☆お遍路さんの福縁 ☆
お四国参りする女の人の話を聞きました。
昔、美しい娘さんと呼ばれた頃が花で、お乳を子供にくれてやり、
旦那に三度のご飯を出す間に、ふっと気がつく、
「ああ、こんな年になった。もう若い娘に戻ることは無い。」
そう言って淋しく笑われます。
逞しい青年だった男も鍬を振り上げて地を耕し、荷を商い、荒海を漕ぎ、
骨身をけずって働くうちに、子孫へ道を譲る年が来ていると悟られます。
必死に幸せを追いかけてきたのに、自分もいつの間にか、土に帰る日の事を思います。
お釈迦様はこの世の無常の定めを教えられました。
老いること、病、死、生の苦しみを経て、ついに悟りに到り、そして楽になられました。
お遍路さんも同じ定めを知り、
北風のなか山へ登り、炎天の太陽に灼かれ、仏を拝んで歩きます。
疲れても倒れても他人様に感謝し、仏様に手を合わせます。
山中深くで途方にくれても、その体に熱のある限り、
他の生ける者の心を温めよという声を頼りに祈ります。
日の暮れるまで仏様を拝み続けます。
そんなお遍路の目には、枯れてしまう花がきれいに見えるのです。
花の色香は、人の目を喜ばせ、虫や蜂を満腹にし、仏壇まで飾り、ただ喜ばせます。
そして喜びを与えきったあと枯れた花を見て、お遍路さんは、
ああ美しいとわかるのです。
老婆も美人だと知れます。家族の為に働き、隣のへんこつ者にも優しく元気ですかと尋ね、
優しい心を与えて、与えぬいてシワだらけになった掌は、
ああ、なんとも美しいと思うのです。その清い掌で拝んで下さる時、
仏は心より喜ばれます。
私達は、天から降ってくる水を、ほんの二、三日体に蓄えては入れ替えます。
老いた体も、病む体も、昨日降って来た新鮮な水で溢れています。
透き通る水であなたの体も一杯なのです。あなた様と多くの方が福縁で結ばれ、
その心を伝え合えることをお祈りします。 合掌 。 芳村秀全
正岡子規。
松山や秋より高き天守閣。
春や昔十五万石の城下哉。
慶応3年生まれ明治35年
糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな。
痰一斗糸瓜の水も間にあわず。
おとといの糸瓜の水も取らざりき。
子規。辞世の句を残し36歳で亡くなる。
24歳、喀血し以来、肺炎、結核、脊髄カリエスと(雅号)子規、別名ホトトギスと読みます・ホトトギスの口の中は真っ赤で、子規の口の中も真っ赤、咳をする咳払いがホトトギスの鳴き声と似ている、そこから命名する。
24歳石手寺のおみくじに凶と出た命差し障り無れど病長引く《身の上やみくじを引けば秋の風》子規・以来、壮絶な闘病生活が始る。
子規は日本の俳句界を革新・世界の俳句となる。
。私も今月28日診察どうなるのかな?成る様にしか成らないか覚悟を決めヨッシャー![[みんな:01]](https://emoji.ameba.jp/img/user/ki/kittyn94/1946.gif)
正岡子規。墨汁一滴より。
ガラス玉に金魚を十ばかり入れて机の上に置いてある。余は痛(いたみ)をこらへながら病床からつくづくと見て居る。痛い事も痛いが綺麗(きれい)な事も綺麗ぢや。
をかしければ笑ふ。悲しければ泣く。しかし痛の烈しい時には仕様がないから、うめくか、叫ぶか、泣くか、または黙つてこらへて居るかする。その中で黙つてこらへて居るのが一番苦しい。盛んにうめき、盛んに叫び、盛んに泣くと少しく痛が減ずる。
五月十日、昨夜睡眠不定、例の如し。朝五時家人を呼び起して雨戸を明けしむ。大雨。病室寒暖計六十二度、昨日は朝来(ちょうらい)引き続きて来客あり夜寝時に至りしため墨汁一滴を認(したた)むる能はず、因つて今朝つくらんと思ひしも疲れて出来ず。新聞も多くは読まず。やがて僅(わず)かに睡気を催す。けだし昨夜は背の痛強く、終宵(しゅうしょう)体温の下りきらざりしやうなりしが今朝醒(さ)めきりしにやあらん。熱さむれば痛も減ずるなり。
睡(ねむ)る。目さませば九時半頃なりき。やや心地よし。ほととぎすの歌十首に詠み足し、明日の俳句欄にのるべき俳句と共に封じて、使(つかい)して神田に持ちやらしむ。
十一時半頃午餐(ごさん)を喰ふ。松魚(かつお)のさしみうまからず、半人前をくふ。牛肉のタタキの生肉少しくふ、これもうまからず。歯痛は常にも起らねど物を噛めば痛み出すなり。粥(かゆ)二杯。牛乳一合、紅茶同量、菓子パン五、六箇、蜜柑(みかん)五箇。
神田より使帰る。命じ置きたる鮭(さけ)のカン詰を持ち帰る。こはなるべく歯に障(さわ)らぬ者をとて択びたるなり。
『週報』応募の牡丹(ぼたん)の句の残りを検す。
寐床の側の畳に麻もて箪笥(たんす)の環(かん)の如き者を二つ三つ処々にこしらへしむ。畳堅うして畳針透(とお)らずとて女ども苦情たらだらなり。こはこの麻の環を余の手のつかまへどころとして寐返りを扶(たす)けんとの企(くわだて)なり。この頃体の痛み強く寐返りにいつも人手を借るやうになりたれば傍に人の居らぬ時などのためにかかる窮策を発明したる訳なるが、出来て見れば存外(ぞんがい)便利さうなり。
繃帯(ほうたい)取替にかかる。昨日は来客のため取替せざりしかば膿(うみ)したたかに流れ出て衣を汚せり。背より腰にかけての痛今日は強く、軽く拭(ぬぐ)はるるすら堪へがたくして絶えず「アイタ」を叫ぶ。はては泣く事例の如し。
浣腸(かんちょう)すれども通ぜず。これも昨日の分を怠りしため秘結(ひけつ)せしと見えたり。進退谷(きわ)まりなさけなくなる。再び浣腸す。通じあり。痛けれどうれし。この二仕事にて一時間以上を費す。終る時三時。
著物(きもの)二枚とも著(き)かふ、下著(したぎ)はモンパ、上著は綿入。シヤツは代へず。
三島神社祭礼の費用取りに来る。一匹(ぴき)やる。
繃帯かへ終りて後体も手も冷えて堪へがたし。俄(にわか)に燈炉(とうろ)をたき火鉢をよせ懐炉(かいろ)を入れなどす。
繃帯取替の間始終(しじゅう)右に向き居りし故背のある処痛み出し最早右向を許さず。よつて仰臥(ぎょうが)のままにて牛乳一合、紅茶ほぼ同量、菓子パン数箇をくふ。家人マルメロのカン詰をあけたりとて一片(ひときれ)持ち来る。
豆腐屋蓑笠(みのかさ)にて庭の木戸より入り来る。
午後四時半体温を験(けん)す、卅八度六分。しかも両手なほ冷(ひややか)、この頃は卅八度の低熱にも苦しむに六分とありては後刻の苦(くるしみ)さこそと思はれ、今の内にと急ぎてこの稿を認(したた)む。さしあたり書くべき事もなく今日の日記をでたらめに書く。仰臥のまま書き終る時六時、先刻より熱発してはや苦しき息なり。今夜の地獄思ふだに苦し。
雨は今朝よりふりしきりてやまず。庭の牡丹(ぼたん)は皆散りて、西洋葵(せいようあおい)の赤き、をだまきの紫など。
余は閻魔(えんま)の大王の構へて居る卓子(テーブル)の下に立つて
「お願ひでござりまする。
といふと閻魔は耳を擘(つんざ)くやうな声で
「何だ。
と答へた。そこで私は根岸の病人何がしであるが最早御庁(おんちょう)よりの御迎へが来るだらうと待つて居ても一向に来んのはどうしたものであらうか来るならいつ来るであらうかそれを聞きに来たのである、と訳を話して丁寧に頼んだ。すると閻魔はいやさうな顔もせず直(すぐ)に明治三十四年と五年の帖面を調べたが、そんな名は見当らぬといふ事で、閻魔先生少しやつきになつて珠数(じゅず)玉のやうな汗を流して調べた結果、その名前は既に明治三十年の五月に帳消しになつて居るといふ事が分つた。それからその時の迎へに往たのは五号の青鬼であるといふ事も書いてあるのでその青鬼を呼んで聞いて見ると、その時迎へに往たのは自分であるが根岸の道は曲りくねつて居るのでとうとう家が分らないで引つ返して来たのだ、といふ答であつた。次に再度の迎へに往たといふ十一号の赤鬼を呼び出して聞いて見ると、なるほどその時往たことは往たが鶯(うぐいす)横町といふ立札の処まで来ると町幅が狭くて火の車が通らぬから引つ返した、といふ答である。これを聞いた閻魔様は甚だ当惑顔に見えたので、傍から地蔵様が
「それでは事のついでにもう十年ばかり寿命を延べてやりなさい、この地蔵の顔に免じて。
などとしやべり出された。余はあわてて
「滅相(めっそう)なこと仰(おっ)しやりますな。病気なしの十年延命なら誰しもいやはございません、この頃のやうに痛み通されては一日も早くお迎への来るのを待つて居るばかりでございます。この上十年も苦しめられてはやるせがございません。
閻王(えんおう)は直に余に同情をよせたらしく
「それならば今夜すぐ迎へをやろ。
といはれたのでちよつと驚いた。
「今夜は余り早うございますな。
「それでは明日の晩か。
「そんな意地のわるい事をいはずに、いつとなく突然来てもらひたいものですな。
閻王はせせら笑ひして
「よろしい、それでは突然とやるよ。しかし突然といふ中には今夜も含まれて居るといふ事は承知して居てもらひたい。
「閻魔(えんま)様。そんなにおどかしちやあ困りますよ。(この一句菊五(きくご)調)
閻王からから笑ふて
「こいつなかなか我儘(わがまま)ツ子ぢやわい。(この一句左団(さだん)調)
余は閻魔(えんま)の大王の構へて居る卓子(テーブル)の下に立つて
「お願ひでござりまする。
といふと閻魔は耳を擘(つんざ)くやうな声で
「何だ。
と答へた。そこで私は根岸の病人何がしであるが最早御庁(おんちょう)よりの御迎へが来るだらうと待つて居ても一向に来んのはどうしたものであらうか来るならいつ来るであらうかそれを聞きに来たのである、と訳を話して丁寧に頼んだ。すると閻魔はいやさうな顔もせず直(すぐ)に明治三十四年と五年の帖面を調べたが、そんな名は見当らぬといふ事で、閻魔先生少しやつきになつて珠数(じゅず)玉のやうな汗を流して調べた結果、その名前は既に明治三十年の五月に帳消しになつて居るといふ事が分つた。それからその時の迎へに往たのは五号の青鬼であるといふ事も書いてあるのでその青鬼を呼んで聞いて見ると、その時迎へに往たのは自分であるが根岸の道は曲りくねつて居るのでとうとう家が分らないで引つ返して来たのだ、といふ答であつた。次に再度の迎へに往たといふ十一号の赤鬼を呼び出して聞いて見ると、なるほどその時往たことは往たが鶯(うぐいす)横町といふ立札の処まで来ると町幅が狭くて火の車が通らぬから引つ返した、といふ答である。これを聞いた閻魔様は甚だ当惑顔に見えたので、傍から地蔵様が
「それでは事のついでにもう十年ばかり寿命を延べてやりなさい、この地蔵の顔に免じて。
などとしやべり出された。余はあわてて
「滅相(めっそう)なこと仰(おっ)しやりますな。病気なしの十年延命なら誰しもいやはございません、この頃のやうに痛み通されては一日も早くお迎への来るのを待つて居るばかりでございます。この上十年も苦しめられてはやるせがございません。
閻王(えんおう)は直に余に同情をよせたらしく
「それならば今夜すぐ迎へをやろ。
といはれたのでちよつと驚いた。
「今夜は余り早うございますな。
「それでは明日の晩か。
「そんな意地のわるい事をいはずに、いつとなく突然来てもらひたいものですな。
閻王はせせら笑ひして
「よろしい、それでは突然とやるよ。しかし突然といふ中には今夜も含まれて居るといふ事は承知して居てもらひたい。
「閻魔(えんま)様。そんなにおどかしちやあ困りますよ。(この一句菊五(きくご)調)
閻王からから笑ふて
「こいつなかなか我儘(わがまま)ツ子ぢやわい。(この一句左団(さだん)調)
松山や秋より高き天守閣。
春や昔十五万石の城下哉。
慶応3年生まれ明治35年
糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな。
痰一斗糸瓜の水も間にあわず。
おとといの糸瓜の水も取らざりき。
子規。辞世の句を残し36歳で亡くなる。
24歳、喀血し以来、肺炎、結核、脊髄カリエスと(雅号)子規、別名ホトトギスと読みます・ホトトギスの口の中は真っ赤で、子規の口の中も真っ赤、咳をする咳払いがホトトギスの鳴き声と似ている、そこから命名する。
24歳石手寺のおみくじに凶と出た命差し障り無れど病長引く《身の上やみくじを引けば秋の風》子規・以来、壮絶な闘病生活が始る。
子規は日本の俳句界を革新・世界の俳句となる。
。私も今月28日診察どうなるのかな?成る様にしか成らないか覚悟を決めヨッシャー![[みんな:01]](https://emoji.ameba.jp/img/user/ki/kittyn94/1946.gif)
正岡子規。墨汁一滴より。
ガラス玉に金魚を十ばかり入れて机の上に置いてある。余は痛(いたみ)をこらへながら病床からつくづくと見て居る。痛い事も痛いが綺麗(きれい)な事も綺麗ぢや。
をかしければ笑ふ。悲しければ泣く。しかし痛の烈しい時には仕様がないから、うめくか、叫ぶか、泣くか、または黙つてこらへて居るかする。その中で黙つてこらへて居るのが一番苦しい。盛んにうめき、盛んに叫び、盛んに泣くと少しく痛が減ずる。
五月十日、昨夜睡眠不定、例の如し。朝五時家人を呼び起して雨戸を明けしむ。大雨。病室寒暖計六十二度、昨日は朝来(ちょうらい)引き続きて来客あり夜寝時に至りしため墨汁一滴を認(したた)むる能はず、因つて今朝つくらんと思ひしも疲れて出来ず。新聞も多くは読まず。やがて僅(わず)かに睡気を催す。けだし昨夜は背の痛強く、終宵(しゅうしょう)体温の下りきらざりしやうなりしが今朝醒(さ)めきりしにやあらん。熱さむれば痛も減ずるなり。
睡(ねむ)る。目さませば九時半頃なりき。やや心地よし。ほととぎすの歌十首に詠み足し、明日の俳句欄にのるべき俳句と共に封じて、使(つかい)して神田に持ちやらしむ。
十一時半頃午餐(ごさん)を喰ふ。松魚(かつお)のさしみうまからず、半人前をくふ。牛肉のタタキの生肉少しくふ、これもうまからず。歯痛は常にも起らねど物を噛めば痛み出すなり。粥(かゆ)二杯。牛乳一合、紅茶同量、菓子パン五、六箇、蜜柑(みかん)五箇。
神田より使帰る。命じ置きたる鮭(さけ)のカン詰を持ち帰る。こはなるべく歯に障(さわ)らぬ者をとて択びたるなり。
『週報』応募の牡丹(ぼたん)の句の残りを検す。
寐床の側の畳に麻もて箪笥(たんす)の環(かん)の如き者を二つ三つ処々にこしらへしむ。畳堅うして畳針透(とお)らずとて女ども苦情たらだらなり。こはこの麻の環を余の手のつかまへどころとして寐返りを扶(たす)けんとの企(くわだて)なり。この頃体の痛み強く寐返りにいつも人手を借るやうになりたれば傍に人の居らぬ時などのためにかかる窮策を発明したる訳なるが、出来て見れば存外(ぞんがい)便利さうなり。
繃帯(ほうたい)取替にかかる。昨日は来客のため取替せざりしかば膿(うみ)したたかに流れ出て衣を汚せり。背より腰にかけての痛今日は強く、軽く拭(ぬぐ)はるるすら堪へがたくして絶えず「アイタ」を叫ぶ。はては泣く事例の如し。
浣腸(かんちょう)すれども通ぜず。これも昨日の分を怠りしため秘結(ひけつ)せしと見えたり。進退谷(きわ)まりなさけなくなる。再び浣腸す。通じあり。痛けれどうれし。この二仕事にて一時間以上を費す。終る時三時。
著物(きもの)二枚とも著(き)かふ、下著(したぎ)はモンパ、上著は綿入。シヤツは代へず。
三島神社祭礼の費用取りに来る。一匹(ぴき)やる。
繃帯かへ終りて後体も手も冷えて堪へがたし。俄(にわか)に燈炉(とうろ)をたき火鉢をよせ懐炉(かいろ)を入れなどす。
繃帯取替の間始終(しじゅう)右に向き居りし故背のある処痛み出し最早右向を許さず。よつて仰臥(ぎょうが)のままにて牛乳一合、紅茶ほぼ同量、菓子パン数箇をくふ。家人マルメロのカン詰をあけたりとて一片(ひときれ)持ち来る。
豆腐屋蓑笠(みのかさ)にて庭の木戸より入り来る。
午後四時半体温を験(けん)す、卅八度六分。しかも両手なほ冷(ひややか)、この頃は卅八度の低熱にも苦しむに六分とありては後刻の苦(くるしみ)さこそと思はれ、今の内にと急ぎてこの稿を認(したた)む。さしあたり書くべき事もなく今日の日記をでたらめに書く。仰臥のまま書き終る時六時、先刻より熱発してはや苦しき息なり。今夜の地獄思ふだに苦し。
雨は今朝よりふりしきりてやまず。庭の牡丹(ぼたん)は皆散りて、西洋葵(せいようあおい)の赤き、をだまきの紫など。
余は閻魔(えんま)の大王の構へて居る卓子(テーブル)の下に立つて
「お願ひでござりまする。
といふと閻魔は耳を擘(つんざ)くやうな声で
「何だ。
と答へた。そこで私は根岸の病人何がしであるが最早御庁(おんちょう)よりの御迎へが来るだらうと待つて居ても一向に来んのはどうしたものであらうか来るならいつ来るであらうかそれを聞きに来たのである、と訳を話して丁寧に頼んだ。すると閻魔はいやさうな顔もせず直(すぐ)に明治三十四年と五年の帖面を調べたが、そんな名は見当らぬといふ事で、閻魔先生少しやつきになつて珠数(じゅず)玉のやうな汗を流して調べた結果、その名前は既に明治三十年の五月に帳消しになつて居るといふ事が分つた。それからその時の迎へに往たのは五号の青鬼であるといふ事も書いてあるのでその青鬼を呼んで聞いて見ると、その時迎へに往たのは自分であるが根岸の道は曲りくねつて居るのでとうとう家が分らないで引つ返して来たのだ、といふ答であつた。次に再度の迎へに往たといふ十一号の赤鬼を呼び出して聞いて見ると、なるほどその時往たことは往たが鶯(うぐいす)横町といふ立札の処まで来ると町幅が狭くて火の車が通らぬから引つ返した、といふ答である。これを聞いた閻魔様は甚だ当惑顔に見えたので、傍から地蔵様が
「それでは事のついでにもう十年ばかり寿命を延べてやりなさい、この地蔵の顔に免じて。
などとしやべり出された。余はあわてて
「滅相(めっそう)なこと仰(おっ)しやりますな。病気なしの十年延命なら誰しもいやはございません、この頃のやうに痛み通されては一日も早くお迎への来るのを待つて居るばかりでございます。この上十年も苦しめられてはやるせがございません。
閻王(えんおう)は直に余に同情をよせたらしく
「それならば今夜すぐ迎へをやろ。
といはれたのでちよつと驚いた。
「今夜は余り早うございますな。
「それでは明日の晩か。
「そんな意地のわるい事をいはずに、いつとなく突然来てもらひたいものですな。
閻王はせせら笑ひして
「よろしい、それでは突然とやるよ。しかし突然といふ中には今夜も含まれて居るといふ事は承知して居てもらひたい。
「閻魔(えんま)様。そんなにおどかしちやあ困りますよ。(この一句菊五(きくご)調)
閻王からから笑ふて
「こいつなかなか我儘(わがまま)ツ子ぢやわい。(この一句左団(さだん)調)
余は閻魔(えんま)の大王の構へて居る卓子(テーブル)の下に立つて
「お願ひでござりまする。
といふと閻魔は耳を擘(つんざ)くやうな声で
「何だ。
と答へた。そこで私は根岸の病人何がしであるが最早御庁(おんちょう)よりの御迎へが来るだらうと待つて居ても一向に来んのはどうしたものであらうか来るならいつ来るであらうかそれを聞きに来たのである、と訳を話して丁寧に頼んだ。すると閻魔はいやさうな顔もせず直(すぐ)に明治三十四年と五年の帖面を調べたが、そんな名は見当らぬといふ事で、閻魔先生少しやつきになつて珠数(じゅず)玉のやうな汗を流して調べた結果、その名前は既に明治三十年の五月に帳消しになつて居るといふ事が分つた。それからその時の迎へに往たのは五号の青鬼であるといふ事も書いてあるのでその青鬼を呼んで聞いて見ると、その時迎へに往たのは自分であるが根岸の道は曲りくねつて居るのでとうとう家が分らないで引つ返して来たのだ、といふ答であつた。次に再度の迎へに往たといふ十一号の赤鬼を呼び出して聞いて見ると、なるほどその時往たことは往たが鶯(うぐいす)横町といふ立札の処まで来ると町幅が狭くて火の車が通らぬから引つ返した、といふ答である。これを聞いた閻魔様は甚だ当惑顔に見えたので、傍から地蔵様が
「それでは事のついでにもう十年ばかり寿命を延べてやりなさい、この地蔵の顔に免じて。
などとしやべり出された。余はあわてて
「滅相(めっそう)なこと仰(おっ)しやりますな。病気なしの十年延命なら誰しもいやはございません、この頃のやうに痛み通されては一日も早くお迎への来るのを待つて居るばかりでございます。この上十年も苦しめられてはやるせがございません。
閻王(えんおう)は直に余に同情をよせたらしく
「それならば今夜すぐ迎へをやろ。
といはれたのでちよつと驚いた。
「今夜は余り早うございますな。
「それでは明日の晩か。
「そんな意地のわるい事をいはずに、いつとなく突然来てもらひたいものですな。
閻王はせせら笑ひして
「よろしい、それでは突然とやるよ。しかし突然といふ中には今夜も含まれて居るといふ事は承知して居てもらひたい。
「閻魔(えんま)様。そんなにおどかしちやあ困りますよ。(この一句菊五(きくご)調)
閻王からから笑ふて
「こいつなかなか我儘(わがまま)ツ子ぢやわい。(この一句左団(さだん)調)
singaporl.
stephen.and.高さんご夫婦。
オールイングリッシュで大変です。(≡^∇^≡)
ヾ(@°▽°@)ノ
砥部焼き観光とお買い物。街並美術館と梅山窯。七折れ梅林。ETC
iPhoneからの
stephen.and.高さんご夫婦。
オールイングリッシュで大変です。(≡^∇^≡)
ヾ(@°▽°@)ノ
砥部焼き観光とお買い物。街並美術館と梅山窯。七折れ梅林。ETC
iPhoneからの
ソルトリーフ
塩味のする、この野菜中性脂肪にも
良いとかでいただきました。
野菜サラダに最高でしょう。
無農薬健康食品を今後とも真剣に
取り組む栽培直売所。
応援致します。
小さく光る、かすかな塩味
iPhoneからの投稿
塩味のする、この野菜中性脂肪にも
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野菜サラダに最高でしょう。
無農薬健康食品を今後とも真剣に
取り組む栽培直売所。
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小さく光る、かすかな塩味
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姫てまりのデザインはいろんなイメージから出来ております。たとえば花のイメージからトルコキキョウの花びらを敷いたところに、白い桜草の花を重ねて、その上にレンゲ草がこうやって開いた感じとか、頭の中でデザインを考えて、それを今度は実際に糸を巻いてみて、直しながら作っていく。姫てまりの使用糸は釜糸で、人絹でも縒り
のかかってない本染めです。姫てまりはお祝い事などに喜ばれ今では結婚・出産・建前などの祝事全般に必要とされています。めでたい亀甲やのし柄に、何事も丸く治まるようにと願いを込めて、一つ一つ丁寧に作られている。作業は沢山の工程を要する。今は退職したご主人の力も大きい。直径約30㎝~2㎝まで大小さまざま。芯の多くは発泡スチロールだが、大きいものは新聞紙を加工して作る。水に浸すこと一週間。濡れた新聞紙を洗濯機で脱水後、小麦粉を混ぜて丸く仕上げる。など大変な作業です。
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