万事塞翁がフランス

万事塞翁がフランス

フランス南西部に住んでもうじき30年になります。双子男女の母、フランス人夫の妻です。日常のあれこれをつぶやいています。

18歳だった。

 

 長生きしてくれたものだ。生後2か月ぐらいのとき、子供たちのクラスメイトから譲り受けた。名はChouquette シューケット。三毛猫だったんだけど、当時パッと見が薄茶色が勝っていて、フランスのポピュラーなお菓子の感じがして、こんな名前を付けたのだった。

 

 年ゆえに最後は物凄く弱ってしまって、非常に可哀そうだった。

 

 亡くなったのが2日前。翌朝は、彼女がいた場所にいるはずの姿がなくてぽかんと大きな穴が空いたようで。この穴は当分ふさがらないのだろうな、いや、空いたままなのかもしれないな、とも思ったり。

 

 

 

 全く想像もしていなかったのが、オットが非常にくらっている、ということ。愛猫の存在は彼の日常の大きなスペースを占めていたのだと、いなくなって知った。

 

 目に見えるというか聞こえて来るというか、ある変化が起きた。オットがえらく独り言を言っているのだ。ラジオで聞いた政治の話題になにやら文句を言っていたりとか、これは明らかに猫が去ってしまったことと関係しているのだ。自分で気づかず空いた穴を埋めようとしているかのように。

 

 

 

 

 ほんと強いねアンタ、と娘(双子)を見てると最近つくづく思う。

 

「母さんさあ、今夜家に寄っていい? 電気が止まっちゃって、スマホとラップトップ、携帯バッテリーを充電させて欲しくって。」とメールが来たのは今朝のこと。

 

 もちろんええよ。何なら洗濯もしていいよ。と答えた私に「ほんとにごめん。迷惑かけて」と実に申し訳なさそうにするから「何言ってんの。出来ることがあったら何でもするから」と何度も言った。

 

  

 

 

 

 娘(24歳)はパートナーと2年近くアパートをシェアしている。パートナーは一つ上でプロスケートボーダー。元、と言った方がいいか。12,3歳から頭角を現し、フランスはもちろんアメリカ、南米、オーストラリアなど世界のコンペティションで戦って来た将来有望なスケーターだった。しかし2年前の怪我で膝を複雑骨折して、手術、リハビリと頑張って来たもののスポンサーに大半の契約を切られ、復帰してからはコンペとバイトの2足のわらじでやって来た。

 

 二人は家賃を折半している。娘は毎月の己の給料から家賃の半分を渡しているが彼の方がバイトにありつけない月が続いて家賃を払えなくなっていた。管理会社から2通目の勧告状が届き、あわや退去命令になりそうなところだった。それを聞いた私は家に戻って来るかもしれんと、急いで娘の昔の部屋を片付け掃除したものだ。

 

 彼氏は実家に救済を頼み、何とか退去は免れた。しかし電気は止められた。家賃に含まれていた電気を切られたのだ。会社側も最近の電気代高騰で止むを得なかったのだろう。

 

 3週間近い遠征から帰って来たスケーター君は慌てて電力会社と個人契約をし、3日間のろうそく生活から脱出がかなったが、まあ娘は私にひと言も泣きごとを言わない。今日もカバン一杯の洗濯物を背中に担いで、自転車漕いで汗だくになりながらやって来た。

 

 二人の間でどんな会話が成されているのかは知らないが、私ならとっくに別れているだろう。

 

 しかしこの彼氏さんは優しい。そして何より娘を尊重し愛している。娘は彼を愛している。愛していなけりゃとうに見捨てているだろうよ。食費も彼の財布がカラの時は娘がまかなっているし。きっぷがよくて金に執着しないのは私の娘にしてはどうしたことか。

 

 

 

 

 

 2週間振りに利用者さんのマリーアンヌ(仮名)に会った。彼女はここ一カ月ほど元気がなくて、ふさぎ込んでいた。

 

 もともとの鬱病がこの季節になると浮上するようで、玄関からのぞかせた顔を見た時、瞬時に察知した。悪化していると。何もやる気がしない。食欲もないと、げっそりしたお顔で言うので、まあしょうがないですよ、今日はゆっくり休んでいて下さいと、私はひとり仕事にかかった。

 

 時に廊下を往復するマリーアンヌを目の端でとらえると、まるで幽霊のような生気のなさ…。かかりつけの医者に診てもらい、抗うつ薬を飲み始めたが今回はあまりその効き目がないと見える。

 

 仕事終わりにいつものように二人でお茶を頂きながら、胸の内を明かしてくれた。薬の効果か夜は眠れるのだけど、朝目が覚めた時、一日が始まるのが怖のだ、と言った。

 

 私はこれまでに人生に挫折して絶望に陥ったことは何度かあったが、一日が始まるのが怖い、という思いをしたことはなかった。トンネルの中にいる時っていつ出口が見えるのか分からないのが辛いですよね…。今は無理しないで。今夜はテレビでも見て、気を休めて下さいね。と言い、彼女の家を後にした。

 

 家に帰って息子さんに連絡をしようかと随分迷ったが、しなかった。息子には迷惑をかけたくないといつも言っているマリーアンヌ。息子さん自身も実は同じような病気を抱えているのだった。