先週、最高裁で、鹿児島の準強姦事件について無罪を維持する決定が出ました。
この事件は、検察官が不起訴処分にしたものの、その後、
検察審査会の決定により強制起訴されたものです。
これまでも、強制起訴された事件では、無罪になる確率が高いです。
それは、ある意味、当然のことです。
そもそも、検察官は、甚大な被害が発生した事案であればあるほど、
原則として起訴することを目指して捜査を進め、手を尽くします。
いわば、消防士が目の前の火事を見て、必死で消火活動に当たるのと似ています。
その検察官が、証拠的に問題があるなどの理由で起訴を見送った事件である以上、
あとで強制起訴されても、裁判での立証には、もともと高いハードルがあるのです。
確かに、検察審査会は、一般の有権者から無作為にくじ引きで選ばれた審査員が、
検察の判断の適否について判定を行うという趣旨のものですから、
その存在自体は、開かれた司法として、評価できるところです。
しかし、強制起訴して無罪が続出するのは、制度的に問題があると言わざるを得ません。
検察審査員に強制起訴できる権限を与えるにしても、対象となる罪種、要件について、
もっと丁寧に慎重に議論しておく必要があったと思います。
かつて検察審査会法を改正して強制起訴の制度を導入した際、
国会においてほとんど議論されていません。
当時の議事録を読み返して、改めてそう感じます。
今、国会議員になって思うことは、本来もっと深く議論すべきはずの法案が、
活発な国会質疑が意外にないまま、簡単に通過・成立してしまうという
国会の隠れた性格です。
今後も、東日本大震災の東電福島原発に絡む案件など、
社会の耳目を集める強制起訴された事案の裁判が始まります。
有罪か無罪かの判断が難しい、いわばギリギリの事案の見極めを
検察審査員に全面的に委ねてよいのか、いま一度、検察審査会法の
改正も視野に入れて検討してみてもよいのではないでしょうか。