こんにちは、和光右門です。

今日は世界の構造について語りたいと思います。

ここから私が話す内容は、信じるも良し、信じないも良し、

なにが正しいとかありません。ファンタジーとして受け取って下さい

私自身も、構造を知り過ぎると、またあちらに逝きたがるので、

得られる情報も限界があるみたいです。(笑)

では、まず、お金とエネルギーについて語ります。

 

今、皆さんがお金として認識している(流通している)紙幣や硬貨、通帳の表示額、

これらは、全て「借金から生み出された」お金です。

近現代のお金の流れの構造を簡単に説明します。

まず、日銀が造幣局から紙幣や硬貨を、借入先不明記の借入という形で、

仕入れます。※この時点でお金には、なんのエネルギーも付帯されていません。

お金が実体化するのは、民間銀行から、国、企業、個人が借入を行った時点です

民間銀行による、信用創造は、いわば、個人がお金を持ちすぎる(借金しすぎる)、

ことを防ぐ、ストッパーです。

借金を返せば、そのお金は消滅します

つまり、今流通してるお金は、「未返済の借金や、返済された借金の利息」です。

余談ですが、個人、企業の借入には限界があります。

しかし、経済は成長し続ける、誰かが借金し続けるしかない。

そこで、国が借金を行っているのです。

国の負債(借金)は、経済の成長の為には必要不可欠です。

国が赤字であればあるほど、経済は成長し続けます。

※国の負債を、国民の税金で返済したり、黒字化する行為(それを言う人)は、

経済の成長を妨げる行為です。経済面だけで見れば愚行です。

これが、近現代の流通しているお金の正体です。

 

※金は宇宙規模で価値のあるエネルギー体です。

では、近現代以前はどうだったか、

以前は、お金の素材(金や銀)で、それ自体に価値(エネルギー)が付帯されていました。

もしくは、お金を仲介させない、物々交換で、等価とみなされるもの(量)で流通していました。

つまり、同等のエネルギー同士での交換が成立していて、循環に滞りがないのです

 

上記を踏まえた上で、今を見ると、(サービス含む)価値あるものを、

なんのエネルギーも付帯されていないお金(借金)で得ようとしていることになります。

流石にこれではお金自体の役割を成しません。

そこで、(誰かが、、、(笑))目を付けたのが、人の労働(時間=命)と地球の資源という、

かけがえのないエネルギーを、お金に付帯させることです

結論を言えば、

人間の労働と地球の資源が現在のお金の価値(エネルギー)を支えているのです。

お金に価値があるから、それを得る為に働くのではないのです。

 

だんだん見えてきましたか?

働けど働けど賃金が上がらない今、地球の資源を食い荒らしている今、

地球のエネルギー循環が滞ってる今、

そのお金(エネルギー)はどこに集約されていますか?

わずか数%の人間(?)のものとなっています。(笑)

では、彼らがなぜそこまでするのか、それは地球(惑星規模)での利権です。

 

次回は、小学二年生の時降りた言葉と、エネルギーの構造から導かれる、

世界のシステムについて、わかる範囲で語ります。

ここまで長くお付き合い下さり、本当にありがとうございました。

 

 

こんにちは、和光右門です。

今日は、今後必要となる、教育の具体例を書きます。

現教育の構造を覆すこと、否定することではなく、

人が人として生きる原理に還ることを目的とします。

今からでもご家庭や、地域で出来ることも綴りますので、ぜひご活用下さい。

 

①霊性を取り戻す。

霊がつくと、スピリチュアルだとか、非現実的だとかで、

軽視されますが、これは日本人が昔から行ってきた教育です。

江戸時代には、「丁稚奉公(でっちぼうこう)」がありました。

10代前半の少年少女が、商家や職人の家に住み込み、無給で仕事を手伝い、

知識や、技術を学ぶものです。

子供たちは、その中で、精神性と人間力も身に着けました。

大切なのは、それが自分の能力に適しているかではなく、各職業に貫かれる姿勢、

自然との繋がり、生きる力を学ぶことです。

 

今出来る取り組みは、年単位、もしくは月単位でも、様々な職業を体験することです。

体験だとお客様で終わるので、その技術や資材の循環、人間付き合いも含め、

全ての会得を目指します。

教える側、受け入れ側も、真剣に後世(後継)を育てるつもりで行います。

 

②内観により自問自答し能力を発現させる。

これは、凸凹の答え、氣付きは自身が見出すことでしか自覚できないからです。

皆さんも、占いや、リーディングに興味があるように、自然と自分自身を知ろうとしています。

多くの場合が、占い師や能力者の言葉、チャネラーからの言葉を鵜呑みにします。

それも良いですが、真の自己は己で発見するしかないのです。

 

実践としては、瞑想、禅、ヨガ、武道など、己と向き合うものを取り入れ、

その先達(プロ)からの教えを受けます。

これを、補助的な教育として置くのではなく、時間をかけて主要なものとします。

※インドではヨガの大成者による、瞑想などを取り入れた一貫校も存在します。

 

③家庭教育を取り戻し、その家の特性を知る。

氏名と四魂の回でも言いましたが、魂は氏名(使命)を選んできます。

名が個の特徴を発現しやすいですが、氏はその家、土地との繋がりを表します。

核家族化で祖先との断絶が顕著ですが、祖先の職業、人生を知ることが重要です。

祖先の人生を知れば、その特徴は遺伝子に記憶されてるので、発現しやすくなります。

 

今、一部の家系しか、祖先を遡ることが出来なくなっていますが、

可能な限り遡り、祖先がどういった人物で、どういった生き様をしたのか、

あなたのお子様に聞かせてあげて下さい。

そして興味をもった事柄を全力で応援してあげて下さい。

 

以上が、

 

・自身の凹凸を知り、人間、地球(宇宙)の一部だと知る教育

・自分という存在の尊さに氣付き、自身を愛することを学ぶ教育

 

の案です。どれも非現実的ではなく、即実践できる内容だと感じています。

これをご覧になられる方々が、教育従事者であるかの如何に関わらず、

お子様や、地域の子供たち、後世を担う者達にとっての、

教育の指針になれることを願っています。

 

次回は、世界(資本)の構造について少しお話できればと思います。

ここまで長くお付き合い下さり、本当にありがとうございました。

 

 

 

 

こんにちは、和光右門です。

本日は、建国記念日です。日付をまたいだ0時過ぎに、

突然降りた言葉を記します。

昨日、教育の具体的取組について書こうとしていましたが、

どうしても氣分が乗らず、書けませんでした。

でも、この言葉を受け取り、それがなぜだったかハッキリしました。

 

陰陽、男女、善悪、この世は全て二極から成る。

どちらか一方のみで存在は出来ない。

例えば、悪に傾けば、必ず正義(善)が生じる。

力(波動)も、どちらかに傾けば傾くほど、

それを是正する、等しいバランスの真逆の力が生まれる。

それは、善でも悪でも、全ての二極に言えることである。

 

二極の真ん中、中道を貫くのが「愛」である。

人間がどう生まれるのか、原点(男女の理)に還れば、自ずと見えるだろう。

愛とは、まず自分自身を愛し、尊び、存在を認めることから始まる。

宇宙、地球との繋がりを自覚し、意識を循環に還すこと。

然らば、その満たされた波動(引力、重力、魂の鼓動)が、

新たな愛となり、周囲に伝播するだろう。

 

それが、人間、地球、宇宙の在り方である。

 

とのことです。

教育の帰結を「自分自身の愛し方を教えること」に変えたいと思います。

これをご覧になった方、自然に理解できる方々だと感じています。

次回は、教育の具体案と帰結を綴ります。

ここまでお付き合い下さり、ありがとうございました。

 

 

こんにちは、和光右門です。

本日連投させていただきます。

教育から、人が凸凹であることを伝えようとしています。

その上で、障害を先天的でも、後天的でも持つ方について語らせて下さい。

 

このブログで何度も書かせていただきましたが、

人間は、はじめから凹凸があるように創られていて、個々に秀でた能力があります。

 

障害を持たれる方々は、自らの凹凸を鮮明にさせることで、

人間の真理を表現しています。

自らそれを選んだ、勇気ある高尚な魂です。

失った能力の代わりに、特異で崇高な能力を発現させる方も多いです。

また、周りの方々は、血縁関係なく、自身の居場所を創ってもらって居るのです。

それが凹凸を補い合うこと、人間というものです。

 

資本、物質至上の世の中で、見え辛くなっていますが、

今後、ハッキリわかる世の中になるでしょう。

補足で書かせていただいたので、ここまでにします。

お付き合い下さり、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

こんにちは、和光右門です。

今日は教育①の続き、今後求められる教育について綴りたいと思います。

 

①でも掲げましたが、今後は右脳的能力と霊性が求められます。

しかし、左脳的能力が不必要な訳ではありません。

人間は(創造主に)選ばれてここにいます。

選ばれたとは、個々に異なる優れた能力が備わっていて役割があるということです。

現教育は、資本に忠実な能力を良しとし、三次元の一部の能力しか伸ばせません。

なので、自身を振り返って、過去の教育(と自身への評価)に、

違和感を感じてきた方々の感覚が正しいのです。

 

教育とは、

 

・その人の最も優れた能力を発現させること

 

・不得意な能力を自覚し、自身に凹凸があることを知ること

 

・他の人が不得意を補う能力を持っていることに氣付くこと

 

そのベクトルの先は、資本でも、芸術でも、霊性でもなんでもよいのです。

自身が人間、地球、宇宙というパズルの一部だということを、

全身全霊で受け入れれば良いのです。

 

では、教育になにを盛り込めば良いか、

 

霊性を取り戻す。

内観により自ら自問自答し能力を発現させる。

家庭教育を取り戻し、その家の特性を知る。

現教育は補助的な位置づけとする。

 

私が今考えられるのは、上記です。

勉強不足ですみません。(笑)

 

次回は、①~③の具体例を綴ります。

ここまでお付き合い下さり、ありがとうございました。

 

 

 

 

こんにちは、和光右門です。

今回は、今朝降りた言葉、「体主霊従と不老不死」について、

どうしても今日らしいので、前回の続きは後にして、綴ります。

リアルタイムの方は、選挙日ですが、既に済まされた方はお疲れ様です。

また、これからの方は、足元がわるいですが、お気をつけて。

選挙に行かれない方も、それも然りです。

 

では降りた言葉を、出来るだけそのまま記します。

選挙に行こうと、シャワーを浴びてる最中(タイミング、、、(笑))に降りてきました。

 

人間が不老不死に憧れ、求めるのは、三次元(物質依存)の中では、自然な願望である。

霊性に傾くと、肉体消滅後をはっきり自覚できるので、

地球の三次元的側面、身体、目に見えるものを疎かにする。

 

体主霊従(物質や思考がメインで、霊性や直感を軽視する構造)から、

霊主体従(上記の逆の構造)に時代が移行したが、本質はその両方が大切

 

全人類は、地球と宇宙の仲介の為の機能、役割を有するので、

どちらかに傾倒しすぎても、それは本来の姿ではない。

 

ただし、しばらくは、体主霊従に偏り過ぎた人間の感覚を、元に戻す為に、

今まで疎かにしてきた側面、見えなかった側面が、鮮やかに発現する。

 

そして、それは既に始まっている。

 

ある者は、それに脅威を感じ、また、ある者は、歓喜を覚えるだろう。

しかし、あなたがたは古より、それらを知っている存在なのだ。

 

とのことです。

私も氣付きがあり、これを聴き、ワクワクしてきました。(笑)

おそらく、これを見て下さる方は、後者の歓喜する方々です。

 

次回は、「教育」についての続きを綴ります。

ここまでお付き合い下さいり、ありがとうございました。

 

 

こんにちは、和光右門です。

今日は、現教育が時代遅れであること、それからの自己評価(レッテル)について綴ります。

このブログを始めて、一番最初に投稿したもの(今一番伝えたいこと)が、このテーマです。

重複になりますが、どうかお付き合い下さい。

 

現在の教育は、進学の為の教育であり、良い学校へ、良い就職先へ、

そして、より多く報酬が得られる職業に就く為のものです。

目的がお金であり、より沢山のお金を稼げる人間を、優れた人間とします。

学力や身体能力だけ秀でれば、人より沢山お金が稼げます。(笑)

評価の対象となる能力は、人間の持つ能力の数パーセント程度です。

 

しかし、今、感じてる方も多いと思いますが、

・お金自体の価値の下落

(※物価が高いと、ものに意識が向けられますが、実態はお金の価値の「急」降下です。)

・人の意識の変遷

(※ものの所有から、承認「いいね!」に移行して、その後は個々の体験へと上昇します。)

・AIによる人間を上回る左脳的能力

(※AIに任せれば、あなたの上司より遥かに会社に貢献します。(笑))

が起きています。つまり、お金稼ぎが至上命題な時代が終ろうとしているのです。

世界のお金の構造については、機会があれば触れますがここでは省きます。

 

では代わりに何を求められる時代が来るのか、

それは、右脳的能力と霊性です。

右脳は脳梁の発達から、女性が秀でた能力です

また、霊性は遺伝子に組み込まれた装置であり、日本人が特に秀でています

つまり、日本女性の時代の到来です。

 

 

大切なのは、

◎人間は最初から凸凹が出来るように創られていて、

 その凹凸を補い合うから調和する。

◎現教育による評価(レッテル)は、人間(あなた)の能力の

 一部しか評価出来ない、既に時代遅れなものである。

この2点を留めて下さい。

 

次回は、この続きを綴ります。

ここまでお付き合い下さり、ありがとうございました。

 

 

こんにちは、和光右門です。

今日は、私の人生を語る上で避けられない二度の自殺を、

文字通り、自分で「自分を殺す」ことを、包み隠さずお伝えします。

 

自殺をした年齢は37歳の時と39歳の時です。

無論、この世を去るつもりで行為に及びました。

理由などありません(理由はこの世の全て)でした。

ただ、言えるのは、「死」について常に脳裏のどこかで考え続けてきたこと。

自分を偽り、それが全てで、その自分が適合できない世界に、何の価値も見出せなかったこと。

世界の構造自体にも違和感を感じ続け、人間の営み全てが空虚に思えたこと。

極めつけは、自分に、自分自身の全てに、「絶望した」ことです。

 

大学を卒業後、職を転々とし、集団で生きることに馴染めませんでした。

暗黒面の私が、虚栄心で全ての人間を軽視し、手を差し伸べてくれる人にも目を向けませんでした。

しかし、時々、確実に、現世の私自身ではない、経験や記憶ではない領域から、

世界の稚拙な構造について、示唆や感覚が降りてきました。

そういった感覚や直感もあり、この世界からどんどん疎外感を感じるようになります。

 

37歳の初春、当時の私は妻もおり、世間一般の「普通」を体現しようと精一杯でした。

もちろん、妻を愛していましたし、大切な存在でした。

しかし、普通を目指し、社会に染まろうとすればするほど、苦しくなっていきました。

そして限界がきて、自殺します。

詳しい内容は、不快に感じる方も居られるので、伏せさせて下さい。

失敗(近所の女性の助け)に終わり、意識を失い、ICUに搬送され、後遺症や痛みだけ残りました。

 

39歳、妻と離婚し、全ての整理がついたら、あちらに逝こうと決めていました。

可能な限り、人に迷惑をかけないように、身辺を整理し、なにも残さないようにして、

確実に実行しました。

やっと終われるという、清々しさを感じていたのを思い出します。

奇跡が起きました。

ありえないタイミングで警察が来て、意識を失う前に救われました。

 

これが私が経験した二回の自殺の現実的な側面です。

では、後の解釈ですが、得た学びについて記します。(※スピリチュアル要素満載です。)(笑)

 

まず、これは真剣に言えることですが、ご自身の周りに自殺をされた方がおられる方へ。

自殺にもご本人しか理解できない、様々な要素が積み重なり、行為に及んだ場合、

周りの方をいかに愛し、愛されていても払拭できない救いがあります。

周囲の方の責任は一切ないし、ご本人にも何の罪もありません。

そして、その先があり、あなたがあなたの人生を全うするのを待っています。

ご本人を行為に及ばせた、社会構造、世界の在り方、いわば、地球自身の罪なのです。

 

一回目の後、意識を失っている中で、無限の闇を見ました。

見たというより、感覚がその恐怖を覚えています。

臨死体験をされた方がよく、三途の川で先立たれた方に会った、とか仰りますが、

私の場合はそのもを見せられました。

後で降りてきた言葉によると、

人間(魂)にとって、痛みや、苦痛、悲しみさえも糧になる。

おまえは自分で自分を見限り、責任を世界に転嫁し、魂にとって一番やってはいけない理由で閉じようとした。

だから、おまえにはを与える。魂の消滅だ。と。

私はこの言葉を受け取る前に、闇を安らぎだと錯覚し、二回目に及んでしまったのです。本物の愚か者です

 

二回の奇跡を体験し、時間もかかりましたが、行きついた答えが、

 

私(あなた)の存在自体が、

地球(多くの存在や神々)から愛され、

無条件で肯定されている。

 

ということです。これはその後の様々な体験や軌跡(奇跡)を通じ、私自身が勝ち取った答えです。

私が体験から得ることで意味があったのだと、地球から言われました。

 

昨年の8月18日の早朝、地球自身が如来の姿で、わたしの夢に現れました。

 

あなたは和光を体現し、それを伝えよ。あなた自身が和光である。

 

私はこの言葉を受け取り、和光を名乗りました。

和光とは慈悲です。慈悲は母が体現し、私に見せてくれました。

母が生前よく言っていました、「あなたの名前の候補で付けたかった名前がある。右門だよ。」と。

私の再生を予見してくれていたのかもしれません。

 

和光右門

 

これが現在の私です。

不思議なことに、氏名と四魂の回でお話しましたが、私の本名にも「和光」の要素が込められていました。

 

今後のブログでは、降りてきた言葉、取集した知識から、

 

  あなたは選ばれた存在だ!!

 

といことを、様々な角度からお伝えできればと思います。

、、、そういえば、昔は木や川、動物や虫達、地球と会話してたなぁ、、、。今頃思い出しました。(笑)

ここまで本当に、本当に長くお付き合い下さり、ありがとうござました。

 

こんにちは、和光右門です。

今日は、前回の続き、私の人生を語らせていただきます。

 

母の死を経験し、(私にとっては)神に等しい、最大限の愛を注ぐべき人が存在しなくなり、

その偉大さを失って氣が付きました。

いつか、母について語りたいですが、死を自覚した人の強さ、神々しさがあまりにも鮮烈すぎて、

たとえ、私が人生(生命)を全うしても、42歳で亡くなった母に人として及ぶことは不可能でしょう。

でも、私はマザコンではありません。(笑)

 

暗黒面に落ち(墜ち)た私は、母の治療を名目に、医師を目指していました。

この時すでに、私自身の本音、やりたいことを無視していました。また、それと向き合うことを避けていました。

母を亡くした後も、何をして良いのか見出せず、ただ、机に向かい、それ以外は寝ていました。

母の死の悲しみを押し込めたまま、ただ時間が過ぎるのを待っていました

通学途中、自転車を漕いでいる時、電車に乗っている時、なんの感情もないのに涙が溢れることがありました。

 

大学進学を目前に、受験勉強をしている中、私は勉学に対して何の情熱も持っていないことに氣が付きます。

正確に言えば、母という対象の損失、目的が大学入学、その先の金儲けに繋がっていると感じていたのです。

医師になれば多くの方々の力になれる、そんな美辞麗句に全く興味がありませんでした。

表面では母を亡くした悲劇の聖人君子を装い、中身は空っぽな自分に嫌氣がさしていました。

もちろん、進学は失敗、浪人を経験し、世間体(見栄)の為、適当な大学に進学します。

 

今冷静に当時の私の環境を見渡せば、(母方の)祖父が仕事で中東へ行った経験があり、ユダヤ教、イスラム教、

その他様々な文化や宗教に精通していたこと。祖母が、1年を通して畑仕事を行い、様々な野菜を作っていたこと。

(父方の)祖母は、書道、茶道、華道の教授で日本文化に精通していたこと。

謙虚になり、教えを請い、様々な知識に触れていれば、私が輝けるものに出会えたかもしれません。

それも後の祭りです、全ては

自分を偽り、人に助けを求めなかった。

これだけです。

 

次回は、二回の自殺とそこから学んだことを語ります。

ここまでお付き合い下さり、本当にありがとうございました。

 

こんにちは、和光右門です。

今日は私の人生について、3回に分けて、僭越ながら語らせていただきます。

 

幼い頃は、自然が大好きで、日が暮れるまで虫を採ったり、川で石を拾ったり、

木の実を集め、雪の日でも外で走り回っていました。

この世界に対して何の違和感も持っていませんでした。

 

しかし、一変させたのが、母の闘病と死です。

私が小学2年生、母が癌告知を受け、闘病がスタートしました。

この時初めて人の「死」を意識し、以後母が亡くなるまで8年間(それ以降も)、

死は意識のどこかに必ず存在する様になりました。

 

それと同時期に、友人と自転車で遊んでいた夏の暑い日、ふと、

「この世界でやりとりされている金は表層の金で、既に見えない場所に8京(けい)ある。」

と意味が解らない言葉が降ってきました。京という初めて耳にする単位で、単位であることも解らず、

調べ、垓(がい)や那由他(なゆた)、無量大数(むりょうたいすう)という、生活する中で聞かない単位の存在に、

驚いたことも覚えています。

更に、ここで不思議に感じたことが、「世界でやりとり」という文言です。

日本は円、アメリカはドル、中国は元、違う単位、違うものに見えていましたが、国、国境を越え流通し、

お金の本質は地球上で同じものだと知ったのです。

そのやりとりされている、一見すると全てに見えるお金を遥かに上回る、見えないお金が存在すると知りました。

 

その後、母の死を経験し、家族の要であった母を失ったことで、家庭の外観は保ったものの、

内部(精神)は崩壊して行きました。

しかし、これは父親、姉、弟、祖母に現れた試練や業であり、私にはあまり影響しないものだと感じていました。

母の死は、それは悲しいことでしたが、死を考え続けることから解放される安堵をもたらすと思っていたのです。

高校にも母の葬儀の翌日には、通常通り登校していました。

同じ高校の姉は1週間(忌引き)休んでも立ち直れないほどでした。

父や、弟、(亡き)祖母もそれぞれに葛藤し、母の死と(今も)向き合い続けています。

世間に迷惑をかけ、多くの方々のお世話になることもありましたが、傷が表面化し、都度向き合ってきたことが、

癒しを早めるのかもしれません。

私は母の死が耐えられず、命すら脅かすものだと精神が判断し、全ての感情を押し込めてしまったと後に氣が付きます。

 

生前母がこう言いました、「本当のおまえ(私)が解らない、怖いと感じる時がある。」

私は、幼少から身体能力、学力、記憶力が秀で、周りからチヤホヤされてきました。

私自身も、周りを見下し、親や大人すらも軽視し、世界の構造も簡単に理解できると感じていました。

前述した、幼少の私は無邪気で、陽気で友達と遊ぶことが大好きだったのに、心にもう一人違う自分が現れたのです。

氣が付けば、虚栄心、自身への過剰評価、社会への怒り虚無感に囚われる時間が増えていきました。

母は、それを見抜き、わたしに氣付きを与えようとしてくれてたのです。

ですが、未熟な私は母からも見放されたと感じ、以後、その言葉が脳裏に付きまとうことになります。

私は母からも理解されなった、この世に私を理解できる人間は居ない、この世界は空虚だと信じる様になったのです。

完全に暗黒面に落ちてしまったのです。(笑)

 

次回はこの続きを語ります。

ここまで長くお付き合い下さり、本当にありがとうございました。