昨日の続きのような感じで、お掃除を通して気づいたことです。

 

お掃除は、汚れを取って本来のきれいな状態の戻すことで、とてもシンプルです。

 

汚れの種類によって削るか、洗剤で溶かすかを決め、削るための道具や洗剤の種類が違ってきます。

ふき取るのを雑巾でふき取るのか、水で洗い流すのか、乾拭きなのかなどが変化してきます。

 

 

しかし、やっていることはいたってシンプルで汚れを取るだけです。

簡単なのが水拭きをして終了です。

 

これをお掃除の基本単位だとしたならば、汚れがひどくなればなる程、それだけでは済まなくなります。

様々な工程が増えるので複雑に感じるようになります。

さらに仕事が忙しくて時間が取れなかったり、素材と汚れ、道具や洗剤の知識が無かったり、必要な道具が手元にない、きれいにしてもどうせすぐ汚す、汚されるこの心配や不満など、様々な要素が加わってくると、さらに複雑に感じるようになります。

 

 

 

 

汚れがたまる前に、水拭きをするようなシンプルなことを反復して実感していれば、他の掃除箇所もシンプルに捉えやすいのですが、これが出来ていないと複雑なフラクタルに陥りやすい感じがして、基本単位を分かり、繰り返すことの大切さを感じました。

 

 

目の前のことを複雑に捉えていては重い腰がなかなか上がりません。

目の前のことをいかにシンプルに捉えることが出来るのかが、重い腰を上げることにもつながります。

 

 

お掃除を通して、目の前のことをシンプルに認識できるかは、その物事の最小単位、基本単位を反復することによって、その繰り返しなんだということが分かり、共通点が観えれば、そこから違いも観えてくる感じがしました。

 

 

 

掃除だけではなく、自分が今ここやっている認識の基本単位が理解できれば、すべてのことがワンパターンでシンプルに認識することが出来ます。

それがHITOTSU学です。

 

川名哲人