息子を溺愛している娘の話は、度々ブログにも書いてきた。


なんとなく気まぐれで、二人の幼い頃のことを書こうと思う。


息子は、娘が2歳10ヶ月の頃に生まれた。
3学年違いの姉弟だ。


やんちゃで、あまのじゃくな娘は、
息子が生まれた瞬間、突然「素晴らしいお姉ちゃん」に変身したびっくり


産院に、初めて息子を見に来てくれた時
頭、ほっぺ、手足、色々撫で回し
顔と顔をくっつけて、「可愛いハート」「可愛いハート」を連発し、笑いが止まらない。
ベッタリくっついて、離れたくない様子だった。


産院にお見舞いに来てくれた時下矢印下矢印下矢印



退院してから、息子がむずがると娘は
「見ててあげるから、お母さんは用事してていいよ」
と言ってくれた。


まさか、2~3歳の娘がどうやって赤ん坊の世話をするんだよ!
と本気にしないまま、託してみたら


音の出るおもちゃで遊んだり、笑いながら顔と顔をくっつけたり、歌ったり。


本当に泣き止ませてくれたびっくり


ベビーベッドにだって、二人で寝ちゃう音符


息子がお座りが出来るようになると、
ベランダの近くに息子を座らせて、自分はベランダからシャボン玉風船を吹いて見せた。


赤ん坊の息子も「キャッキャ」と声を立てて笑い出し、それを見て娘も笑い、
いつも姉弟は、楽しいことを一緒にしていたピンク音符ブルー音符


まるで小さなお母さんのように、よく弟を膝に乗せていたけど


まだハイハイも出来ない弟の背中に乗ったりもしていたガーン

絶対加減してたと思うけどね照れ


私も夫も、子供たちが喧嘩をしている姿も、喧嘩の仲裁をしたという記憶も無い。



一個しか無いお菓子カップケーキを、どちらかに
「食べてもいいよー」
と渡すと、必ず半分がポツンと残されていた。


相手が、そのお菓子カップケーキの存在を知らなかったとしても
必ず半分こすることが、二人の間では当たり前になっていた。


食べ物の取り合いで、兄弟喧嘩の絶えないお家からは、
「どんな風に躾けたら、分け合うことを覚えさせられるの?」
と聞かれたけど、私は何も教えたことはなかった。



娘が3~4歳位の頃

「弟とはね、天国流れ星で天使だった時から、ずーっと仲良しで、毎日遊んでたの。
でも、かくれんぼした時に、私がお母さんのお腹の中に隠れてみたら、そのまま生まれて来ちゃってきてさー。
だから弟は、私を追い掛けてお母さんの所に生まれてきたんだよ照れ

と言っていた。


あの世でもこの世でも仲良しだというのか?
何の根拠もないけど、この姉弟に限ってはあるかもしれないキラキラと思った。


少し大きくなってからも、娘はずっと
「弟と私は、ソウルメイトだから」
と言い続けた。


世間では兄弟喧嘩に悩まされるかもしれない夏休みも、
我が家にとって二人セットが続く日々は平和だった。


逆に、姉弟の片方が友達に誘われる方が、
残った方に手が掛かるので面倒に思うくらいだった。



思春期に入るとか、恋人が出来るとか
いつかは何かのキッカケで、間柄も変わって行くだろうと思っていたけど
29歳と26歳になった今も、やっぱり仲良しのまんまだ。


異性の姉弟なので、時々誤解されるけど
恋愛感情とかは全然無くて(笑)
束縛し合ったりもしない。



大人になってからは、干渉し合うことは無くなったけれど
どちらかが高熱を出したりすると、
私を押しのけてアセアセ、お互い寝ずに付きっきりでの看病をし合っていた。


周りからは、羨ましがられたり
気持ち悪がられたりしてきた爆笑爆笑


娘の元彼からは
「俺と弟の、どっちが好きなん?」
と聞かれたことがあるらしく(笑)


娘は私に
「そんなこと聞くなんてキショク悪いと思わへん?
腹立つから『弟の方が好きに決まってるやん!』って答えたムカムカハッ
と言ってたけど、キショク悪いのは誰が聞いても確実にこっちの方だ。



娘は、息子が不登校になってからというもの
父親役も母親役もこなし且つ、いつも明るく楽しく、我が家の太陽晴れの役目を務めてくれ

私は、娘ナシでは今まで乗り切ることは不可能だったと思う。


けれど、その分娘の負担は大きく
大切な弟が弱ってしまったこと、そのことで母親が悲しんでいることまで背負わせてしまい
娘も鬱になってしまった時期があるタラー


「弟のことなんて知らん!」
と思える間柄ではなかったために、
娘はまるで「不登校児をもつ母親」と同じくらいの辛さを味わったタラー



人を憎むこともしんどいことだけど

大切に思い、どういう状況になっても愛し続けることも、
同じように大変だし、時には苦しいことだと思うタラー



そう言えば、息子が入院した時
当時の主治医が(今の主治医とは別人です!)
弟の面会に、毎回嬉嬉としてやって来る娘を見て


責任は、弟をゆりかごの中に入れて来たお姉さんにもある
と言ったことがあったびっくり


当時の私は、意気消沈していたので、医師の言葉には何一つ言い返せなかったのだけど
今になって思うのは
 

息子にとっては、姉から冷たくされた経験と
いつも仲良くしてくれた経験と
どちらが大切か?


そう考えると、娘に責任があるなんて
何の根拠も無い、医師の想像だったと思う。


大体、親の私にならともかく、たった3年弱早く生まれただけの娘に、一体何の責任があると言うのだろうムキー



色々思い出していたら、当時のことを自分がブログにどう書いていたか、見たくなって探して見た爆笑


当時の医師に掛かっていた、ドロドロで地獄だった頃を書いたブログですが
もし、ご興味とお時間があれば、ご覧下さい。





青天の霹靂時代に
結構有名な医師に掛かっていたので
「子育てを失敗した私なんかより
医師の言うことが正しいに決まってる!!

と思い込んでいたけど
実は、第一印象で
「この先生ムリ!」
と思っていたのに、その直感を信じれば良かった・・・


社会的肩書きに圧倒されることもあるけど
そういうことに惑わされず、「自分に合うか合わないか?」は、自分自身の直感を信じてあげることは大事だと思う。


あれから10年経つけど
息子にとって、娘という姉を持ったことは、最大のラッキーだった!!
と信じている。


ずっと家族のサポートをしてくれていた娘は、今は一人暮らしをし、我が家からはすっかり自立した。



子供たちは、大人になった今でも年々成長していっているなあと思う。
今度は
「不登校~引きこもりになった弟を持った姉」の成長記録や、現在の様子も書きたいと思うピンクハート