一年以上も放置して申し訳ありません。
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とFBで手一杯なためリンクを貼り付けましたので、こちらを
ご覧下さい。
あと数日で2月が終わります。
2月議会は総括質疑、予算審査があるので3月中旬まで続きます。
緊張が続く日々です。
議場で一般質問の間は座っているのですが、背もたれに寄りかからずに座っている
と、腰に負担がいくようで今日は、腰が痛いです。
いま、書類の片付けをしています。
「いる」「いらない」「どこにしまう」
と仕分けするのですが、なかなかはかどりません。
その日その日でやればたまらないのでしょうが、つい机の上に積んでしまいます。
どこにおいたか、全部頭の中に入っていればいいのですが、そう簡単にはいきませ
ん。
娘が引っ越しをして一部屋を私の仕事部屋にできたので、いろいろ動かしていま
す。
そのせいであっちこっちに書類の山ができてしまっています。
さぁ~片付けよう!
とうとう1月に1回の更新になってしまいました。
なかなか情報発信と一言で言っても難しいですね。
「今日はこれを書くぞ」との意気込みがなければなりません。
何事も気力ですかね。
先日は、元市会議員の深沢氏に本屋で声を掛けられました。
「次も市長選に出ますので、よろしく」との言葉に「あと3年後か」と思いました。
昨年、市会議員選挙と市長選挙があり、選挙準備中に3.11東日本大震災が起きました。
それから早いもので1年経ち、あと3年で改選となります。
この3年は長いようで短い3年間です。
いま、私は60歳になりました。次は63歳となります。
気力、体力がもつでしょうか。
いろいろな準備が必要ですね。
選挙は戦いです。勝たなければ意味が無いわけですから、力を蓄えなくては。
若い頃の情熱は正直ありません。それに変わるもので勝負するしかないですね。
11月議会が終わりました。
最終日に会派代表者会議が開かれました。
3回目ぐらいの出席だと思います。
会議は各会派の考え方の違いがはっきりと出ます。
でもその違いを協議をしながら進めていこうというのが、会派代表者会議の趣旨だと思います。
何かを決定する場ではありません。
今回の会議は「調整がつかないので多数決で」などと言う意見が出てきました。
「えっつ!そんな場ではないでしょう」と「それはやめましょう」と意見を言いましたが、どうなるのやら
結論は12日に持ち越しになりました。
今期から会派の代表を受けることとなりました。
富士宮市議会は会派制をとっています。
富士宮市議会申し合わせ事項で
会派とは、結成方法、協議する内容を決めています。
①初議会までの日程調整、議会役職等人事の選考、調整に関する事項
②議員懇親会に関する事項
③議員野球に関する事項
④議員控え室に関する事項
⑤会派間の連絡、調整に関する事項
となっています。
会派代表者会議への出席もまだ数回なので、慣れない部分があります。
自由に議論することはできるのですが、常に「議会とは議会が行うべき事は」を念頭にいれていないとなりません。
行政は執行機関で議会は議決機関です。
その範囲を超えてはなりませんが、範囲を見極める目も必要です。
何かと考えさせられる、この頃の会派代表者会議です。
暑い暑いと言っていたのに、今日の夜は風が少し冷たく感じます。
今年は地震、台風の被害と自然災害による被害が多く発生しています。
その上に福島原発の人災とも言える事故も起きています。
今日は「東海地震に備えて」とのテーマで講演会を行いました。
主催はふじのみや女性の会です。
その中でチェルノブイリで起こったような事故が、浜岡原発で起こったなら半径500KMまで被害が及び
日本列島の真ん中がすべて被害にあうという図を示されました。
東海地震でも同じです。浜岡原発だけ地震の影響を受けないと言う事はありません。
使用済み核燃料が冷却保存されている以上安全と言えません。
今福島の人たちは、ふるさとを捨て、家を捨て、土地を捨て、仕事を捨てなくてはならない状態におかれています。
日本中に原発がある以上地震国日本では、いつでも福島の人たちと同じ状況になります。
今こそ原発ゼロに向け舵をとるべきです。
いま韓国のドラマでテワンセジョンを見ています。
朝鮮王朝の話ですが、「政治とは何か」が大きなテーマになっています。
「民を守るのが政治」との台詞に「あ~あやっぱり」と一人頷いています。
見応えのあるドラマです。
あと少しで終わってしまうので、残念です。
私の政治信条は・・・と常に自分に問いかけ9月議会に臨みます。
私は「人と違って自分は変わっている」と思うことがよくあります。
早い話が、あまり常識にとらわれたくないという反骨精神が旺盛なのだと思っています。
草取りは基本的に好きです。
その延長線上に田んぼのひえ取りがあります。
今年は7月の中旬に帯状疱疹になり、その間田んぼに行けなかったので、田んぼは大変なことになっています。
除草剤はもまかないので稲より大きくなった緑色の濃いひえが、田んぼの真ん中にびっしりと密集しています。
昨日は夕方4時から6時半までとったのですが、あと数回通わないとひえはなくなりません。
米作り3年目にして、稲とひえの区別はできるようになりました。
水を入れた次の日に行くと、簡単に根から抜くことができます。
ひえとの格闘は、私の闘争心に火をつけます。
そんなことを思いながらのひえ取りは楽しいものです。
今年もあと少しで収穫を迎えます。
東北では、農家の人々が収穫の喜びを迎えられずにいます。
あと何年この思いをしなくてはならないのでしょうか。
広島市長も長崎市長も新たなエネルギーをと発言しました。
安全なエネルギーを求めるべきです。
日本中が、安心して暮らせるようみなさんで変えていきましょう。
先週の土曜日と日曜日は、東京で一人暮らしをしている長男の部屋の掃除に行ってきました。
時々電話で様子を聞いていたのですが、仕事が忙しく掃除もできずに炬燵も出したままとのこと。
なにしろ部屋が狭いので、去年の10月に越したとき、夏服は家に持ってきていました。
そろそろ取りに帰ってくると言っていたのですが、休日出勤もあり、なかなか帰って来られません。
カーナビが搭載されている娘の車を借りて、一路東京へ向かいました。
夫は全然興味もないし、行く気もないので、一人で車に洋服を積み、自分が寝るための長座布団をもって出かけました。
土曜日は少し残っている赤旗日曜版の配達をしながら、早く出ようと思っていたのに富士インターを12時に出発となりました。
東名は渋滞もなく順調に走り、1970年代のフォークと歌謡曲を聴きながら、久しぶりの高速運転に少し緊張しながら、首都高速の渋谷で一般道に降りました。
ここからはカーナビの言うとおりに走り、2時間で息子の住むアパートに無事つきました。
息子は就寝中。荷物を運び、一息してから
「どこから掃除をして明日はどこまでできるか」と掃除の工程表を頭に描き、息子の寝ている邪魔をしないよう
トイレ、風呂場、洗面台の掃除にとりかかりました。
半年経ってどのくらい汚れているか想像すると恐ろしかったのですが、思ったほどは汚れていなかったので
やれやれです。
夕方になりやっと目が覚めた息子が「銭湯に入りたい」というので、10分ぐらい歩いて銭湯に行きました。
私が子どもの頃横浜に住んでいたとき、家のお風呂があったのですが、何度か近くの銭湯に連れて行ってもらいました。
その銭湯と同じままの下駄箱は番号が書いてある木札の鍵で、番台におばあさんが座っていて(おばあさんで良かった)、風呂場の壁には大きな絵があり、脱衣所の片面は全面の鏡になっていて、50年前の銭湯そのものでした。
掃除が行き届いてたぶん修理もしていると思うのですが、古くさい感じはなく良く保っているなと思いました。
入浴して出てきたら、番台は60代の息子さんと交代していました。
夫以外の男性の前で一糸もまとわない姿をさらけ出すことになるとは思わず、銭湯とはそういうものだと頭では
わかっていても、不思議な気分でした。
日曜日、息子は出勤で、朝ご飯、洗濯、掃除、炬燵の片付け、冬物の整理、合間に洗濯した物を乾かしにコインランドリーまで歩いていき、目が回るような忙しさで、おまけに部屋の温度は30度。
明るいうちに帰りたいしと気持ちはあせるし、やっと終わったのが5時。
冬物の衣料、炬燵、毛布など車いっぱいに乗せ、日曜日で人がいっぱい出ている表参道、原宿竹下通り、渋谷駅前を通り抜け東名に入り、帰りも2時間かけて富士宮に帰ってきました。
忙しかったですが、都会のエネルギーも感じられ、息子の様子も見られて楽しかった2日間でした。