロ化することができるのでしょうか。

 

それはダメな自分ができる仕組みを、もう少し精密にみていく必要があります。

 

冒頭で他者との比較から自己否定が生まれると書きました。

これは過去の自分と今の自分、理想の自分でも当てはまります。

 

では他者や自分という存在は、どのように生まれるのでしょうか。

 

たとえば自分の姿を犬やヘビがみたら、人間の五感と脳を通して見た自分とまったく同じように見えるでしょうか?

 

犬は視覚が弱く、嗅覚が非常に発達していますから、人間が見ているようなカラフルで鮮明な境界線を持っている世界は見えないでしょう。しかし、嗅覚は人間の3千倍~1万倍と言われるほど繊細なので、人間には掴み取ることができない匂いの世界を掴み取ることができます。

 

このように、この世界は人間の五感と脳が見せている世界です。

ダメな自分をゼロ化すると言って、体を消してしまっては元も子もありません。

だから五感と脳の機能をゼロ化させることで、ダメな自分をゼロ化するこができます。

 

この世界を仏教では「悟り」

カント哲学では「物自体」などと表現してきました。

 

ちょっとイメージがぶっ飛びすぎているので、もう少しイメージの補足をさせていただきます。

 

そこで登場するのが、コンピュータのイメージです。

パソコンの画面には多様な色や模様、形があるぽっく見えますが、実際に動いているのは半導体の中の電気のon offです。

そのパターンが無限大組み合わさって、無限大の種類の画面と立ち上げます。

そして半導体の外には、何にもつかまれない大自由な電磁気力があります。

 

この現実もパソコンのモニターのようなもので、それを成り立たせるエネルギーの動きがあります。

その外には何にもつかまれない大自由の心があります。

 

パソコンの外にいるから、どんなにパソコン画面がどんなにリアルでも、これはパソコンだと分かるように、この一連の成り立ちの仕組みが分かった時に、この現実は凄くリアルなんだけど、実際に有るわけではないことが鮮明に分かります。

 

このような内容が、もっと深く広く、あらゆる角度から事細かく書いているのがNoh Jesu著「パーソナルユニバース」になります。

 

ご興味のある方は是非、手に取ってご覧になってみていただければと思います。

 

来月の11月15日(火)19:00~21:10には大阪にて、11月26日(土) 15:00〜17:00は福岡にて、オフラインで出版記念講演会もあります。

 

そして今晩10月31日(月)22:35~23:30で私と友人がオンライン読書会「どんな人とでも協力できる可能性が広がるパーソナルユニバース読書会」を開催予定です。

 

ご興味のある方は是非、足を運んでいただけたら嬉しいです。

 

川名 哲人