先日、任期満了のため今の仕事を退職することを少し書いた。

この仕事は1年契約で、更新が5年までなのだ。
この仕事を続けるためには、毎年履歴書を書き、面接を受ける。

しかし、大変な仕事と地元ではかなり認識されているため、面接を受ける人がほとんどいない。
就職難の時代に、人手がいないのだ。

なので、5年で切られることも今ではうやむやな状態だ。
募集人数が多ければ、切ります、いない時は続けさせてあげます、という感じだ。
仕事の出来、不出来は関係ないのだ。
人数さえそろえば、なのだ。

私は、子どもたちと遊ぶことが大好きだ。
子どもたちからエネルギーをもらって、活力としていると言っても過言ではないほどだ。
そして、私と関わりあうことで子どもたちの自信につながるインスピレーションの元となれば、といつも思っている。

しかし、ここで区切りをつけた。(更新をしなかった)
私が仕事をやめることによって今いるクラブは変化してしまうだろうが、全体としては何一つ変わらないだろう。
でも、少しでも大元が気づくことがあればと、期待してしまう。(ない、ない)

頭の中に「フランシーヌの場合」の歌が回っている。
別に焼身自殺するわけでもないし、身をもって抗議するわけでもないのだが…

でも、実は仕事をやめるにあたって↑こんなマイナスの部分の思いではない。

新しいことが初めかったのだ。
まず、初めは神主、巫女になりたいと思った。
そこで、調べたり、知り合いの神社の娘さん方に話を聞いた。

巫女は幼い子(処女)ではないとダメなのね(TωT)
それか、神社の身内か。

神主はやはり身内でなければならないようだ。
学校も、通信教育があるのだが、神社の推薦があり、次に行く神社が決まってないとダメらしい。

そして、それが決まっても、30~50万円を払うそうだ。
それから、大体日本人はお寺の檀家に入っているが、神社に変更しなければならないらしい。

その他いろいろ、神社の身内でないのに神主の免許を取った人はもめ事があるようだ。
アドバイスとして、神社の方々と多くの交流に努めることだと、お言葉をいただいた。

やはり、神主になるにはむずかしいようだ。

本当に神主になりたいのか!と自問自答すると、そうでもないのかもしれない。
ただ、神様と人とを結ぶ仕事をしたいのだ。
別に神道に入っているわけでもないのだが…
神社が好きなだけかもしれない。

そうなると、神楽を舞う人でもいいのではないかとも思った。
この部分は今のところ保留。

次に、地元の神社をいろいろと知ってもらう仕事にも就きたい、とも思った。
神社だけではなく、浜田市のいいところを全国に広めていきたい。
石見地方はその部分が弱い、と思っている。
自分なりにブログでたまに、そういう部分を載せているのだが、もっと大きなものを動かしてみたい。

余談になるがこの間、浜田市の城山の上がり口に『柿本人麻呂 終焉の地』という看板が取り付けられていた!!
私としては、とても感動した。
この部分は浜田市が前に出してもいいところだと常々思っていたし、ブログにも書いていた。
うれしい!
この思いなのだ。
この思いを、たくさん味わいたい!

今はこの気持ちが一番強い。

インテリアコーディネーターにもなりたいが、もう少し家でゆっくりしてから考えたいと思っている。

あー楽しい!
この歳になってもまだまだ、可能性は残っているのだ、情熱さえあれば。