宮澤賢治の詩に見る、「日本人は、本来、訴訟ぎらい」 | 若狭勝オフィシャルブログ「法律家(Lawyer)、議員(Legislator)、そのL字路交差点に立って」Powered by Ameba

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たださえ暑い東京の夏ですが、7月に入り、
参院選も終盤を迎え、さらにヒートアップして
熱くなっています。

ここ最近は、そんな政治のお話が多かったので、
箸休めとして、たまには別の話もしたいと思います。

利根川水系の矢木沢ダムなどの水瓶の枯渇が
心配される関東地方です。適度の雨が望まれます。

雨と言えば、宮澤賢治の 「雨ニモマケズ」 の詩に
北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろと言い」
(北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ)
という句があります。

昔も訴訟が敬遠されていたことが伺えますが、この詩は、
賢治の遺稿ということもあり、なぜ賢治が訴訟を敬遠したのか、
具体的理由は分かりません。

訴訟の結果は自分の思い通りにはなりませんし、
時間を費やす上、弁護士に依頼すれば、その費用もかかります。
そういう 「ツマラナイ」 ことはやめてしまえ、という趣旨なのかもしれません。

訴訟を仕事にしている弁護士としては、いろいろ申し上げたいことはあります。
ただ、弁護士としての立場を離れて考えますと、訴訟で物事を解決する社会は、
必ずしも好ましいとは思っておりません。

ちなみに、訴訟に時間がかかるということについては、
賢治の生きていた時代から、あまり改善されていないのではないか、
という懸念を持っています。

もちろん、裁判所は、ここ十数年でも、民事訴訟法の改正をはじめ、
事務効率向上のための様々な措置・工夫をこらしてきましたが、
それでも、訴訟の迅速化は、担当裁判官の熱意とやる気にかかっており、
そうした観点からは、必ずしも十分には対応してもらえていない、
大事なことが何であるかを分かっていない裁判官がいるものだ、
という経験が最近もありました。

もちろん、都市部の繁忙状況や裁判官の人員配置の問題もありますので、
一概に、 「これが悪い」 とか 「判事が駄目なんだ」 とは言い切れませんが、
L字路交差点にいるわたくし「わかさ」としては、そのような実体験・現場経験を
立法に活かしていかなければならないと思っております。