工作が大好きな私だが、実は読書も趣味の一つである。


今は、ずいぶん前に買った夏目漱石の「文鳥・夢十夜」を読みかえしている。


なぜ、今夏目漱石を手にしたのかというと、

いわゆる300人委員会、イルミナティ、フリーメイソンといわれる世界を支配しようとしている組織らに、家畜化、ゴイムという言葉がよく出てくる。

たしかにもう世界はすでに家畜化されているのかもしれない。

この「家畜化」という言葉の連想から、夏目漱石の夢十夜の第十夜の話が思い出された。


この話の内容は簡単に話すと


庄太郎が女にさらわれ、断崖絶壁に飛び込みなさいと言われた。

飛び込まなければ、豚になめられます、と言う。

庄太郎は豚が大嫌いだった。

豚は遥か彼方から何万匹にも連なってめがけて来る。

庄太郎は恐ろしくなり杖で豚の鼻をたたく。

豚は断崖絶壁から逆様になって行列して落ちていく。

最後には豚になめられてしまった。

庄太郎は助からないだろう。


というお話だ。

この話は、高校時代国語の授業で読んだもので、とても面白く印象に残っていた。

(第一夜も印象的で、女の人が死んで百合が生えてきた。もう百年たったんだなと思った、という話である。)


夢十夜と家畜化との関連性はないが、なぜか気になってしまうのだ。

もしかしたら庄太郎が私で世間一般に馴染みたくない部分と共鳴しているのかもしれない。


このパターンでなぜか気になってしまうものの中に、

「ウイングメーカー」からの連想だ。

このウイングメーカーはメキシコの遺跡から、24枚の絵画やデータ化された資料がなどが出てきている。

最近になって井口和基氏のブログに書かれたことから多くの人々に拡散されている。


これを読んで、連想したのが、ジェームズ・レッドフィールドの「聖なる予言」である。

フィクションだが、精神世界好きの私にとってはとても面白い本だった。


聖なる予言の内容は、

不思議な資料を手にしたばかりに秘密組織から狙われてしまう。

そしてその第九の知恵まで体験していく物語だ。


これが、ウイングメーカーを一般に知らせるために、命を狙われながらも公表した内容によく似ている。


私個人的には、このウイングメーカーの絵画には興味を示せなかった。

とても派手な絵だ。

CDも特に感動がなかった。


レッド・フィールドの続編「第十の予言」もおもしろかった。

最終的に自分の身を守るには半霊半物質になることなのだ。

ひふみ神示のいう、それである。

ガンダム00のいう、それである。


夏目漱石のことにもどるが、漱石の本は個人的にあまり好きではない。

自分勝手というか、人間のきたないところをよく表している本だ。

でも、「文鳥・夢十夜」の中に収録されている「思い出す事など」は少し違う目線で物事を見ている。

漱石が病気で死にかけた時の話だ。

世間のしがらみから開放されて、最終的に残る感情と現実に起こっている肉体の苦痛の葛藤、融和などを書いている。


本は人を選ぶ、とよく言う。

自分の意識と本の意識がリンクするのかもしれない。

本の意識って、って思われるかもしれない。

アニミズム的発想だ。

このアニミズムは子どもの頃はほとんど持っていた。

しかし、大人になるにつれてバカバカしい発想だと思うようになってきた。

この世の中何が本当のことなのか、まるでわからない。

信じていたことが誰かの作り話だったりすることがよくある。

最終的には自分の感覚、興味あるものの内容を自分自身が調査していくことなのだと思う。

多くの人が、人の言ったことを鵜呑みにし、それを自分の意見だと勘違いしていることが多い。

まぁ、正しいも間違えもないのだから、それはそれでいいのかもしれない。

ただ、自分の意見を人に教えてあげようとしなければいいのだ。

人に教えてあげる=自分の考えが正しい

になってしまうから。


最近ようやく悟ったことである。

今までの考え方は、かなりしんどかったよ。

うまくいかなかったしね。

人を助けてあげよう、これって自己欺瞞だったのだ。


風に吹かれてたおやかに揺れる自分自身になりたいものである。