万国共通の拍手に対し、カタカナ英語多用の弊害 | 若狭勝オフィシャルブログ「法律家(Lawyer)、議員(Legislator)、そのL字路交差点に立って」Powered by Ameba

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最近、万国共通の体による表現として、
「拍手」って、素晴らしいと思っています。
先日、衆議院本会議に、外国要人をお迎えした際も、
全議員が割れんばかりの拍手で歓迎しました。

拍手は、エールを送る時、祝福の時、感動の時、本当にいろいろな時に、
人間のその時々の感情を、何ら道具を使わずに、目いっぱい、自然に
表せる力があります。

本日3/13(日)の自民党大会では、もちろん拍手喝采もありましたが、
参加者一人一人にペンライトが配られ、それを振りながら応援する
という工夫がされていました。

それも素敵でしたが、それでもやはり、人間が手を駆使できるようになった時代以降、
誰に教わることなく、万国で自然に自らの感情を咄嗟に表せる仕草として共通に
用いられてきた拍手は、感動ものだと思います。

話は変わりますが、最近に気になっているのは、政治の世界で、
KPI(業績評価指標)
PDCA(事業を円滑に進めるための手法)
IOT(あらゆるものがネットを通じてつながる)
RESAS(地域経済分析システム)
などの横文字ないしアルファベットの略語が当然のように使われていることです。

確かに、日本語で言うと長くなる、あるいは外国人にも伝わるようになどといった理由が
あるのだと思いますが、ビジネスの世界であればともかく、高齢者から中高生に対して
まで伝える責任がある政治の世界では、そうした横文字ないしアルファベットの略語の
多用は避けた方がよいと思っています。

そうした略語の数が多くなると、それを覚えるだけでも大変な上、
略語を覚えたところで、それが何を意味するかがすぐに分からない弊害があるからです。
また、日本語を使って少し縮めて略せば、少なくとも、
その言葉のイメージが分かるからです。

政治には説明責任があります。

拍手が自然に出る万国共通の表現であるように、
日本人の誰にでも何を意味しているかがすぐに分かる
拍手のような表現の多用が政治に求められている気がします。