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とにかくこれからもがんばろーーー



と思うのだが、思うようには行かない。

私の行っている学校では、理論と実技の本が渡され、

先にとにかく技術が、毎回の時間に指導される。

それが、今教えられて、すぐするので、本当はできるはずだけど、

今教えられて、今忘れてしまう。

どうしてか不思議。

教えられている時はできると思う手技が、次に自分がするときになると忘れるのだ。

まわりはというと、ドンドンできている。

個人指導なので、人によって、進行具合の早さが違い、

また、入学時期が違うので、それぞれのカリキュラムの進行具合が違うので、

まわりと比べられないのだが、教えられたことをドンドンまわりの生徒はできていると、

自分の覚えの悪さに不甲斐なく思う。

心の何処かで、「こんなはずではなかった。」と思っている。


毎日の仕事の中では、新しいことといっても、今の仕事に関する新しいことで、

それは追いついていけるし、やれるのだ。

また十分に指導もできる。

が、しかし、である。

自分にとっては、全くの新しいこの整体という分野については、ちんぷんかんぷん。

ましてや、今までの仕事は技術畑の仕事ではなかったので、どうしても頭でしようとしている。
感覚の違いといったらいいのだろうか、覚えられない。

新しいことをするというのは、こういうことなんだなと今感じている。

でも、それと同時に、新しいことに関するワクワク感があるので、何とか楽しんでできているのだと思う。

新しいことをするときの緊張感と、新しい発見ができる楽しみ。

これがなんともいえない。

いくつになっても、この楽しみがあるので、挑戦できるのかなと思う。

それにしても、普段と全く違う環境なので、いろんなことが目に付く。

例えば、教師。

生徒を同じに扱っているつもりだと思うけど、違う。

男の若い先生なので、やはり、若い女の子に対しては、教え方が丁寧だ。

ひがみではない。現実的に細かいところまで親切に教えていたり、楽しそう。

相手が生きている人間なのだから、どうしても好き嫌いがあると思う。

可愛い女の子ならこれいたしかたない。

そんなこといたっら、差別だと怒られるかもしれない。

それは仕方がないことなのだと思っている。

私にたいしても、とっても親切に丁寧に教えてくださるのだから、ありがたい。

昨日の授業中も、入学希望者がたくさん来た。

両親に付き添われた中卒ぐらいの子から、中年の男の人、若い女の人等等。

きっとそれぞれが、自分の過去の人生を背負って、ここに希望を見いだそうとして来ているんだろうなって思う。

卒業までどのくらいの人が残るのか解らない。

自分だって、今は一生懸命だけど、いつ、やめるようになるかもしれない。

また、追いついていけなくて挫折するかもしれない。

でも、それぞれの思いを背負っての入学なのである。

親しくなって、整体師になろうとするまでの経過を聞くと、いろんなことあるんだなって思う。

私の父のために習いに来たという動機が、申し訳ないようだ。

人生の再起をかけて来ている人もいるのだから。

こんな人の出会いが楽しい。

私の職場では決して出会わないような人と出会えるのだ。

みんな、卒業目指して、がんばろうね。



こんなのがありました。